祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

陰陽五行説

2014-10-12 20:03:28 | 理論―陰陽五行、名言集

陰陽五行説について? 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月16日(火)19時56分43秒 返信・引用


kさんへ
ありがとうございます。楽しみにしています。


陰陽五行説って何でしょうね?私なりに、色々考えてみました。この世界は全て陰陽で成り立っている。マクロの宇宙からミクロの原子まで、そして五行とは自然界の仕組みでしょうか?成り立ちでしょうか?それなら、陰陽五行とは、宇宙自然界の法則かな?自分の中では、こんなに解読されています。 こんな理解の仕方で良いのでしょうか?その宇宙自然界の法則を武術と融合して出来たのが、戴氏心意拳なのかな?もしそうなら、あまりにも偉大で奥が深い武術ですね。また、とりとめが無い事を投稿してしまいました。





アプローチ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月16日(火)21時45分52秒 返信・引用


> No.379[元記事へ]

kさんへのお返事です。

アプローチの違いでしょう。
技撃精要では五行説を使い、拳意述真・孫禄堂老師著の末章は「中庸」「至誠」を使ってます。
まぁ、それぞれと言った所でしょう。
私もずいぶん霍永利老師の論文等を、ここで取り上げさせて頂きました。
変なタイミングの書き込み、ご容赦ください。





Re: 戴氏の歴史 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月16日(火)22時12分29秒 返信・引用


> No.378[元記事へ]

うさぎさんへのお返事です。

歴史的より技術的に研究されていると伺ってました。
先日の老能先生伝ですが、戴隆邦公は王映海老師がモデルになりました。決して直接教授が少ない訳ではありません。むしろ逆でしょう。映海老師の逸話ものせてません。ウサギさんの話しにより、そのお人その本質に感じるものがあったのです。





Re: 陰陽五行説について? 投稿者:k 投稿日:2013年 4月17日(水)17時39分37秒 返信・引用 編集済


土佐の光龍さんへ

> 陰陽五行説って何でしょうね?私なりに、色々考えてみました。この世界は全て陰陽で成り立っている。マクロの宇宙からミクロの原子まで、そして五行とは自然界の仕組みでしょうか?成り立ちでしょうか?それなら、陰陽五行とは、宇宙自然界の法則かな?自分の中では、こんなに解読されています。 こんな理解の仕方で良いのでしょうか?

おそらくは土佐の光龍さんは私と違って専門的な知識や体験があるのではないかと思います。

私の素人の考えですが、人間は自分を含む自然現象の本質を認識したいという本能があるのではないでしょうか。
「分類」という認識方法は自然科学でも用いられていると思いますが、「この世の全ての現象を五つの要素に分類する」という哲理と「分類された要素は相互に関係している」という哲理が五行説のユニークな部分だと思います。

哲理としては美しいのでしょうが、現実の現象を全て説明しようとすると矛盾が生じてしまう場合も多いのでないでしょうか。結果、曜日の単位は五つの要素ではなく、日と月を加えた日、月、火、水、木、金、土 の七つに分類した方が都合がいいのでしょう。

>その宇宙自然界の法則を武術と融合して出来たのが、戴氏心意拳なのかな?

戴氏心意拳に関していえば五行拳に五行説の理論が適用されていると思います。
より正確にいえば、五行説で説明される中国医学、つまり「人体の機能を五臓に分けて、各々の臓器の機能を司る経絡の流れを調整することで人体機能、つまり健康を維持する」の理論が適用されているのではないでしょうか。

この理論に基づく具体的な方法として鍼灸では「鍼を刺し体液の流れを調整する」わけですが、戴氏心意拳の場合は「五行拳で体液の流れを丹田に集めることでその流れを活性化させる」のではないかと思っています。

ただ、人体機能が筋肉組織のどの部分に対応しているかは諸説がある様なのでこの辺りが理論的に弱いような気がしています。

戴氏心意拳の健康観に関してはより深いものがあると思うのですが、またの機会に投稿したいと思います。






陰陽説と五行説 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月17日(水)21時49分40秒 返信・引用


kさんのおっしゃる通り人間は、自然の本質を理解したいと思っているのだと思います。
陰陽五行説は自然や宇宙、生命、生老病死の法則性を導き出した古代中国の知恵の結晶だと思います。
現代科学が分析的な考え方をすることによって行き着いた地平、2千数百年前の賢人たちがマクロにその法則を見据えた地平。現代の最先端の科学は、2千数百年前の陰陽五行説が唱えた宇宙の法則性を、別な専門用語や細分化された言葉によって検証しなおしているように思います。陰陽五行説が、現代科学よりも優れているということを言っているのではなく、陰陽五行説がもともと持っている、科学性をもっと見直してもいいと思っています。陰陽五行説というと、不老不死だとか、予言、占い、気学だとかといった胡散臭いものがついて回ります。しかし、それら非科学的なものは、やはり異端です。どんな素晴らしい宗教にも、その身をまとってカルト的な新興宗教が出てきたりします。やはりそれらは一緒にせず別々に考えるべきでしょう。同様に、陰陽五行説から派生した様々な胡散臭さと陰陽五行説とは区別して考えなければなりません。
日本各地に伝わる徐福伝説は始皇帝が、不老不死の薬を求めて、国内外に派遣した使者の一人と言われますが、ただやみくもに探し回ったのではなく、前漢の時代に制作されていく黄帝内経の成立を勘案すれば、徐福たちが、現代でいう、地質学、植物学、薬物学その他に精通した知識集団であったことは間違いないと思います。
話がそれましたね。






Re: 陰陽五行説について? 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月17日(水)23時53分47秒 返信・引用


kさんへのお返事です。

> おそらくは土佐の光龍さんは私と違って専門的な知識や体験があるのではないかと思います。

いえいえ、私は殆ど知識は有りません。20代の前半に、気功、仙道、ヨガ、ニューエイジ思想、精神世界、宗教、哲学を少々、等々の書籍を読みあさっていた時期が有りました。学は有りませんけど、無いなりに。体験は気功、仙道、ヨガ、精神世界、宗教を少々実践体験しました。私なんか、少しかじっただけですけどね。これが講じて、中国伝統武術に興味ができて、戴氏心意拳に行き着きました。やっと、自分のライフスタイルに組み込める絶対に必要な物を見付けました。
kさん、コメント有り難う御座います。大変参考になりました。

> 戴氏心意拳の健康観に関してはより深いものがあると思うのですが、またの機会に投稿したいと思います。

投稿、楽しみにしてます。



うさぎさんのコメントも、お伺いしたいのですが、どうでしょう?


練習

2014-10-12 19:59:48 | 練習日記


Re: 言葉 投稿者:k 投稿日:2013年 4月16日(火)07時05分37秒 返信・引用


うさぎさんへ

> kさんへ 私なりの信念を表現したかったために、きつい言葉になってしまいました。すみません。気にされないしょうにしてください。

了解致しました。
これからもよろしくお願い致します。

投稿からどのような反射(reflection)を感じるかは、私自身の内省(reflection)に依存しているところも大きいと思います。度量の小さい人間の邪推ですのでうさぎさんのほうもお気になさらないでください。

>この掲示板でもkさんの意見を楽しみにしている人が多いと思います。

もしそうならば有り難いことです。
練拳仲間に「読んでください」と言ったところ「そのうちね」(練拳仲間のMさん談)ということでした(^_^;)。





Re: 生活の一部 投稿者:k 投稿日:2013年 4月16日(火)19時00分47秒 返信・引用 編集済


土佐の光龍さんへ

> 私にとっては、生活の一部に成っているので、止めることは出来ません。逆に練功しなければ、気持ち悪い
> ので。有る意味、一種の中毒かもしれません。 頑張ってみます。

戴家拳の動作はある意味「非日常的な動作」だと思います。
その為アクセントをつけると言う意味でも、日常の一部として組み込みやすいのではないでしょうか。

私も戴家拳は 生活に馴染むと言うか、生活との親和性は高い と思っています。その反面、組織に馴染まないと言うか、組織との親和性は低い ような気がしています。(組織が不要だと言う意味ではありません)

戴家が存続していた時代も現代と同様、あるいはそれ以上に不安定な世の中だったのではないかと想像できます。(私が感覚的に理解しているとは思えませんが)

戴氏の道教は一族にその目的である不老不死をもたらすことが出来ませんでした。戴家の人々はある種の諦観と共にこの事実を受け入れていったのではないでしょうか。

その上で、実の息子に 生きている限りこの拳を練り続けていってもらいたい と言う親としての熱い想いを込めて拳を伝えようとしたのではないでしょうか。

自分の死後、おそらく命の保証もない過酷な世の中を生きていかなくてはならない実の息子に、戴家拳の練拳を通して親として伝えたかったことに関する私見ははいずれ投稿したいと思っていますが、その時土佐の光龍さんもご自身の練拳体験に照らして「そんなこともあるかもしれない」と感じていただけなら有り難いです。


陰陽五行説と戴氏心意拳

2014-10-12 05:49:41 | 理論―陰陽五行、名言集

陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)22時11分19秒 返信・引用


kさん
》この縦方向、つまり五行説の認識と、横方向、つまり陰陽論の認識は、戴氏心意拳の感覚や動作を言語として認識
する時も有効なのでしょう。
私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。
私が戴氏心意拳を学んだ時には、王映海師父は陰陽五行説や拳譜の内容について諳んじて、いつも語られました。それは練法の指導であっても、用法の指導であっても、それらの言語で持って説明をされたわけです。
私は、戴氏心意拳がどのようなところで、陰陽五行で説明されているのかということを研究していくべきで、陰陽五行説が科学的か非科学的かといったことに時間をかけるのは、練拳者には必要ないだろうと思っています。

》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。





人心見人心 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月15日(月)00時14分43秒 返信・引用


(これは、私の想像ですよー)

「戴家に拳があるとは知っているが、誰も戴氏が拳を練るのを見たことがない」
「戴氏は門の中で練り、門を出たら撃つ」
商いにて、山西省太谷県まで足を運んだか、ほかに目的はあった。
すでに37歳の壮年。姓は李、諱(本名)は飛羽、字(あざな)は能然、後に「神拳李能然公」と呼ばれる人である。
商用も済まし、さっそく戴龍邦公を訪ねることにした。会ってみると穏やかな話しぶりで覇気も見られず、動作もぎこちなかった。府に落ちず家路についたが、よく考えると立ち振舞いに優雅さがあった。後日、人を立て改めて入門したのである。
かねてより、清朝禁武令下「心意拳を外に伝えるべからず、只一族にのみに伝えよ」と口を酸っぱくいっていた。戴公はこの新しい異姓の者の入門を婉曲に断るつもりだった。
2年が経過した、教えたれたのは五行拳の1行、すなわち劈拳と連環拳の型半路だけだった。しかし、不満に思うことはなかった。
戴公は、考え込むことが多くなった。異姓の入門者に至誠を感じ、その非凡なる才能も既に見抜いていた。武術を伝授しようとは思うが、踏み切れずにいた。
戴公の母上が80歳の誕生日を迎えた。彼女は拳理に深く、祝いの席で一同は拳法を演ずるのが恒例であった。
李能然師はただ連環拳の型のを半路を演じたのみだった。
母上は尋ねた
「なぜ、半路しか練らない?」
「これだけしか学んでいません」
母上は戴公にさとした。
「此人学有2年久、所教者甚少、看来到是忠誠(?僕貫)、可以将此道理、用心教授之(拳意述真、台北・中華武術出版社1970年版引用)
この人はすでに2年も練習してるのに、これだけではあまりにも少ない。見れば誠実でぼくとつな人柄ではないか。もっと心をくだいて道理を教授するがよい」
自分の目に間違いがなかったことに確信し、抱拳にて膝まずいた。そして、立ち上がり伝授を宣言した。前代未聞の出来事に一同はどよめいた。
日を改めて、拝師式を行い戴公は郭維漢太師に李師を教授するよう命じた。また、戴公、戴文雄太師は郭維漢太師、戴文量太師以外の者がいる時は決して教授しなかった。それ以外は教授した。
苦労人の戴公は、李師が他人を凌駕してしまうのは分かっていた。異姓の者には風当たりが強いであろう。ただ、余計な苦労をさせたくない、それだけであった。
ある日、李師の練拳を眺めていると戴公はふと、師の曹継武公が頭に浮かんだ。そばには、同志馬学礼公もいた。師は腰掛け茶を喫し目を細めいった。
「伝人を選ぶとゆうのは、良師を探すのと同じくらい困難じゃ」
2人を見つめ満足そうだった。
「無不随心所欲、手到功成
(心の欲するままに動きつつ、手はおのずから到る。)李師よ、拳は大成した。後は自分で練るがよい」
李老師は47歳になっていた。異姓の者への教授に、師の風当たりの強いことは知っていた。
「本来、私が学べるものではないのに、どうお礼を申せばよいか」
「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労ある者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
と、戴公はにこやかに答えるのみだった。

李老師は戴家の武術を伝える気はなかった。戴家の武術が外に漏れなければ、師の顔は立つ。何より「義理」が大切だったのだ。
しかし、武林ではささやかれた。あの「拳があるとは聞くが誰も見たことがない」と言われる戴家から異姓の門人が出た。しかも神業の域に達しているとか?知らぬのは、本人だけ。
最近、しばしば李老師に教えをこう者がおり閉口していた。婉曲に断っているつもりであるが、人を立ててまで入門してくるのだ。そのうち飽きるであろうとも思うが、去る様子もない。
それなり見識のある者に見えるハズだか?
ある日、戴家の門を叩いた自分に重なることに気づいた。考えた末、「丹田功を伝えない」ことにした。世の中や後世の人が、李師は戴家武術を学べなかったのであろう、と言いうのは李師の本意とする所であった。ただ、「義理」を守りたかった。
丹田功を伝えない以外は、かつての師と同じく真心をもって臨んだ。また、師の気持ちを察し、弟子も「形意門」と表記するようになった。

参考文献、きみはもう「拳意述真」を読んだか、笠尾恭二著、BABジャパン
武術2002春号、戴氏祖傳六合心意拳の起源及び形成、霍永利老師著、福昌堂(一部参考)
エピローグ
甲氏はつねに李能然老師の腕を試そうとねらっていた。
先生が身を起こすと、甲氏はつと先生の背後にまわり、不意をついて、がっと抱きかかえ、力任せにもちあげようとした。
しかし、甲氏が両手を伸ばした瞬間、すでに甲氏の体は空中に浮き上がり、天井に頭がぶつかるほどだった。甲氏の体は再び落下し、両足が地上に着いてそのまま倒れることなく直立していた。
「まるで呪術にかかったかのようだ」
甲氏が不思議がると、李先生は言った。
「呪術ではない。これが拳術における上乗神化の功だ。その働きの神妙なること、見ようとしても見えず聞こうとしても聞こえない。とうてい貴方の知るところではないのだ」
当時の人々はついに「神拳李能然」とよんだ。年80余年で、椅子に端座したまま一笑して逝った。
(孫録堂師著・拳意述真)
エピローグ~君はもう拳意述真を読んだか、BABジャパン引用





Re: 陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:k 投稿日:2013年 4月15日(月)18時54分55秒 返信・引用


うさぎさんへ

> 私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。

まぁ、色々なアプローチがあると言うことで大らかに受け止めてもらえればと思います。

> 》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
> 確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。

霍先生とお話ししたのは大分前のことなのですが、「非科学的」と言う意味は、現代科学に比べて説得力に欠ける と言う様なニュアンスだったのではないかと思います。また、「いかがわしい」というのは「戴家の道教の一部として取り入得られたとき戴家の道教独自の理論だと言うことを強調する為に本来の五行説とは違った表現になった」と言った様な意味だったと思います。私が「戴家の道教版陰陽五行説とはどんな思想なのですか」とお聞きしたところ、「それは解らない」と言うことでした(^_^;)。ただ、当時の中国人の性格からして「他の思想の影響を受けている(取り入れている)ことを隠し(もし文献が残っているとすれば)あくまでも道教独自の思想として記述したはずた。」と言った様なことだったと思います。

この掲示板が王英海先生の流れを汲むものであることは承知しております。
「違う系統、違った解釈からの投稿も何か参考になることがあるかもしれない」と思っての投稿なのですが、「不要な混乱を招く」と言う考え方もあると思います。

個人的には私(と場合によっては霍先生)の意見も聞いて頂きたいのですが、管理人の方が「あらし」だと感じられるのでしたならば、その旨投稿して頂ければ、以後私の投稿は自重したいと思います。





言葉 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)20時52分19秒 返信・引用


kさんへ 私なりの信念を表現したかったために、きつい言葉になってしまいました。すみません。気にされないしょうにしてください。kさんは、同じ戴氏心意拳を学ぶ拳友(年上ですので失礼かもしれませんが)と思っておりますのでこれからもよろしくお願いします。この掲示板でもkさんの意見を楽しみにしている人が多いと思います。掲示板にもどしどしご投稿をお願いします。





戴氏の歴史 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)22時38分29秒 返信・引用


戴氏の歴史については、形意拳側からの歴史については以前からよく発表されていて、日本にも翻訳されています。
戴氏側からの歴史については、中国国内ではここ数年多くなってってきています。いろいろ論争が出てきたりもしています。私も興味がありますが、私の場合は、技術的なことに時間を費やして、歴史研究は薄いと感じていますし、私より有能な研究者はこれからいくらも出てきてくることと思います。