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「言葉の修理承ります。」 Tittle : Terayama Shuji / Word : FukadaryoU

言葉はいつもあなたのなかに在り/世界をうつくしいと想えたなら/すべてあなたのなかにある/あなたのうつくしさです

渋さ知らズ

2023-03-20 01:15:42 | 日記
はじめて観たのは京芸だっけ、なんとなく通り過ぎるとそれだけのことに思えるけど、細かく考えていくと人生ってとてもとても細かいつながりで成り立っている。運命とか何だとかって言いたくなることもわかるほどに。ひとつひとつでいまが構成されている悟り、因と縁と果、そんなことを思う。

それはもう青春だった、中心地エアジン、南大沢、焼津、平塚、天幕にいまだ行けてないことは悔やまれる。野武士のようだった不破さんはよそ見をしている間に坊主に、溜息の間に白髪になった。飾らずに老いていってくれる人はうれしい。その道を行くんだ。そしてどう変わろうともベースと踊っているし、周囲の笑顔は今日も眩しい。感情が明るければ笑う当然。水だと差しだされたジンを片手に。あの燻らせた甘い匂いはいまも残る。記憶ではないもっと甘い何か。

引き出しの奥に仕舞い込む、もしかしたら二重底の仕掛けがあるかもしれない。なかなか表に出すことがなかったとしても、大切に仕舞ったという事実。隙間に光が入り込む。ほんの少しだけ開けてみようか、捨てていないものは鼓動を止めない。好きだと言える今日も、追っていなくても、会っていなくても、思い出すよりも速く。

あなたがわたしにくれたもの

2023-02-26 01:50:53 | 日記
やさしい目をしている、テキヤのおばちゃんに駅でおばあさんによくわからんけどアンパンもらった等々、久しぶりにその言葉をかけられ何だかあたたかい気持ちになったわけです。生まれて男は例外なく最強を目指すそうで、例外なくはないであろうけども、ある程度はそうであるかなとか、けど本能的なもの理性的なものそこらへん色々。わりと早い段階でわかっちゃいた、最強なんて向いてない、弱いし。刷り込まれたように目指すふりをして、実際はそこまでのものでもなかった恐らく、だからこそ大した努力も生まれなかったような、努力するものでもないが諦めの理由ではあるけれど。そこを中心点としてどこか無意識に別方向への研鑽いまも残るもの、たぶんその方向を目指すべきなんだろう、そこに縁がいくつも現れ導かれていると感じるいま。言葉に対するものとの判別は正直つかない、自分の中で同じベクトル同じところに存在しているもの、ただ「ここにいろ」と言われている、あの日と同じようにきっと。強いよりもやさしいと言われたほうが断然うれしい、あの頃からそうだったな本当は、うれしいものは自分の願望に他ならない、そうだ、それは望んだもの望んだ世界だ。

たくさんの縁でここにいるなと高野山金剛峰寺で手を合わせながら思った。義理の祖母はお坊さんはお坊さんになる因を持って生まれてこないとなれないと言う、それがどうなのか確証も証明もないが、子どもの頃から神仏が好きだったことは確かなことで、やっぱり因は生まれに在るのか、あの幼子の開いた本は因より縁なのかもしれない。その義理の祖母・母・娘の仏教的な流れがあって、それもまた縁になって、最終的な後押しというかいまに至る要になったことは疑いのないこと。おかげでいまの自分がある、そこがなければ恐らく高野山での合掌はなかった、来たいと思うこともなかったかもしれないし、あったとしても機会をつくることはなかったかもしれない。とても尊く静かで清潔な気持ちになったよ、有難さしかない。多くの縁の導きは生きろということだ、そう生きるべきだということか、ひとつひとつに感謝している、少しずつどこかに還元しなきゃいけないよな。何もできなかったとしても。


みんなの山の使い方

2023-02-22 00:26:48 | 日記
海側の温泉と山側の温泉どちらが好きですか。海の近くに住んでいたからか山側の温泉が好きですが、付近に山はないのですかと言われたらもちろんある囲まれている、海もなく大きな川もなく見廻して山もない、そんなとこに住むのは嫌だなと思うところです。もちろん根暗で引きこもり性能ありの自分でありますが、数年前から山付近にいるのが好きになった。当初は登りたいのかなと考えたりしたのだけど、突き詰めたらどうやら違うらしい、自分のことだろと思われそうですが、自分のことだってどこまで知っているか謎であるし、ジャンルやフィールドもよくわかってなかったみたいで、たぶんトレッキングに位置するんだと思う。趣味登山とか言いたかっただけの部分もあったかもしれないな、子どもの頃からそういうとこあるな、よくないよね、けっきょく苦しくなるだけだもんな、とりあえず気づいた時点で都度修正、きっともっといい方向あるよ。

求めていたのは登るって行為ではなかったし、頂上まで行きたいって欲も願望も目標も特になく、途中でも周辺でもなんでもいいんだよな。頂上を目指さなきゃいけないとか一番がいいとか収入がとか生活がとかいう固定観念みたいのってどこから洗脳されたんだろ、教育の成果なのかな、そんなことはどうでもいいと思うよ、格好つけることも見栄を張ることも含めて。楽しければいいし自分が満足できればそれでいい、何事も何にしても何をしても。高い所からじゃなくてもいい景色はあるし、バーナーでつくったコーヒーは美味しいしね。それぞれがそれぞれの目標や満足感でいい、欲なんてほどほどがいいはずじゃないですか、誰かの欲で苦しむなんてバカなことはない、どうあるべきか自分らしく。きっとそれがいい。


清く柔く

2023-02-21 12:55:10 | 日記
旅立ちのときがきたんだ、とつぶやきながら家に帰る、っていう書き出しのことを書こうと思って頭を廻らせてみたけど思い浮かばないので却下。意識していればそのうち何か生まれるであろうけど、生まれずに忘れてしまうことも多々、それはそのときでそのままでいいんじゃないかと思うことも少なくはない。ただ、いつか戻ってくるときがある、そのときのために蔑にしないようにしよう、慈しみをもって見送ろう、また愛でよう、いつか。

清貧が好きだとか憧れがあるのは、どんなときでも自分が執着に近い何かがあること、こと自体は何でもいい、貫いてそれをやり続けられることがとてもうつくしくみえる、余裕があると道楽に見えたり、でもそれって不幸や辛さや苦しみがあって成り立つ美や感動と何も変わらない、良し悪しでいえばけして良いとは言えない、幸せだと言葉は書けないと思っていた若い頃の純粋さと愚かさ、その苦しい道程を生きるしかなかった先人も現役もあの人も、手放しで羨ましく思ってはいけないところである気もする。海外の貧しい地域の農家の人に、日本人のタレントが「穏やかでいいですね」のような声をかけたら、「苦しいだけだ」というような返答をしたことを思い出す。ちょっと違うか。お互いの主観と客観、得たいもの、どうしたって噛み合わないし、経験やその立場にあるものしかわからないことはきっと多い。それぞれがそれぞれの精一杯で恐らく成り立っている、執着の一旦はさておいて自分の精一杯、それが世のため人のためか、生きるのは自分のためであるけれど。


あのひとが今日も笑っているから

2023-02-13 10:37:10 | 日記
タグ付しようかなと何度か思いつつ、やっぱりと思うのはここが楽園だからだ。けっきょく周知してまったくもって何の反応もないことになればその他のSNSと同じような気持ちになる。ここは本気で自分が自分のためだけに、少しだけもしかしたら訪れる誰かに向けて文を組んでいるところがとてもいいところである。たくさんの人がいるのに誰にも見られていないのはどうしたって孤独だ、苦痛を伴うほうの孤独だ、同じような状況でもそうでない人たちがいるのも知っている、恐らく自分の生き方とまではいかずとも姿勢的に間違っている部分があるのだろう。同じ何かがあるときに明るさと暗さのどちらに向かうのか、光あるほうに顔を向けられる人がいる、そうなれる人がいるならきっと誰もがそうなれる、それは希望でもある。

努力したものが努力した方向に報われるわけではないし、そもそも努力が報われるかどうかも怪しいところではあったり。どうしたって何であれ運の要素が大きいものではあるし、努力の限界だって個々にあるものだと思う。それを努力が足りんからって自責の念にかられつづけることは必要あるんですかね、昭和の精神論とかスポ根的なあれですかね、叶わなかったときに努力が足りんなと自分で思うことは大いに結構、たぶん足りないというかそこまで望んでない、そして楽しくもない、楽しくなくてもやれることはある、やれないこともある、自分で選択すればいいことやね。でも運とか報われるっていうものの根本に努力があるとして、報われる方向性と共に運の方向性も思い通りではないこともあるじゃない、きっと。別のベクトルに行ったんだなぁと思ってみればそうかもしれんよね、とか。叶わないひとつに対してそれがすべてのように虚無的な気持ちになることはもちろんあるけど、その他はそうねと全部が真っ暗いわけではないから、まぁいろいろあるよねというところでありましょうか。思い通りにならなければどんなうつくしい言葉も枯れてしまう、運命とか生まれてきた意味とか、そこにそんなに価値があるとも正直思わないし、笑い飛ばしてすむことってのもそんなに少なくないな、事実。