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ウタノアヤの五島日記

上五島で2番目に大きな中通島。島の真ん中で暇人的に全てに挑戦する毎日は意外と刺激的・・・!

4月10日 神之浦-船隠

2005-05-05 | 上五島の邑村
神之浦には私が通った神之浦小中学校があった。
家から約4キロ。ほかの集落からもみんな歩いて通っていたので別に特別ではなかったが、しんどいなあとため息をついた朝もあった。
6年前に中学校が統合の憂き目に会い、今は小学校のみ。
保育所はとっくの昔に閉鎖されている。
休日折りしも雨。これまで見るどの集落よりもひっそりと悲しげなのはそのせいか。
私の郷愁のせいか。
人っ子一人いない路地。
私が中学校だったころ、神之浦中学校にはまだバレーボール部があった。全員参加でやっと男女比とチームづつだったが、今はそれも信じられないくらい。
思えば4キロだろうと5キロだろうと歩いて中学校に通えたのは幸せだった。スクールバスでしか通学できない学校なんて、私に言わせれば子供の人権無視である。寄り道の自由、帰宅時間の自由。部活動やら行事の準備など課外活動の自由。走って始業に間に合わせる時間の自由と自己責任。その全てが剥奪されるのだ。
もうすぐ1歳になる私の息子が通うまで神之浦小学校が生きていてくれるのか。
効率や予算の問題だけで、簡単に統廃合を決めないでほしい。
学校は子供のもの、そして地域の核。
少子化の流れは止められないけれども、だからこそ少子化に、それぞれの学校をあわせていく努力をしていかなければならない。地域で学校を支え、また学校が地域の中心になっていたと今はよく分かるのだ。当時はあずかり知らぬことだったが私たち兄弟も神之浦の人たちに見守ってもらっていたのだ。
道がきれいになって空洞化した感がある神之浦。
今は通る度になんとなく寂しい。昔を思えばもっと。。。

4月9日 佐野原 三日ノ浦 相河 青方

2005-05-05 | 上五島の邑村
佐野原 私の地元ひろんたと同じく山間の元開拓村。そしてカトリック集落。なぜか5ヵ町だったころは二つの町にまたがっていた。旧有川町側は私の母校神之浦小中学校校区だった。今は子供も少なく、整備された幹線道路の狭間で取り残された印象がある。集落のはずれで畑を耕すおばあさんに出会った。生活に不便だから町に引っ越せって娘にも言われるけど畑仕事が楽しみ。おばあちゃんの野菜は何でこんなに甘いのって孫が言うとですよ。でもほんとに、車がないとここではたちまち生活にも困る。。。そう、話してくれる。「私も畑は楽しみだからよくわかります。いつまでも続けてください」と答えるしかなかった。道路を整備した車社会はある人には便利になったけれど、車を持たない弱者を生んだ。そして車にない人にとっては以前よりももっともっと不便になった。集落の助け合いや乗り合わせや移動販売、小さな店。なくなってしまったらマイカーでそれぞれ出かけていくしかない。それは寂しい田舎の形だ。
人と人とのつながりが田舎の地域社会の魅力であり、利点であるとすればなぜそれを大事にした町づくりができないのだろうか。行政サービスも、華美な公共建築も、利用できる人が限られてしまっては無意味である。億単位のお金で建てたターミナルビルがこのおばあさんにとって何の意味があるのだろう。合併のババ引きでババが押し付けられるのはひょっとしたらこのおばあさんみたいな人たちかもしれない。そう思って本当に悲しくなった。

4月7日 友住-赤尾-小河原

2005-05-04 | 上五島の邑村
空港への通り道にあるこの3つの集落。足を踏み入れたのははじめて。
まずぶるんと岬のはしの友住へ。小さな(百戸ほどか)集落のなかに石畳がとおり、大きめの民宿も2軒、衣料品店もある。どことなくただよう往時の賑わい。気風のよさ。
次に峠をひとつ戻って赤尾へ。家は多いがどことなくしんとしている。海からの風を避けて浅い湾のふちに身を潜めているかのよう。風が強い。
そして小河原。護岸壁を隔てているが、目の前に磯が広々と、まるで小川原の人の庭のように広がっている。折りしも春の大潮。みんな磯に出かけているらしくあちこちでヒジキを干したりクロクチを洗ったりするのがみえる。漂う海の暮らしの活気。磯のにおいと生活のにおい。
3つとも規模はそんなに違わない集落。海の近く。平日の昼間ということもあって静かだ。
けれどどこかちがう。はっきりと、うまくいえないけれど肌で感じる人の気風がそれぞれにある。
それはほかの集落にも言える。小さな地域の一つ一つが「味」や「色」をもっている。
それがこの島の隠れた魅力だと私などは思うのだ。

4月6日 大田

2005-05-03 | 上五島の邑村
旧有川町で最大の「端」(そんな単語があったのか)。
島に移住して19年。はじめて来ました大田。
晴れた春の日、どの家でもつわの皮をむく姿が。ああ、五島の春。
道をそぞろ歩くおばあちゃんと猫車と空き家が多い。
外海に向かって広く開けた港と山に向かって広く広がる野。
川の透明な水、温かい陽射し。海と山の豊かさを感じさせる地だ。
ここでも高齢化は止められないけれど、どことなく人が明るい。
大田の人は明るい。
「大田に嫁にこんかな、世話してやっけん」
一瞬こころが傾く。
上流の野原、私ならもっと耕して広い畑と田んぼも作って、目の前の海でアジを釣って、ヤギとウシも飼えそう。谷間のひろんたと違って暖かいからハーブも良く育つだろうな・・・
楽しい夢が膨らむ。
しかし。折りしも入学式だった大田小学校。新入生はたった二人。
有権者400の集落で二人!
なんとかならないのだろうか。このまま寂れていくなんて悲しすぎる。
浮いたり沈んだりする気持ちそのままに原チャでだーれもいない道をゆらリゆらりと家路についたのです。

4月5日七目

2005-05-02 | 上五島の邑村
七目はここ上五島の中では商人の地という。
小さな川の河口にできた狭い平地に家が群がっている。
でも私の目に映るのは製材所とうどん屋の建物くらいで、ほかの旧集落と同じく真昼の日の下でひっそりとしている。
有川と浦桑を結ぶ幹線道路沿いにあるという立地から川を挟んで反対側の新興住宅地が拡大中の様子。河口付近の小さな浜は埋め立てられて公園になっている。海と集落は二つのトンネルによってわざわざまっすぐに通した道路で完全に断絶している。
趣を失って、海も失って、だからここにくるといつも物悲しく感じたのか、と大人になった今はじめて納得した。


4月4日船崎

2005-04-18 | 上五島の邑村
小さくてきれいな浜を左にぐるりと回ると船先の集落にたどり着く。
道はそこで終点。
天気が良いので小さな浜(船崎海水浴場)が輝くように青い。
海辺にへばりつくような集落の中には湧き水が祀られ、細く曲がりくねった道と階段が家と家をつなぐ。あちこちに五島うどんの仕分け(仕上げ?)をする人が見える。
素朴な石垣についた苔。
五島の原風景が色濃く残っている小さな港町だった。
その風景とと対照的なのが港の広大な駐車場。
高校の運動場くらいありそうだ。謎。

4月3日浦桑

2005-04-18 | 上五島の邑村
私が高校生だったころ、目の前の浦桑は埋め立てられたばかりの更地が広がるがらんとしたところだった。
今はこの島一番の商業地域だが、そこは通り越して高校の裏手から川沿いに広がる住宅地に入り込む。
港町の雰囲気が残る町並み。しかしそこはひっそりと息をしていないかのようだ。
近くを通りながら一度も足を踏み入れたことのなかった私のように、住民以外はそのそばを通り抜けていくだけなのかもしれない。

4月3日(日)有川町西原

2005-04-18 | 上五島の邑村
この随一の集合住宅地、つつじヶ丘へ。公務員ほか転勤族、つまりお勤め人の多いこの地区の日曜日の朝は静か。
団地風に四角で白い建物が並ぶ眺めにふと懐かしさを覚える。
この島にも「団地」があっていい意味でも悪い意味でも都会風な部分があって、たぶん全国どこにでも見られる暮らしをしている人たちがいる。
この人たちにとって上五島はどんなところなんだろう、聞いてみたい。
団地の端っこ、つつじヶ丘のてっぺんから見る有川港の眺望はとてもさわやかだった。