良し悪しっていうのはまったく別問題だとして、ブックオフってすげーな。三冊で定価5000円オーバーが315円だもんな。そりゃブックオフ行くわ。絶版で他ではプレミア価格の本が105円だったりするし。印税とかなんだとか諸々はあるけど、難しいところだよな、安かろうが高かろうが買い手のその物に対する価値は変わらないもん。どうしたって衰退の一途でしょうよ、紙媒体は高すぎる。それはそれとして、そのときY氏の詩集を買ったんだけど、現代詩界では知られていても一般的に知名度は低い、本なんてそもそもマニアックでオタク分野であるけれど、さらに深くレアであろうこの一冊を近場で読んだ人がいるんだなぁと想うと、どことなく清々しいようなほんわかした気分になる。自分の本がブックオフに売られていたときは絶句したがな。
ここ一番近く読んだ本はM氏のミステリでありますが、その中に「この歳になったら自分がどれほどのものかだいたいわかる」的なセリフがあって、あぁ、まぁ、そうね、って気分になる。限界があるものもあれば限界がないものもある。いまの力量がこれくらいのもので、けどこのあたりまでは到達できるだろうという予感というか直感というか、そういう感覚というのはやけに正しい。後付として道程の思考はないけれど、飛躍というよりはどこかで緻密に解析された答えなのだろう。やれば出来るではなく、やっても出来ない、けどいつか出来る、いまここ。いまは自分のことを認めていないけど、そこまでは行き着ける、それくらいの絶対はある。まして自分のことであるし、そうじゃなきゃやってられないな。だから絵は描かない。
わりと何を書いても詩だと形容されることが多く、自分では詩って表記はどこにもしていないし聞かれてもそうだと言わないので、単に多くの人がその形式を詩だと思っているっていうことがよくわかる。小説家のN氏が言っていた「ライトノベルかどうかっていうのは書店の店員さんが決めるものだと思います」というのに似ている。彼が何をどう思って書いているのかわからないので何とも言えないが、たぶんどうでもいいんだろう。周りが決めることって多いよねって思う。決まりきった定型のあるものであれば別だろうけど、曖昧な輪郭をしたものってきっとそう。別に誰が何に対してどう思ってもいいんだけど、なりたいものになるって難しいな。大体、名刺に肩書どころか名前すら書いていない、いまの自分て何者なのだろうか。自宅警備員兼自己防衛軍、たぶんこれ。