でりら日記

日々の雑記帳

GOGO耳鼻咽喉科、リベンジ/GOGO献血

2007年05月30日 | 肉体の悪魔
 GOGO耳鼻咽喉科、リベンジ。

 診察の前に聴力再検査。二度目の検査の前に私は一つの動かしがたい事実に気付いてた。いや、前回左
の耳から右の耳に切り替えたときに既に解かっていたことでもある。
 検査に使われる音を私は知ってしまった、ということ。

 おおよそ、音など一度聞けば覚えてしまう。ましてや、検査は機械的に流れに沿って行われる。手順は
変わらない。そう、聞き慣れてしまうのだ。音の高低、この音の次に来るのはこの音。何の予備知識もな
いところからまさに手探りで手繰り寄せようとするのと、待ち構えている時の差だ。

 結果から言えば、私の左右の聴力はほぼ同程度の正常値を示していた。

 実際、音と一口に言っても音圧や大きさやらと複雑なのだが、ここでは割愛。縦軸の数値が10毎に推移
するが単純に倍だというわけでもない。わかりやすいように、実際どのくらいの音なのかは図表に記して
おく。



 一週間でこうも回復すると言うことは、深刻な病気ではありませんね。薬も水薬は要りません。毎食後
の錠剤も、様子を見て減らしてみてください。若い先生はそう告げた。

 こうなると肩透かしを食らったようなもので――私はどうだったら満足なのだ――安心しつつもなんと
なく帰り道ヘッドホンをかけるのにためらいつつも、もしこれでヘッドホンをかけても気分が悪くならな
ければ心理的なものだと思い、此処暫くのヘヴィ・ローテーション曲であるバッハのシャコンヌ・チェロ
カルテットバージョンを流してみた。

 眩暈もなく、なんの不都合もない。ただ喧騒の中抑え目の音を追い続けようとすると疲れるというだけ
だった。頑是無い子供が急に物分りが良くなると却って心配になるものではないか?しかし喜ぶべきか。
そうなのだろう。検査料処方箋薬品一切合財含めておよそ8,000円弱。心に負けて眩暈と難聴に悩むこと
を思えば安いものか。まぁ一安心。

 前回、耳鼻咽喉科は採算がとれないらしく、と書いたが今日改めて見ると「医師の確保が難しく」と張
り紙がしてあった。小児科と同じ状況なのか。患者数の増加とは必ずしも比例しないのが哀しい。今回の
突発的な強い眩暈に難聴、吐き気は実際恐怖だった。薬で和らいだのだから原因はなんであれ、医師が居
なくなるのは不安に変わりない。


 会社にたどり着いた私の耳に最初に認識されたもの。無意識に流れ込んでくるいつもの昼のラジオ体操
の音楽を過ぎ、臨時の構内放送。
『本日は献血を実施しております。今回は場所を変更して・・・』
 献血と聞いちゃあ黙っちゃおれねー。そう私は献血マニア。というわけで、気分も新たにGOGO献血。

 献血カードもシステム一新とあって磁気カードになった。表に過去の献血全回数と三回までの献血日時、
次回献血可能日が200mL・400mL・血漿、血小板(成分献血)の別に印字されている。私の会社は某社の敷地
内に関連会社としてプレハブ建物のフロアを借りて身を寄せている。親会社はこうして定期的に献血車を
受け入れているのだが、大雨の今日は献血協力者は少なく、70余名を予定しているのに私の赴いた十三時
の時点ではまだ二十五名ほどだということだった。

 システムがどんどんハイテク化されていって行く度に驚きを覚えるのだが、今回の発見はヘモグロビン
量測定の時点だった。私(の血液)は一般のご婦人方のご多分に漏れず比重が軽い。いつも比重検査ではじ
かれてしまい、悔しい思いを胸にとぼとぼと引き上げることになる。だから実際の採血よりも検査採血の
方が緊張する。

 今回もドキドキしながら座ったら、いつものあの蒼いビーカーがない。その代わりに、なにやらハンデ
ィサイズの端末のようなものと小さなプラスティック片があった。どうするのだろうと見ていると、微量
の血液を血液型判定に使うような小さなパレットにとり、その血液にプラスティック片の先を僅かに浸し
た。するとその先はスポンジのようなものがついているようで僅かの血液をちるるっと吸い上げた気がし
た。その片をそのままハンディ端末にカチリとセッティングすると『暫くお待ちくださいね』と看護婦さ
んは言う。看護士さんか。『これが重さを測ってくれるんですか?』『ヘモグロビンの量を細かく測ってく
れるの。まえのちゃぽん、っていうやつよりも正確に測ってくれて、12.5以上数値があればOKなのよ。
ただ時間がちょっとかかるから、混んでいる時はお待たせすることになっちゃって』


(上の画像はヘモキュー社のヘモグロビン測定器「ヘモグロビン201+フォトメータ」。これに近かった)

 聞けば、昨年十二月から導入されたものだという。その頃私はまだギリギリ「ちゃぽん」式にしか当た
らなかったというわけだ。そして200mL可能域にも届かなかった。そのときは、蒼い液体の中を私の死に
ゆく血液は温度を失いつつ上がったり下がったりして、そして水面を漂ってその務めを終えた。


『はいOKです』数値は12.5を指していた。ギリギリOKですね、という看護士さんの声に、最近の献血事
情を見たような気がした。血が怖いから献血なんて行った事がない、という男性陣は私の周囲にも多い。
こんなに楽しいのに勿体無い。私はしたくてもこういう事情があるので受け入れて貰えない事が多い。献
血に挑むのは女性の方が多いように思う。だが順番を待っていても『今回はごめんなさいね、またお願い
します』と慰められるように背中を見送られる女性がやはり多く見受けられる。

 実際のところ平成十七年度の結果を見れば献血人数の男女比はおよそ6:4で男性が多いのだが、こうし
て弾かれることを考慮し実際トライする人数もカウントすれば女性が男性を上回るのではないかと思う。
かっちり数値に出して「ギリギリセーフ」を救い上げることが出来たら、きっと「何とか使える血液」は
増えるのだろう。(それが実際必要としている人にとって100パーセント安全なのかどうかは別だが)

 久しぶりにあがった献血車は笑顔で迎えてくれた。午前中に行った病院はどうしても事務的な無表情な
看護士さんが多いのでむしろこちらのほうが安心する。純然たるボランティアを受け入れるのだから根本
からして違うのだろう。『見ていて大丈夫ですか』毎回私は自分に這入ってくるあの極太の針先を直視する。
『大丈夫ですよ』少し針の先から血が溢れた。これは初めてのことだ。でも痛くはない。

 半透明のチューブを流れ私の体から逃れてゆく血は堪らなく美しく思える。自分の体の中にこんなに美
しい色のものがあるなんてと今回も感動する。女性特有の血にはそんなことは思えないのだが(あれは実際
真紅でもあるが濁ってもいる)これを見れば男性陣もいっちょ俺もやるかと思えるのではないだろうか。無
理か。これを懼れるのは多分生きることを受け入れるということだ。私の赤にはリアリティがないのかも
しれない。

 時折針から血管へヴヴヴと振動が伝わってくる。これも10年ぐらい前に導入されたシステムだが、血液
採集パックに小さなポンプがついていて軽く吸い上げてくれているらしい。これがないと私は時間が掛か
って仕方がない。込んでいるときは申し訳なく思う。少し、全身を一層の膜のようなものが覆った様な気
がしてくる。寒くもなく暑くもないが、言うなれば突然恋人に秘密を暴かれたときのあの空気を思い浮か
べていただくと良い。皮膚の上2センチぐらいの空気が皮膚を引っ張って、びり、とする。

 緊張感のない緊張というのも妙だがリラックスしているのにその膜が全身を包む。『男の人はね、ぶっと
い血管をお持ちなんです。そっからどばぁって流れてくるから早いんですよ。あなたは遅くも早くもなく
普通です』妙に力の入った「ぶっとい」と「どばぁ」が可笑しくて私は笑った。タオルの上からカイロ(こ
の季節でも売っているのだと妙なところで感心した)で腕を暖められ、擦ってもらいながら、なんだか宥
め賺しといった風情で400mLの美しい液体は私から自由になっていった。

 横たわりながら、このバス一杯なみなみちゃぷんと血で満たせたらどれだけの人が救えるのだろうと思
った。きっと外から見ると水族館のようだろう。でも、実際運べるのは数えられるほどのパックなのだ。
 タラップを降りた先の仮設受付では総務の部長が順番を待っていた。お先です、と私は頭を下げる。さ
ぼっているのがばれてもこういう時ならば許されるだろう、と私は缶のお茶をカキュ、とあけて呷る。心
地よい浮揚感と一緒に、近頃私を苛んでいた眩暈を思い出す。メニエールだったら面倒なんですけれど自
律神経系が原因だったみたいですね、と言われた瞬間、現金な私の脳下垂体は都合よいホルモンばかり放
出しだす。なんとなくそう感じた。

 久しぶりの400mLの喪失は、それを補おうと全細胞を活性化させ、心地よいハイテンションをもたらし
たようだ。しかし頭蓋骨の内側にこびりつくような倦怠感はそのままなので、退廃的な快楽のようにも思
える。この倦怠感を引き摺りつつ、今日は久々に胃袋肝臓アルコール消毒の日。芋焼酎があるといい。


あ、月末だよ・全員集合ネタがない。

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