祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

武術大会

2014-10-11 22:14:55 | インフォメーション
土佐も武術が盛り上がる 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月 9日(火)21時25分19秒 返信・引用


第3回・高知県東部硬式空手道選手権大会、第3回・沖縄又吉古武道高知県東部選手権大会の見学に行って来ました。分会の先生よりのお誘いです。
沖縄又吉古武道は古伝の空手の様です。私は詳しくないので、興味がある方はネットで調べてみて下さい。(間違った解説をして誤解をされたら、いけませんので)
硬式空手道選手権では、防具のスーパーセーフ(面)(Kプロテクター含)(胴)を使用、拳サポーターその他の着用があります。
幼児から社会人まで参加されていました。
心意拳にて出場するのは難しいなと感じました。相手に近づいた時、有効打を取られると思われるからです。参加しようと思う方はルールや雰囲気を研究する必要があります。例えば、防具を使用するため、防具のある所を打撃します。だから、ローキックは見られませんでした。
沖縄又吉古武道の型試合では、私の見た範囲ではほとんどの選手が兵器、武器術でした!すごい。ヌンチャク、三節棍、鎌、鉄甲、釵、棍です!すごい。兵器はきほん体育館や野外でしか練習できない訳で、演舞できるレベルにもっていくには相当の労力がいるハズ。当然、素手の型も練習されてる訳で。ヌンチャクなんかビュンビュンすごかったです。
興味深かったのが「又吉乃鎌」で、アクロバット的ではないのですが凄みというか、私のレベルでは表現出来ません。また、鉄甲術(メリケンサックの様に見えた)は結果的に震脚のようになってましたが、たぶん股(太極拳で使う?)を使っている様にみえました。
で、途中アトラクションとして「ベリーダンス」がありました。一緒に来た友人は「なんなんだ?違うやろ、コレ」と言ってましたが、私はオヤジ的にゼンゼンOK!でした。



的外れなコメント 投稿者:k 投稿日:2013年 4月10日(水)07時36分3秒 返信・引用 編集済


土佐の川えびさんへ

一番最初の訪中の時に霍先生から習ったことは「相手と離れていた時は金的を蹴れ!」ということでした。
少林寺拳法の場合は股間を足の甲で蹴り上げるのですが、霍先生によるとこの方法は「あまり良くない」そうです(^_^;)。

理由は「相手が反応して避けるので、あてるのが難しい」と言うことでした。

相手に当てる為には「相手が飛び込んでくる時、(キックボクシングの様に相手の腹を打って進入を止める蹴りで)相手の金的を蹴れ!」と言うことでした。ちなみに相手が飛び下がる時も「金的を蹴るチャンス」だそうです。

この考え方があるので霍先生のところの戴家拳では、飛び込んで顔を打つ場合の単式練習では、足を上げて金的をガードしながら進入することが基本です。
また、足を引いて後退するときも足を上げて金的をガードしながら後退することが基本となりますが、この辺は王先生の所でも同じなのではないでしょうか。





的外れなコメント(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 4月10日(水)18時24分55秒 返信・引用 編集済


土佐の光龍さんへ

中国思想は素人なのですが、五行説や陰陽論は認識論ではないかと思います。

つまり、男と女の本質を人間として認識し、人間と猿を霊長類として認識する と言う風にどんどんまとめていくと最終的には五つの要素にまとまる。同じ考え方は五大要素というギリシャの古典哲学にもあったと思います。

ここで問題となるのは男と女を人間として認識すると違いの部分が切り落とされてしまいます。「金的」があるかどうかは武術にとって大切なので、この部分を認識しようとする時は、男女一組の比較論として認識しよう というアプローチが陰陽論ではないかと思います。つまり、男を女の対比として認識し、女を男の対比として認識する と言った具合です。

この縦方向、つまり五行説の認識と、横方向、つまり陰陽論の認識は、戴氏心意拳の感覚や動作を言語として認識する時も有効なのでしょう。

「戴氏心意拳は道家にその源を持ち(中略)戴氏心意拳の拳理は道教の心法に符合する」(岳建祖)らしいのですが、不老不死を目指す道教はこの目的の為に陰陽論や五行説などの中国哲学も積極的に取り入れていた様なのです。「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)という考え方もあるのでしょうが、ここで「取り入れる」と言うことが「認識の考え方を取り入れる」と言うことであれば我々も知的ゲームとして大らかに議論しても良いのではないでしょうか。

ちなみに霍先生は「知り合いの道師は未来を予言することが出来る」と話しているくらいなので、道教事態は認めていると思います。また、「拳譜の内容を知っているかどうかは戴家拳を身につけるのには無関係だ」と言う立場らしいのですが、N先生によると「拳譜自体は色々集めていて良く研究している」そうですなので、このような発言は岳先生に対する対抗意識もあるのかもしれません(^_^;)。








的外れじゃないよ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月10日(水)20時10分13秒 返信・引用


> No.355[元記事へ]

kさんへのお返事です。

>浮気者の私は、かつて拳法を習ってました。金的蹴りで足首をしゃくり上げて、陰嚢をちぎりとる様な裏技も習った事でした。kさん的に、数多くの場面の中の1例として、こう言う事も想定されると技の優劣論ではないと受け止めてます。戴氏も突っ込み所はありますからね。
よく2チャンネルで「目打ち、金的なんか当たんねーよ」と言われますが「おっしゃるとーり」と言っておきましょう。
実は牽制。目に指を突っ込もうとしたら、誰でも避けますよね。そこを狙っている訳です。八卦掌でもよく使われるセオリーじゃないでしょうか?また、金的蹴りは、あるダメージを与えてから(打撃や閉め技)追加攻撃として使っていたと思います。単体でキめることはなかったかと。技術的疑問ではなく思う所があったので辞めました。で、私の武術浮気人生が始まった訳です。懺悔。
>
> この考え方があるので霍先生のところの戴家拳では、飛び込んで顔を打つ場合の単式練習では、足を上げて金的をガードしながら進入することが基本です。
> また、足を引いて後退するときも足を上げて金的をガードしながら後退することが基本となりますが、この辺は王先生の所でも同じなのではないでしょうか。
>そう、習ったハズ…。私は、技撃にもっとこだわらんといかんかな、と思ってます。小周天なんかに興味があって、気功やらヨーガの本を読んでます。最近、もう1つのブログに解説されてますのでコリャコリャと読んでます。
中国武術大全表紙での霍永利老師の写真を見て「引気法かな」と言う人は王喜成老師系では、まずいないと思います。(そもそも引気法かな?)前々回セミナーを受けた方以外は…。
私の理解した所では、引気法とは気を導く原理であって、全動作に含まれるかなと。無意識に練功している。その事に的をしぼる練功をしてないと思います。だから、初学者に「引気法」といっても、「???」となると思います。kさんがココで取り上げてくれたお陰で、セミナーで解説があったのかもしれません。

うさぎさんへ
光龍さんへの見解はどうでしょう?土佐っ子はせっかちなんで、よろしくお願いします。


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