遅ればせながら配布した年賀状らしきものたち。今回主軸で送ったのは「究極」なるものでありますが、これ現時点で自分がこんな感じでみたされているとかそんなわけではなくて、こんな状態に近づいていかなくてはいけないなと、自己願望みたいなものであります。いま少し時間がうまく使えなくていろいろともやっとな時期だったりして、けどちょっと前を振り返ると中々近いものあったなぁと思ったりもするわけで、だがしかし希望の高みはそれ以上のところにあるのです。欲望は抑制しなくてはいけないものと貫徹するべきものに分かれます。ここは恐らく後者でありて、想いつづけることが果てに通じるのではなかろうかと。わりと早めに何とかしたいものですね。どうせその後にまた欲が出るのだろうけども。
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まぁ毎年のことになりますが、来たものに関してはすべてもれなく返信しています。それが年賀状であれ手紙であれネット上のあれこれであれ。返信ないときは見落としているか忘れているかどちらかになります。基本的にぼんやりしているのでそんな時があれば追い打ちをかけてください。で、自発的なものに関しては去年したから今年もするとか、今年しなかったから来年はしないとか、そんなこともなくその時々の気分任せであります。急に五年後に何か送ってみたり、10年何もなかったり、そんなことも今後あるでしょう。自発なんでその辺りは勘弁してください。よく書くことだけどね、人と人が同じ状態で在りつづけることって一方的だと難しいこと。損得とかそんなことではないし、絶対的に見返りが欲しいわけでもないし、同じ質量の何かが大事でもない。けど何かを結び付けようとしたとき、それなりのことが必要になってくることもある。大切にしたい人がいるなら、きちんとしておくべきだと思うよ。根本的に誰かから得られる気持ちは、自分の気持ちへの返信だ。
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それでも一度つながった縁はそのままあると思うよ。縁なんて言葉も別の言葉と同じように多様な意味合いを含んでいるんだろうけど。「きっかけ」とか「つながり」とかそこらへんいろいろと。時間をかけて紡がなくても、運命のように一瞬で構築されるときっていうのもある、でも基本的には少しずつ紡いでいくものだと思うんだな。きっかけとして偶然があり必然になり当然になる、そっちのほうが似合う気がするよ。その頃には言葉も必要なくなっているかもしれない、何もなくても確かなものっていうのも、きっとある。神様がくれる縁、人がつくりあげる縁、どちらかといえば後者に縁の言葉を贈りたい。なければつくりあげればいい、それが確かな人の形。