徒然なるままに

子供の頃から活字が好き。読んだ本のこととか日々の暮らしの中で感じたことを綴っていきます。

鳥の歌

2017年10月03日 | 平和
私がこのチェロの演奏曲をはじめて生で聴いたのは昭和63年12月25日のクリスマスのこと。

ヴァーツラフ・アダミーラ氏のチェロと井上久美子氏のハープという珍しい演奏だった。

幼い子供たちに生の演奏を聞かせたいと最前列を陣取った。
夜の演奏だったのであまりの心地よい音色に、子供たちは寝てしまって冷や汗が出たことが鮮明に思い出される。


アヴェ・マリアから始まり、夜想曲、ユモレスク、スペイン民謡、引き潮、我が母の教え給いし歌などなど。

感動で胸がいっぱいになった。
会場でLP版レコードを求め、両氏のサインをしていただいた。

古い家を建て替えするときに、もうレコードの時代は終わったと、思い切って、たくさんのLPを始末した。
今思うとなんてもったいないことをしたんだと思うけれど。
そのときに、最後まで捨てきれないでこの一枚と、ダニエルリカーリのスキャットのLPだけ残った。
ビートルズも、PPMももったいなかったなあ。

この日、最後に演奏されたのが「鳥の歌」だった。
スペイン民謡をスペインのチェロ演奏者のパブロ・カザルスが編曲したものだ。
彼は演奏会ではこの曲を最後によく弾いたらしい。
カザルスは、1876年にカタルーニャ地方で生まれ、20世紀最大のチェロ演奏家と言われたが、スペインのフランコの独裁政治に反抗し1939年にフランスに亡命。
1945年6月から演奏を再開したが、世界各国がフランコ政権を認めたためその年の11月から演奏を辞めた。

1971年10月24日、世界国際平和デーの日に国連本部で演奏したときのスピーチと演奏が残っている。
哀愁のある曲で心にいつまでも残る。

この二年後、母や妻の故郷プエルトルコで心臓発作で亡くなった。

昨今、カタルーニャ地方は自由を求めて住民投票で政府と争っている。
彼が人生の最期を迎えた地、プエルトルコは先の台風で、すべてのインフラが断たれ市長自ら偉大なアメリカに支援を訴えても届かないことに悲鳴を上げている。アメリカ自治区であっても政府の支援の温度差がある。白人の島だったら即座の支援だろう。
カザルスに縁のあるこの二つの国の昨今をみて、この曲をまた聴いてみた。

最期まで、故郷カタルーニャに帰らなかったカザルス。

この曲を聞くと胸がいっぱいになる。

平和の道のりの何と長いこと。

カタルーニャ地方の鳥は、今日も大空高く、Peace、Peace、Peaceと鳴いているのだろう。


Pau Casals: Song of the Birds



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