先日side-Aとside-Bを読了した。本多孝好の著作だ。現代作家の小説は正直あまり読まないボクにしては珍しいことだ。実際、ボクは村上春樹を読んだことはない(正確に言うと、村上のプリンストン留学時代を綴ったエッセイ『やがて悲しき外国語』は読んだことがある)。
本多孝好との出会いは奇妙なものだった。実家で夕食をしたときに、母親から氏のインタビュー記事を見せられたのがきっかけだった。『Grazia』という女性誌の12月号に写真付きのインタビュー記事が出ていたのだ。彼女曰く、氏の雰囲気がボクと似ているという。確かに、氏とボクは同世代で(氏が1年上)、勉強していた分野も同じだ。その記事と写真に何だか魅せられてしまって、今回の作品を読んでみたのだった。
内容も重くないし、2冊合わせて400頁程度なので2日間で一気に読めた。結論を言うと、かなり面白かった。主人公の「僕」というか著者の恋愛観みたいなものに共感してしまったことを告白しなければならない。。
side-Aの「僕」は26歳でside-Bでは28歳である。ボク自身、実年齢よりは5年くらい幼いところがあると自覚しているので(それが原因でしばしば自己嫌悪に陥るのであるが)、その意味では、かなり感情移入できた。
要するに、思慮深さと意気地なしは対のものだし、クールさはナイーブさを包み隠すためでもあるということだ(たとえ、意識していなかったとしても)。そして、それゆえに、生きていくうえで多少の息苦しさを常に感じてもいる。
かつての恋人・瑞穂を事故で失っても悲しくはなかったとうそぶく「僕」であるが、それ以来6年間もセックスをしていなかったりする。
また、かすみが「僕」を求めて家に来たときも、一度は拒絶してみたりする。
でも、今「僕」はかすみを愛している。肌も重ねた。他方、かすみは一卵性双生児の妹・ゆかりの婚約者・尾崎への思いも捨てられない。姉妹は海外旅行先で事故に遭い、片方は死んだ。生き残ったのは、「かすみ」なのか、「ゆかり」なのか??
恋愛感情というものはどのように生じるのか?について深く考えさせてくれる本である。