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「言葉の修理承ります。」 Tittle : Terayama Shuji / Word : FukadaryoU

言葉はいつもあなたのなかに在り/世界をうつくしいと想えたなら/すべてあなたのなかにある/あなたのうつくしさです

あれからもう一年か

2024-05-19 23:23:35 | 日記
月日が経つのは早い早い、そうでなくとも早い、こうあると尚更早い。あれを書こうこれを書こうと思いつつも動かない指、言い訳だけはいくらでもある、どうしようもなく書かなくても生きていけることも知った、けどまたこうして指は動き始める、心はざわめき始める、忘れたことなんて一度だってないんだ、それだけは言い訳もなく本当、どっちにしろどうあれこのままのわたしでいられますように、どうか。

日常がいそがしいというか、やるべきことがあるのも本当で、それがまた頭を使うからやっかいで、でもこうやってつらつらと書いているのはやっぱりわりかし楽しいな。今日どうしても書きたいことがあるから動かそうと、でもなんだろうな、過去の文章をみると何か嫌なんだけど、ということで少しずつ編集したりなんかしてて、書きたいことまで辿り着かない。過去って未来からみるとよく見えるなんて話を聞いたことがあるんだけど嘘だったのかな、そういえば黒歴史ばっかりだ。でもその黒さがなかったらいまがないのは事実。うまくバランス取れたらいいよね。なんとかそのあたりでもがいている気がする。安心してくれ、中年になってもこんな感じ。つらいのは洗濯物が地面に落ちた時ぐらいです。

モデルニカ

2023-06-26 14:42:22 | 日記
某女性芸能人の方がSNSで結婚発表して、お相手が年齢非公開の方で名前も挙げませんけども地元の後輩。同じ時間を過ごしたような仲ではなくて、顔が合えば挨拶される程度のあれなので何でもないけど、やっぱりそこはこっそりおめでとうと思うところ。人生なんてわからないものだよな、あれがあれをしてこれをしてこうなるとは。十代の時なんかに絶対にわからない未来がここにあったわけだ。自分だって想像してた未来ではなかったかな、たぶんみんなそんなもんだよ。本当に何になりたいかなんてわからなかったし、こう生きたいってことがその状態になってみたら絶対の正解ではなかったし、40だって惑うし迷うし悩むし、そんなもの。若いうちに何かを決められるっていうのはいいことだけど、どこで底をぶち抜かれるかもわからないし、新しい何かがあり常に変化し続けるのが人生だ、内も外も。柔軟にしなやかに生きましょう。ゴムみたいに伸びたらその先はニカでしょ。

仕事もバイトも何をしようかといままさに、ここまで当たり前のように3日を起点に半年とか3年とか長くて12年で変化をつづけていて、またこれからどうしようか、何がしたいか何を得たいか等々を考えるわけですが。少なくともいえるのはそれが誰でも出来る仕事だと思わないことでちょっとだけ自分が周囲よりできると思えること、まぁ確かに代わりはいるんだけどそれは人生の救いというか社会の仕組みだと思っている、それはそれとして何であれ自分に自信を持てるものがいいよね。自信を持てるものってそれぞれ違うと思う。技術職で特別な技術や高度な技術を持っていてとかではなくて、レジでも工場でも同じレベルの仕事をできるとしても自信の在り処はそれぞれに違うってこと。やれてる感はとても大事よ。天狗になったりはいけないし、もちろん助け合いは当たり前で和を乱したりもよくない、出来る奴ほど謙虚、これ本当。さて、いきますか。

大質問コーナー

2023-06-16 17:15:49 | 日記
いえ、わたしがです。自分のやってきたことには自信があります、自信なのかな、これはこうだっていう正しさかな、答えを出せる、当て嵌められる、言い切れる、でもそうだねそれを出来ることはやっぱり自信だ、絶対的な正しい答えがないものはすべてそれが裏打ちだ。これは詩の話。相当迷ってきたよ、そこも。自分の物に関する最終的な裏打ちは他人に委ねるものであったけど、絶対がなくてぼやっとしたものだからある程度先人の力を借りるのはありだったと思う。そこから展開する自論はすべて自分のものだ。もうそれは誰かの何かがあっても曲がるものではないし失うものでもない、変化することはあるかもしれないが。詩に関して詩とはなんですかと言われたら書いた人が詩だと思っているもの全部だと思う。分類とか評価とかそういうのはまったくの別物として。それが何であるかという問い。

短歌に興味があって、興味があるくらいではじめても好きで楽しくてって人にかなわないのはわかっているし、気楽に手を出していいもんかどうかって悩むとこではありました、どこにいきたいのかもわからないし、どこまでいきたいのかもわからない、たぶんどこにもいかない。詩人という言葉に憧れたように歌人という言葉に憧れただけかもしれないとこはある。その先があるのかないのか、確かめるのはありかなと。それである程度の歴史とルール的なものを読んだりしたのですが、31字で字余り字足らず含めて自分が意識的に短歌だって思ってつくったらそれは短歌なのですかね。上記と一緒で分類とか評価とか別として。例えば書いてタグで短歌って書いてもいいんですかね。自信がないから恥ずかしい、そうきっと自信なんですよね。詩は入選とか掲載を繰り返して業界とか界隈的にはこういうの詩なんだなとか思ったりして。なんせはじめて、書いて、送って、なのかなやっぱり。歌人と言えるようになるのはどのへんなんだろうな。どこなんだろ。基本的にビジネス的な、プロと呼ばれてどうこうにはまったく興味がないので、そこらへんは離して考えたいところではあります。歴史があっていろんなフィールドがあって様々なんだろうな、短歌定義も歌人定義も。ちょっと楽しくはなってきている。それが何かではなく言葉がやっぱり好きだ。それだけは確かだ。

いまもジャンプを買っている伯父が好き

2023-06-16 12:05:15 | 日記
無駄な空想とか想像をすることが好きというか癖である。絶対的にそれが現実にならないのが大事なところで、現実に則したことは期待とか希望とかになるのかな、大きく外れたらがっかりするからあまり考えたくない。もし宝くじが当たったら、もし過去に記憶をもって戻ることができたら、可能性がないというよりは望んでない事柄なのかもしれない、誰かの別の人生を覗くような感覚なのかもしれない、意味がないからこそ楽しい、それは法則と事実、身体に悪いものほど美味しい、悪いことほど面白い、しかしそれほど大それた内容を書きたいわけではない。ドラえもんの道具は何が欲しいか、ドラゴンボールの何の技が使いたいか、ジョジョの何のスタンドがいいか、そうジョジョ。ネタバレあるかも、お気をつけて。

小学生の時に連載開始で、最初に手に取ったのは2部の単行本だった気がする。何部が好きかランキングにもあるように、あの当時に好きだったのはもちろん3部、というかその先が書かれていないから当然、でも作者がいうように子ども向けとは言い難かったから、真面目に読んだのって大人になってからだな、各部のストーリーとラストは知っていたが。現在の推移は5=4=2-3-6-1、競艇みたいになった、そこから先は未読、新しくはじまったやつは単行本買おうかなと、手元にあるのは文庫の5部だけなんだけど、なぜかといえばミスタ推しだからなのです。でもピストルズはきついです。どのスタンドが一番いいのか、普通に考えるとプラチナかワールド、いやダイヤモンドかな、でもスティッキーも相当便利であるし、ヘヴンズドアなんて敵がいなかったらチートレベル、小さくできるやつもまぁまぁいいよね、って考えると6部が全然わからん。好きだからって何でも好きなわけではないし、手放しで何でも好きだったらそれってどうなのと思うし、単純に飽きるとか見向きもしなくなる瞬間てあるよね、でも振り返れば、またある瞬間に再沸騰するのが好きの条件なのではないかと思ったりもする、何の話だ。好きなものや憧れ、まるっとすべてを手に入れたいわけではない、先ほども述べたようにミスタ推しではあるけどピストルズではダメなんだ、日本だし。米国だとしても。こういうのあるよね、それがなんであれ、こうね。答えの理由が利便性とか利益だとかで考えてるのが心苦しい、精神や深層の発現であるから、そういうものから離れていればいるほど純粋なのかもしれないね。色々と書きたいことがあった気がするが、とりあえずネタバレなどなかった。ここ最近アニメを全部流したから思ったこと多々あって好きな人と話したいな。とりあえずミスタが生き残ってとてもうれしいです。ネタバレ。

ココアをひとつ

2023-05-17 16:21:30 | 日記
失敗したか、もっと早くやっておけばよかったか、確かにそうだ、いまというものが変わっていたかもしれない、果たしてそうか、楽しいことは嬉しいことはなかったか、少なくともあの頃の自分は震えていなかったか、笑い合ったあの日々は、泣き腫らした帰り道は。何かを書くことについて昔より、20代や30代より静かになったここ数年。投稿もそんなにしていないけど考える事だけはしている、形にしなくても組み立てて震えることはしている、変態か。人によって目標も到達地点も違うけれど、自分にとってはいい傾向というか、悪くない気はしている。そもそも承認欲求が強すぎた、他人からも自分からも含めて、そこを少しずつ納得していかないと人生がつらい一方だし、なんかその為に書いてるって本物ではないんだよね、結果は後からついてくるものでなんせ楽しくないといけない、少なくとも自分の理想像はそこにあるはず。それだけではないけど、もう少しあと少しだって、ようやく思えるようになってきたんだよね。ということで、最近は時々投稿して落選します、主催と選者にしてみたら迷惑かもしれないことですが、あぁそうか載らなかったかぐらいの気持ちのが大きいです。勿論ちょっとした悔しさはありますが何で悔しいのかはよくわかりません。

ココア共和国今号、投稿詩からの思いを読んで、一回も載せてくれないって声とかあるんやな、なんか某所でもそんな感じの意見読んだな、それはそれぞれの雑誌の方向性とか傾向とかあるんだから仕方ないでしょうよと思ったり。そこに合わせていくか自分でやるかの二択よね。それはそれとして。色々と示してくれたのはとても有難く、選考基準を教えてくれるなんて他でなはいだろうし、ここでと思うならそれに沿って書いていくのもひとつだと思う。ただこれが詩壇とか詩の世界において最上級でベストではないよね、そう思って売っていこうとしているのではあるけれど、でも後にあるように、感動すれば選ぶことになる、個人的にはそこが一番大事かな。でも箇条書きの多くはそうかもねと感じるところなので、狭義の意味での現代詩かな、そこらへんでの要素には必須ではなくとも成り得るのかもしれない。ある程度からは感性の問題になるけど、どうしても受け入れられないものっていうのは正直あって、だとしてもそれが不正解ではないしダメなわけではないことも大事。

傾向に合わせる、必要とされているものを書くことが自分は嫌になってしまったし、寄せていく努力も苦痛になってしまったので、いまは自分の書きたいように書くことが立ち位置で、そのうちそれらが楽しくなれば苦しくとも喜びとなればまた方向性は変わる。プロとかいう線引きがこの界隈にあるのかはよくわからないけど、少なくとも依頼を受けてどうこうという人にはならない、なれない。いま目にする書き手たちのような情熱もないんだろう、沸騰してない、白湯だ、それにも意味はあるけれど。それでもすべてを投げ出して筆を折って終わりにはならないと思う、人生に寄り添って言葉は常にあるだろう。食えなくても書くっていうソウルが好きだ。言葉はいつも裏切らなかった、私も言葉を裏切らない。すべての言葉が私ではないけれど、私のすべては言葉です。