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ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 

カサンドラの憂鬱①

2025-02-26 01:02:25 | 日記
カサンドラの憂鬱①

今年度は仕事を一つ減らした。
仕事を(再び)始めたころは、ずっと増やしていって、夫の扶養から外れ、経済的に自立し、
いつか夫の収入を超えて、夫が私に(無意識に)えらそうにお前呼ばわりして、
彼の母のように昭和の妻のように、夫に尽くすことを要求してくることに、堂々とキレてみたいと思っていた。

月日は経って、少しずつ増やした仕事で、家事子育てがいよいよ回らなくなってきた。
ワンオペ、カサンドラの私には、家の中に頼れる大人が私ひとりというありさま。
両親も他界し、友人たちよりずいぶん早くに結婚して地元からも離れ
3人の子育てのため社会からも離脱した私には、頼りになる人も実家もなかった。

記憶がないほどの忙しさに、これであっているのか、私が目指したものは本当にこれだったのだろうか、と自問自答する日々。
自分の時間は一分もなかった。夫は昭和の夫らしく私の子どもポジションにしがみつき、母に甘えるように私に甘え、
えらそうにし、できていない家事を指摘しては機嫌悪くなり、妻が自分の相手をしないことにキレ、
子どもに制限している場で自分はゲームにふけり、バカな殿様のように、やりたい放題だった。

長女が思春期になると、大人らしくない父親に普通に違和感を抱き、反発し、軽蔑し、私をかばい闘ってくれた。
彼女には本当に感謝しかない。長女は、妹たちが今の自分のように反抗期を迎え、自分の父がただのクズとバレないうちに、
態度を改め大人になれと言ってくれた。さもないとお前はいつか一人になってゴミみたいに死んでいくんやで。と。
産ませたんやったら子どもを大事にしろよ!自分の妻を幸せにしろよ!!と。涙の日々だった。

私もこの時期は密かに固く離婚を決意していた。自分の幸せがこいつと一緒にいることにあるなんて、全然想像できなかった。
結婚以来幻滅し続け、もう1ミリも愛なんて感じなかった。結婚した瞬間から、私の子どもになって甘え倒しただけの男。
思い通りにならなければキレて子どもにあたった。それが怖くて私は夫の機嫌を取り続け、しみじみ、
結婚とは、女が子供を人質にとられることなんだな、と思った。
子どもが精神的に自立した後は、もうこいつの機嫌を取る必要はなくなる。それだけが希望だった。

そんな中の、とても悔しい選択ではあったが、家事育児と生活のバランスをとるには、やっぱり私が仕事をセーブするしかない。
私の夢だった、夫より収入を得て夫をバカにしてやる!という夢は、子どもたちの幸せに比べればもうどうでもいいと思うことにした。
それよりも何よりも、何度考えたって、私はやはり子どもを大切にしたい。
子どもの幸せの上に私の幸せは乗っているのだ。子どもには私が必要で、私が話を聞くのを楽しみにしている。
具合の悪いとき、調子の悪いときにはママにつきっきりになってほしいし、とにかく毎日相手をしてほしがっている。
そういう顔を見て、仕事を減らして、余裕をもって、ゆっくり話を聞いて、相談に乗って、一緒に過ごして、笑いあう。
冷静に考えれば、夫をバカにするなんていう目標は陳腐なもので、
子どもとのそんな日々のほうがやっぱり何十倍も価値あることと、改めて思いいたった。

そんなわけで、徐々に仕事は減らしていった。
私が元気でいること、余裕を持つこと、いつでも家族のピンチには対応できること。それが大切と。
夫は、長女が夫を嫌って自分の力で家を出たこと、成長してきた次女、三女にも己の小ささがバレて、
しょっちゅう娘たちに強くあたられるようになった事実に、
ようやく自分の生い立ちに絡む自分の性格のゆがみや発達のゆがみに関心を向けたか、
少しずつ自分を変えていこうとしはじめたようだ。
急に家事をやりはじめ、少しずつキレることを我慢できるようになってきた。
今では、娘たちが思い遣りや愛の示し方や、ふつう人はこうなんだよ、
という人のあり方を忍耐強くも(結局、娘たちは優しい)教えてくれることが奏功して、
まだまだ不十分にせよ、以前よりはかなり人間らしくなってきたように思う。
それに伴い、私も少しずつ気持ちが軽くなっていった。
まだ、傷は癒えないままだし、私に与えた多くの、大きな傷つきを許す気もないが、
存在くらいは許してやろうという気にもなってきたから、本当に人間とは不思議なものだ。


仕事は減らしたが、扶養から外れていることはいくらかの慰めにはなっている。
ろくに使わないけど自由なお金もできるし、自分の大切な友達と罪悪感なくランチやカフェにいけるようになった。
好きなものを注文することも、ちょっとよさげな化粧品や割引でない服を買うことも、できるようになってきた。

そしてびっくりすることだけど、そんなこんなで小さなことだけど自分に余裕ができると、
本当に幸せを感じる瞬間がとても多くなってきた。
今までよく頑張ったね、と自分に言ってあげることもできるし、
これから自分の幸せのために何しようかなと夢を描くこともできる。
幸い仕事は好きだから、余裕を持てば苦にはならないし、苦にならない程度に仕事ができていることにも感謝している。
子どもたちも立派に育ってきた。これからもっと、幸せになれる予感はする。だからほんとうに、万事塞翁が馬!


どんなに今しんどくても、これからの幸せをあきらめないでほしい。
ほんとにしんどくて、どうしようもないけど、でも自分の持てるすべてで戦い、
守りたいものを守りながら必死に生きている自分の頑張りを、見ていてくれる人はきっとどこかにいる。
自分が頑張って守ってきたもの、愛してきたもの、大切にしてきたものは、
何年も後になって、自分を守ってくれるもの、愛してくれるもの、大切にしてくれるものとして返ってくる。
本当、それは信じてみてほしい。自分が幸せになることはあきらめないでいてほしい。
私もまだあともう少し。いつでも応援し合って、がんばっていけたらいいなと思っています。


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