蝉が鳴いている。
くまぜみ。子どもの頃を思い出す。
近くの天神さんに、蝉取りに行った。
兄についてった。上の兄もいた。
みんなでくすのきを見上げて、あそこだここだといいながら、
虫かごを真っ黒にするほど取った。
虫をあつめた、むせ返るような虫のにおい。
蝉の声は変わらない。
もう30年近くたつのか。
母はもういない。
兄たちも大人になって、一家の主だ。
私もまた、子どもの母になり、
あのときの母のように、口うるさく、
毎日ご飯をつくって、子どもを愛している。
そうめんのお昼。
風鈴の音。
開け放した台所。薄暗いけど、涼しくて。
大きなたらいに泳ぐそうめん。
生姜やねぎの薬味。
鶉の卵。
卵だけが大好きで、割りにくい殻を一生懸命割って、入れて食べていた。
お金もそんなにないのに、どうしてうずらのたまごだったのか。
京の母のこだわりかな。
今、たまたま母と同じ公務員の妻をやってる。
うずらのたまごは小さいクセに高くて、なかなか買わない。
だからわかること。
母の工夫やこだわりや、いろいろ知恵や誇りをもって家事子育てをしていたこと。
虫の声は変わらない。
でも、虫はあのときの虫ではなくて、違う土地に今生きる違う虫。
でも、同じような声で鳴く。
人のなかの心の動き。
興味を引かれること。感動の仕方。人の愛し方。
変わらないムーブメントがある。
人の中心は、子ども時代を抱きしめている。
私の子どもたちは、30年後、どんなふうに思い出すのだろうか。
そのときは、私が親として子どもたちに十分に愛情を伝えることができたかどうか、
親として子どもたちに栄養になる環境を整えていたのか、
についての試験のときとなるのかな。
子どもたちに幸あれ。
愛、伝わっていますように。