祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

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九要論

2014-11-04 22:10:41 | 理論―陰陽五行、名言集

九要論 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月10日(金)22時35分3秒 返信・引用


kさんへ 「二の陰陽と五の五行(武術では行と記述されている)」以外は陰陽五行説とは関係     ない記述
 なるほどですね。気、陰陽、五行が陰陽五行説、三節、六合は武術用語と考えるとただの陰陽五行と武術つ用語をくっつけただけの文章に見えますし、なにのおもしろみもない文章になってしまいますね。
陰陽五行説では、一 気、二 陰陽、三 三才ですよね。三才は天地人のことです。人の中にも天地があります。眉間と顎は天地の関係であり、丹田中にも天地がある。天と地が、常に流転するように、束展時には、人体の中の天地もめぐる。それを「天地翻」という。三節は、人体の中にある天地人です。
 陰陽五行とは、自然や宇宙の法則を見つめた理論でしょうから、それを、武術に当てはめたと考えると三才や六合もさらに大きな枠組の中で見えてくると思うのですがどうでしょう。武術の身体も技術もまた壮大な自然法則の中にある拳譜とはそんな理論だと思うのです。





Re: 九要論 投稿者:k 投稿日:2013年 5月11日(土)09時39分12秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

詳しいご返事有り難うございました。
よく理解できない箇所もあるのですが、可能な範囲でコメントバックしてみたいと思います。

> 気、陰陽、五行が陰陽五行説、三節、六合は武術用語と考えるとただの陰陽五行と武術つ用語をくっつけただけの文章に見えます

「九要論の(「六合」等の用語も含む)一から九までの章(用語)は、道家の心法(精神の修養方法)に符合する(ぴったり一致している)」(岳先生の見解)ということではないでしょうか。つまり、これらの用語はこの文脈では道教の用語が流用されているというのが岳先生の見解だと思います。

「気血を活動させる(少林寺の素雲和尚 談)」動作で生まれる「丹田から出る力」に着目した姫龍峰が、この力を武術的に使えるように心意把(初期の心意六合拳)を創始した(黄新銘 説) のではないかと思います。

戴家の伝人はこの心意把を「戴家の道教」適用して理論的に解釈、理解、発展させようとしたのではないでしょうか。
別の言い方をすれば、道教の心法の記述を(章立ては同じですが心意把の動作に特化して)より具体的に記述したものが九要論ではないかと思うのです。

人間は具体的な現象を理解しようとする時、その前提として「何らかの知的枠組み(知的な土壌)」を必要とします。この知的枠組みは、陰陽五行説であったり、西洋医学であったりするわけですが、戴家の場合はこの「知的枠組み」が「道教」だったと思うのです。

ただ、「戴家の道教」については「判明していない(霍永利 説)」という立場もあるようです。

中国の三大宗教の一つである道教について「判っていない」ということの意味については、分けて投稿したいと思います。






道教概略 投稿者:k 投稿日:2013年 5月11日(土)10時15分27秒 返信・引用 編集済


道教は不老不死を目指す人間の性から生まれたと思います。

初期の道教は不老不死の為の具体的な方法として外丹を採用していたようです。

具体的には「丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。」ところが、「このようなものは実際のところ人体に有害であり、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落とした」ので、誰も服用しなくなったようです(^_^;)。

もうこうなると「ニンニクを入れたみそラーメンかラー油を入れたみそラーメンか」という「味覚の問題」ではなく、「生死問題」となるわけです。

ただ、道教の目的は「不老不死」て「外丹の服用」は手段ですから、別の手段が検討されることになります。次に検討された手段は内丹で、これは「不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹」で、要するに「一連の身体技法」なのですが「具体的な技法としては百花繚乱」といったことになってしまいます。内丹では(余程過激な行でなければ)死ぬ人が少なかったのでしょう。どんどん細分化が進み「色々な道教」が生まれていったようです。

「戴家の道教」は九がラッキーナンバーなのではないかと想像しますが、私か読んだ中には十二をラッキーナンバーにしたものもありました。当時の天文学である十二支を取り入れたのではないかと想像されますが、内容的には「星が出ている夜にUFOを呼んで宇宙人に不老不死にしてもらおう!」的なものだったと思います。

ただ「この道教」も「最先端科学である十二支理論に基づいている」という主張で権威づけするのではなく「古代から続く正当な道教」といった感じで権威づけをしていました。

九要論と章の名前が一致していると岳先生が主張される「戴家の道教」にも「陰陽や五行」という章があったのだと思います。
名前からして陰陽説や五行説を取り入れて成立したと想像されますが、「古代から続く道教独自の理論として記述されている筈だ」というのが、霍先生の見解のようです。





道教と戴氏心意拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月12日(日)08時20分7秒 返信・引用


 戴氏心意拳は、道教の影響も受けて成立してきたのは事実でしょう。道教の教典の記述と拳譜の内容がほとんど一致しているところもあるのです。そういうところは、私はあまり手を付けていないのですが、「戴氏心意拳の成立と道教の関係」を知る上で非常に重要な部分だと思います。
 一方、道教は宗教ですから、裾野が広い。宗教はやはり原理的な面と現象的な面があります。宗教は長い歴史の変遷を経て多くの現象が出てくる。そのすべての道教像を戴氏心意拳は受け入れたわけではないでしょう。むしろ戴氏心意拳には、道教や蟷螂拳の影響を受けながら、成立していったとまあ一般的な解釈でいいのではないかと思っています。
 道教の影響では、裾野の広い歴史的な変遷の中で現れてくる現象面を様々に取り上げていくとだんだんわからなくなってきますから、なるべく原理的なところの関係を探っていくと
見えてくるのだろうと思います。これからの研究に期待したいところです。





Re: 道教と戴氏心意拳 投稿者:k 投稿日:2013年 5月12日(日)11時18分48秒 返信・引用 編集済


> No.461[元記事へ]

うさぎさんへ

> すべての道教像を戴氏心意拳は受け入れたわけではないでしょう。むしろ戴氏心意拳には、道教や蟷螂拳の影響を受けながら、成立していったとまあ一般的な解釈でいいのではないかと思っています。

「心意六合拳の初期拳法を演ずることが出来る人間は今はもういない。我々はその原型を清時代に編集された「心意六合拳拳譜」第九章「六合十大要序」に拠りかろうじて想像できるにとどまる。」(黄新銘 談)なのですが、この「心意六合拳拳譜」と「戴家の道教教義」(もしあれば)によって「九要論」が編纂されたというのが常識的な解釈なのかも知れませんねぇ。

>  道教の影響では、(中略)なるべく原理的なところの関係を探っていくと見えてくる。

技撃精要では91ページから九要論が取り上げられていますよねぇ。うさぎさんくらいの下地があれば、もし複数の異なった「道教教義」を観ればどれが九要論の元になった内容かどうかも判断できるのではないでしょうか。
ご覧になったことがあるかどうかは知りませんが、もし「心意六合拳拳譜」を入手できる機会があれば、第九章「六合十大要序」については日本では余人には不可能な読解力を発揮されると思います。

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