プロレス玩具箱

プロレス&格闘技、本と映画を愛する、武闘派文系管理人・りらが、プロ格中心にあれこれ放り込む玩具箱です。同好の士、歓迎。

格闘技を語る言葉/さあ明日はK-1だ!

2007-12-07 19:19:46 | その他
 今更ですが私は格闘技が好きで会場でも観戦しているし、自分でもキックボクシングを1年ほど前からやってます。年齢とか体力とか費用とかまぁ色々乗り越えなくてはならない壁が高かったりするんですが^^ で、実際にやることの面白さって、自分の肉体で経験することでキックボクシングのあれこれがほんのちょっとずつながらリアリティを持って感じられるので、観戦が何倍にも面白くなるというのがまずあります。単純に、長年動かしていなかった肉体を動かすしんどさと、初めて経験する痛み、そういうものが新鮮で、辛いのになぜか楽しいというのもひとつ。
 そしてもうひとつ実は結構大きいのが、プロの選手も含め、キックボクシングの上手い/強い(どっちも表現としては物足りないんだけど適切な表現が見つからないのでとりあえず)人たちの練習を目の当たりに見る機会に恵まれること。本当に凄い人がサンドバッグやミットを蹴る・殴る時の音や迫力、シャドウの動き―それらを間近で目にすると感動します。少しでも参考になればとかいう卑近な思いは即吹っ飛ぶ(そもそもおこがましい話ですが…w)。その場ではあまりの迫力にびびってしまうヘタレな私なれど、後でありありと思い返せるくらい鮮烈です。見ている間、知らず知らず息を潜めてしまうくらいに、ひたすら見惚れるしかない。きっとどんな競技であれ本当に力のある人はそうなんだろうけど、その姿勢や動きに凄みと厳しさを湛えた、近寄り難い美しさを感じるのです。これは試合の時見られるものとはまた全然違うんだよねー。
 そういう姿や空気を自分なりに言葉や写真に留めて表してみたいとずっと思いつつこれは実に難しい。格闘技雑誌や格闘技小説もかなり読みますが、そういうジャンルの文章ではキックボクシングが「技術」として分析されたり分解されて描写されることが多い。そうでない場合は逆に選手の内面を描こうとして情緒的になりすぎていたり。普通の視線で外からみてどうなのか、にはなかなか出会えないなぁと常々思っていたのですが、今日読んだ本の中に、それに近いものを見つけました。伊坂幸太郎 『砂漠』 (実業之日本社)の一節。主人公の大学生が友人とともにたまたま通りかかったキックボクシングジムの中に見た、練習風景の描写です: 
 ゴングが鳴る。
 途端に、揺れる。軋みながら、揺れ、鳴る。ジムが揺れ、サンドバッグを吊るしたチェーンが軋み、サンドバッグが鳴り、コーチの構えるミットが揺れ、蹴りを繰り出す男たちの軸足が軋み、拳を振る男たちの腕が揺れる。ばすん、ばちん、と音を立て、地面が揺れ、それがガラスを震わせ、壁を越えて、こちら側のベンチを軋ませ、座る僕たちの身体を鳴らす。皮膚や足元が震えるだけでなく、僕たちの内側にある精神の柱を揺すってくる感覚だった。
 そのうちに、眩しい赤が、僕たちの目の前に出現した。
 沈みかけの夕日が、僕たちの背後から、ジムのガラスに射し込んだのだ。赤々とした陽射しの中で、男たちが各々のリズムで身体を揺すっている光景は、淡い霧の立ち込める森の奥で、肉食の野生動物が獲物を狩るのを眺めるのに似た、水際立った美しさを伴っていた。
 とりわけ、阿部薫の動きが美しい。
 僕たちに背を向け、つまりは夕日を背中で受けながら、サンドバッグへと、ひっきりなしに拳を打ち付ける。窒息しないのだろうか、と思ってしまうくらいの、連続した殴り方だった。身体を捻るたび、彼の太腿に筋肉が隆起し、足を出すと同時に汗が飛び散る。その汗の雫にも、夕日が反射するかのようだ。
小説の中でこのキックボクシングジムや選手が取り立てて大きな役割を果たすわけではないのですが(でもある意味重要)、この描写には魅かれた、というか共感できるものがあるです。著者は、この部分を描くのに、あの武田幸三とそのオフィシャルフォトグラファー、所属ジムに取材をしているそうです。なるほど。さらに『終末のフール』という連作短編集の中には、武田幸三その人をモデルにして描いた作品があるんだそう。私もまだそちらは未読ながら是非読まねばと思っております。
 何か格闘技の出てくる小説で面白いものがあったら教えてくださいね
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 さあ明日はいよいよだ! K-1 WORLD GP FINAL2007だ! 今日はファイナリストが顔を揃えて公開記者会見もあったようですね。
 優勝は、鉄板でセーム・シュルトだろうという意見が多いようで。うちの師匠も間違いないでしょと今日言ってたけど、私はピーター・アーツに期待しますね。この顔合わせになると去年の決勝と同じになっちゃうし、アーツが勝ち上がる=澤屋敷 VS バダ・ハリは今年は実現しないってことなんだけど、イケるとしたらやっぱりアーツ。…シュルトが好きじゃないもんで、本音を言えばシュルトに勝てるなら誰でもという気もなくはないですがw
 
 リザーブファイトに出る予定だったレイ・セフォーは負傷欠場。ガッカリのようなほっとしたような複雑な気持ち。ハリッド・ディ・ファウストは盲腸だとかでこちらも欠場、彼は前回調子良さそうだったのでちょっと勿体無いな。
 武蔵の対戦相手も負傷欠場で急遽変更に。新たなお相手はK-1デビュー戦だそうです。いいんだか悪いんだか…
 明日は夕方まで仕事なので試合開始には間に合いそうにないながら、極力早く帰宅して、スカパーのLIVE放送で観戦したいと思います。楽しみ楽しみ♪


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斗うココロはヒトの本能・意思・アイデンティティーか? (いしかな)
2007-12-08 15:34:34
他人を殴る、ということは殴られる、ということでもあり、痛い怖い怪我するかも死ぬかもしれない、ということでもあります。その線を越えるのに怒りや憎しみやチカラの優越感があったりもあるだろうし、そうやって燃やして燃やして尽き果てた時に残るものが何かを知りたくて極限の闘いを追い求めているのかもしれません。

斗いのルールはさまざまあって、さまざまな競技のさまざまなツワモノがいて、おのおのの生き様がある、皆人間。
そんなニンゲンのチカラが、あるときは大きな勇気を呼び起こし、信じられない奇跡を起し、伝え語られて連綿と記憶に残って行く様を目の当たりにできる至福を、ボクはあらゆるスポーツのトゥルー・真実として大切にして行きたいし、その真実によってしか「夢と希望と勇気と元気」を与えられないと思っています。

諸般の、ほぼ半分はヘタレつつあるエンタメ・プロレス側の所業に飽きたことにより軸足は移りつつありますが。
(来年はとうとう禁断の「レッズ年間シート」に手を出しそうな、怖い年の瀬。We are REDS!)
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どこから来る魂なのでしょうねぇ… (りら)
2007-12-08 22:23:34
>いしかなさん
記録競技であれ試合形式で勝敗を競う競技であれ、およそスポーツというものは闘いですよね。ただその中で、相手の生身に自分の生身でダメージを与え合い強さを競う、格闘技というジャンルに属するものに特に惹かれる魂というのは、いつ、どこで、どんなふうにして芽吹くものなのでしょうか。私はとてもそれが知りたい。知ってどうなるというものでもないんですが(笑)、なぜその世界に強く惹きつけられる者とそうでない者がいるのか、その違いは何なのか、とても知りたいです。
 殴ったり殴られたり、蹴ったり蹴られたりしているとちらっとそれが見える気になったりすることもありますが、それはそんな気がするってだけのことで、人に言葉で説明できないしなぁ。

 レッズの年間シートを買っても買わなくても、格闘技のことはどうぞ心の片隅に^^ 私はまだしばらくこの領域をうろうろしている予定ですw
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