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聖地巡礼!ビートルズ誕生の物語 リバプールを訪ねて The birth place of the Beatles

The Beatlesゆかりの地を旅すれば、そこには驚きの連続が! マニアックなマジカル・ビートルズ・ツアーです、

②ジョンが育ったのは高級住宅街だ!

2016年09月03日 | 音楽


1940年、10月9日、リバプールがナチスによる空襲を受けた夜にジョン・ウィストン・レノンは生まれました。
場所はオックスフォードストリートにある「リバプールマタニティ産院(Liverpool Maternity Hospital Oxford Street )」の2階。
産院は1985年に他のリバプールの産院などど合併し、その後、場所を移しました。現在はリバプール大学の学生寮となっています。


しかし、入り口には、産院であったことを示す標識が今も残されていて、ジョン・レノンがここで生まれたことを記したプレートも掲げられています。
場所はライムストリート駅から徒歩で行ける距離にあります。



この世に生を受けたあと、1945年まで、ジョンはニューキャッスルロード9番地の家で母親ジュリアとともに過ごしています。場所は「ペニーレイン」のすぐそば。
ペニーレインと言えばポールのイメージが強いけれど、ペニーレインから一番近い場所に住んでいたのは実はジョンなのです。
あたりの印象は、決して豊かでもないけれど、それほど貧しい感じもしません。今も、一般の住居として利用されています。
後述するメンディップスのようにナショナルトラストの管理下にはおかれてはいません。リバプールが生んだ世紀のヒーロー、ジョン・レノンの生家にしては、
ほとんど特別扱いされていないことに少なからず驚きを覚えます。



ジョンが育った家 251 Menlove avenue
幸運にもジョンとポールが多感な青春時代を送ったそれぞれの家の中に入ることができるツアーに参加することができました。
(実際に行った順番は逆ですが)、
まずはジョンの育った”メンディップス”と呼ばれる家から紹介しましょう。
家は後にジョンのソロアルバムのタイトルにもなった「Menlove avenue」に面した場所にあります。
ジョンの父親とは違う男の子を妊娠したジュリアから、叔母のミミ・スミスがジョンを引き取った1945年からシンシアと結婚する1962年まで
ジョンはここに住んでいました(学生時代には数年別の場所にも住んでいたが)。まさにジョンが青春を過ごした場所なのです。

ジョンと言えば「労働者階級のヒーロー」。貧しいリバプールからロンドンに、そして世界に飛び出し、立身出世を遂げた男。そのようなイメージが強いジョンですが、
実際に育った家に行ってみたら、驚いてしまいました。家は立派だし(この家を紹介するときに建物の全景写真が使われるのは常ですが、ジョンの家は向かって左半分。右半分は別の住戸)、
周りの環境と言ったら、大きな家が立ち並び、緑深い閑静な住宅エリア。リバプールの人たちも口を揃えて、「あのあたりはPorsh=高級なとこだよ」と言うではないか。
この周辺の家々には、Mendips のようにそれぞれ「名前」がついている。それ自体、裕福な地域であることを示しています。

そうか、ジョンは恵まれて育ったのか。労働者階級とかじゃないんだ。行ってみてはじめてわかること。
目の前には広い歩道と片側2車線、緑豊かな中央分離帯が走る大きな通り。通りを隔ててた向こうにはゴルフ場のある公園が広がり、そこを超えればポールの家。

写真はジョンの家の前から撮影した「メンローブアベニュー」

数々の曲が作られたポールの家と違い、「ビートルズの曲がほとんど書かれていない」という驚くべき理由でナショナルトラストはメンディップスを所有、管理することに関心を示していませんでしたが、
ようやく2002年になってノヨーコさんが購入し、ナショナルトラストに寄贈されています。
ポールの家と違って、この家は壁や床、調度品などジョンが住んでいた当時に使用された状態に近い状態が残っており、ナショナルトラストは失われたものも回収をはかるなどして、
家の中は当時の様子が忠実に再現されています。



(家の中に入るツアーは外観以外の写真撮影が禁止)
まずは家の壁にそっておかれた、賞品としてもらった緑の自転車(当然レプリカ)が目に飛び込んできます。自慢の自転車でポールやジョージの家に通ったジョン。
そう、彼らの家は自転車で行くのにちょうどよい距離だったのです。
家の中には、玄関ではなく、キッチンにある裏口から入る。ミミおばさんは当時は一生の買い物であったカーペットを汚されたくなくて、ジョンの友達が表玄関から入ることを
許さなかったらしい。キッチンは6畳くらいでしょうか。当時使っていたであろう食器や、食料品などのレプリカが並べられています。
キッチンをでて玄関の方に進むとミミおばさん自慢のリビングルーム。なるほど、これは相当立派。今のスタンダードでも上質な雰囲気が漂います。保守的なデザインの調度品からは
堅実で落ち着いた生活を好んだミミのことが偲ばれます。
2階にあがるとジョンの部屋。わずか2メートル×3メートルの狭い部屋。ベッドの上にはジョンがはじめて手にしたギターのレプリカ。壁には彼のアイドルの写真が。
2010年にここを再訪したオノヨーコさんはこう話しています。「ジョンのベッドルームに来るたびに息がつまる思いがします。こんな狭い空間で夢を見ていたんだなって」(BBCニュースより)。

ツアーに参加した他の人たちが出て行ったあと、一人でこの部屋に残ってみました。たった数十秒のことだけれど、なんとも形容しがたい感動を覚えます。特別な瞬間。ジョンの部屋にいるなんて。
子どものときから憧れ続けた英雄が一番長い時間を過ごした場所。

ジョンの部屋の隣はバスルーム。かわいい真っ白なバスタブが。

〜行き方〜
このメンディップスは市の中心部から8キロほど離れた場所にあります。
バスツアーやタクシーツアーなど、いくつかあるビートルズ観光ツアーは必ずここに立ち寄ります。家の中に入ることができるツアーもあるので調べてみてください。
自力でゆくならレンタカーも(私は最初にここを訪れたときはレンタカーを利用しました)。




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