とはずがたり

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『信じない人のための<宗教>講義』

2007-08-14 01:20:00 | とはずがたり

Shinjinai 中村圭志『信じない人のための<宗教>講義』(みすず書房、2007年)を読了した。

本書は、世界三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)を中心に、世界の宗教について教科書的に概観した後で、「宗教」について考察する。

中村は、宗教を日常と離れた「あっち側」のものとする、二分法的な捉え方に疑問を投げかける。

すなわち、宗教のあり方は、日常における功利性のあり方、論理のあり方、生活のあり方によって支えられている、とするのである。

そこで、宗教について考えるとき、「日常圏における地理的・歴史的相違のほうをひとまず重視して捉えるべきでなないか」という考え方を提示する。

中村は現代日本人の宗教観について考察はしていないが、上記の考え方を敷衍して自分なりに考えてみると、21世紀を迎えた今、われわれ日本人は、形式的な「葬式仏教」すらも超越して、新たな宗教観を獲得しつつあるように思われる。

それを一言で表現するならば、「身近な人たちへの崇拝」信仰ともいうべきものである。それは、土着の祖先崇拝とも違う。

なぜなら、崇拝の対象は血族に限らないからである。血族といっても、親しく接したわけでもない、祖父母やそれ以前の人たちへの追慕の感情は生まれない。

追慕の感情が生まれるのは、両親や兄弟、配偶者や子供あたりの近親者に加えて、親しくしてきた友人やリスペクトする知人も含まれる。場合によっては、リスペクトする歌手やスポーツ選手、溺愛したペットも追慕の対象となるかもしれない。

そして、それら追慕(信仰)の対象は、デジタルカメラなどによってデータ化され、ウェブ上のサーバに蓄えられてブログやHP、SNSを通して時空を超えて存在し続けるのである。

この「デジタルにして私的・身近な信仰」は、世界に先駆けた21世紀の宗教観だと思うのだが、いかがであろうか。