小山怜央四段のこれまでの生き方を表しているような力強い筆跡の、
大会用に提供された色紙6枚のうちの幸運な1枚が釜石市長室に
飾られることになった。総理の隣りとは賓客待遇ではないか。
嬉しかったのだが、不謹慎にも即座に親父ギャグが浮かんだ。それは敢えてここには記さない。
小野市長、お忙しい中、大会の挨拶に来て頂いた上、このような席に小山怜央の色紙を置いて頂き、
ありがとうございました。
将棋大会に参加する菅原歩君(東北大准教授)の30数年前の活躍を思い出していたせいもあるのかもしれないが、
年のせいで懐古趣味になってきていて昔のことがふと思い出されることがある。第6回釜石市長杯&小山怜央杯争奪
世代間交流将棋大会の開会式前に小野市長を見て30年数年前のことを思い出し、その場で少し市長にも話したのだが、
父の小野信一さんには親子共々お世話になった。国鉄職員だった僕の父は社会党国労(国鉄労働組合)釜石地区の書記長
を務めていた関係もあって、小野さんが社会党公認で衆議院議員に初当選する以前から応援していた。衆議院4期のうち、
落選の憂き目に遭った時期に、第3セクターのまとめ役として一年足らずであったが釜石ケーブルテレビの社長を引き
受けて、毎月初日に出社してきて朝の訓示を数分、これがすこぶる上手い。朝からやる気が湧いてきていい心持ちになる。
退社するときには単行本1冊携えて、そのころ総務課長であった僕に笑顔で「あとは頼みますよ」と言葉を残して風の
ごとく去っていく。後姿には浪士のような風情が漂っていた。取締役会では名だたる地元の事業家らの利権がらみの話に
耳を傾け、年若いわりにうまい落しどころ見つけてまとめあげるという手腕は見事だった。そのあとまた2期、通算4期
衆議院議員を務めた。
雰囲気が父君に似てきたように思っているのは僕だけでないと思うが…。これからはラグビーに加えて、将棋の小山怜央四段も
応援していってください。