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【霊告月記】第七十三回 ソーシャル・ディスタンスという言葉への疑問

2021年12月01日 10時00分00秒 | 霊告月記71~75

【霊告月記】第七十三回  ソーシャル・ディスタンスという言葉への疑問


        宇宙人にしてビッグ・ボスの新庄剛志

近頃はやりの「ソーシャル・ディスタンス」の本来的意味とは?

「アメリカの社会学者パークが提唱した概念。空間上の二つの地点の関係を表す距離という長さの物差しの考え方を借りて、個人と個人との間や集団と集団との間にみられる親近感とか敵対感といった感情のレベルでの親近性の程度を表すための物差しである。([本間康平]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)」・・・という記事を昨年フェイスブックに引用した。

そうしたら、Mさん(仮名)から、「で今の使われ方は正しいのでしょうか?」とのお尋ねがあった。以下は、その回答と、その後に続く対話の再録である。

私: 正しくない、と思います。理由。知恵蔵miniの解説によれば、
「感染性の病原体の拡散や、人への感染拡大を防止したり、感染ペースを落とすために人と人の間の物理的な距離を保つ公衆衛生戦略のこと。単純に人との距離を空けるということだけでなく、人が集まりそうなイベントの中止、社交イベントの中止なども含まれることから、英語では「Social distancing」という用語が使用されている。近年ではインターネットの普及により物理的に人が集まらなくても交流が可能になったことから、WHO(世界保健機関)などでは同戦略を「Phyiscal distancing」と表記するように変化してきている。」とのことのようです。しかしどちらでも同じことです。

適切な日本語を見出して説明しようとせず、為政者が知ったかぶりの外国語を振りかざして、国民を領導しようとするのは不正行為そのもの。戦中戦前は高齢者の多くは経済的理由その他で小学校教育しか受けていない。英語の単語を持ち出されても理解は困難です。どうしても然るべき日本語が見つからない場合は、次善の策として英語を借用するのは仕方ないかもしれない。その場合でも適切な日本語に翻訳してその言葉を使用すべきです。アメリカ従属を問題視し、その克服を主張する論者もいますが、まず日本語の語彙を増やし、国民誰もが自分の言葉で、彼らの生活語で政策の妥当性を議論できる環境を作る。それが知識あると自負している人の課題です。ですから、そのような意味で、私ははっきりと正しくないとお答えしました。異論あれば聞かせて下さい。

Mさん : そうですね。外国語や難しそうな言葉を使って、自分だけ分かったつもりでいるのは、昔から、実際には優秀でない為政者や偽インテリだという、悪しき伝統がある。

私: 同感です。大衆は「優秀でない為政者や偽インテリ」を毛嫌いしている一方、「優秀な為政者や本物のインテリ」を尊敬しその登場を期待しているのだと思います。偶然とは恐ろしい。いや、喜ばしいのかもしれないが・・・
なぜそう感じるか。簡単に説明します。今朝六時頃に<近頃はやりの「ソーシャル・ディスタンス」の本来的意味とは?>という記事を書きました。すぐ、そのあと、Mさんの質問を目にしました。しかし、私は大澤真幸著『社会は絶えず夢を見ている』を読みたかったので、そのまま読み続け、出勤時間になったので、家を出ました。

で、その質問に、帰宅してすぐ回答しました。で、読みさしの上記書物を読み続けたのですが、なんとも摩訶不思議なことに、私の述べたこととほぼ同じことを、はるかに適切に大澤氏は語っているではありませんか。オドロキ、モモノキ、サンショノキです。引用します。

「日本語で、母語で、つまり人が普段考えるときに依拠している言語で表現できなければ、その思想はほんものにはならない。この点は、今日の講義からも理解していただけたと思います。むろん、受け手として、あるいは読者として、日本人だけではなく、すべての公衆を想定しなくてはなりません。もっと端的に言えば、日本国内とか、その他小さな集団の中でならば通用するけれども、英語等に翻訳した途端に意味をなさなくなるようなことを語っても仕方がない、ということです。しかし、繰り返せば、母語で考えればよいし、またそうすべきです。」(大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』)

こういうのを、共時性(シンクロニシティ)」というのかな? どうなんでしょう? 

Mさん : 権力や権威がある人間がそんな当たり前なことをやろうとしないという不幸。
 
※以上です。ちなみに大澤真幸著『社会は絶えず夢を見ている』は、以前に読んだことがあり、今回は再読です。読み方は少し工夫して、全四章四回分の講義を、第四章つまり終わりから順に読んでいき、最後に第一章を読み終えたのがきのうでした。名著です。再読してそのことは確かめましたので、皆さまにも同書はお薦め致します。ご参考までに同書の目次を掲げておきます。

【目次】
はじめに なぜ講義なのか?そして何を講義するのか?
第一講 「日本語で考えること」を考える
第二講 社会主義を越えて コミューン主義へ
第三講 リスク社会の二種類の恐怖
第四講 今のときに革命について語る
あとがき

★宇宙人新庄剛志 伝説の敬遠球打ち 


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