ドドンパ和也&ラッキーの湘南花鳥風月 

ドドンパ和也が、湘南逗子での四季折々の日々の出来事を徒然なるままに書き綴るページ

1004,1200万円のヌード

2009-04-29 09:14:29 | Weblog
昨日は、僕の昔の酒席での全裸エピソードで、かなり男を下げたので、今日は、名誉挽回の為、僕の全裸が、珍しく役に立った(と言うか、役に立ったのは、この一回だけだが)エピソードを紹介させて頂こう。

僕は数年前まで、長年に渡って音楽業界で働いて来た。

これは、昔、ロックバンドの爆風スランプのスタッフをやっていた時の話である。

当時、爆風スランプはレコード会社はCBSソニーレコード(現・SME)に所属しており、ある時、ソニー主催で、マネージャー懇親会旅行が企画された。

ソニーレコードに所属しているアーティストの所属事務所のスタッフは、ソニーレコードのスタッフとは仕事で頻繁に交流しているが、アーティストの所属事務所のスタッフ同士は、色んなアーティストが出演する音楽フェスティバルの楽屋くらいしか、お互いに交流する機会が無いので、ソニーレコードが、ソニーレコード所属のアーティストの事務所のマネージャーを招待して、みんなで軽井沢に旅行に行き、親交を深めようと言う企画である。

爆風スランプの事務所代表として、そのマネージャー懇親会旅行に参加した僕だったが、その規模の大きさには驚かされた。

ソニーレコードの指定した新宿駅に行ってみると、ソニーレコードが貸し切った4両編成のお座敷列車が僕達を待っていた。

4両編成の列車は、ソニーレコードが嗜好を凝らして、1両目がカラオケ車両、2両目が、日頃の疲れを癒やしてくれるマッサージ車両、3両目は、麻雀卓が用意された麻雀車両、4両目は、畳張りになっている居酒屋風宴会車両となっていた。

全く持ってソニーレコードの大盤振る舞いで、今の不況と正反対のバブル絶頂期を象徴するような豪華旅行である。

参加者のマネージャーは、自分の好みの車両に乗車する訳だが、僕が宴会車両に乗車したのは言うまでもない。

全額ソニーレコード負担の上、各車両には、ソニーレコードの社員が世話役として配備され、ソニーレコードの若い女性社員が、お酌までしてくれるんだから、参加者全員、酒が進む事、進む事!

新宿を発車して、大宮駅から乗車して来る参加者を乗せる為、お座敷列車は、大宮駅のホームに暫く停車したのだが、みんな凄い勢いで酒を呑んだので、新宿
~大宮の短時間の間に既に酔っぱらい続出で、すでに上半身裸で踊っている者までおり、大宮駅のホームで在来線の電車を待っていた、一般市民の皆さんは、お座敷列車の車窓から見える乱痴気騒ぎに目を丸くしていた。
宴会車両の盛り上がりは、どんどんエスカレートし、いつしか、事務所対抗の宴会芸合戦の様相を呈していった。

こうなると、水を得た魚のように張り切るのが、「宴会のファンダジスタ」「密室芸の帝王」「ストリッパーより良く脱ぐ男」等々の異名をほしいままにしてきた僕である。

最初は、色んな事務所のマネージャーが宴会芸を披露していたが、段々宴会芸のレベルが上がり、生半可な芸では、出て来れない雰囲気になっていった。

もはや、宴会車両のお立ち台で宴会芸を披露するのは高度な宴会芸を駆使出来る、僕とレベッカのマネージャーだけになり、2人の一騎打ちとなっていた。

2人共、最後の最後は、やはり裸芸になっていったが、レベッカのマネージャーは、最後の羞恥心が裸芸のキレを鈍らせ、そこにかさに掛かって僕の流れるような裸芸の連続技で、完全に流れは僕優勢に傾いた!

最後にとどめの全裸芸を炸裂さそうと、一旦、物陰に隠れた僕が、慣れた手つきで素早くパンツを脱いでいると、そこに居合わせたソニーレコードの女性社員が、悲鳴を上げたが、僕は「仕事なんです。これは仕事なんです。」と、意味不明の説明をし、委細構わず、全裸になり、再び、今や「宴会車両がドえらい盛り上がっているらしい!」との噂を聞きつけ、他の車両から移動して来た参加者で超満員に膨れ上がった宴会車両の観客の前に飛び出した僕は、渾身の全裸芸を炸裂させ、観客を爆笑させ、完全勝利を収めたのであった。

阿鼻叫喚の宴会芸合戦が終わり、会場の宴会車両が落ち着きを取り戻した頃、ソニーレコードの当時のI常務が現れて、粋な計らいをしてくれた。

「このお座敷列車を最高に盛り上げてくれたAマネージャー(僕の事)が担当する爆風スランプに宣伝費1200万円を進呈しま~す!」

会場がどよめいた!
しかし、1000万とかでは無く、1200万と言う中途半端な金額が、リアリティを感じさせた。

惜しくも僕に敗れたレベッカ(のマネージャーの事務所)にも、800万の宣伝費用が進呈された。

不況の今では信じられないような話だが、バブル時代とは、こういう時代だったのである。

余談だが、翌年以降も続けられた、このマネージャー懇親会旅行に関して、各プロダクションに、「マネージャー懇親会旅行で裸になったら、多額の宣伝費が貰えるらしい」と言う、まことしやかな噂が流れ、マネージャー懇親会旅行で、意味も無く裸になるマネージャーが続出しため、マネージャー懇親会旅行に、異例の「ヌード禁止令」が出されたとか。

チミ達!ただ裸になっても駄目なんじゃよ。

脱ぐなら脱ぐで、その場を盛り上げないと!

それが、「脱ぎ道」の基本精神じゃよ。
かくして、全裸で1200万円を獲得した僕は、自分の裸を、僕は「1200万円のヌード」と、呼んでいる。

誰も呼んでくれないので・・・・。

1003,僕が草薙剛に同情する訳

2009-04-28 13:16:23 | Weblog
昨日、僕は草薙剛に同情的な記事を書いたが、それにはマリアナ海峡くらい、ふか~い訳があるのである。

酔っぱらって、たった一回全裸になった草薙剛が、これだけ世間的に制裁を受けるなら、僕なんかは、とっくに死刑になっている。

と言うのは、僕は若い頃、病的なまでに酒癖がわるく、酔っぱらうと、かなりの確率で、全裸になっていた。

その回数が多過ぎて、一々書き出せないが、代表的なものを、草薙剛擁護の為、恥をしのんで、ご紹介しよう。

大学時代にバンドをやっていた僕は、ライブの打ち上げで酔っぱらって、良く脱いだものである。

僕が脱ぐのは、酔っぱらっているというのもあるが、それよりも大きな理由は、脱ぐ事によって、裸を利用した宴会芸をやるためだったのである。

パンツ一丁になり、ブリーフの両脇から、タマタマをはみ出させて、「振り分け荷物」、パンツも脱いで、肛門を開いて見せて、「菊の御紋」の荒技である。

大学時代は、「菊の御紋」を乱発したので、僕のお尻の穴の横っちょに、小さいほくろがある事を知っている人間が多数いる。

どうだ!参ったか?
参るのは僕の方である。

実は、これ以外にも、全裸に関するエピソードは、数多くあるのだが、書いていて、さすがに僕も恥ずかしくなって来たので、今日は、このへんで、勘弁しておいてあげよう。

しかし、僕は若い頃、どうしてあんなに酒癖が悪かったのだろう?

今は、夕方から飲み始めて、早い時には、午後9時に寝てしまう健康的飲酒ぶりである。

1002,草薙剛逮捕に思う事

2009-04-27 02:17:11 | Weblog
草薙剛逮捕から何日か経過したが、未だにマスコミの話題は、その事ばかりである。

草薙剛がやった事は、いけない事には違いないが、公然わいせつ物ちんれつ罪と言っても、時間は真夜中で、彼の全裸を見たのは、逮捕した警官だけ。

通報した近隣の住人も、草薙剛の全裸を見た訳では無く、草薙剛の奇声がうるさくで通報しただけである。

草薙剛がやった事は、言わば酔っぱらい過ぎての悪ふざけみたいなものである。
にもかかわらず、世間は、彼が大罪を犯したようなバッシングの嵐。

何でも無いようなミスを、おおごとに膨らまして騒ぎ立てる総会屋のごとしである。

何年か前に、江頭2:50が、トルコで下半身を露出して、やはり当局に連行されたが、その時は、スポーツ新聞の芸能欄に、小さな囲み記事で載っただけで、世間は無関心だった。
事の重大さで言うと、国際問題になりかねなかった江頭の方がたちが悪いのに・・・・。

過剰なテレビの報道を見て、草薙剛に同情する僕なのである。

1001,性格美人

2009-04-26 14:54:44 | Weblog
先日、電車に乗っていた時の話である。
車内は、空席が無く、少々立っている乗客がいる程度の乗車率だった。

すると、座る席が無い、小学校低学年の女の子が、座席に座っていた、とある女性の前に立った。

女の子は、体が小さいので、当然、吊革に手は届かず、電車の揺れに合わせてヨロヨロしていた。

すると、女の子の前に座っていた若い女性が、その小学生に、「ここに座る?」と、尋ねた。

小学生の女の子は、恥ずかしかったのか、その申し出を断り、その場を立ち去った。

僕は、老人に席を譲る人は見た事があるが、子供に席を譲る人は初めて見た。

しかも、その女性は大きな荷物を抱えていたのにである。

なんと優しい女性なんだろう。

その女性は、年の頃なら、20代半ば、特に美人と言う訳では無く、並みの並み位のルックスなのだが、そういう場面を見てしまうと、美人に見えて来るから不思議なものである。

ちょっとした親切だが、僕は、その女性の自然な優しさに、ちょっと感動してしまった。

僕も、自然な振る舞いで、人から、その女性のようにおもわる人間になりたいものである。

因みに僕は、子供に席を譲った事は無いが、座る席が無く、電車の中でヨロヨロしているお婆さんの真ん前の席にドッカと座り、寝た振りすらせず、両目をパッチリ見開いて、正面を見据え、お婆さんに席を譲らなかった事は何度となくある。

ど~だ!参ったか!?

威張るような事かい!?

1000,祝・ブログ1000回達成!

2009-04-25 01:35:41 | Weblog
今日の、ブログ更新で、この僕のブログも、な、なんと、1000回達成である。

最初、友人に勧められ、何の気なしに始めたこのブログが、まさか1000回も続くとは、夢にも思わなかった。

子供の頃から、何度となく日記は書いたが、長続きした事は一度として無かったのにである。

ブログの場合、日記と違って、他人が読むと言う点が、日記と違う訳だが、長続きした理由は、その点に尽きるであろう。

それも読む気になれば、世界中の誰でも読める訳で、過去にも、一体どういう経緯で、僕のブログにたどり着いたのか?見ず知らずのオレゴン州の方から書き込みを頂いた事もあった。

又、僕の音楽業界時代の知人で、その後、香港在住になった知人とも、このブログがキッカケで、再開した。

このブログがキッカケで再びつながった旧友は少なく無い。
又、筆無精で、年賀状すら出さない僕の近況を、このブログで知る知人も多いようだ。

ほとんどの読者はコメントを書いてくれないので、正確には誰が読んでいるかわからないが、久し振りにあった知人に、「ブログ読んでるよ。」なんて良く言われるので、この僕のブログは、僕の日記と言うより、僕の知人に対する僕の近況報告になっているようである。

このブログを始めてから4年位になると思うが、色んな事があった。

逗子の家に引っ越し、その翌日には、トーマスがやって来、2年目には、僕と親友の見良津の2人共に癌が発見され、見良津は亡くなってしまった。

3年目の春には、ラッキーが我が家にやってきて、4年目には、母が新しく家族に加わった。

逆にその4年間の間に、10人以上の友人知人がこの世を去ってしまった。

色んな事があった。
これからも、色んな事があるだろう。

それらが、幸せな事である事を願いたいものである。

僕は、これまでと変わらず、湘南の海辺の街で、愛するラッキーと共に、ノンビリ暮らすのである。

999,バイクライフ

2009-04-24 12:42:22 | Weblog
逗子から比較的近い所に最近出来たバイクグッズショップのNAPSに行って来た。

都内に住んでいた頃は、世界最大のバイク街、上野に良く行っていたが、逗子に引っ越してからは、近くにバイクグッズショップが無かったので、バイクグッズショップに入ったのは、本当に何年かぶりである。

NAPSには、ありとあらゆるバイクグッズが置かれていて、バイカーにはワンダーランドである。
何年かぶりにバイクグッズショップに入ったら、見たこともない新しいグッズが沢山あって目移りして困った。

特に僕がほしかったのはバイク用ETCセット。

自動車と違ってバイクは、高速道路の料金所で、高速券を受け取ったり、お金を払ったりするのが大変である。

冬場などは、その度に防寒手袋を脱いだりはめたりしなければならないので、さらに手間が掛かる。
だから、どうしてもバイク用ETCが欲しかったのだが、凄い人気で売り切れていた。

また、バイク用ナビゲーションも魅力的な物が沢山。

かと言って、欲しい物を全部買える訳も無く、かなり前から欲しかった、シーシーバー(バイクの後部シートの後ろに取り付ける背もたれ)だけ購入し、店のPITで取り付けてもらった僕。

写真は、NAPSのPITで、シーシーバーの装着が終わった、僕の愛車、ヤマハ ドラッグスター1100クラシック。

バイクで走るには最高の季節がやって来たぜ!

998,トライクをカスタム?!

2009-04-23 21:11:33 | Weblog
世間は、SMAPの草薙剛の逮捕のニュースで持ち切りだが、僕はトライクの事で持ち切りである。。

この僕のブログの、no,983で、ATV(4輪バギー)とトライクに興味を持っていると書いたのが、先月末。

凝り性の僕は、それからと言うもの、毎日のように、バイク雑誌やインターネット、更には実際に、それらを扱っているショップにまで足を運んで、ATVとトライクの事を調べた。
そして、僕の予算と使用目的等々を熟慮し、最終的に、ターゲットを絞り込んだ。

まず最初に興味を持ったATVだが、日本の道交法では50ccのATVしか公道を走れないので、2人乗りも高速走行も出来ないし、第一、日本製で公道走行が可能なATVが無い為、選択肢はメンテナンスに不安のある中国製か、良くて台湾製になるので、過去に、数限りなく外国車の故障に悩まされ続けたトラウマのある僕は、ATVを却下。

そこで、必然的にターゲットは、トライクに絞られた。

絞られた、と言っても、トライクは、下は、中国製の50ccの物から、上はハーレーダビッドソンどころか、8800ccとかのアメリカ車の巨大なエンジンを搭載したボスホスと言うモンスターバイクをベースに作った、1000万円近い高級トライクまで様々。

まあ、そんな高級トライクが、僕に買える訳もなければ、我が家には、そんな巨大なトライクを置く場所も無いので、僕の狙いは、今、僕が乗っている150ccのスクーターのトライクバージョンであった。

どうして僕が、150ccと言う中途半端な排気量で、しかも日本製の150ccの中で一番小柄なスクーターに乗っているかと言うと、車体が小さいので、街中では原付的に気軽に乗り回せるし、高速走行も出来るので、マルチに使えるからである。

だから、トライクも150ccのが欲しかったのである。

今まで150ccのスクーターでやっていた事が、トライクで、しかもノーヘルで出来るのである。

しかも、アメリカンタイプのトライクだったら最高である。
しかし、どこをどう探しても、僕の希望に添うトライクは、中国製のしか無いのである。

先述したように、僕は日本製しか乗る気は無い。

そうなると、残る方法は、150ccの日本製アメリカンバイクをトライクのカスタムショップに持ち込んでトライクにカスタムしてもらうしか無い。

しかも日本製アメリカンで150ccのバイクは無いので、250ccをベース車に使う事になるが、250ccの日本製アメリカンとなると、新車だと50万円以上、中古車でも程度の良い物は、30万円以上する上に、カスタム費用は最低でも、75万円は掛かるので、総費用が100万を突破してしまい、とても手が出ない。

そこで、第2希望にシフトして、日本のトライクでは、一番沢山普及しているであろう、小型トライクの王道のホンダ・ジャイロのトライクに照準を定めた。

ホンダ・ジャイロとは、今日の添付写真の3輪原付で、ピザ屋の配達や、商用車として良く使われているので、日常的に街中で見かけるはずである。

元々は商用車として発売されたが、はじめから3輪なので、トライクにカスタムし易く、小型トライクをカスタムするベース車の一番人気となっている。

このジャイロの50ccのエンジンをボアアップ(排気量増量)すれば、2人乗りも出来るし、物理的にはパワー不足で無理だが、法的には高速走行も順法なのだが、故障の可能性も高くなるので、エンジンはノーマルのままで、それ以外の部分をカスタムする事にした。

元々3輪車なので、2輪のバイクをトライクにカスタムするより、費用も格段に安くなるし、予算も含めて落ち着くところに落ち着いた、という感じである。


ボアアップして可能な2人乗りや高速走行をあきらめる代わりに、一般道で楽しもうと、カラーリングをはじめ、どこをカスタムしようか、現在、あれこれ頭を悩ませているところである。

この、あれこれ悩むのが、これがまた楽しいのであ~る!

世界に一台だけの、僕のオリジナルトライクなのである!

夢は膨らむばかりなのである。

997,殺意を抱いた!

2009-04-21 23:10:29 | Weblog
僕は逗子にスローライフを過ごす為に引っ越して来、実際、ノンビリと暮らしているせいか、激怒する事など、なくなっていたが、今朝、激怒を通り越して、殺意を抱く出来事があった。

今朝、いつものように、逗子海岸をラッキーを連れて散歩していた。

いい陽気で、僕は沖のヨットを眺めながら、歩いていた。

すると、タッタッタッと、凄いスピードで、砂浜を蹴って何かが近づいて来る気配がしたので、その方向に僕が振り返った瞬間、僕の連れていたラッキーが、「キャイ~ン!」と、辛そうに鳴いた!

見ると、その猛烈なスピードで近づいて来たのは、大きなダルメシアンで、ラッキーの首に噛みついていた!

僕は、すぐさまダルメシアンからラッキーを引き離し、ラッキーを抱き上げた。
しかし、なおも、そのダルメシアンは、僕の腕に抱かれたラッキーに牙を剥き出し、噛み付こうとした!

それを見た僕は、瞬間的に、怒りを通り越して、そのダルメシアンに殺意を抱いた。

そして、ラッキーに噛み付こうと、僕に何度も飛びつくダルメシアンの腹に狙いを定めて、今正に、サッカーのフリーキックのように、ダルメシアンを蹴る体制に入った、せつな、ダルメシアンの飼い主のオバサンが、ダルメシアンの首輪を掴み、引き離した。
ダルメシアンの飼い主のオバサンが、僕とダルメシアンの間に割って入って来たので、僕は危うく全力で、オバサンの顔を蹴り上げるところだった。

危ないところだった。

その時、僕が履いていたのは、固い皮のブーツ。

大の大人の僕が、全力で繰り出した固いブーツのつま先の蹴りが、オバサンの顔面を直撃していたら、確実に顔の皮膚が裂け、顔面陥没骨折をしていたであろう。

ダルメシアンが僕に蹴り殺されるのは、正当防衛で仕方が無いとしても、オバサンに重傷を与えるのは、ちと具合が悪い。

ともかく、僕は燃えさかる怒りを抑えつつ、「どうして、ちゃんとリードを付けておかないんですか?!」と、怒鳴るような口調で、ダルメシアンの飼い主を注意した。

「リードが切れてしまったんです・・・・。」と、ダルメシアンの飼い主は、消え入りそうな声で弁解した。

じつは、このダルメシアンは、逗子海岸で良く見かける犬で、飼い主に連れられて散歩しながら、いつも色んな犬に牙を剥き出して、吼え掛かるので、危ない犬だなあ、と常々思っていた。

そして遂に、リードから放たれたダルメシアンは、ラッキーに襲いかかり噛みついた。

幸い、噛まれた瞬間に僕が引き離したので、ラッキーの首に咬み痕が残った程度で、大事には至らなかったが、咬まれたのが、超小型犬のそれも、子犬だったりしたら、首を咬みきられて重傷を負っていたかも知れない。
腹も立ったし、未だに怒りがおさまらないが、冷静に考えてみれば、犬は本能に従って行動しているだけで、悪意を持った犬など居ない。

他の犬や人間に吼え掛かったり、噛み付く犬が居るのは、その飼い主の責任である。

結局の所、飼い主がその犬を、躾られていないのである。

大型犬の場合、咬むと相手が大怪我をする可能性が高いので、威嚇行動や攻撃行動を取らないように躾るのは、絶対条件である。

僕の友人は、体重40kgにもなるラブラドールレトリーバーを飼っていて、その犬は、非常に大人しい性格の犬だったが、それでも飼い主の友人は、念には念を入れて、その犬を何ヶ月もドッグトレーナーに預けて、絶対他人に危険が及ばないように躾た。

それが、大型犬の飼い主の義務であろう。

それでも、幾ら頭が良くても、犬は犬。
大型犬を連れて外出する時には、リードをしっかりとキープし、万が一の場合でも、確実に犬を制御出来るようにしておくべきだ。

今朝のダルメシアンの飼い主の「リードが切れた」と言うのが本当だとしても、自分の犬が攻撃的である以上、切れないようなリードにするべきだったし、どんな不可抗力で、犬が逃げるか分からない訳だから、人が少ない時間帯を選んで散歩させるとかの配慮が必要なのではないだろうか?

今朝、咬まれたのは、犬のラッキーだったが、咬まれたのが、人間の子供で、怪我を負わされていたら、そのダルメシアンは、確実に殺処分である。

そうなって、一番悲しむのは、飼い主なんだから、危険をはらんだ犬を飼っている飼い主は、細心の注意を払うべきである。

そのダルメシアンに罪は無いが、もし、もう一度、ラッキーを襲ったら、そのダルメシアンがどうなっても、僕は一切責任を持たない。

例え、それに寄って、僕が法的に罰せられようと、である。
今日の内容は、ある意味で少々過激かもしれないが、このブログを読んでいる読者の中に、逗子海岸を散歩されている方が含まれている事を僕はわかった上で、敢えて今日の内容を書いている事を、最後に追記しておこう。

僕はラッキーと、平和に逗子海岸を散歩したいだけなのである。

996,捨てられた犬の特徴

2009-04-19 07:35:14 | Weblog
ラッキーをはじめ、チェリーちゃん、モモちゃん、サクラちゃん、なっちゃん等々、逗子海岸で出会う犬の中には、飼い主に捨てられた犬が、少なく無い。

それらの犬達の飼い主さんに色々話を聞くと、捨てられた犬達の特徴が分かって来る。

飼い主に捨てられ、保健所に収容された事のある犬は、少し臆病な犬が多いようである。

又、捨てた飼い主に、可愛がられていなかった犬が多く、喜びの感情表現が、最初、下手な犬が多い。

ラッキーも、我が家に来た頃は、僕が帰宅しても、喜んで玄関まですっ飛んで来るでも無く、僕の部屋のベッドの上で、ちょこんと、座っているだけだった。

じゃあ、飼い主の帰宅を喜んでいないのか?と思うと、オチンチンが、興奮した時のズルムケアカチンコになっているので、喜んでいるにはいるのだが、喜びの感情の表現方法を知らなかったようだ。
今じゃ、喜びを爆発させて千切れんばかりに尻尾を振るが。
チェリーちゃんも、14才で引き取られて、今のように、飼い主さんになつくまで、実に一年半掛かったそうだ。

そりゃそうだろう。飼い主に捨てられて、人間不信になっている時に、いきなり新しい飼い主の元に連れて来られても、すぐにはなじめない。

又、捨てられた犬を引き取って飼っている飼い主さんが口を揃えて言うのは、これらの犬達は、最初なかなか心を開かないが、新しい飼い主を信頼し、安心すると、打って変わって、甘えん坊になる、と言う事である。

確かにラッキーも、最初の何ヶ月は、喜びの表し方がわからなかったようだが、今では、寝てる時も、起きてる時も、片時も僕のそばを離れようとしないし、僕の膝の上が一番安心するようで、僕の膝の上で赤ん坊のように僕に甘え、その内、安心していびきをかいて寝てしまう。
時々、ガバッと目を覚ますが、僕がちゃんと居る事を確認すると、又、寝てしまう。

その天使のような寝顔を、いつまでもいつまでも見ていたい僕なのである。

995,チェリーちゃんの長い旅路

2009-04-18 11:12:39 | Weblog
ラッキーを連れて逗子海岸を散歩していると、ほぼ毎日会う犬がいる。

その犬の飼い主さんに寄ると、その犬は、チェリーちゃんと言う名前で、もう16才になると言う。

人間で言うと、80才のお婆ちゃんである。

パグと何かのミックス犬で、高齢のせいか、寒がりで、前足の裏の皮膚が弱い為、いつも可愛い服と、前足に飼い主さんお手製の靴下をはかせて貰っている。

ラッキーは、昨年、お見合いをした、鎌倉のセリちゃんといい、このチェリーちゃんといい、熟女が好きなので、散歩の時にチェリーちゃんを見つけると、一目散ににチェリーちゃんの元にすっ飛んで行く。

ラッキーがチェリーちゃんの事が大好きなので、僕もチェリーちゃんの飼い主さんと言葉を交わす機会が多く、チェリーちゃんの素性を聞いた。

それは、可哀想なものだった。

チェリーちゃんは、元々は、16年前に、今の飼い主さんの家で生まれた。

そして、他の家に貰われて行ったのであるが、一つの飼い主さんの元で長くいる事無く、色んな飼い主の元をたらい回しになったそうである。
そして、今の飼い主さんの前の飼い主が、家を引っ越す先が犬を飼えないという理由で、捨てられそうになっていたところを、可哀想に思った、チェリーちゃんが生まれた家の、現在の飼い主さんが、チェリーちゃんが、14才の時、つまり今から2年前に引き取ったそうだ。

14年間、色んな家をたらい回しになって、生まれた家に帰って来たチェリーちゃん。

ラッキーも、3軒の家をたらい回しになり、処分寸前で、我が家にやって来たが、その間、1年5ヶ月。人間で言うと、15才位までである。
しかし、チェリーちゃんの場合、14年間。人間で言うと、70才位までたらい回しになった事になる。
でも、チェリーちゃんは、長い長い旅路の末に、生まれた家に戻り、お手製の靴下まで作って下さる優しい飼い主さんに、今、可愛がられている。

幸せを掴むまでに、えらく長い年月が掛かってしまったけど、良かったね、チェリーちゃん。

14才の老犬では、まず、新しい飼い主は見つからないだろうから、今の飼い主さんは、チェリーちゃんの命の恩人と言う事になる。

今の飼い主さんに感謝である。

本当に有り難う御座います。

チェリーちゃんがいつまでも元気で、毎朝、逗子海岸でラッキーと会える事を楽しみにしているよ。