祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

嬰児の戯れを悟る

2014-09-29 22:41:56 | 理論―陰陽五行、名言集

嬰児の戯れを悟る 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月26日(土)12時13分30秒 返信・引用


kさん、いつも知的で楽しい話題ありがとうございます。「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられるので「身体で哲学する」を標榜?し顕在化する戴氏心意拳が引用しないはずがないというか、同じ根っこの上にあるような気がします。嬰児に始まり嬰児に終わっていく思想は、伝統的な芸事の学び方である守、破、離にも通じるでしょうし、煩悩を捨てて行く仏教的な思想とも通じるでしょう。私たちは、丹田功とか、歩法とか厳格すぎるほどのフレームに自らの身体をはめ込んで行くわけですが、そのフレームにはめ込むためには、柔らかくしなやかにならなけばならない。金貨を作るようなもので、ドロドロに溶けるからフレームにはまり、精巧なる金貨ができあがる。
私たちは、この時はどう動くとか、肘はどうで、胸はどうと言ったことを理解し、考える。そういうとって上達する上で大事ですよね。だけどそれはあくまで段階であって、そういう思索は変化して行って五日は消えていくし捨てていく。嬰児の戯れとは、武術でいえば剛柔相斉だろし、六合でもあるのでしょう。思考を経過せず、感じたままに動ける姿そのようなものを求めて行きたいですね。






Re: 嬰児の戯れを悟る 投稿者:k 投稿日:2013年 1月26日(土)19時42分12秒 返信・引用


> No.271[元記事へ]

うさぎさんへ

> 「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられるので「身体で哲学する」を標榜?し顕在化する戴氏心意拳が引用しないはずがないというか、同じ根っこの上にあるような気がします。

実は私が知っている範囲では「一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされる。不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。」とか、「老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の専門家の従来の見解であった。」といった内容だったような記憶があります。
でも、最近の研究によると「一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされる。不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。しかし、道教の思想において両者は矛盾するものではないとされている。」とか、「老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の専門家の従来の見解であった。しかし、当時新興勢力であった仏教に対抗して道教が創唱宗教の形態を取る過程で、老子を教祖に祭り上げ、大蔵経に倣った道蔵を編んで道家の書物や思想を取り入れたことは事実」ということらしいですね。
勉強になりましたm(_ _)m。





Re: 嬰児の戯れを悟る 投稿者:k 投稿日:2013年 1月26日(土)20時38分41秒 返信・引用


> No.271[元記事へ]

うさぎさんへ

> 「嬰児の戯れを悟る」思想は老荘思想にもみられる

実は老荘思想は学生の時何かの本を一冊だけ読んだような記憶があるだけです。内容自体は全く覚えていないので、もしかしたら、読んだこと自体も記憶違いで、論語関係の本からの引用だったかもしれません(^_^;)。

インターネットで調べてみたのですが、老荘思想に関して赤子関係の記述では

   含徳之厚者、比于赤子
     含徳(がんとく)の厚きは、赤子(あかし)に比す
     深い徳を秘めた人物は、赤ん坊のようなものだ。
    (無心であり、柔軟であり、活力があり、調和がとれており、言葉を発しない。)

以外の内容を見つけることが出来ませんでした。

アマゾンで調べると老荘思想関連の本は何冊かヒットするのですが、この件に関してうさぎさんの推薦図書がありましたらご教授下さい。







偶像崇拝 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月26日(土)23時31分11秒 返信・引用


Kさん なるほどですね。道教も老子を求めていった。戴氏心意拳も岳飛が始祖だと伝えられた。元々のものは、偶像崇拝を禁じていたりするのに、学ぶ側実践する側が、偶像を作ってしまうんですよね。何か形や物、答えがあると安心する。偶像って一つであるほうがいいし、権威があるものがいいですよね。そういうものを人は求めるから、人気が出る。偶像崇拝って言うといけないものって感覚がありますけど、人は偶像を求めるものだと思うのです。偶像の中に真理はない。真理を求めていく過程の中に真理が見つかるのであって、その過程を道というのでしょう。
 「戴氏心意拳 重神不重形、重内不重外」(戴氏心意六合拳 技擊精要P42)などに代表されるように、外形ではなく、その本質を重んじる。形を学ぶことは、簡単だ。しかしその本質を形作っていくことは難しい。今日は久しぶりに練習にこられた人がいて、私たちの会で十数年練習している人で、他で指導もしている方なので、もう形は言うことないんですね。バッチリなんです。それからが行き詰まっているということで、何かヒントが見つからないかと練習にこられた。練習される様子を見ながら、重動の話、三節の話、勁の話などをしました。直すところはほとんどないのです。その少しの中から掴んでいくこと、真理は自分の内側の見えないところにあってそれを見つけていくこと、掘り起こしていくこと、そのことが武術を実践していき上達していくことなのだと、私自身の自戒も込めて思うことでした。
 私自身の内側も、まだまだ軟弱で強くせねばと思う今日このごろです。





武術の原風景 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 1月27日(日)01時06分38秒 返信・引用


武術流派の起源説に、「熊と鷹が戦う姿を見て○○拳ができた」「魚が泳ぐ姿を見て○○拳を編み出した」といった伝説があるけれども、そういうのに違和感を覚えるのは私だけでしょうか?練法と用法はどちらが先かというと、用法が先にあったはずです。
達人と流派は、達人が先にいた。流派や練法というのは、武術ができる人が、形作っていった。流派や練法というのは、教育システムです。武術ができる人が、できない人に教えるために、いかにうまく教えていくかということを考えたときに、流派や練法ができていったのであって、練法があって用法があるのではないですよね。教えるときには、練法を教えて用法をおしえますけど。
フィリップ・アリエスっていう歴史家が「子供の誕生」という本を書いていて、膨大な資料から子供は近代の産物だって言っているんですね。中世には子供はいなかった。いたのは、小さな大人だけだと。小さな大人は、大人と同じ言葉をしゃべり、同じ服装を着、同じ仕事をした。そこにあるのは、未熟か成熟かだけ。言葉の遊びのように感じられるかもしれませんが、そうじゃなくてここで大切なのは、子供時代という心性が近代の産業化によって生まれ、子供は教育される存在として子供時代が生まれてきたということだと思うのです。それは同時に教育の確立でもあるわけです。小さな大人である「子供」は、生活や働くための技術を学んでいくしかなかった。しかし近世になって子供は守られる存在、教育される存在という位置づけが、社会一般の当たり前の感覚ー心性になっていくに従って、教育システムも体系化されていくという社会史があります。勿論子供時代という心性は、豊かさや文化によっても違ってくる。しかし、アリエスが言った子供、教育の体系化という心性が生まれ一般化してくたのはそう大昔ではない。つい200年やそこらあたりの心性だということなんです。
武術の流派が出来上がっていったのも、やはり同じころです。伝説は大昔からあっても、それは、武術の伝達システムが出来上がって、流派ができていく中で、仮想されていったものだと考えられます。先ほどの偶像を作り上げていったわけです。
 大昔から、達人はいっぱいいただろうと思います。しかし、それを人に伝えようという気持ちがなければ、伝わらないし、伝えようとしても伝えるツールがなければ、伝わらない。
達人の技術といったものはそんなに簡単に伝わるものではないし、伝える技術や時間がなければ伝わらない。そう言う意味で達人が先で流派があと、使うことが先にあって、練法があとで作られていったと考えるわけです。
 そんな視点で武術の起源を考えていくと武術の歴史は変わってくるし、学び方も変わってくると思うのですが、どうでしょう?
 kさんの「荷車押し説」。とても面白いと思います。またそのことは稿をかえて、私なりの考えをお話できたらと思います。
 





Re: 偶像崇拝 投稿者:k 投稿日:2013年 1月27日(日)06時09分51秒 返信・引用


うさぎさんへ

> 道教も老子を求めていった。

実は私の「道教との出会い」は「秘伝! 少林寺拳法」でした。確か、少し離れたページに「中国秘伝 経絡秘孔」なる図も掲載されていました。オタクを意識したのか不気味な図でモデル絵の中国人も今の私ならば「董海川か!?」と叫びたくなるような容姿だったような気がします(^_^;)。

スタート時点がそんなだったので私の中で道教とは「不老不死を求める神仙思想(これは思想ではなく目的というか憧れと言った方が適切だと思いますが)を追求する行」と言ったイメージでした。ウィキペディアにも「修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。」と言った風に解説されています。

そうすると「戴家が「道教」と「拳法」を伝えた家柄」ということに対して違和感がありました。道教の中に戴氏心意拳も含まれるような気がしたのです。道教が積極的に色々な行法を取り入れていったことは知っていましたが、老荘思想等も取り入れたいたことはうさぎさんの投稿がきっかけとなって今回初めて知りました。

もしかすると「戴家の道教」は思想色が強い内容だったのかもしれませんね。




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