もともとこれを書き残しておこうと思ってはじめようと思ったんだった、といっても大して深くも濃くもならないような気がしている。去年のその頃に比べてやっぱりさみしくも何にしてもどうしたって薄らいでいるし、普通に考えたら薄らいでいくのが普通でそれも無常であるわけで、そのことによって人は生きていけるんだろうな。でも時々思い出すよ、去年なくなった祖母も、あの日の友人も、関わって亡くなった人を時々思い出すよ。ふわっと心の中で話しかけてみたりするよ。信仰を別にしたってもうほんと仏みたいだ。
・
異常に死に対しての恐怖や不安感、後悔をしたくない焦燥を若い頃はずっと持っていた、もっとか、中年の手前ぐらいかな。まず自分には文章があって、悔いが残らないことなどないことを知った、むしろ最後に書かせろって長谷川りこうのようになりたかった。そこまでいかなくてもやり切った瞬間に死なない限りは何かしら残る、というより少しくらい悔いがあったほうが素敵でしょう、人生として。その後に火葬技師の縁があり。そこで思ったのは人が死ぬって当たり前に自然である感覚と、平等とか公平であること、長生きするって当たり前ではない、むしろけっこう低確率なこと、なかった未来よりもそれまでの日々を愛でることの大事さ、等々。あと正直なところ自分に対してはいつ死んでも大差ないって思った、もちろん周囲は違うし悲しみも変わってくるのは知っているが。別に死に急ぐわけでもないし、そこまで精一杯に清々しくは大切、たぶんそこ、生きたこと。色々あったけど自然てとこがすごく要だったんだと思う、憑りつかれていたいたようなものは火葬炉の黄色い火で浄化された。その後に僧籍を得るんだけど、細かい部分が補完されていっていて、もしも人生に課題を持って生まれたしたら、死についてのあれこれだったんじゃないかと思うほど。
・
とはいうものの、祖母と四六時中会っていたらダメージは計り知れなかったはず、そもそもメンタル強くないし、半分育ての親だし。東北震災の年に脳梗塞で倒れて、後半の数年間は施設でコロナでまったく会えなくて、身体悪くなって手術するってその時に会ったきりだった。入院から施設に戻るのだったらもう看取りで、そこの移動に関しても条件付きというか、家族に心的負担があるようなものだった。察したんだろうな、もう移動の日にちも決まっていたけど、迷惑かけまいとしたんだろうな。それが最後。数年会えてなかったからダメージは少なかった、いまはまだって祖母からの救いだったのかな、最後の教えだったのかもしれないな。
・
どうしたって誰かを失った時には後悔がある、そこまでではなくともどれほどのことができたのか自責の念はある。もう少しできたかもって俺だって思う、けどメンタルは壊れていったかもしれない、それはもう何とも言えない。ただそれぞれが決めたこと、延命であれ何であれそれがもしかしたら苦しかったこと、つらくなってしまったかもしれないこと、でも正しい答えなんかないよ。誰かを想って一所懸命だった、それが絶対にベストだよ。ベストだったよ。大丈夫。喜んでいるよ。
・
異常に死に対しての恐怖や不安感、後悔をしたくない焦燥を若い頃はずっと持っていた、もっとか、中年の手前ぐらいかな。まず自分には文章があって、悔いが残らないことなどないことを知った、むしろ最後に書かせろって長谷川りこうのようになりたかった。そこまでいかなくてもやり切った瞬間に死なない限りは何かしら残る、というより少しくらい悔いがあったほうが素敵でしょう、人生として。その後に火葬技師の縁があり。そこで思ったのは人が死ぬって当たり前に自然である感覚と、平等とか公平であること、長生きするって当たり前ではない、むしろけっこう低確率なこと、なかった未来よりもそれまでの日々を愛でることの大事さ、等々。あと正直なところ自分に対してはいつ死んでも大差ないって思った、もちろん周囲は違うし悲しみも変わってくるのは知っているが。別に死に急ぐわけでもないし、そこまで精一杯に清々しくは大切、たぶんそこ、生きたこと。色々あったけど自然てとこがすごく要だったんだと思う、憑りつかれていたいたようなものは火葬炉の黄色い火で浄化された。その後に僧籍を得るんだけど、細かい部分が補完されていっていて、もしも人生に課題を持って生まれたしたら、死についてのあれこれだったんじゃないかと思うほど。
・
とはいうものの、祖母と四六時中会っていたらダメージは計り知れなかったはず、そもそもメンタル強くないし、半分育ての親だし。東北震災の年に脳梗塞で倒れて、後半の数年間は施設でコロナでまったく会えなくて、身体悪くなって手術するってその時に会ったきりだった。入院から施設に戻るのだったらもう看取りで、そこの移動に関しても条件付きというか、家族に心的負担があるようなものだった。察したんだろうな、もう移動の日にちも決まっていたけど、迷惑かけまいとしたんだろうな。それが最後。数年会えてなかったからダメージは少なかった、いまはまだって祖母からの救いだったのかな、最後の教えだったのかもしれないな。
・
どうしたって誰かを失った時には後悔がある、そこまでではなくともどれほどのことができたのか自責の念はある。もう少しできたかもって俺だって思う、けどメンタルは壊れていったかもしれない、それはもう何とも言えない。ただそれぞれが決めたこと、延命であれ何であれそれがもしかしたら苦しかったこと、つらくなってしまったかもしれないこと、でも正しい答えなんかないよ。誰かを想って一所懸命だった、それが絶対にベストだよ。ベストだったよ。大丈夫。喜んでいるよ。