祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

鍛錬知・身体知

2013-03-16 05:46:07 | 理論―陰陽五行、名言集

鍛錬知・身体知

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年10月14日(日)00時04分2秒
 
 
 
 師につき、門人になり、学ぶということは、自らを家族の一員として、さらけ出し、練拳し、あるときは「好い」と言われ、ある時はダメだと修正され得ていく知識というのは、具体的で鍛え抜かれ、身につけられた知なのだろうと思います。それは頭で考えたり理解した知識とは、異なる知なのだと思います。
 私たちが、戴氏心意拳という武術に出会い、はじめは強くなりたいとか、健康になりたいとか趣味の一つになればいいなとか、何か自分にとってのプラスアルファの部分として、体験してみようかなとやってみたものだったものが、いつの間にか戴氏の道を歩いていく間に
人生を歩いていくこととシンクロしていく。それは、知識を得ようといった外から見ている自分でなく、自らを師にさらけ出し、自分ができないということが分かり「好」「不好」を常に突きつけながら謙虚に学び、身につけていくこと、それが本当の意味で後になっていくような気がするのです。
 私も、いろいろな武道武術を学び、戴氏心意拳の各流派の調査もしてきました。
面白いなと思いました。温曲の心意拳には、12形があって、戴氏に間違いはなくても形意拳と共通する動作がある。とかいろんなことを知るのは、興味深いことだたし、ロマンだなと思いました。だけど、私自身は、それって私ではないなと思ったんです。知識欲であったり、人と違うことしてるぞ、人が知らないこと知ってるぞっていう顕示欲であったり、人が持っていない拳譜を持っているぞという所有欲であったり。私の役割は、日本人に武術の内容を紹介することではないと思ったのです。
 はじめは、欲の塊でした。戴氏の資料を持って行って、「この技法はどうするんですか?」「これはどう?」と質問責めにしました。しっかりと学び始めた初回の時は、15日間
一日6、7時間つきっきりで師父に教えていただきました。その間、手法は、diu把だけをひたすら教わりました。その時は正直言って、なんで他の物を教えてくれないのだろう。保守的だと思いました。それまで受けた他派の中国武術の講習会では、一回の参加で套路をひとつ教えてくれることは珍しくもなかったし。そういうものが中国武術を習得することだと考えていたんです。「少而精」の意味がわかっていなかったんですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする