祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

薬膳

2013-03-17 09:12:45 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

薬膳

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 8月31日(金)23時38分12秒
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  先日、武術仲間と飲み会をしました。暑気払い!です。
我が家で楽しく武術談義しながら中国酒だとか、薬膳もいくつか味わってももらいました。飲み会ですから、健康食とか出ても、飲み過ぎ食べ過ぎしちゃうわけですから、あまり意味はないのですが、、、、
薬膳も本来は、その人の証にあってるから意味があるわけです。今日はちょっと寒気がするから、生姜やカボチャなど体を温めるものを食べるとか、はれものができたから、キュウリだとか果物だとかを多くするとか、あっているから効果もあるし、それを見たり思いやったりするから、愛情がある。
薬も化学物質としての無機質なものではなく、人に優しい薬ってあっていいし、食べ物も体と心を変えて行くものもあっていいような気がします。
 
 

心が進化する

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 8月31日(金)23時00分2秒
返信・引用
 
  kさん
戴氏心意は明らかに身体を変えるというのは自明の理だと思いますが、心も変えて行きますよね。「うつ」であったり「統合失調」であったり、といった精神的な病と言ったものにも戴氏心意には有効だと感じています。身体が変わり、心も変わる、そんな可能性を戴氏心意拳の実践の中にはあるし、実際によくなっている人がいるのは、戴氏の練功と内功の深さにあるのだと思います。
 
 

六合

2013-03-17 09:08:32 | 理論―陰陽五行、名言集

Re: 心が進化する

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月 1日(土)19時35分18秒
返信・引用 編集済
 
  うさぎさんへ

ご返事有り難うございます。

> 戴氏心意は明らかに身体を変えるというのは自明の理だと思いますが、心も変えて行きますよね。

最初戴氏心意拳を学び始めた時は「心意」の「意」は「意識」のことではないかと解釈しておりました。
まぁ、「顎を殴ってやろう」といった「意識」です(^_^;)。この解釈は今も変わっていませんが、現代医学風に言えば「顕在意識」と言うことになります。
それにたいして「心」は動作を繰り返して身体が無意識に動くことを意味しており、いわゆる「潜在意識」ではないかと考えておりました。
しかしながら私が調べた範囲では「潜在意識」にはそのような解釈はないようです。

大体全ての運動は意識すると同時に身体が無意識に動かないと話になりません(^_^;)。

そなんこともあり「心意」の「心」は何を意味しているかが気になっておりました。

私自身は練習がある程度進んだ時点で「気」について生理学的な気づきがありました。

勿論個人的な解釈なのですが、「人生で一番大切なものは根拠のない自信である」と豪語した有名な経営者の方を見習い、私も自分の解釈について「根拠のない自信」を持っております(^_^;)。

その解釈から発展して「心意」の「心」とはこんな内容なのではないかなぁ と漠然と考えております。実はこの概念は西洋医学には無いようなのですが、私自身もよく判っておらず、また、現時点では実体験にもとずく検証もできておらず、従って「根拠のない自身」もありません(^_^;)。

それでも、練習が進めばこの「心」についても「間違っていた」と感じられるか、「根拠のない自信」が感じられると思っています。そこまでいくには(到達できたとしても)まだ何年もかかると思いますが、そのようなことについてもお話しできるといいなぁ と思っております。

その境地を目指して「胸が少し大きくなった!!」等と女子大生のような喜び方をしないで精進していきたいと思っております(^_^;)。
 
 

六合

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 9月 2日(日)21時31分30秒
返信・引用
 
 

kさん
》最初戴氏心意拳を学び始めた時は「心意」の「意」は「意識」のことではないかと解釈しておりました。
       まぁ、「顎を殴ってやろう」といった「意識」です(^_^;)。この解釈は今も変わっていませんが、現代医学風に言え
       ば「顕在意識」と言うことになります。
          それにたいして「心」は動作を繰り返して身体が無意識に動くことを意味しており、いわゆる「潜在意識」ではな
      いかと考えておりました。
           しかしながら私が調べた範囲では「潜在意識」にはそのような解釈はないようです。
      大体全ての運動は意識すると同時に身体が無意識に動かないと話になりません(^_^;)。
           そなんこともあり「心意」の「心」は何を意味しているかが気になっておりました。
心意拳の「心意」は、主に伝統的には二つの意味があると思っています。
一つは、「戴氏心意六合拳 技撃精要」のP13~書いてある、「武芸の伝承」ー戴隆邦授拳規則に書かれている「心意拳という文字の意味するものは…」という下りの意味するものです。
人心が人心と交わることによって、初めて伝える拳、心意によって伝えられる拳だということ。
この意味では、日本人が心が大切と言ったりすることと同じ意味だと思います。
    もう一つは、六合理論で言われる「心と意が合い、意と気が合い、気と力が合う。」の心意です。
この場合は、内と外がどうつながりあっているか?内がどうつながりあっているか?という理論ですから、心と意のつながり、意と気のつながりを言っていますよね。この場合の心は心に写ったもの、イメージといったもの。意とは意識、意志といった方向性を持ったもの。と考えるのが妥当かと思います。どちらも脳の働きであるわけですけれど、それを、心と意とに分けて考えているところに、意義があると思います。



  その意味で、kさんの考えられた、顕在意識と潜在意識の考えは、なるほど、と思いました。

 

 

 

Re: 内三合

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月 8日(土)21時46分13秒
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  うさぎさんへ

書きなぐった投稿へのご返事ありがとうございますm(_ _)m。

>意と気が合う。
これは「身法六要」を意識して「気を丹田にあつめる。つまり、丹田を回転させる」ことではないかて解釈しています。
>気と力が合う
これは「丹田の回転と同調して身体の筋肉が収縮し力が出る」ことではないかと解釈いています。最後の
>心と意が合い
についてはよくわかっていません(^_^;)。
以下は想像です。妄想といった方が良いかもしれません。

「内省の武術」の続きになるのですが、ヨガの行者の中には心臓を意識的に止める人間がいるらしいのです。
もっとも完全に止めるわけではなく(電気ショックで蘇生できる可能性のある)微振動状態にしているのですが、現代科学ではこのような動きのコントロールは自律神経がおこなっており、意識的に心臓を止めたり、動かしたりすることは「現代科学への挑戦(科学者談)」だそうです。
どうやってこの状態にするかの医学的なメカニズムは不明なのですが、意識的に「ゆっくり呼吸して段々心拍数を少なくしていき最終的に心拍数を0にする(ヨガ行者談)」ということだそうです。
呼吸法自体は意識的に胸を動かす操作と言うことになると思いますが、このヨガ行者の胸の動きを第三者が正確に再現したとしても心電図を「たいら」にすることはできないのではないでしょうか。
実は私はこの時抜け落ちている要素が「心」ではないかと思っています。
「心と意が合って」初めて自律神経で動いている心臓の動きをコントロールできる のではないでしょうか。

「気とは生理的解釈するとこうゆうことではないか」と仮定して中国に行ったことがありました。ただ、この仮定ですと頸を発する時は毛穴が開かなくてはならないのです。

ところが霍先生のデモでは鳥肌が立ちます。

解釈が間違っていたのかなぁ と思っていたのですが、何かの機会に「頸を発すると毛穴は開き、その後その反動で毛穴が閉じ、鳥肌が立つ」と説明を受けてやはり自分の解釈が正しいのではないかと思い直したことがありました。

「戴氏心意六合拳」の中にも、上級者が頸を発すると鳥肌が立つ という記述がありますが、本来は自律神経に依存しており意識的にコントロールできない毛穴の開閉も、「心と意が合う」とコントロールできる と言うことなのではないでしょうか。

ただこの点については(前にも記述しましたが)私自身も未体験なのでよく判っていません。
その意味でもうぎさんと同様に続編の発刊を心待ちにしています。

故植芝盛平は自分の発言について「何を言っているかわしにも判らん!」と豪語したことがあるそうです(^_^;)。

書いた当人も意味不明の長文、大目にみてやってくださいm(_ _)m。


 
 

内三合

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 9月 8日(土)16時26分47秒
返信・引用
 
  kさん
内省の武術、そうだと思います。
六合理論はまさに、それですよね。
心と意が合い、意と気が合う。気と力が合う。の内三合というのは、
思い描いたもの通りに力を出し、外三合ともあっていく。ということですよね。
六合理論は、現代的な言い方をすれば、脳と身体の関係理論でしょう。
「戴氏心意六合拳 技撃精要」の中には、六合については、概論だけで、深く意味を掘り下げていませんから、
続編!に期待するところですが、普段の練習の中では、この六合については、細かく指導されるところです。
    どんなイメージをもち(心),どのような意識をし(意),エネルギー化(気)し、作用させていくか(力)というのは、具体的な練拳の中に常になければならないし、単練であっても、対人練習であっても同じですよね。六合が内面化して行く作業が武術の練拳には非常に重要でそれがなければ、戴氏心意拳ではなくなるし、ただの体操でしかなくなるとおもいます。六合の中には、必ず気、陰陽、三才、五行が存在していますし、それに裏打ちされた六合でなければ、意味はない。
  武術をしても効果がなかったとか、体を痛めてしまったという人がいますが、気、陰陽、三才、五行、六合を練拳の中で理解し、実践していかなければ、ただの体操にしかならず、無理な練習をしてしまう結果だったということも多いよに思えます。
   plan  do  refrectionという三つの作業は、doの中で常にplan,もrefrectionも行われるように練拳するということなのでしょう
 
 

内省の武術

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月 7日(金)15時16分34秒
返信・引用 編集済
 
  内省と言う言葉はあまり一般的ではないと思います。辞書では「反省とほぼ同じ」と言った風に解説されています。
内省は元々ドイツ哲学の概念らしいのですが、英語ではreflectionがこの意味を持っています。
reflectionの本来の意味は「反射」です。

自分が一番美しいと思っている魔女が魔法の鏡の反射に「あなたは二番目!」と言われて事実を知る、つまり反省すると言った感じでしょうか。

私は戴氏心意拳は内省の武術だと思っています。

これは自分が一番強いと思っている霍先生が魔法の鏡に「あなたは二番目!!」と言われて反省したと言うことではありません。

ヨガの瞑想では、自分の心臓の鼓動を聴く と言った行法があるらしいのですが、この場合は「心臓の鼓動」が「魔法の鏡の反射」に近いのではないでしょうか。
西洋医学を知らない古代インド人が自分を知る為に座禅を組んだ時、身体の中から聞こえてくる鼓動は正に自分自身の生命力の手がかりとしての「内側を省みる、つまり内省」だったと思うのです。

戴氏心意拳の場合は「丹田の動き」が「心臓の鼓動」にあたると思うのですが如何でしょうか。

 

心と意が合う。

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 9月20日(木)20時40分30秒
返信・引用
 
  心意拳、とか心意六合拳というぐらいですから六合って核心的な理論だと思います。
もちろん、それを体現して行くように練拳していくわけですがそれが難しい。
kさん、他の武術でも六合は同じかという疑問は「六合」理論がある武術は、中国武術であればだいたい同じだと思います。
違うとすれば、武術流派の違いというよりも、個人のとらえかたであったり、レベルであったりそういうものの違いによって違ってきているのかもしれません。
陳氏太極拳図説の中で、心は将軍とたとえられています。心は、全体の指揮をする役割を持つ。この場合は、日本語の「こころ」という言葉よりも脳の役割と考えれば良いでしょう。わかりやすいですよね。内五行でいう、心は今でいう、心臓の機能と脳の機能とを含む。六合でいう心というのは、現代的な表現に無理に分類すれば脳の機能と考えていいのだと思います。
 
 

Re: 六合について

  投稿者:  投稿日:2012年 9月18日(火)09時17分25秒
返信・引用
 
  No.116[元記事へ]

kさん、うさぎさん

おはようございます。

> 以前M先生から拳譜は心意と刑意では同じだと聴いたのですが、少し違っているのですね。

M先生のおっしゃるとおりです。
違いはありますが、ほぼ同じです。
例えば、戴氏の十六処練法は形意では十六処、
束展が舒展になっていたりします。
聞き間違い、口伝であるため、文字にするときに理解の違いからくる書き違いなどにより、
そうなったのかと思います。

> 六合の理論は同じなのでしょうか

私が習ったところは、大まかに同じです。
・宇宙(上、下、左、右、前、後)
・六陰六陽
・心、意、気、膝、くあ、足、形、肘、手
・神、意、気、膝、くあ、足、形、肘、手
・精、気、神、手、眼、身
・鶏腿、龍身、熊膀、鷹爪、虎抱、雷声
一般的にはこれらのどれかになります。
もちろん、伝承、理解そして業種の違いにより、異なるものもあると思います。
 
 

Re: 六合について

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月18日(火)05時45分14秒
返信・引用
 
  No.115[元記事へ]

濠さんへ

ご返事有り難うございます。

> 心意と形意、陳式の三三拳譜は似たような内容だそうです。
> (三三拳譜は実物を見たことがありませんので、あくまで聞き伝えです。)

以前M先生から拳譜は心意と刑意では同じだと聴いたのですが、少し違っているのですね。

> まったく同じ理論と練習方法であるかはわかりませんが、表に出ている用語はほぼ同じですよ。

六合の理論は同じなのでしょうか
 
 

六合について

  投稿者:  投稿日:2012年 9月17日(月)21時03分9秒
返信・引用
 
  >Kさん

ご無沙汰しております。

心意と形意、陳式の三三拳譜は似たような内容だそうです。
(三三拳譜は実物を見たことがありませんので、あくまで聞き伝えです。)
まったく同じ理論と練習方法であるかはわかりませんが、表に出ている用語はほぼ同じですよ。
 
 

健康オタク話

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月17日(月)14時41分8秒
返信・引用 編集済
 
  いつも質問ばかりでは申し訳ないので。

今朝の朝日新聞に次のような記事が掲載されていました。

「自律神経とはどういうものですか」と言う質問に対して「心臓を動かしたり発汗を促したりは自分ではコントロールできませんよね。この動きをつかさどっているのが自律神経です」

天下の順天堂大学教授の大朝日新聞での発言です。
「ヨガ行者は自分の意志で心臓を止めたり、戴氏心意拳家は発頸で毛穴をひらく」とむなしい反論をするための投稿ではありません。

「自律神経は交感神経と副交感神経があります(教授談)」なのですが、この程度のことは私でも知っています(^_^;)。
注目したいのは次の発言です。

「現代社会はストレスにされされていますので、多くの人は交感神経が高く、副交感神経が低い状態になっています。こうなると身体の調子も悪くなってきます。」

そこでどうするかと言うことなのですが「朝は交感神経が高まっていますので、副交感神経を高める工夫を。腸を動かすのが効果的ですので、水を飲み(丹田功を行なって)朝食を食べる習慣を勧めます。」(丹田功を行なって)の部分は教授の発言ではなく私の発言です(^_^;)。

さらに、「トップアスリートの中には、普通の人と逆に、(丹田功を行なって)副交感神経が優位の人がいます。彼らはプレッシャーがかかる場面の方が実力を発揮できるんです」と断言されています。(丹田功を行なって)の部分は教授の発言ではなく私の挿入です(^_^;)。

以前うさぎさんが戴氏は「うつ」にも効果があるのではないかと投稿されていたので、情報提供として投稿してみました。

丹田功については「物欲が増し、邪気を発するようになる!!」という否定的な考え方もあるようです。それなりの見識なのでしょうが多様性の観点から敢えて肯定的な考え方を紹介させてもらいました。

みなさん、丹田功で精神力を鍛えて吉田沙保里のようなトッフアスリートを目指しましょう!!(ルックスではなく精神力の方です)
 
 

ちょっと気になったので

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月17日(月)04時53分58秒
返信・引用
 
  下の投稿でうさぎさんが六合について発言されています。

わたしも六合は理論と認識していたのですが、他の拳種(例えば刑意拳や太極拳)でも同じ「六合」理論を採用しているのでしょうか。

本来ならば袁天輝さんに質問した方が良いのかもしれませんが、どなたか気が向いたらレスしてください。

 
 

四梢

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 9月15日(土)16時34分57秒
返信・引用
 
  六合と四梢については、「戴氏心意六合拳 技撃精要」に詳しく掲載すべきだったのですが、王映海師父の存命中に出版したい意向が先行し、詳しく書けないままだったとのことです。
それ程までに六合と四梢という理論が大事だということなのでしょう。書籍自体は、増補版という形になるか、続編となるかはまだ不明確な模様ですが、日々の練習会でも、「戴氏心意六合拳 技撃精要」にかけなかったことが、熟練者には、教授されていますし、書きたされることは、たくさんあるようです。
 
 

Re: 意至れば血至る

  投稿者:k  投稿日:2012年 9月14日(金)18時49分1秒
返信・引用 編集済
 
  うさぎさんへ

ご返事有り難うございます。

私自身は六合の理論についてもほとんど知識がありませんでした。

「心と意が合い、意と気が合う。気と力が合う。」以外の知識は「戴氏心意六合拳」で初めて目にしました(^_^;)。
うさぎさんの解説をもとに明日もう一度読み直してみようと思います。

私は諸事情で参加できないのですが、講習会頑張ってください。
参加された方のレベルアップという成功に裏付けられた講習会の成功をお祈りしております。

会を主催しているM先生が今日帰国されるので私の方は明日の練習会で頑張ろうと思っています。

新聞報道によると中国で日本人を襲った事件が四件程発生したとか。
戴氏心意拳を修めたM先生が無頼漢に遅れをとるとは思いませんが、講習会の成功と共に無傷の帰国をお祈りしております(^_^;)。


 
 

意至れば血至る

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年 9月13日(木)21時02分3秒
返信・引用
 
  kさんへ
書きなぐった投稿へのご返事ありがとうございますm(_ _)m。
文章は書きなぐりがいいですよね。あまり論文のようにまとめようとすると大変ですから。
とは言っても、kさんの文章はいつもすごくわかりやすいです。
>意と気が合う。これは「身法六要」を意識して「気を丹田にあつめる。つまり、丹田を回転させる」ことではないかて
    解釈しています。
気が集まるのは、丹田ですから大きなポイントですよね。滾丹田を行うことで気が集まるのも実際ですよね。
六合は理論ですから、部分的な要領というよりも、全体を表しているとも言えますね。
意至れば気が至り、気が至れば血至るともいい、丹田功の予備式として、、無極式、太極式を重視するわけですが
太極式に入っていくだけで、血流が多くなったり、身体が暖かくなってきたり、といった現象が起きてくる。それは、
静という意識を行うことで、気が生じ、血を働かせている一つ例だと言えます。
>気と力が合う
これは「丹田の回転と同調して身体の筋肉が収縮し力が出る」ことではないかと解釈いています。最後の
>心と意が合い
についてはよくわかっていません(^_^;)。
以下は想像です。妄想といった方が良いかもしれません。

「内省の武術」の続きになるのですが、ヨガの行者の中には心臓を意識的に止める人間がいるらしいのです。
もっとも完全に止めるわけではなく(電気ショックで蘇生できる可能性のある)微振動状態にしているのですが、現代科学ではこのような動きのコントロールは自律神経がおこなっており、意識的に心臓を止めたり、動かしたりすることは「現代科学への挑戦(科学者談)」だそうです。
どうやってこの状態にするかの医学的なメカニズムは不明なのですが、意識的に「ゆっくり呼吸して段々心拍数を少なくしていき最終的に心拍数を0にする(ヨガ行者談)」ということだそうです。
呼吸法自体は意識的に胸を動かす操作と言うことになると思いますが、このヨガ行者の胸の動きを第三者が正確に再現したとしても心電図を「たいら」にすることはできないのではないでしょうか。
実は私はこの時抜け落ちている要素が「心」ではないかと思っています。
「心と意が合って」初めて自律神経で動いている心臓の動きをコントロールできる のではないでしょうか。

「気とは生理的解釈するとこうゆうことではないか」と仮定して中国に行ったことがありました。ただ、この仮定ですと頸を発する時は毛穴が開かなくてはならないのです。

ところが霍先生のデモでは鳥肌が立ちます。

解釈が間違っていたのかなぁ と思っていたのですが、何かの機会に「頸を発すると毛穴は開き、その後その反動で毛穴が閉じ、鳥肌が立つ」と説明を受けてやはり自分の解釈が正しいのではないかと思い直したことがありました。

「戴氏心意六合拳」の中にも、上級者が頸を発すると鳥肌が立つ という記述がありますが、本来は自律神経に依存しており意識的にコントロールできない毛穴の開閉も、「心と意が合う」とコントロールできる と言うことなのではないでしょうか。

ただこの点については(前にも記述しましたが)私自身も未体験なのでよく判っていません。
その意味でもうぎさんと同様に続編の発刊を心待ちにしています。

故植芝盛平は自分の発言について「何を言っているかわしにも判らん!」と豪語したことがあるそうです(^_^;)。

書いた当人も意味不明の長文、大目にみてやってくださいm(_ _)m。

 
 

王喜成老師 

2013-03-17 09:00:52 | 歴史・文化・芸術・人物

前を見て歩く

  投稿者:うさぎ  投稿日:2012年10月 8日(月)22時51分40秒
返信・引用
 
   東京講習会に引き続き、本日、大阪講習会も終了いたしました。9月28日の来日から、明日9日の12日間、ほとんど息次ぐ暇もなく講習をしてくださいました王喜成老師には感謝に絶えません。本当にご苦労様でした。中国に帰られましたら、ゆっくりしていただくことを願います。
 私が言うのもおかしいが、喜成老師の発勁は、王映海師父と似てきた。仲廉老師は、早くから戴氏心意拳を大成され、その変化は尽きることがない人だった。まさに天才だったと思う。王映海師父からすべてを受け継ぎながらも、その類まれなる才能は、新しい何かを生み出していった。
 王映海師父は、我が攻めたかと思った瞬間、非常に柔らかい力ですっと、気づけば接吻をするほどの距離に入られ我が身は浮き、大きく弾き飛ばされた。王喜成老師はいつの間にか映海師父の発勁を感じさせるようになった。数年前の激しい発勁だけでない何かを身につけていらっしゃることに今回の講習では何度も何度も映海師父の影を感じさせた。
彼は、映海師父の指導に就き過ごした若い日々の環境の良さがあったのは、彼の現在を作ってきている大きな環境だったのだろうと思う。しかしそれだけでない。日々の練拳の努力が
彼を成長させているのは確かなことだろう。
 私たちは、彼がいつも私たちに言う「慢心してはいけない。できていると思ってはいけない。留まっていてはいけない。いつもうつむくのではなく、前を向いて歩く気持ちが大切だ」という言葉を胸に刻みながら、私たちもまた歩いていかなければならない。
 21日には関西支部の定例練習会も早速行われるようですね。http://8241.teacup.com/kansai/bbs
 「農家さん」ひと月前よりも上達されていることにびっくりしました。正しい方法をよく記憶され練習されていることがよくわかりました。