最後まで諦めないで!

2023-09-25 02:12:03 | 大学
2023/9/25

最後まで諦めないで!

志望校を受験する時、受験しようか判断基準となるのが模試の判定ですよね。

進路を決める時に、担任の先生や進路指導の先生も模試の判定をみてアドバイスをされる先生も多いと思います。

私の大学受験の体験をお話しようと思います。

高校生の時、バスケットボール部に所属し、部活動は3年の6月まで続けていました。

当時の私は、成績はあまりよくなく、期末テストなどの順位は下から数えた方が早いくらいでした。

そんな私でも、3年生になって進路を考えるようになった時、栄養士になりたいという夢があり、大学進学を志望ました。

3年生になるとクラスの雰囲気も変わり、みいな受験モードになりました。

ハードな部活で体力的に、部活と勉強の両立がなかなか難しく夏休み前の模試では志望校はD判定でした。

学校の成績も下り、三者面談の時は担任や親からもっと勉強に集中するように言われました。

引退するまでは部活に専念させてほしいと説得し、結局、本格的に受験勉強を始めたのは高校3年生の夏休みからでした。

夏休みから始めた私にとって、今から基礎を復習する時間もなく、受験まであと半年くらいでやるべきことは問題に慣れることでした。

まず大学の赤本を購入し、過去問をやりながらわからないところや間違えたところは基礎に戻って勉強するという方法にしました。

また、塾にも通い受験対策勉強をしました。

夏休みに入ってから、志望大学を見学しに行きました。

実際にキャンパスをみることで雰囲気がわかりますし、この大学へ行きたい、合格したいとさらに意欲が高まりました。

受験勉強の時くじけそうになっても、その時の気持ちを思い出して乗り越えました。

部活が終わってからは勉強に集中し、夜は5時~10時くらいまで勉強し、朝3時に起きて勉強していました。

その成果もあり、秋の模試はB判定まで成績があがりました。

やれば結果に出ると自信もつきました。

結果見事に志望校へ合格することができました。

受験生の皆さん、今やっている勉強法が本当に正しいのか、模試の結果が伸びず不安になっている方もいると思います。

大切なのは、自信です。

勉強は時間ではなく効率です。

周りに流されず、自分を信じて最後まで頑張って下さい。

応援しています。

ホームに感じられたセンター試験

センター試験は近くの大学で受験するものです。

高校時代なら、高校ごとに指定の大学でまとめての受験になります。

私の高校は一番近くの国立大ではなく医療大でのセンター試験でした。

国公立大学のほうが高校からは近いのですが、ほかの高校との関係で私の高校はいつも医療大でセンター試験になります。

医療大の弱点はちょっと行きにくいことです。

駅から遠くバスを使っても15~20分かかるところでした。

本数も少ないのでセンター試験のときは非常にこみます。

それだけでなく、私の最寄駅からだとバスが出てる駅に行くのに少し遠回りになってしまうんですよね。

そういうこともあって当日はお母さんに送ってもらいました。

送ってもらったことにより別の意味で落ち着きました。

母は、医療大までの道で少し迷ってUターンしようとしてちょっとした空き地に入ろうとしたんです。

そしたら段差に気づかず10cmほどの段差を車は落ちて空き地に入りました。

今思えばかなり縁起の悪いことされている気もしますが、当時はびっくりして逆に緊張がほどけました。

そんなちょっとした事件もありつつ試験会場となる医療大に到着すると周りは知っている顔ばかりでした。

そんなに大きい大学ではないので、全体の8割は私の高校の学生がその会場でセンター試験を受験していたんです。

前後も知っている顔だからとってもリラックスして臨めました。

学校のテストと受けている気持ちは変わらなかったのでいつもと違う会場だけどホームでやっているような気分でした。

リラックスしてできたおかげでいつもの実力が発揮できたと思っています。Rio(柚木ティナ)


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絶対にダメだと分かっていても諦めなかった大学受験

2023-09-14 12:20:18 | 大学
2023/9/14

絶対にダメだと分かっていても諦めなかった大学受験

私は田舎に住んでいます。

地元では、一応進学校と呼ばれる高校に進学しました。

進学校と言っても、県下では中の上程度のところで、大学への現役での進学率もあまり良くありませんでした。

私は、剣道部に所属していました。

毎日、練習練習で、かなりハードな稽古をしていました。

血の小便が出たことも何度もあります。

したがって、部活に一生懸命で、勉強は二の次でした。

成績は、あまりよくありませんでした。

ちょうど真ん中あたりというところでしょうか。

一学年に360名で、学力テストで上位5、60位くらいに入っていないと、国立大学に合格することは難しいと言われていました。

私は、部活の練習でいつもくたくたになって帰宅していたので、食事をとって、風呂に入ると、宿題もろくにせずに、寝てしまうことが多々ありました。

そして、成績としては、一年生のときの最初の学力テストで、120番だったものが、三年生の夏、部活を引退する直前では、299番まで落ちていました。

360人中の299番ですから、大学進学を考えること自体が間違っているといわれてもしかたありません。

一応、第一志望、第二志望と大学の名前と学部を書いて提出するのですが、当然ですが、判定はいつも「D」ランクでした。

そして、部活を引退し、秋頃までは、なかなか勉強に手がつきませんでしたが、血を吐くような練習をしていたことを考えると、机に向かって勉強するなんてことは、たいしたことじゃない、楽勝だ。

と考えるようになり、一生懸命に勉強するようになりました。

ただ、これまで成績が悪かった分、問題集を開いてもさっぱりわかりません。

なので、問題を読むとすぐに解答を読んで、それをノートに丸写ししました。

一回丸写しすると、今度はこれを手で隠しながら、書けるところまで書きます。

これを繰り返して、解答を丸暗記していきました。

成績は、数ヶ月の間に徐々に上がって行き、模擬試験の点数も次第に上がっていきました。

そして、センター試験を受け、自己採点したときが、これまでで最も良い点数でした。

しかし、志望する大学の合格レベルには達していませんでした。

けれども、合格率の判定は「C」になっていました。

合格の可能性は、全くないわけではない、ここであきらめるわけにはいかない。

剣道のあの稽古に比べれば、受験勉強なんてたいしたことない。FANZAおすすめ

自分に言い聞かせ、猛勉強しました。

問題集を開いて、分からなければ、すぐに解答を見て、解答と参考書の内容を何度も紙に書いて、丸暗記しました。

一日に、5、6時間は、自宅の机に向かっていたと思います。

そして、試験本番、出来はあまりよくありませんでした。

落ちて当たり前だから、当たって砕けろという気持ちでした。

それから、合格発表の日、私の受験番号がそこにありました。

合格です。

奇跡です。

高校の先生も、大逆転だとびっくりしていました。

そうして、私は、晴れて第一志望の大学に入学することができました。

父との思い出が詰まった大学受験

私が通っていた高校は地元では有名な進学校で、高校三年生ともなるとクラスのみんなが有名大学合格を目指して受験勉強に励んでいました。

受験勉強は身体的にも精神的にも本当につらく大変な日々でしたが、自分の将来のために私も毎日必死で勉強をしました。

私が目指したのは地元ではなく県外の大学だったので、前日から父親と一緒に大学のある県へ新幹線で向かいました。

母は専業主婦ですが、大病を患って退院してきたばかりだっただめ、父がわざわざ私の大学受験の日に合わせて有給休暇をとってくれ、一緒についてきてくれたのでした。

こんな風に父と二人きりで遠出をするなんて、考えてみれば人生で初めてのことでした。

新幹線に乗って父と二人で泊まりで受けに行く受験は、毎日学校や家で勉強尽くしだった私にとって、久々のちょっとした小旅行の気分でもありました。

受験の地へは、新幹線や電車を乗り継いで半日がかりでつきました。

ホテルに荷物を預け、少し辺りを散策したり、目指している大学を外から見に行ったり、ご当地の食事を食べに行ったりしました。

翌日の受験日当日は、父と一緒にタクシーで大学まで行きました。

そして、私の受験が終わるころに父がまた迎えに来てくれることになりました。

まわりに友達もなく、たった一人で入っていった受験会場はとても緊迫していて緊張の連続でしたが、何とか自分の力を出し切ることができました。

試験が終わって大学から出ると、父が少し心配そうな顔で、でも笑顔で私を迎えてくれました。

父の顔を見たとき、一気に緊張が解けて涙が出そうになりました。

この受験の日のことは、私にとって忘れられない一生の思い出になりました。


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