最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

西方極楽 世界 遊記  1

2011-12-24 09:12:35 |  過去執筆物・翻訳物  








釈寛浄法師口述 劉世華居士整理

前人の未だに発見していない世界を発見。 古を震撼させ、現代を輝かせる自ら西方浄土を訪れた高僧の口述。


佛経を印刷し、佛像を造る事の十大利益

1、 かつて作った種種の罪過も、軽いものはたちまちにして消滅し、重いものは軽くなります。

2、 常に吉神の御加護を受け、一切の疫病、水火、盗賊、兵隊、牢獄などの災いを全て受けなくなります。

3、 過去に他人に与えた怨みを消し、佛法の益を全て受け、解脱が得られ、報復を受ける苦しみから逃れられます。

4、 夜叉悪鬼もあなたを侵す事ができず、毒蛇や飢えた虎も害する事ができません。

5、 心は慰安を得、危険な事も起こらず、夜には悪夢も見ません、顔の色は光沢を発し、気力は充実し旺盛となり、為す事は全て吉となり利益となります。

6、 真心を以って佛法を守るようになり、求めずとも自然に衣食は満ち足りる様になります。家庭は和睦し、福禄はいつまでも続きます。

7、 言う事、為す事、人も天も喜ばせるようになるでしょう。 どこへ行っても、人々は街をあげて歓迎し、恭しく敬い、礼拝してくれるようになるでしょう。

8、 愚かな者は知恵を持つようになり、病弱なものは健康になり、困ったものは順調になり、婦女は報謝の日にはすばやく男の身に変わります。

9、 悪道から永遠に離れ、善道に生を受けられる様になります。 容貌は端正になり、資質は人々を超越し、福禄は際立って勝る様になります。

10、 一切の人々の為に善業の種を植え付ける事ができます。人々の心を大きな福の田となし、無量の収穫を得る事ができるようになります。
生活する所は常に佛を見、佛法を聞く事ができるようになるでしょう。

ただちに三慧がひろく開き、六つの神通力を自分で実証できるようになり、速やかに佛になる事ができるでしょう。



寛浄大法師 略歴

1924年甲子7月7日10時 寛浄大法師は福建省蒲田県城関鎮東大道140号、佛教を信仰する在家信者であった、藩氏という名の家のもとに生まれました。
生まれたその晩は、西方の天空は金色に光り輝き、大地も黄金の様に輝いていました。

そこで、名前は藩金榮と名づけられました。 彼は小さい頃から学校には行っていませんでしたが、資質は聡明が抜きん出ており、7歳で福建省教忠寺に出家し15歳で広東省南華寺において具足戒を受け、又、江西省雲居山において虚雲老和尚の正眼法蔵にまみえ、洞雲宗48代伝燈の継承者を引き継ぐ事となりました。

福建省の坑底坪寺、水聯寺、仙佛寺、能仁寺、当家、開平寺、夢斜寺、三会寺の住職を歴任されました。

1980年、福建省仙遊県三会寺で住職をなされていた頃、12月23日から座禅を開始し、29日まで6日半もの間、禅定に浸られ、仙遊県全体に衝撃を与えました。

当時大法師に師事していた弟子達は三千人あまりでした。かつて1982年アメリカのニューヨークにおいて、行脚僧の為に佛法を宣教する為に北米教会に投宿し、名誉理事長に任命され、三藩(サンフランシスコか?)市アメリカ州佛教会NUONA寺、ロサンゼルス観音菩薩寺などで(得道なさった高僧)でした。


前書き

本書の主要な内容は中国の活佛であられる寛浄大法師の体験談です。寛浄大法師は1967年農歴10月25日、福建省徳化県上湧公社桂格大隊九仙山弥勒洞の中で座禅をしている時、突然、観音菩薩のお導きで「消息不明」になりました。

実際には(その時)法師は西方極楽世界へと導かれ、九品蓮花の各境界を参観し、時間的には一昼一夜程度にしか感じませんでしたが、人間界に戻って来た時には、1973年農歴4月8日でした。つまり6年5ヶ月あまりもの時間が経過していたのです。

この様な現象は、聞いて見たところでは常識の理解できる範囲を超えている様な気がします。
しかしいわゆる「 天上界の一日は、人間界の数年に相当する。」という説がある通り、宇宙空間の違いにより、時間概念も又異なるのです。
この事は佛学の知識が少しでもある人なら理解出来る事です。
その当時、人間界では法師は「消息不明」で、寺挙げて全山(雲居山)の大なり小なりの百いくつの洞穴を全て探し尽くしましたが、いずれも法師の消息は見当たりませんでした。 更には捜索隊まで出動させて、付近の各所にある水庫や、池に落ちたのではないかと捜索させ、熱心な信徒は県城に帰って、泉州市、XIAMEN市、福州市、南平市各地を探しました。

更には永泰、永春、徳化、福清等の隣町に人を送り、調査をさせましたが、数年に亘って音沙汰が全くなく、多くの人々は法師はこの世を去ったのだと思い、悲しみました。

実際には、法師は最初から最後まで、弥勒洞を一歩も外に出ていなかったのです。


佛様の御加護によって身体は洞の中にあるまま、6_7年もの間見つからなかったのか、それともどこか他の場所( 異次元空間 )に隠れてしまっていたのか、この点については、その地の鄭秀堅居士等が証拠を提出する事ができます。

法師が自ら西方極楽世界を歴訪した過程はただの夢とは違います。彼は得道なされた高僧であり、絶対に妄言などする必要などありません。
又、法師が垣間見た世界は、禅定において見られる光景でもありません。
もし、禅定の最中において見られる光景ならば、描写できないはずであります。
でなければ天龍八部と天魔がやって来て、やっかいになる事になりましょう。
法師は阿弥陀佛と観世音菩薩の旨を奉じ、あえて極楽世界の各境界で見聞きされた事を公開したのです。
佛を学んだ人なら誰でもご存知だと思われますが、妄言をした者は無間地獄に落ち、半永久的に出る事ができなくなります。
ですから、法師の口述した西方極楽世界の自らの体験談は「 全くの真実 」であり、三界の神祇と天龍八部をもって証拠とする事ができます。

我々の住む人間界の他に極楽世界と佛説阿弥陀経は実在するのです。
寛浄大法師が証人であります。筆者は法師の口述をもとに編集整理し、世に出します。
一つには佛法を広める為、もう一つには読者の皆様が篤く仏法を信ずる様に、一心に佛を念じ、一心に善を行い、共に極楽世界へと登る為であります。


1987年4月 シンガポール南海普陀山 講演

法師の皆様、大徳の皆様、居士の皆様! こんにちは!
今日は、佛縁あって皆様と共に集まる事ができました。 前世かあるいは過去生の因縁の結実した結果、今日この会に於いて皆様にお会いする事ができました。
私がこれから皆様にお話するのは私が自ら西方極楽世界を訪問した経験についてです。
極楽世界に於いて見た情景、聞いた事を皆様に報告するつもりです。
私がお伝えする点は次の5点についてです。

1、私がどのようにして極楽世界へと行ったかについて。どの様な因縁に基づいてそこに行ったのか?

実際の状況については私が西方極楽世界を歴訪したのは、自分の感じでは大体20時間程度でしたが、人間界に返って来た時は6年5ヶ月余り経っていました。

2、私が西方極楽世界を訪問する途中に訪れた所は、羅漢洞、(リッシン辺に刀)利天、兜率天、そして極楽世界に着いてからは、下品蓮花、中品蓮花、上品蓮花(各蓮花には、上中下の三つの級があるので、全部で九品の蓮花)を訪れました。

私は皆様にこの3つの地点の情景はどのようなものか?をお話します。

3、九品の人々は人間界では実際はどの様に暮らしていたのか?
簡単に言えば、九品の人々が娑婆の世界でどの様な修行をした功徳で九品蓮花のある蓮花に行ける事ができたのか?


4、極楽世界における人々の修行方法
簡単に言えば、そこに生活している人々はどの様な方法で修行をしているのか?
一つ一つ下から上へ、佛道を成就するまで。

5、人間界で知っていた人が、私が娑婆世界に戻った時、親しかった人々に挨拶をしてくれる様にとの頼み。

以下、法師が西方極楽世界へ行く途中の経過を話していきます。「 私 」とは法師自身の事を指します。


1、路上で奇縁に出くわす。( 観音様が聖境へと導いて下さる。 )
それは1967年10月5日の事でした。
その日、私は夢斜岩寺( 法師はこの寺の住職 )の中で座禅を組んでいました。
その時突然、私の事を呼ぶ人の声が聞こえてきました。 更には、前に歩くように私の事を押すのです。
その時、私は半ば恍惚状態にあり、誰が私の事を押しているのかも確認もせず、寺院を出て行きました。
私は内心自分が行く所は福建省の徳化県であるとわかっていました。( 夢斜岩寺から九仙山徳化までは、約200華里余りの距離 )
私は歩いていても、辛さを感じず、飢えも感じませんでした。 のどが渇いた時は、泉の水を何杯か手で掬ってのどを潤しました。

幾日歩いたかはわかりませんでしたが、休息も睡眠もとりませんでした。
唯、当時は全て晴天だった事を覚えています。


その頃はまさに文化大革命の時期でした。我が徳化県と上湧九仙山からそれ程遠くない所に、来た時突然気分が清明になってきました。
その時、道行く人が「今日は10月25日です。 文革の時期で地方で動乱があったので、人々は夜歩く様にしているのですよ。」と話していました。
私とて例外ではありませんでした。

その時は、早朝3時で道の上で老法師(後に観音菩薩の化身であられる事が判明)と出くわしました。
彼の身なりは私と同じ僧衣でした。私達はもともとは何の面識もありませんでしたが、道の上で同じ道を修行する者同士として自然にお互い合掌して礼を交しました。
我々は名前を告げ合い、その老法師は自己紹介を始めました。「私は、法号は円観と申す者です。本日、我々は縁あって知り合う事ができました。なんなら九仙山まで御一緒しましょうか。」
行く先が同じなので私は同意しました。 そして我々は歩きながらしゃべりました。道の上で彼は、私の過去について非常に細かい所まで沢山の事を透視しているかの様でした。
沢山の因果関係についての話をまるで神話のように、私の過去生について、或る時はどこで生まれ、どの地点、いつの時間などを話して下さいました。
奇妙な事に彼が話した事はしっかり憶えています。

( 7年後、法師のお言葉にしたがって各地を調査した結果、各世共に確かに実在した人々で、時間も地点も皆あっていました。全て和尚をしていた人です。

一世代の前、在家の居士でした。その人物は清朝康煕年間の人で地点は上湧方桂格村でした。名前は鄭遠思、6人の男の子と、二人の女の子を生み育てたそうです。
その中の一人は科挙の進士に合格しました。住所も時間も墓地も全て実在しました。
現在は子孫121家、450人余り。
道の上での会話をしていると、いつの間に九仙山(福建省で最も高い山)に着いていました。


その山の上に、大きな洞窟があり、名前は弥勒洞といいました。こここそ、我々が元々行こうとしていた目的地でした。

その洞窟の中には、一部屋程度の大きさしかなく、弥勒佛像が供養されていたので名を「 弥勒洞 」と呼ばれていました。
しかし、九仙山に到達して山の半分位に登った頃、突然目の前に奇妙な光景が現れてきました。

目の前の道路が突然変わりました。九仙山の本来の道ではなく、石を切って積み重ねた道で、ほのかに輝いています。本当に奇妙です。
尾根に着いて一目見てみると、もとの弥勒洞ではなく、別の天地がみえてきたのです!

目の前に現れてきたのは、かつて見た事の無い程の大寺院で、とても豪勢でした。

北京の故宮と比べてみても、更に雄大で壮観な眺めでした。大寺院の両脇には2台の宝塔も建っていました。
しばらく、歩くと、我々は山門にたどりつきました。
白い石を積み重ねて、築かれた山門は雄大で壮麗な威容でした。
大門の上には金で彫られた大きな額があり、金色に光り輝いていました。
表面にはいくつかの文字が金色で彫られていましたが、私には全く分かりません。
山門の前には4人の和尚が居て、赤い長衣を着ていました。


金色の帯を締めて、法相は荘厳な表情をしていました。
我々2人の到来した事に気付くと我々を出迎えて下さいました。我々もまた慌ただしく応じました。

この時、私の心中に「 ここの和尚達の服装は今まで見た事がない。だが、ラマ僧に少し似ているな・・・」という思いが起こって来ました。
彼らは皆、微笑みを含んだ表情で「 ようこそおいで下さいました。歓迎します。」と言い、我々は招かれました。

山門を入ると、いくつかの殿堂を通り抜けました。奇妙な事に、ここの建築は皆光を放っているのです。
各殿は壮麗な眺めです。我々が中に入ると、とても長い廊下が見えるだけで、廊下の両側には、各種の名前も分からない違った色の珍しい花や木が植えられていました。


窓から外を眺めてみると、宝塔や殿堂などの建築物を見る事ができます。しばらくすると我々一行は第一大殿に行き着きました。
大殿の上には四つの大きな金文字が輝いていました。 漢字でも英語でもなく私には読めませんでした。
円観老和尚に尋ねてみると「 中天羅漢 と書いてあります。 」とお答えになられました。
羅漢と名づけられているからには、きっと羅漢修行によって到達された世界なのだろうと考えていました。

そこに着くと、私は薄々とこの地はもはや私の住んでいた人間界ではないなと気付き始めました。
今私はその四つの文字の一つは「 十 の文字の上下左右に「 や 」がそれぞれ付けられた文字 」という形だった事だけ憶えています。
他の三つは思い出せません。

私と円観老法師が出会ったのは、早朝3時で朝焼けに近づく頃でした。
殿の内外で沢山の人々が出入りしているのが見えるだけでした。
黄・白・茶・黒など色々な人種が居りましたが、最も多かったのは黄色人種でした。


老若男女全て居りました。彼らの衣装は奇妙で、皆光を発していました。
三人五人と群れをなし、武術を練習している者や楽しそうに踊っている者や、一生懸命に将棋を指している者や瞑想をしている人などが居りました。
彼らは皆、とても楽しそうな雰囲気を発していました。
我々の到来に気付くと、皆、親切な雰囲気で頭を振り、微笑んで歓迎の意を表していましたが、我々に話し掛けてはきませんでした。

大殿の中に入ると、四つの大きな字が見えました。円観老法師は私に「 あれは大雄宝殿と書かれているのですよ。」と教えて下さいました。
二名の老和尚が、我々を出迎えて下さいました。
彼らの一人はひげが白くとても長い人で、もう一人の方はひげがありませんでした。
彼らは円観老和尚の到来に気付くとすぐさま、五体投地の大礼を行いました。

中天羅漢が円観老和尚をこれほど礼拝するという事は、円観老和尚はただの人ではないな・・・ と私は思いました。


彼らが我々を客亭に連れて行く間に、私は大殿の中の四方を見渡しました。お香の煙が漂い、鼻をつきました。
地面の上は淡く光る白い石が敷き詰められていますが、奇妙な事に殿内には仏像が一つもありませんが、供え物は沢山あります。
鮮やかな花がバスケットボール位の大きさで皆丸く出っ張っています。
あらゆる光る飾り物があり、色の種類は沢山でとりどりです。

客亭に入ると、老和尚は子供がくんで持ってきた二杯の水を持ちました。
その子供は頭に二つの結いを束ねていました。 体は緑の衣裳を着、金色の帯を腰に結び、道教の子供の服装はとても美しいものでした。


杯の中の水は白く、清涼で甘美でした。私は半分一寸飲みました。円観老法師も又飲まれました。
飲んだ後は精神は以前の倍も爽快になり、全身がゆったりし、少しも疲労を覚えませんでした。

円観老法師と老和尚はひそひそ話をすると、老和尚は子供に私を体を洗いに行かせるように命令されました。
白い銅盆が一つ見え、清らかな水が満杯に盛られていました。
私はその中に入り、顔を洗い、体をこすり、その後私の為にわざわざ準備された清浄な灰色の和尚服を着ました。
体を洗い終えると心身ともに以前の倍も心地よくなりました。

この時に私は、今日はきっと聖区に入れるんだと思いました。
心の中は喜悦にあふれ、言葉にも言い表わせない程でした。
客室に戻る時、私はすぐにその老和尚の前でひざまずき、三度礼拝しました。
そして教えを乞いました。 佛教の将来はどのようなものでしょうかと。
老和尚は一言も答えずに筆を持ち紙の上に八つの文字を書かれました。

佛自心作
教由魔主


老和尚はその紙を私に手渡しました。私は両手でありがたく受け取りました。
私がその八つの文字の意味を考えあぐねていると、もう一人の老和尚がこの様に解説して下さいました。
「 この八つの文字は横から縦、縦から横、左から右、右から左、上から下、下から上などに分割すると、36句に分割できます。
これで佛教の今後100年の状況を知る事ができます。

もし、この36句を演繹して840句にすれば、全世界の佛教の将来における発展の状況を佛教が滅ぶ時まで知る事ができます。 」
法師が明らかにした所によると、この840句は将来時が熟した頃に、公布されるそうです。
その内の18句は以下の様に公布されました。

佛自心作 教由魔作 教自由心 心魔作主 作主佛教 作自由魔
魔作佛教 佛由魔作 佛由魔教 心自作魔 教自由作 教作自主
主作佛教 作佛自主 作主佛教 主作佛心 教自由佛 心自由教



一しきり話しこんだ後、老和尚は私を部屋で休ませ、子供が私を部屋の中に連れていった時、ベッドはなく、いくつかの洒落た腰掛け椅子があるだけでした。
上面はとても柔らかいシルクで覆われていて、その中の大きな腰掛け椅子に静坐してみました。
座ってみると、体がとてつもなく心地よくなり、とても軽くなり、自分のお尻をどこに置いたかも分からない位でした。
しばらくして、円観老和尚が私を呼ぶ声を聞きました。私はすぐに地面に降りて、部屋を出ました。
円観老和尚は私に言いました。

「 今、私はあなたを兜率天に連れていって、弥勒菩薩とあなたの師父である虚雲老和尚を拝見させます。」
私は「 それは光栄です。 御面倒をおかけ致します。 どうもありがとうございます。」と答えました。
大殿を離れる時、私はその2人の老和尚に別れのあいさつをしました。
円観老法師はそれでもきっぱりと「 その必要はありません。時間は多くはありませんから。」とおっしゃいました。
その時、我々の行く目的地は「 兜率天 」でした。


二、 兜率天で虚雲老和尚と出会う

路上では、私は沢山の雄大で壮観な金殿や宝塔などが皆光を発して人の目を奪って目を放さないのを見かけました。
しかし、円観老法師は私に「 時間は多くありません。」と言って、急ぐ様に促しました。( 後に分かった事ですが、上界の時間は人間界と違って長く留まりすぎてはならないのです。さもないと人間界に戻って来た時には、数百年あるいは数千年建っている事もありえます。)

我々が歩いた道は全て白い石を切断して造られたもので淡く光を発しています。
山の上の奇妙な草花が清らかな香りを風に乗せて送ってきて鼻をつき、人の心を和ませ楽しくさせます。
いくつかのカーブを曲がると約一里程度の道があり、大きな橋が出現しました。
ですが、この橋は奇妙な事に、中間の部分のみが宙に浮いたままで、橋の先の部分と後の部分が無く、渡る事ができません。
下を覗いてみると底無しの深淵です!

「 この橋はどの様にしたら渡る事ができるのだろう?」私はブツブツ独り言をつぶやいていました。
私がまさに躊躇しているその時に円観老法師はこの様に尋ねてきました。

「 あなたが普段唱えているお経は何ですか? 」

私は「普段は妙法蓮華経、 ろ厳呪です。」 と答えると
老法師は「 そうですか。 それならそのお経を唱えてみて下さい。」
そこで私は口の中でブツブツとろ厳呪を唱えました。

ろ厳呪は全部で三千字余りもありますが、私が20_30字を読むと、目の前の景色が突然変化しました。



その大橋の先と後の部分が陸地に向って伸び連結し、黄金色を放ち、七宝構成となり、あたかも七色の鮮やかな虹の様になりました。
空中にかかっている様になり、比べるものが無い程壮麗になりました。
両辺の橋の欄干には明るいぼんぼりが様々な色を発していました。

橋の頭部には5つの大きな文字が書いてありました。大殿の上の字形と同じもので、私はあの文字の意味はきっと「 中天羅漢橋 」であろうと推測しました。
橋を渡ると、我々は橋の中程にある休憩亭で一休みしました。その時になって私は円観老法師に尋ねました。

「 何故、最初は見えなかった橋の先と後の部分が、呪文を唱えると見えるようになったのですか ? 」
老はお答えになられました。「 呪文を唱える前は、あなたの本性( 本来の自分の姿)は自分自身の業に周囲を固く囲まれていて視界が遮られていたので、聖境が見えなかったのです。呪文を唱えた後は、呪力による促しで、業の障害が消散し、あなたの本性は清浄となったので、本来あった全ての境界は迷いから醒め、全て見えるようになったのです。いわゆる、万里にわたって雲がなければ、万里に亘って天が見えるとはこの事なのですよ。」

休憩が済むと、我々は再び出発し、呪文を唱えながら歩きました。
すると突然、足の下から蓮の花が出てきました。一つの弁ごとが水晶の様に青い光を発していました。
葉も又各種の光を発していました。

蓮の花を踏むと、空へと舞い上がり、ひょうひょうと空を飛びました。
前に向ってまっすぐに飛んでいきました。耳の際では、風の音がヒューヒュー鳴っているのが、聞こえるだけでした。

が、体は大きな風が吹いているとは感じませんでした。速度は飛行機よりも速かったです。
周囲の様々な事物がどんどん前から後に通り過ぎて行き、我々の身辺をかすって通りすぎていくのみでした。


しばらくすると、私の体はだんだん熱くなってきました。その時目の前に現れてきたのは、北京の天安門に少し似ていました。
しかし、天安門より更に広く雄大壮麗でした。石柱の上の龍鳳は皆光を放っていました。
屋根は胡宮の様式でとても雄大でした。

我々はこの白銀城に着くと、城門の上に五種類の文字で書かれた看板がありました。
一種類目は漢字で「 南天門 」と書かれていました。 ( 南天門 は四大天王の居場所です。 )
「 南天門 」 の中は沢山の天界の人々が立っていました。 文官の様な人の服装は清朝時代の官服に少し似ていました。
服飾はとても華麗で、衣服は皆光を放っていました。武官の様な服装をした人は、舞台で演ぜられている古劇の武将の様で、鎧の装飾は光を放っていて、とても威光を放っていました。

彼らは全員隊列を組み、整列し城門口の両側に立って合掌し、我々に目礼をし、我々の入城を歓迎していました。
だすが、誰も我々と会話をしようとはしませんでした。
城門を十歩入ると大きな鏡が有りました。この鏡は自分の元神を照らし出し、正邪を見分ける事ができます。
城門を入ると、道の上では無数の珍妙な景色や事物を見かけました。


たとえば、虹、球、花、電光の様なものが、我々の身辺を通り過ぎていきました。
雲霧の層の中でかすかに無数の亭台や楼閣や尖塔が一定の距離にではなく見えてきました。
円観老法師は紹介していいました。「 これは四大天王のもう一つ上の層でDAO利天( 欲界天の中の第二天 )で、玉皇大帝の住処で、四方三十二天を管理なされております。」

我々は見学する時間がなく、幾層も上に真っ直ぐに登りました。
円観老法師は私に「 兜率天に着きましたよ。」とおっしゃいました。
( 兜率天 は欲界天の中の第六天です。 )あっという間に殿閣山門前に着きました。

20人余りの人が我々を出迎えに来て下さいました。
その内の一人は他でもない、私に授業を授けて下さった恩師であられます虚雲老和尚(近代中国三大高僧のお一人)でした。

他の二人は私も知っていた方々でした。 お一方は妙蓮和尚で、もう一方は福榮大師で、身には赤いシルクの袈裟を着て、とても華やかで美しかったです。


私は師父であられた虚雲老和尚を一目見ると、すぐに跪いて礼拝しました。その時、私は感動の余りもう少しで泣き出す所でした。
師父は私に問いました。「 心の調子状況はいかかがな? まだ喜びや悲しみはありますか? ところで今日あなたと一緒にここにいらしたあのお方が誰であるかご存知かな? 」
私は「 円観老法師という名前のお方です。」と答えました。
すると師父は私に驚くべき事を告げました。「 あのお方こそはあなた方が毎日祈っている慈悲深く苦難から救われる観世音菩薩でおられるのですよ。」
私はそれを聞くと、大変驚き、その観世音菩薩様に跪いて何度も礼拝しました。

これこそまさしく「 目がありながら、泰山がわからず。」という事ではありませんか! 私はしばらくの間、何をどの様に話せばよいのやら見当もつきませんでした。
「 兜率天 」の人々は身長は5~6尺程度ある我々娑婆世界とは違って、身長は約三丈余りしかありません。

しかし円観老法師( 観音様の化身)が私をここに連れてくると、私の体も自然に変化して、彼らと同じ位の三丈余りになりました。
師父はその時私に、娑婆世界でしっかり修行しておくようにとの事、業の障害は試練を経る事によって、徐々に除く事ができる事や、世代ごとに寺院を修築しておくようにという事などを注意なされました。
そこでは、私は沢山の人を見かけました。 老若男女皆居ました。 彼らの服装は明朝時代の衣裳に似ていました。


三、弥勒菩薩の御開示

その後、我々は一緒に「 兜率天 」の内院へと進み、弥勒菩薩を礼拝しに行きました。我々が弥勒大殿に進む時、大殿の中の雄大壮麗さは全くもって筆や墨では形容できない程でした。至る所金色の光が輝き、殿門の前には金色の光がまばゆい三つの大きな文字が、五種類の文字で書かれていました。
中国語で書かれている文字は「 兜率天 」でした。ここでは、私は自分の目で弥勒菩薩を拝見しました。

弥勒菩薩の様子は我々が娑婆世界で礼拝している腹が出っ張って笑っておられる「 大腹笑佛 」の様ではありません。
真の弥勒菩薩は、法相は荘厳で、八十種好三十二の相を有し、容貌はとても優れていました。
大殿の両脇には、立ったり座ったりの沢山の菩薩が並んでいて、各種の道衣を着ていましたが、光を放つ事のできる赤い袈裟を着ている者が多く、皆一台の蓮華座がありました。



私は弥勒菩薩を拝見しながら、開示を下される事を請い願いました。
弥勒菩薩は私に一しきりの法話を開示して下さいました。菩薩はおっしゃいました。
「 私は将来( 六十億万年後 )に下界に生まれます。娑婆世界に降臨しますが、その時には地球上には高い山は一つもなくなり、地上は手のひらの様に平らになります。
娑婆世界は、人間浄土に変り、あなた方の教派と教派との間は互いに友好的になり、お互いに精進する様に励ましあう様になります。
お互いに非難しあっては、なりません。

仏教内の各宗派も又、非難しあってはならず、お互いに邪を糾し、正しい道を歩む様にしなければなりません。」

( その後も一しきりの法話を開示して下さいましたが、私ははっきり記憶しておりません。)
私は感謝の意を表して礼拝しました。
その後、師父であられる虚雲老和尚は私を大楼閣へと連れて行きました。
楼閣の前には明朝の服装に似た衣裳を着た武将が居られましたが、イ駄天ではありませんでした。

そのお方は我々を楼閣の中へと導いて下さいました。
すると仙女が花を摘み、蜜で造ったケーキを下さって我々をもてなして下さいました。
私はその一塊をつまむと比べ様の無いほど、甘美な味で口が非常に爽やかになり、お腹いっぱいになり、同時に精神が倍増する様に感じました。


福榮大師は私におっしゃいました。「 天上界では、どこでも花蜜ジャムを食糧にしているのです。前の院の天人仙女の皆さんが送ってきて下さったもので、様々な花の蜜を加えて造られたものですので、味はとてもよいのです。
人間界の人がこの花蜜ジャムを食べると病は去り、寿命は延び、老いた者は子供に返る事ができます。少し多めに食べて下さい。健康にいいですよ。」
その後、私の体は確かに以前より若くなり、現在に至るまで薬を飲んだ事もありません。

続いて、榮福大師は再び私におっしゃられました。「 天界の人々は、安逸さばかり求め、修行を修めようとはしない。人間界の富貴な家の人と同じで、出家しようとせず、目先の享楽ばかりに関わりたがり、三界を未だに出ておらず、六道の輪廻を繰り返し、生死を抜け出してはいない事を知りません。
我々はここに於いて弥勒菩薩の説法を聴き、将来再び、人間界に降臨し、衆生を救います。そうしてからやっと真の菩薩道に進み入る事ができ、生死を脱する事ができるのです・・・」

この時、恩師虚雲老和尚も私に開示を下されました。

こうおっしゃいました。「 末法の時代にこそ、最も劣悪な環境の中で衆生を救い続けなければなりません。順調な時に享楽ばかりむさぼってはなりません。逆境の時に逃げてはいけません。悪人に悪を悟らせ、善に向わせなければなりません。
善人は善い生活を心がけ、清浄に修行しなければなりません。劣悪な環境の中で仏陀の恵命正法を守り続けられる事こそが、真の菩薩道を歩むという事なのです。

あなたは私にかわって、人間界に戻った後は同じ道を歩む人々、特にあなたの身近にいる修行僧達に、戒律を師とし、以前と同様に堅持し、変えてはなりません。


僧制を変えてはなりません。現在ある人々はろ厳呪はにせものであるとか、ある人は僧衣を改めたり、又ある者は因果を信じず、卵は菜食であるといい、修行もせず、人々を導きもせず、それどころか邪法によって人々を惑わし、仏経を歪めて上手い話をでっち上げ、供養を騙し取る。

これらは皆、悪魔が人間界に来て、如来の知恵の根を摘み取り、悪魔が頭をもたげ、自由に人々を害させる事です。
ですから、あなたは必ず極力私の志を受け継ぎなさい。
それでこそ我が弟子である。あなたは将来世界各国へ赴き、説法教化を行うようになるでしょう。
非常に劣悪な環境の中でも、あなたは必ず私が人間界に居た頃に創設した寺院を復興させるべきなのです。
それゆえあなたの名前を、最初に法伝した際に、復興と名づけたのです。この意味は今のあなたは分かりますか?」

しばらくして、師父である虚雲老和尚は突然一つ一つ高らかに字を読み始めました。

「 青( 深 )松霜雪愈堅禿、海天一色遍三千。」
我々は一しきり休むと、観音菩薩は我々を大殿の外へと連れ出し、前院へと行き、天景を参観しました。すると明るい光が煌煌と輝き、仙獣や珍鳥などが並んで歌を歌っていて、その優美さに思わず、心が打たれました。


清浄な天界の音楽の音楽が遠くから近くから響き合い、自然に優美な響きが奏でられています。
仙童と仙女達が様々な色の美しい衣裳を着て、一列一列に整列し、隊伍を組んでいます。

四方では仙花が咲き誇っていて艶やかで目を奪います。 遠くと近くの亭台と楼閣や各種の宝塔などは皆光を放ち、まさに天上界の絶景で、人間界などはこの一万分の一にもまるで値しません。
私はその光景を観ながら、ただただ賛嘆するばかりでした。観世音菩薩は崑崙山より更に高く、百種類の色の光を放つ宝塔を指し「 あの塔は太上老君( 老子 )の住処で、煉丹大塔と呼ばれています。」
そちらを眺めてみると、極めて壮観な「 煉丹大塔 」が雲に覆われたり、見えたりしながら、一体何層あるのか分からない高さで立っています。
まるで高い山の前に立つかのようでした。

我々は外から覗くだけで、塔の中には入りませんでした。
観世音菩薩は又おっしゃられました。 「 この塔は上仙の居住する所です。周りには沢山の多霊元樹( 道家修練の原形 )と四時花果
があります。」
話によれば、仙法を修練する者が、よく修行していると天界の霊元樹も美しく花咲き、よく修行していないと、花は生気なく枯れてしまう事もあるそうです。

この時、観世音菩薩は催促しておっしゃいました。「 時間がありません。これからあなたを西方極楽世界へと連れて行きます。ここより更に美しいですよ。娑婆世界とはまるで比較の仕様がありません。」


四、極楽世界を訪れる。 ー 阿弥陀佛と面会する。ー

「 兜率天 」を出ると、私は再びろ厳経を唱え、脚上に蓮華座が現れ空に飛び出発しました。
路上では、耳際でヒューヒュー音が鳴りましたが、風があるとは感じませんでした。
速度の速さは又、形容の仕様がありません。 目の前にある全ての優美な天仙の風景が我々の身辺をかすめ過ぎて行きました。
あっという間に後ろへと過ぎていくのでした。 15分もしない内に、蓮華座の下の地面は金の砂で覆われ、一列一列に並んだ大きな木は高さが数十丈、金でできた枝と玉でできた葉で葉は三角形のもの、五角形のもの、七角形のものなどがあり、皆光を放ち開花します。

各種の美しい鳥も身体は光を放ち、ある鳥は二つの頭あるいはいくつもの頭を持ち、二つの翼あるいはいくつもの翼を持っています。
彼らは自由自在に飛んで阿弥陀佛の聖号を歌っています。周囲は全て七色の鮮やかな欄干に囲まれています。
観世音菩薩は私に言われました。「 仏経に述べられている、七重羅網、七重行樹というのはまさにこの境地の事です。」

耳際では沢山の講話の声が聞こえてきますが、言葉は完全に聞き取れません。観世音菩薩が話す阿弥陀佛は聞き取れました。


路上では沢山の高い山が見えました。皆、七宝で構成され、淡い光を発していました。
この様にしてまっすぐ行き、しばらくして( 大金山 )の前面に来ました。
この大きな金色の山は、中国の峨( 山+眉 )山より、何倍の大きさかもわかりませんでした。

疑う余地もなく、この山こそが「 西方極楽世界 」の中心でした。
観世音菩薩は手をふりながら「 着きましたよ。阿弥陀佛はあなたの前にいらっしゃいます。見えましたか? 」私は不思議に思って質問しました。
「 どこですか? 私に見えるのは大きな石の壁が目の前に聳え立っているのが見えるだけですが。 」
観世音菩薩のお答えは意外でした。「 今あなたは阿弥陀佛の脚元の前に立っているのですよ。 」

私は「 阿弥陀佛の身体はこれほど大きいのに、何故私に見えるわけがありましょう? 」

実際、この様な光景はまるで、一匹の蟻がアメリカの何十階建ての摩天楼の下から見上げているようなもので、どの様に見上げたとしても、摩天楼の全貌が見渡せる訳がない事と同じでした。
観世音菩薩は私にすぐにひざまづいて阿弥陀佛の御加護と西方極楽世界へと導いてくださる様にお願いする様にとおっしゃいました。
私はすぐにひざまずき、阿弥陀佛の御加護を求めて祈りました。






西方極楽 世界 遊記  2

2011-12-24 09:11:46 |  過去執筆物・翻訳物  


しばらくすると、自分の身体が突然大きくなり、阿弥陀佛の臍あたりまで高くなり、この高さになってやっと、私は阿弥陀佛が確かに私の前面に立っていらっしゃるのが見えました。
阿弥陀佛は一体何層あるのか分からない程の蓮華座の上に立ち、花弁の上には皆宝塔の美しい姿が並んでいて、千万色もの光を放ち、佛が金色の輝きの中に座っておられました。

それと同時に金碧に輝く大殿が見え、再び見渡してみると、西方極楽世界の全貌が見えてきたのです!

この時、円観老法師のお姿は真の観世音菩薩の姿になられておられました。
全身は金色がかった透明で衣服は衣服は千百種類もの色の光を発しておられ、男であられるのか女であられるのかもはっきりとは分かりませんでした。
この時、老法師の身体は私よりも高く、阿弥陀佛の肩位の高さはありました。
私はそこに立ち、殊勝な世界を見てうっとりしました。
一つ一つを話始めたら、恐らく七日七晩もの間話続けなければならないでしょう。
阿弥陀佛のあの比べもののない程荘厳な法相について話すだけでも半日かけても終わらないでしょう。

例えば、阿弥陀佛の眼は広々とした大海の様であられました。
話しても誰も信じてはくれないかも知れませんが、実際に阿弥陀佛の眼は人間界の大海と同じ位大きいのでした。

西方極楽世界の国土に於いては仏経によりますと、十万億の仏土程の大きさがあるそうで、時間で計算してみると、百五十光年の時間によってやっと辿り着けるそうです。


つまり、人間の寿命から見てみると、絶対に不可能だということになります。
しかし、西方極楽世界に住む事を欲したら、願うだけであっという間に辿り着けるのです。
物質世界の見地から説明すると、人間の肉体での行動では西方極楽世界へ行くには、地球が生成して滅亡する程の長さの時間をかけても辿り着けないという事になります。

そこで、本人の願いに加えて、阿弥陀佛の御加護をもってすると、あっという間に目的地へと辿り着ける訳です。
私は、阿弥陀佛を礼拝し、御加護をくださる様、福慧を下さる様、生死を脱せる様に請い求めました。

阿弥陀佛はおっしゃられました。「 観世音菩薩があなたをここに連れてきてこられたからには、行きなされるがよい。ただ、その後はあなたは必ず人間界に戻らなければなりませんよ。」

私は極楽国の殊勝な世界に驚嘆するばかりで、人間界を苦痛多き場所であると思い、再び戻りたいとは思いませんでした。
それゆえ、私は、請い願う様にしていいました。「 この極楽世界は余りに素晴らしいので私は人間界に戻りたくありません。阿弥陀佛様、何とか私にご慈悲をかけてこの世界に留めておいて頂けませんでしょうか? 」

阿弥陀佛はおっしゃられました。 「 駄目ですよ。私があなたを留まらせたくないのではありません。 あなたは戻らなければならないのです。 あなたは二劫前においてかつてここに住んで居られた頃、父母及び親属共に九品蓮華に戻れる様に衆生を救いたいと発願したではありませんか!」

佛様がこの言葉を発したとたん、私は全身が震え、二劫前の頃の情景を思い出しました。
阿弥陀佛は観世音菩薩におっしゃられました。「 あなたは彼をいろいろな所に連れて行き、参観させて下さい。」

私は阿弥陀佛に何度もお辞儀をして感謝の意を表して観世音菩薩と共に説法台大門をくぐり抜けました。


この時、私は全ての大門、廊下、池畔、欄干、山、地などが七宝で結成され、光を放っていてあたかも電灯電条の様になっている様を見ました。
もっとも奇妙な事は、これらの一見「 形のあるもの 」が皆透明で妨げが無く、通り抜ける事ができる事です。

大門の上には四つの大きな金色の文字があり、両脇に対聯( 門の両脇に飾る紙 )がありましたが、私には読めませんでした。
観世音菩薩は説明なされました。「 中国語で解読すると『 大雄宝殿 』という意味ですが、『 無量寿佛 』とも解釈する事もできます。」

その金碧に輝く大殿は比べもののない位雄大で、数万人の人が中に居て、同時に沢山の菩薩達が立ったり座ったり、殿の中や外に居て、身体は皆金色がかった透明で、菩薩の高さは佛より少々低いです。
諸々の菩薩の中で、大勢至菩薩や常精進菩薩などの大菩薩も見られました。
観世音菩薩はおっしゃられました。「 では、あなたを下品下生から、中品中生を経て、上品上生まで連れていって参観させましょう。」
道を歩いていくと、我々の体形は次第に縮小していきました。
この奇妙な現象に気づいて、私は観世音菩薩に問いました。

「 何故 、身体が縮小していくという事があるのですか? 」
観世音菩薩はお答えになられました。「 極楽世界における各品の衆生は、境界の違いによって体型の高さ大きさが異なります。 我々は現在( 阿弥陀佛の居場所)上品から下品へと向かっていきます。



九品蓮華の中では上品の者は中品の者より大きく、中品の者は下品の者より大きい。
我々はこれから下品へと向っているので、下品の人々の高さに従って、身体が徐々に縮小していっているのですよ。
人間界では人体は高くても八尺を超える事はありませんが、天界の天人は三尺余りあります。
これこそ境界に合わせるという事なのです。 」



五、下品蓮華

そう話している内に、我々は下品蓮華池に着きました。 見渡してみるとその地は、地上が掌の様に平らで、黄金で敷き詰められていて、ほのかな光を発しています。
又、透明です。しばらくすると目の前に十分な広さを持つ広場が現れてきて、広場には年齢十三~十四歳前後の女の子が沢山居ました。

これらの女の子達は頭の上には二つのかんざしを刺し、紫の花を刺しとても綺麗でした。 彼女達は淡い緑色の衣を着て、桃色のスカートをはいて、金色の帯を腰に巻き、皆、同じ格好をして外見は完全に同じでした。


西方極楽世界に女性が居るのでしょうか? 私は疑問だらけで観世音菩薩に尋ねました。
「 佛経によりますと、極楽世界においては、男女の区別はないとされておりますが、何故ここには女の子達が居るのですか?」
観世音菩薩はお答えになられました。「 そうです。 ここに於いては、男女の区別はありません。自分の姿を見てごらんなさい!」

私は彼にこう言われて気がついてみると、元の自分が十三から十四歳位の女の子になっていて、格好も容貌も彼女達と全く同じになっていたのです。
私は驚いて質問しました。 「 何故、こんな風になってしまったのでしょうか? 」
観世音菩薩はおっしゃられました。「 ここには菩薩の主宰がおられます。男に変る時は全て男になり、女に変るときは全て女になります。男になるにしろ、女になるにしろ、蓮華の中では、血肉からなる身体は存在しません。
身体は白色の水晶で、全身透明でガラスの様な人形みたいになるので、実際上は男女の区別はなくなるのです。」

私は自分の身体を見てみると、確かに観世音菩薩のおっしゃられた通り、皮膚も肉も爪も骨も血もなく、白色透明な水晶でした。
下品下生の中に生まれた人々は皆業を持って生まれ、ここに来た人々です。

老若男女共に蓮華に生まれた後は、十三~十四歳の子供の容貌になり、老いた者も童にかえり、皆親切でかわいくなり、とても美しくなります。
外見では男女の区別がありますが、実際上には男女の区別はありません。
私は観世音菩薩に質問しました。「 何故、ここに生まれてきた人々は、同じ容貌と同じ歳頃になってしまうのでしょうか?」


観世音菩薩はお答えになられました。「 それは、佛性というものが、平等であるからです。阿弥陀佛の佛力によって彼女達をこの蓮華に生まれる様に導いたので、皆平等な待遇を受けるのです。
あなたが人間界においておじいさんであってもおばあさんであっても、中年期、壮年期の人であったとしても蓮華に生まれてきた後は、同様に十何歳位の容貌になって生まれてきます。

この原理によって、人間界に嬰児が生まれてくるのと同じ様に、身体の大きさは同じ位なのです。」
下品下生の中で、蓮華に生まれた後、蓮華の中では毎日六時に、大菩薩の主催による講経会が催されます。
講経の時間になると法鐘が鳴り響き、蓮華池の中の人或いは楼閣の中に住んでいる人は皆一律に女の子、あるいは男の子の同じ容貌に変ります。
彼らの容貌と服装は全て、佛力或いは菩薩によって制御されています。 佛力が男に変えようと思えば男に、女に変えようと思えば女になります。

服装も又同じです。赤一色にしようと思えば赤一色、緑一色にしようと思えば緑一色、黄一色にしようと思えば、黄一色となるのです。
これら下品下生の衆生は日中は蓮華を出て、遊んだり、歌ったり、踊ったり礼拝したり、念仏を唱えたり、読経をしたり、ゲームをしたりその他の活動をしています。

休みの時は、各自自分の蓮華の中へ帰ります。
つまり、日中は花が開き、晩には花は閉じるのです。 休みの時は、蓮華の中である者は念仏を唱え、ある者は様々な奇妙な夢を見ていました。

(業を持ったまま生まれて来たので、過去生の業が妄念となって反映されます。)

観世音菩薩はおっしゃいました。「 では、これからあなたを蓮華広場まで連れていって参観させましょう。」

そこに着くと、まず10人、20人程の女の子達が見えてきて、それに続いてすぐに何十人、何百人、何千人、何万人の女の子達が見えてきました。
大殿大楼内の全てにこれら容貌と服装が一様の女の子達が見えてきました。


彼女等は一つにまとまり、我々を参観させてくれました。彼女等にとってこれらの事はとても簡単な事なのです。
我々人間界においては何千何万人がまとまるとなると散々手間をかけ、長い時間をかけて準備しなければできない事でしょう。
しばらくすると、我々は蓮華池に着き、池の中の水を見てみると、とても奇妙です。

我々娑婆世界の液体状の水とは違って、空気と同じ感じなのです。
観世音菩薩はおっしゃいました。「 行って体を洗っていらっしゃい! 」
私は言いました。 「 服が濡れたらどうするのですか? 」
「 濡れませんよ。 娑婆世界の池とは違って、水を浴びても濡れないのです。」
私はおっしゃられた通りにおどおどしながら池に降りて水を浴びてみました。

すると、本当に衣服は濡れず、更に奇妙な事には、私は泳げませんので水面下に沈んでしまう事を心配していましたが、蓮華池の中で沐浴すると自分の意志により、上下でも左右でも完全に自分の意志によって制御できるのです。
私は池の中で一回り、一回り泳ぎ回るととてもよい気分です。
私は好奇心から水を一口飲んでみると、とても清らかで甘く、思う存分沢山飲んでしまいました。

すると飲めば飲む程、精神が倍増していく感じがし、全身が軽やかで飛んでいくような感じでした。
私は自分の身体に着ている衣服に触れてみると、少しも濡れてはいませんでした。
蓮華池の中心に辿り着いた時、沢山の美しい蓮華が華やかに開花しているのが見えました。
ある人は花の上に座って念仏を唱えて、いました。 が、ある蓮華はまさに色褪せて枯れそうになっていたり、折れたり、あるものは枯れ死にそうになっていました。

蓮華池の中の水は、阿弥陀佛経で説かれている「 八功徳水 」 でした。


六、 下品下生に生まれた者の業の妄想の反映

下品下生に生まれてきた者は、我々娑婆世界の中で、浄土に生まれる事を求め、一心に念仏を唱え「 業を帯びて生まれてきた」衆生です。
「 業を帯びて生まれてきた 」とはどういう事なのでしょう?
かつて娑婆世界の中で、これらの衆生は、各種の悪業を犯してきました。
例えば、殺生、盗み、詐欺、誹謗、二枚舌、人を陥れ、害を与える、邪淫等。
これらの人の徳行を論じてみるのならば、本来西方極楽世界へと生まれる事はできません。

しかし、彼らが死ぬ間際に善なる知識に縁があって巡り合い、念佛経を教わり、阿弥陀佛の名を一心不乱に唱え、願力による御加護によって、極楽世界へと導かれ、下品下生の蓮華に生まれてきたのです。
( 一心不乱な人は善の根を植え付ける事ができます。 )
しかし、九品の蓮華の中で最も下の下品下生から修行により最も上の上品上生までに到るには、十二劫もの時間が必要なのです。

一劫とは1679万8千年でありますから、下品下生に生まれた者が最も上の上品上生に到るまで修行するには、二億157万6千年の時間をかけてやっと成仏できるのです。
ですが、もし我々が娑婆の世界で決心し、修行に励むと、三十五年の時間で中品や上品に到る事ができるのです。


あるいは、この一生の内に成道する事も可能です。ですから、我々は「得難い人の身としての生涯」を必ず大切にしなければならず、修行に勤めなければなりません。
成就したあかつきには直接上品上生に行って開花し、佛に見える事すら可能なのです。

印光法師と弘一法師などはその生きた例であられます。
この点は後に又、詳しく述べましょう。
しかし、話を元に戻しますが、我々娑婆の世界における衆生には、沢山の苦しみがあって、これらを避ける事はできません。

例えば、生老病死、求めても得られない苦しみ、怨み憎しみの苦、愛する者と別れる苦、五陰が盛んになる苦などです。
ところが、極楽世界においては下品下生においても絶対に先に述べた様な苦しみはありません。
なぜならば、ここは「 極楽世界 」だからです。
「 楽 」だけがあり、「 苦 」はないのです。

下品下生の衆生であっても、十二劫もの長い年月の修行により、その間の上への昇級が保証されており、開花して佛に見えるまでになるのです。
途中に於いて、三悪道や四悪趣に堕落するという心配は絶対に必要ないのです。
しかも全ての修行の過程は、始めから終わりまで「 極楽 」の状態の中で過ごすのです。

下品下生の蓮華は、我々人間界の蓮華とは違って、約一里から三里程もの大きさがあり、三、四階程の高さで蓮華は皆発光します。
ここに生まれた者が蓮華の中で様々な妄想を起こすと蓮華の光沢は暗く、光を発さなくなります。


逆に妄想がなく、内心が清浄ならば、蓮華は目を奪う程の鮮やかな光沢を発します。
以下は二つの実際の例です。観世音菩薩はおっしゃられました・・・
「 衆生は輪廻転生を繰り返して以来、様々な違った業をなしてきています。それゆえ業を帯びて生まれて来た後、業妄の反映も又異なります。
下品下生の者は業障が比較的に多く、軽重の差があります。

ですから、下品の蓮華、下品蓮華の中には又、上中下の三等に分けられているのです。
多くは、人間界における恩愛が忘れ難く、父母、兄弟、姉妹、友人及び物質財産への欲望など一つ一つ全て反映されてきます。
あたかも人間界における夢の様です。今からあなたに妄業が反映されている実際の状況を見せましょう!」

いくつかの道を曲がると、薄暗い光沢の蓮華が一つ見えてきて、近づいて見てみると、高層ビルの様で、部屋は皇宮よりもっと豪華で、花園もとても幽美でした。
中には古物珍宝が並び、とても貴重なもので、非常に趣がある並べ方で、人間界の大臣のお屋敷の様でした。
中には老若男女が数十人居て、衣服は人間と同じでした。とても華やかでした。人々が出たり入ったりでとてもにぎやかな様子で、何か催されるかの様でした。

私は質問しました。「 何故、極楽世界の中にも人間界の家庭の様な生活方式があるのでしょうか? 」
観世音菩薩はおっしゃられました。「 この人は臨終の時は、清浄な状態で、業を帯びたまま生まれましたが、習慣の累積による妄想がとても多いので、俗気が抜けていないのです。

ここにいる数十人の人々は皆、彼の生前の父母、妻子、愛人、兄弟、姉妹、子供の配偶者、親戚達で、恩愛の情から離れられないのです。
それで、彼が蓮華の中に戻って休んでいる時にはいつも、これらの人達と環境を思い出しているのです。
それらの妄想が一つになって顕現してくるのです。

極楽世界には楽はあっても苦はありません。父母を思えば父母が現れ、妻子を思えば妻子が現れ、豪華なビルを思えば豪華なビルが現れ、山菜や海鮮を思えば山菜海鮮が現れてきます。


現れて来る情景は娑婆世界において衆生が夢を見る時と同じで、実際に体験しているのと同じ感じがします。ですが、目覚めた時には、何も残されてはいません。
これが業妄の反映であって、一種の偽りの相なのであって、実際に人間界で生きている親しい人達は知らないのです。」

観世音菩薩のお話は考えさせられるものでした。実際、人間界での生活など長い夢の様なものではないでしょうか?

霊魂が身体を離れる時、人間界で所有していた全ては持って行く事ができません。最早あなたのものではないのです。
幻の夢を見ているのと同じ事で、初めから最後まで空になってしまうのであります。
観世音菩薩は又、説明して下さいました。「 実際、業を帯びてここに生まれてきた者の妄想は、人間界における欲望よりもっと多いものです。何故かといいますと、娑婆世界は物質より成り立っているので、妨げも多いものですので、往々にして「 求めても得られない苦しみ 」に対する嘆きがあります。

ですが、極楽世界では違います。物質性は存在しないので、妄想で何かを必要とするのなら、目の前に現れてくるのです。
しかもいくら用いても尽きないのです。極楽世界の性質は虚空に属し、法界を遍く満たしています。天界は神質に属し、五種類の神通力はありますが、時には求めても得られないという現象もおこります。
人間界は物質世界なので、妨げが多く、求めるものも中々得られないのです。」

私は再び観世音菩薩に尋ねました。 「 妄境( 夢 )と如来の清浄な実境は区別はあるのですか? 」
観世音菩薩は御開示なされました。 「 実境は常に存在し、不滅です。永遠に各種の光を発します。妄境は常なるものではなく、どんな色の光も発する事はできません。それゆえ、一度自分の妄業から醒めると、全ては無くなってしまいます。

人間が眠っている時に、夢を見るのと同じ様に、夢の中の山や川や人物や、都市・高層ビルなどが目が醒めると全て存在しないのです。娑婆世界の衆生は一生涯のエネルギーを虚栄や利益を得る為に争い、必死になっていがみ合う事に全てを費やしていますが、死んでしまった後は何一つ持って行く事ができないのです。

魂は六道輪廻の中に堕ち、縁によって生まれたり死んだり、業によって苦しみを味わい尽くさなければならないのです。それゆえ、苦海を脱したいのであれば、すぐにも覚悟しなければなりません。
戻れば岸に辿り着けるのです。


先に述べた家の主人は業を帯びて生まれてきた者で、観世音菩薩の話によると、彼と私の故郷は同じ福建省の蒲田で言語が通じるそうで家に入ってみる様にとの事です。
我々はその建物の中に入ると、中は酒の席が沢山並び、卓の上には山菜海鮮が一杯に並び、60~70人が大いに飲食している所で、場はとても賑やかでした。
その中の人間界の大富豪の様な雰囲気の70歳位の老人が居て、この宴を催している主人の様でした。

その人は私の到来に気がつくと非常に親切そうに私の前にやってきて、挨拶をしました。
彼は尋ねてきました。「 どこから来たのですか? 」 私は福建なまりで答えました。

「 私は福建省の蒲田から来ました。 あなたと同じ故郷です。 」 彼は「 同じ故郷 」という言葉を聞くと大層喜び、頭を上下にふりながら、「 おお! そうですか。 それはそれは・・・」と言い熱心に一緒に飲食する様に招き入れてくれました。
私は尋ねました。「 あなた方はここで何の宴会を開いているのですか? 」
彼は笑いながら逆に尋ねてきました。「 あなたはどの様にしてここへいらしたのですか? 」
私は門の外に立っていらっしゃる円観老法師を指差して答えました。「 観世音菩薩が私をここへ連れてきて下さったのです。ここへ来て参観し旅をして周っているのです。」

この一言で目の前の全ての光景に突然変化が起こりました! この老人は観世音菩薩という名前を聞いたとたんに、身体に震えが起こり、顔には恥じ入る表情が現れ、しばらくして目の前の建物と中に居た60~70人の人と全ての宴会の賑やかな場面は突然消失しました!

その老人は、十三~十四の容貌になり、蓮華の上に座り、全身白色透明で非常に美しくなりました。
この情景の突然の変化は、まさに観世音菩薩が先程おっしゃられた事で、それらの光景は妄想から起こったもので、妄想がなくなれば光景も又無くなってしまうのであります。

もともと、この人は娑婆世界に生きていた頃は、富商をしていました。
彼の生前の様々な妄想が積み重なって習慣となり抜けなくなったのです。
酒の席を並べてお客さんを招くのが好きだったという習慣が、折に付け現れてくるので先程の光景が現れてきたのです。


その後、彼は自己紹介をしました。「 私は福建省蒲田の( さんずいに函)江(口+多)頭村の者で、名前は林道一といいました。家は豊かで(口+多)頭村の名家でした。
臨終の時、善なる知識の指導に巡り合う事ができまして、念仏しながら、ここに生まれた者です。
ですが、恥ずかしい事に私の業障による妄想が余りに強く、取り除けないのです。情愛が捨て難く、いつも妄想にふけり、様々な妄境が現れてきます。観世音菩薩が以前の私の名を呼ばれ、正す様にと御開示なされましたが、いつも昔の癖が再び現れてしまって治せないのです!」

別れる時、彼は私に娑婆世界に戻った後、シンガポールに住む阿( 日+王)という子供に、お父さんは中国で西方浄土に生まれたよと伝えておいて下さいと頼まれました。

観世音菩薩はこういった業を帯びて生まれた人々を、沢山蓮華池に連れていって「 八功徳水 」の中で体を洗わせ、心の中の妄想を洗い流させ、自分の心性を徐々に回復させ清浄にさせます。

私は観世音菩薩と共に、切り立った高い崖に辿り着きました。この時、私は奇妙な光景に出くわしました。
二十歳前後の人間と同じ黒い服を着た女の子が崖の下で大声で泣いているのです!

私はとても不思議に思いました。 極楽世界は楽だけあって、苦はないはずなので、何故ここでこの様に悲しんでいるのでしょうか?
観世音菩薩は私の心を見透かされた様で、前に行って質問してみるように言われました。

そこで、私は彼女のそばに行って、質問してみる様に言われました。
「 女菩薩様、何故あなたはこんなに悲しそうに泣いているのですか?」
すると、彼女は頭をあげて私を見ました。 彼女は泣いていないばかりか、ニコニコ笑いながら私にいいました。

「 私は妄想によって散り散りに舞い上がらされていたのです。」
言葉遣いは丁寧で、蓮華池の蓮華の上に座り、十三~十四歳の女の子の容貌に変り、全身水晶になり、高崖も同時に消えてしまいました!


彼女は私に自己紹介を始めました。 「 私は福建省順昌の者です。 二十一歳です。 佛門に帰依した女居士で、1960年に出家を決意しました。しかし周囲の干渉を受け、ずっと許されないまま、遂に崖から飛び降りて自殺してしまったのです。
これは本来なら十悪の死になり、西方極楽世界には昇れないはずですが、観世音菩薩は大いなる慈悲の心を発し、私の真心を読み取って下さいまして、浄土へと生まれさせて下さったのです。

私はこの世界に生まれて、間もないので、心驚妄業がまだ取り除かれておらず、しばしば自分を抑制できず、自分の心の中の心驚妄業が反映されてくるのです。 この様な現象は、人間界における悪夢と同様に、心の中にいつも、危険な場面が現れてくるのです。
観世音菩薩の説法を授かっても、取り除けないのです。」

私は彼女に教えてあげました。「 見てごらんなさい。私の傍らに立っている人が観世音菩薩ではありませんか! 」
彼女はそれを聞くと、すぐさま観世音菩薩に向けて跪いて礼拝しました。 観世音菩薩は彼女に「 あなたはすぐ、蓮華池の中に行って、八功徳水でよくよく洗いなさい。そうすれば、それらの業による妨げは徐々に消えていくでしょう。」

蓮華池の中でも又、様々な栄枯盛衰の現象が展開されております。
私は観世音菩薩に尋ねてみました。「 何故こういう事が起こるのでしょうか? 」
観世音菩薩はお答えになられました。 「 蓮華が枯れてしまったり、開花の機会を逃してしまったのは、ある人は仏教を信じ始めた時は、非常に敬虔で念仏にいそしみ、佛の根を植え付け、蓮華池の上で成長し、美しく咲き誇りますが、少しの間だけ努力すると、心が怠慢になり、信仰心が揺らぎ始め、念仏を唱えないばかりか十悪に染まり、蓮華が徐々に枯れていってしまったのです。

見てごらんなさい。 あの折れて枯れてしまった蓮華は、初めは佛に帰依し、念仏を唱えていましたが、後に官吏になり、念仏も唱えなくなり、十悪に染まる様になり、政府に死刑判決を受けてしまったので、蓮華も折れてしまったのです。

もう一つの枯れてしまった蓮華は永泰県の人で、法師に帰依して三年間念仏を唱え、とてもきれいに開花しました。が、その後お金もうけをしたくなり、商売を始め、念仏をしなくなってしまいました。不正な手段によって、取れるだけの利益を得ようとし、最後には破産してしまいました。
借金が山程になり逃げ場を失って自殺してしまい、十悪に染まった故、西方極楽浄土に生まれてくる事はできず、蓮華は枯れてしまったのです。」


私は観世音菩薩に尋ねました。「 常亮法師は現世に生きておられた頃、私に一句念仏を唱えれば、罪は減るとおっしゃっておられました。その人は三年も念仏を唱えたのに何故功徳にならないのでしょうか?」
観世音菩薩はお答えになられました。

「 それは佛法をよく理解していない人の言う事です。世の習いに従い、世俗の生活に流されて悪を為してきた人が、後に善なる知識の啓示を聞き、すぐに反省し善に向かい、懺悔して二度と罪を犯さず、真心を持って前非を悔い改め、悪を棄てて善に従い、一心に念仏を唱え始めた時、一句念仏を唱えると、自身の無量に蓄積してきた罪業が消滅するのです。

その後、念仏を唱え続けると、死んだ後極楽浄土に生まれ、業を帯びていても、決して後ろに退いていく事はなく、遂には成佛できるのです。

観世音菩薩は少し置いてから、話しを続けられました。「 ですが、ある人々は口では念仏を唱えますが、心は毒蛇の如く、陰で人を害し、悪を為します。こういった人々も十悪に属する者で、浄土に生まれる事はできません。善の根をいくらか植え付けただけです。

ですが、そういった人々の善の根はまだ残っているので、一旦反省して懺悔をして念仏を唱え、善行を積めば、その蓮の花は開花するチャンスを得、再度美しく光輝いて花開く事ができるのです。」
観世音菩薩のおっしゃった事によると、世間での貧富・貴賎・善悪・智愚・老若男女・各界の人々などに関わらず、誠の信心を持って勤行、念仏に励み、悪を止めて善行を積み、心と口を同じくし、それらをずっと守り続けるのなら、浄土の蓮華は必ず芽が出て成長し、命が尽きると自然に阿弥陀佛のお導きを受けて極楽世界の蓮華に生まれてくる事ができます。

ですが、もし佛を信じて念仏を唱えるとしても、熱したり冷めたり、勤めたり怠けたりしていると花は開いても美しくはなりません。 もし、再び悪い事をして十悪に染まって死ぬと、六道輪廻に堕ち極楽国に生まれる事はできなくなります。

ここまで話されると、突然私は約30何歳かの尼サンが我々に向って歩いて来るのが見えました。
私は目を凝らして見てみると、何と江西省雲居山雲庵の住職であった法本尼師ではありませんか。
尼師は私を見るなり、大声をあげて言いました。「 あれっ! 寛浄師兄ではありませんか! ようこそおいで下さいました。 どうぞ、どうぞ。」

私は彼女に尋ねました。「 1971年に、私は俗世間に戻るのが嫌で、ある所で入水自殺してしまったのです! 本来なら十悪に染まった罪で、この世界に生まれる事はできないはずですが、佛の御慈悲を頂いて、恩恵の門を開けていただき、私が一心に念仏を唱え、俗に少しも染まらなかった事を読み取って下さいまして、この世界へと導いて下さったのです。私はここに来てまだ間もないのですよ!」

私は彼女に尋ねました。「 下品蓮華に生まれてきた人は、皆容貌は十いくつかの子供なのに、何故あなたは30幾つかの尼サンなのですか?」

彼女は答えました。 「 あなたがいらっしゃると聞いて、私はあなたが分かるように、妄想による反映でもともとの様子に戻ったのです。寛忠師兄様はお元気でしょうか? 娑婆の世界に戻って、見かける事が御座いましたら、しっかり修行に精進する様に、私は浄土に生まれたので安心する様にと伝えて下さい。」


「 浄観塔 」と「 言語陀羅尼 」

突然、鐘の響きが聞こえてきて、観世音菩薩は私に説法の時間が来たとおっしゃられました。
その時、何千何万という男の子(この時には女の子は一人も見かけませんでした。)が皆十三~十四歳位で身体には赤い衣を着て、腰には金の帯を締め髪には、ふたつのかんざしを巻き、服装は統一されていて、列に並び、彼らの身体は頭も手も脚も皆白色透明の水晶でできていました。

彼らはピョンピョン飛び跳ねながら、蓮台の上下に集まっていました。 みんなはお互いにお辞儀をし、天界の音楽を演奏し始め、天上には各種の美しい鳥が飛び交い、念仏を唱えていました。
続いて、全身から千百種類もの光を放射している菩薩が目の前に現れてきて、これらの光景は殊勝の極みでした。
観世音菩薩は私におっしゃいました。「 あの菩薩は大楽説菩薩であられます。今日は、値日説法をなされる予定で、十方佛聖へと参拝しに行く事となっております。

この時、天空から各種の美しい色彩をした花と各種の奇妙なモノが雨の如く降ってきて、男の子達は衣でそれらを包みました。それに続いて天空が雷の如く万色もの光を放出し、とても美しい光景でした!
下品下生の中には「 語言陀羅尼堂 」という所がありました。 語言陀羅尼とは、菩薩が説かれた一句の法が全ての衆生が聞き取れる所です。

あなたが、何人であっても、福建人、広東人、海南人、潮州人、上海人、四川人でもあるいは、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、(旧)ソ連人、日本人などどの国に属していても、戸籍などに関わらず、菩薩が何かをおっしゃると、それを聞いた人は母国語でききとれるのです。
通訳を通じなくても直接聞き取れるのが「 語言陀羅尼 」の精妙な点なのです。

下品下生の中には、とてもとても高い塔があり、名前を「 浄観塔 」といいます。
この中の衆生達は、塔の最も高い層に行ったり、そこから下がったりするには、我々が娑婆世界の様に、エレベーターに乗って上下する必要はなく、上がりたいのなら、心を動かすだけで上がり、下がりたいのなら、心を動かすだけで下がる事ができます。

彼らの身体は前に述べた様に、透明で妨げが無く、どこへ行くとしても壁や塀などをそのまま通り過ぎる事ができ、妨げられる事がありません。
何百、何千、何万もの人が、同じ一つの空間に集まったとしても、お互いにぶつかり合うという事が無く、混み合うという現象も出てきます。


何故かといえば、彼らは肉体性・物質性がなく、身体が透明で妨げが無いからです。

「 浄観塔 」はとても大きく、内部には何でも見る事ができます。十方世界のあらゆる境界を映し出す事ができます。
ここに来ると、例えば、我々娑婆世界の地球を見たいのなら、見てみると一粒の砂粒位の大きさしかありません。 太陽も同様に一粒の砂位の大きさしかありません。
しかし、もしあなたがその中の情景を詳細に見てみたいのなら、例えばアジアを見てみたいのなら視界の中でそれに応じて拡大し、アジアがはっきりと映し出されるのです。

中国を見たくても、長城を見たくても、福建省を見たくても、その中の一つの部屋、その中の情景でも視界の中でそれに応じて、ハッキリと目の前に映し出されるのです。
下品中生に生まれた者は、娑婆世界に居た頃、普段から善行を行っていた人で、善根福徳を積んでいたか、西方浄土への念仏回向をしていた人です。

阿弥陀佛の願力による御加護の下、この境界の中に生まれてきたのです。
下品下生に生まれてきた者は、娑婆世界に居た頃、五つ八つの戒律を護持し、積極的に善行を行い、御布施をし、厳しく守った人で、この境界に生まれてきたのです。
これらの地方を参観した後、観世音菩薩は時間に限りがあるとおっしゃられ、私を更に上の層へと連れて行って下さり、中品中生の蓮華池へと赴きました。




 西方極楽 世界 遊記  3

2011-12-24 09:01:52 |  過去執筆物・翻訳物  



七、 中品蓮華 ( 凡聖共居処所 )

我々は下品蓮華池を出ると、以前と同様に呪文を唱え、身体は飛行機に乗った様に飛び上がり、無数の輝く楼閣、尖塔が我々の前を通り過ぎていくのが見えました。
この時、私は突然自分の体が次第に大きくなっていくのを感じました。
なぜかといいますご、中品中生の蓮華池ですと、蓮華の大きなものは、中国の一つの省程、約七~八百里程あり、私たちの今居るシンガポールからクアラルンプールまでも百八十里しかありません。

つまり約七、八百里ですと、およそタイの中部までに到るのです。
蓮華はかくも巨大なものでして、ここに生まれた者の体の大きさもそれ相応の大きさなのです。蓮華の増大と正比例するのです。

又、言うまでもなく、ここの宮殿住居もそれに応じて大きくなり、ここの衆生を受け入れられるのです。
観世音菩薩は私にいいました。「 中品中生においては、多数は凡聖が同居していて、様々な人々がいます。 出家僧や尼さん、在家男女居士など。
ここに生まれた人々は、下品蓮華の衆生に比べて、更に勝っています。


彼らは生まれながらにして、三界を離れる気持ちを持ち、娑婆世界に居た頃はよくよく修行し、その他にも仏教事業に積極的に携わりました。
大規模土木事業、寺院建築あるいは、お経を大量に印刷したり、仏法を広く宣伝したり、又、善行布施、戒律を厳密に守る、慈悲、喜捨などを行い、命を終える際、西方三聖のお導きを受けて、中品中生の蓮華池に生まれてきたのです。
が、彼らの修行にも深いと浅いの区別があり、上、中、下の三等に分かれているのです。」

しばらくして、私たちは大殿に着き、諸々の菩薩に向けて参拝礼拝をした後、観世音菩薩はすぐに私を蓮華池を参観させに連れて行って下さいました。
あ! 中品蓮華池は、下品の蓮華池に比べて、どれ程荘厳で殊勝な事かわかりません。

周囲は皆、七宝を削ってできていて、池の中の蓮華の花紋は優美の極みで、更には様々な色彩の光を放っていて、お互いにひきたて合い、まったくもって艶やかで美しく目を奪い、形容の仕様がありません。
特に奇妙なのは、池の中の蓮華は花弁が奇特で、沢山の層に分かれ、層ごとに亭台や楼閣や宝塔などがあり、十いくつもの種類の色の光を放ち、緻密で美しく人を極めて感動させます。

蓮華上に住む人は、身体は透明がかった金紅色を呈し、光を放ちます。彼らの服装は皆同じ歳は約二十歳位で、子供や老人は見当たりませんでした。
この時、私は自分を一目見てみると、奇妙な事に、いつ頃変わったのか気付きませんでしたが、彼らと同じになっていて、観世音菩薩だけが、もともとの様相を保っていました。

観世音菩薩に尋ねました。「 何故、ここの全てのものは光を発しているのですか? 何の色なのですか? 何の光を放っているのですか? 私の身体も変化が起こり、彼らと同じになりました。」

観世音菩薩はお答えになられました。 「 これら全ては、阿弥陀佛の佛力のなせる所なのです。 それで何でも反映し、光を発する事ができるのです。 阿弥陀佛も無量の光明を放出しておられ、反映されてここまで来るので、この様な有り様に変るのです。
あなたの身体上の転変も又同じ事で、阿弥陀佛の佛力が起こした変化なのです。 蓮華池の中の全ての境界、服装は皆同じです。
自ら神通の力があって、各種の様相に変る事ができない限り、全ては統一されているのです。」


又、観世音菩薩は私にこうおっしゃられました。 「 中品蓮華池 」にも、暗淡とした色調の光を発さない楼閣があります。
しかし、これは生まれてきた者の妄想の夢幻無常の境界なのです。」

そう話している時に、目の前には光を発さない楼閣が見えてきました。
四方には広い花園があり、一斉に咲き誇っていて、艶やかさ、美しさを競い合っていて、鳥が樹の上で踊り、歌を歌いこのような情景は人間界における富貴な豪華な邸宅と同じ様でした。
この一室は大亭には三宝が奉られ、父母、妻子、兄弟、姉妹など親属が一堂に集まり、念仏修行をしていました。

老若男女が二十人余り、皆が敬虔な仏教信徒でした。
この時、観世音菩薩は私におっしゃられました。 「 この一家の人々は、御布施を楽しみ、善を好み、慈悲と喜捨をし、ある者は中品中生の中に生まれましたが、相変わらず恩愛が断ち難く、人間界での事柄を常に思っています。
そこで、彼ら一家の生活状況が皆ここに反映されてきたのです。」

観世音菩薩はおっしゃられました。「 九品蓮華において、一品ごとに下から上へと上がっていきます。下品でよく修行すれば、中品蓮華池の中に移植されます。この情景は、参禅と同じです。初禅の後二禅に、二禅の後三禅に、三禅の後四禅に進むというのと同じ事なのです。


突然、虚空の中に鐘の音が響くのが聞こえ、この楼閣は影も形もなくなってしまいました。
皆二十歳位の青年に変わってしまいました。 全て透明がかった赤金色の身体で、衣装は完全に同じで、人数はどんどん増えていき、数え切れない程で、一つの膨大な会場になってしまいました。

観世音菩薩はおっしゃられました。 「 今日は、大勢至菩薩と常精進菩薩が、法華経について講和をなされます。 あなたは聞いていきますか?」

私は答えました。 「 私は妙法蓮華経を最も好んで読んでいます。一緒に聞きにいってもらえませんか?」
話しているうちに、我々は会場の講台へと向かい、講台の上には四方が網で覆われ、赤い珠の如く、千百種類もの光が四方へ放射し、両脇には七列の大樹が植えられ、天にそびえ、樹の中には亭台楼閣があり、沢山の菩薩が上面に集中してお経を聞いていました。

講台は七宝金銀から構成され、どの位の高さなのか、分からず、とても荘厳なものでした。
観世音菩薩は私を連れて台に上がらせ、私はお二方の菩薩を礼拝した後、彼らは私を端の席の上に座らせ、大勢至菩薩は主席台で主催なされておりました。

この時、香の煙が螺旋状に昇ってきて、とても清らかな匂いがし、天上では悠揚と美しい天楽が演奏され始め、無数の美しい鳥が、音楽に合わせて鳴きながら舞い飛んでいきました。
皆、礼拝した後、大勢至菩薩は立ち上がり、講話会の開始を宣言しました。
続いて、常精進菩薩が法師座へと上がり、皆に向って礼拝した後、続けておっしゃられました。
「 妙法蓮華経は、華蔵世界の諸仏の根源であって、成仏の根本であり、成仏を望む者は、必ずこの経典を学ばねばなりません。

前回は第一節で、妙法蓮華経とは何であるのか? 妙法蓮華経とは無量の宝であるというテーマでした。 今日は第二節で妙法蓮華経の作用とは・・・」
およそ一時間程度お話しになられました。


私は経文を聞いた後、心の中に一つの疑問が起こりました。それは、ここにおいて話されている妙法蓮華経と人間界で読まれている妙法蓮華経と経文の語句と違うという事です。
そこで私はこの疑問を観世音菩薩に教えを請いました。

観世音菩薩は解説なされました。「 人間界において読まれている妙法蓮華経は、経文は比較的浅く、ここで話されていうる経文は比較的奥が深いものです。 ですが、深浅の違いはありますが、意義は同じなのです。

この様に言う事ができます。 羅漢には菩薩の境界が理解できず、菩薩には佛の境界が理解できないものです。 あなたは菩薩がお経のお話しをされているのを聞いていますが、一種類の音を発するだけで、千百種類もの言語になって、聞いている人自身の言語として聞き取れるのです。これが語言陀羅尼の素晴らしい所なのです。」

常精進菩薩はお話しを終えると、目の前に摩訶不思議な奇境が現れてきました。
天上から沢山の天花宝物が散って落ちて来ました。 球状のもの、三角形のもの、様々な色、様々な様子で。
そればかりではなく、金光が一万も降り注いできました。 台下の聴衆は手を伸ばして受け取り、私は衣服で包みました。
この時、天楽が一斉に鳴り始め、仙曲は悠揚と、音はどこから発しているのか分かりませんでしたがとても荘厳でした。

すると突然台下の無数の赤い衣服を着た男青年は、身を揺らすと一変し、全員緑色の衣裳を着た女性に変りました。
桃色のスカートの上に金色の帯を締め、一斉にヒョウヒョウと舞い、比べ物の無い程歓楽でした。
しばらくすると、彼らは又、球状の蓮華に変り、それぞれが違った美しい色彩を発し、それぞれの色の光を四方に放ち、一人の人影も見えなくなりました。

突然、蓮華の上で、又菩薩がきちんと座っている姿が現れ、続いて無数の金塔銀塔に変り、光を四方に放ち、四方の景色が形容が難しい程優美で荘厳に変りました。


神界が見えてきた頃、突然虚空中に何百という緑の衣を着た女の子達が、空中からとても速いスピードで一斉に落ちていき、大殿や壁や塀を突き抜けて行きました。
あたかも空気を突き抜けるのと同じ様でした。 少しも妨げが見られません。
私はとても驚き、観世音菩薩にこれはどの様な現象なのですか? と尋ねました。

観世音菩薩はお答えになられました。「 極楽世界は阿弥陀佛の願力によって形成されていて、その性質は物質ではないのです。 それゆえ亭台でも、楼閣でも、宮殿でも、宝塔でも、山水でも花草樹木でも皆透明で物質性が無いのです。
ですから、少しも妨げなく、自由に通り抜ける事ができるのです。 信じられないのなら、一度試してご覧なさい! 」

私は観世音菩薩のお言葉に従って大殿の周りの壁の傍らに行って、又大柱、欄干などに行って試しにぶつかってみました。
進み入って、出て、やはり全く妨げがありません。

けれども手で触れてみると、実物の存在に似た感覚はありますが、妨げはないという事なのです。
これらの現象は、水を探ってみるのと少し似ています。
手を入れてみると確かにものがある感覚はしますが、意のままに通り抜ける事ができるのです。
続いて、観世音菩薩は私を二つの奇境へと連れていって参観させて下さいました。
それは八大景山と華蔵世界展覧館です。


中品下生に生まれてきた者は、一般に妄念は比較的少なく、妄念の無い者も居られます。
彼らの容貌は皆、十六から二十歳の間で、衣服は同じで男女の区別はありません。
彼らの行動も又集団行動で、毎日十万の佛を供養します。 そこの蓮華は層が比較的多く、各種の色が皆光を発していて、下品の蓮華より更に殊勝でした。

ここには「 八大景山 」がありまして、八大景とは、我々の八識つまり、眼、耳、鼻、舌、身、意、那末識、阿頼耶識それらを合わせて八識心田といいます。
阿弥陀佛がこの情景を設立したのは、ここに生まれてきた人に、自分の八識心田を全て「 空 」にするまで修めさせる事が目的だったのです。

第一景山は「 光明景山 」といい、我々の「 眼識 」を代表し、この山の中では、十方世界全てが全て眼によって見る事ができます。
例えば、娑婆世界のある衆生は彼の前世と過去世の情景はどのようなものであるのか。

ある衆生の前世は豚で、その前の生は奴隷であり、その前の生は富貴の家で、その前の生は帝王や将軍であったなどなど、皆一つ一つ見る事ができ、更には他の佛土の情景さえ一目瞭然と分かるのです。
第二景山は「 声聞景山 」といい、我々の「 耳識 」を代表し、この山に到れば、耳は十方世界の全ての音を全て聞き取る事ができます。
どんな音でも耳を通れば、区別がつく様になります。 佛がどの経典を講讀しているかも、聞く事ができます。

第三景山は「 味芳景山 」といい、我々の「 鼻識 」を代表し、この山の中では十方世界のあらゆる匂いをかぐ事ができます。
匂いが鼻を通ると、その中の「 内容 」を判別する事ができるのです。
妊婦の匂いをかげば、胎児が男の子であるか女の子であるかが分かり、金属の匂いをかげば、金であるのか銀であるのか銅であるのか鉄であるのかが分かります。


第四景山は「 音声景山 」といい、我々の「 舌識 」を代表し、十方世界の口から発せられたどんな音でも、上は佛界から下は地獄の音でも、全て聞き取れる事ができます。
第五景山は「 金身景山 」といい、我々の「 身識 」を代表し、この山の中では触覚がとりつき、一切の事物を識別できます。 十方国娑婆世界の一切の金身、三十二相、どの身相も見る事ができます。
第六景山は「 意識景山 」といい、我々の「 意識 」を代表し、この山の中では無数の諸佛を見る事ができます。 彼らはあらゆる前世での修行を全て意の中に現す事ができます。 自分の生まれと世を百世、千世の情景を目の前に映し出す事ができます。

第七景山は「 済明景山 」といい、我々の第七識「那末識」を代表し、これは一つのとても殊勝な境界で、先に述べた六景を同時に集中させたもので、この景においては見たいもの、聞きたいもの、嗅ぎたいもの、味わいたいもの、触れたいもの、法りたいものなどが全て併せて顕現してくる所なのです。
第八景山は「 無辺景山 」といい、我々の第八識「阿頼耶識」を代表し、この境界は全て虚空のもので、過去、現在、未来の三世と十方法界の中の全ての全てが皆映し出されるのです。


「 華蔵世界展覧館 」

中品中生に生まれてきた者は、彼らは生前娑婆世界に居た頃、佛法への認識と修行が、かなり深く厚い人達です。
又、同時に彼らは善行と御布施の方面でも余力を残さない程努力をし、相当大きな成果をあげた人達です。
それゆえ、大きな善根を成就した故に、中品中生の人々は修行においても戒律の護持も、功徳の累積においても全て中品下生の人々に比べて、抜きん出ております。

中品中生の境界は、沢山の部屋と塔があり、述べるまでもなくここの衆生の体形は大きいです。
中品下生よりも大きいです。 故に部屋も塔もそれ相応に高く大きいのです。
中品中生の中では毎日天上から降ってきた花をここの衆生は、毎日広い集め十方佛を供養します。
これらの花はとても殊勝で、とても美しいもので、娑婆世界の花など一万分の一にも及びません。

同時に、天上界から奏でられる音楽はそれはそれは美しいもので、とても筆や墨では形容する事などできない程のものです。
佛経上の説によると「世間の帝王は一万種もの音楽がありますが、転輪聖王の諸音楽の中の一音の美しさに及びません。百千万倍もの美しさであります。

転輪聖王の諸音楽も、DAO利天の諸音楽の中の一音の美しさに及びません。百千万倍もの美しさであります。
DAO利天の諸音楽も、第六天王の諸音楽の中の一音の美しさにも及びません。百千万倍もの美しさであります。
第六天王の諸音楽も、阿弥陀仏刹の中の諸七宝樹の一音の美しさにも及びません。百千万倍もの美しさであります。」


中品中生の衆生は、身体の上から光を放つ事ができ、身体は赤金色で、透明がかっていて、妨げがありません。
刹那の間に諸の仏刹に行って十方佛を供養し、刹那の間にもとの地に戻ってくる事ができます。
生前に大きな功徳が無かった人は、ここの衆生になる事はできません。
中品中生果位に到った衆生は、妄想は少なくなり、あるいは妄想のない者もおります。

彼等が必要な食物も少なくなります。中品下生の様に花蜜ケーキを必要とはしないのです。
なぜなら、彼等は修行と戒律の護持の上でどんどん高くなっていって、これらのものを一切必要とはしない程にまで到っているのです。
中品中生の中には「 華蔵世界展覧館 」という建物があり、この展覧館の中では、佛菩薩の各種各方式の修行方法を見る事ができ、森羅万象を含んでいるという事ができます。
「 華蔵世界展覧館 」の中には、一層一層が有り、各層にはある佛が成仏成道する全ての過程が展示されております。

例えば、阿弥陀佛については、前世はどんな人( 法蔵比丘 )で、師父は誰( 世自在王如来 )で彼は何の法を修めていたか、どんな願を発したか、その前の世ではどんな人で、成仏していなかった頃の百世は、千世前の全ての情景が全て余すところなく一覧する事ができます。
あなたが、何かの種類の境界を見たければ、別の一層に行って、例えば観世音菩薩が成道なされた過程について、彼の生まれと世ごとの生活情景と道を求める過程などが分かります。

釈迦ムニ佛、薬師佛、普賢菩薩、文殊師利菩薩などの人について生まれと世ごとの修行過程が、この「 華蔵展覧館 」の中で見る事ができます。
十方世界の一切の佛、一切の菩薩の情景も又かくの如しです。


八、 上品蓮華 ー 花開見佛 ー

私は、以前の如く、呪文を唱え、蓮華に乗り、上空に向って飛び上がりました。
自分の身体が段々大きくなり、阿弥陀佛に初めてお目にかかった時の様子に変りました。

観世音菩薩は私におっしゃられました。 「 上品上生に生まれてきた衆生は、娑婆世界に居た頃、精進し、修行に勤め、戒律を明珠の如く清らかに守り、佛典を精密に研究し、十悪を断ち、十善を行い、自分が修めている法門の指示に、一つ一つ着実に実践を加えて、身を持って実行し、
勇猛に精進し、十年を一日の如く、肉体の寿命が終わるまでずっと努力した人です。
その他に各種の外功、娑婆世界に居た頃、善を行い、御布施など大いなる功徳をなし、臨終のわずかな時間に上品蓮華のここに生まれてこられた方々です。」

上品上生に生まれてきた衆生は、妄想は既にほぼ完全に無くなったという事ができます。
六根は清浄で、彼等の中でも又、ある者は既に菩薩の境界に到り、自由に変化する事が可能で、神通力を使って遊ぶ事もできます。

例えば、菩薩達が一緒に集まり、ある花に変りたいというのなら、全体が花に変り、塔に変りたいというのなら、全体が塔に変り、石に変りたいというのなら全体が石に変り、樹に変りたいというのなら全体が樹に変るのです。

上品蓮華池の中では、最も小さい蓮華池でも三つの省を合わせた位の大きさがあります。
別の表現をするのならマレーシア三つ分位の大きさがあるという事なのです。


観世音菩薩はおっしゃられました。「 私は今あなたを蓮華池に連れていってお見せしましょう。」
我々は蓮華池に着き、上品蓮華池は確かに他とは違って、池の辺の周囲は中品、下品に比べて更に荘厳で、一重一重欄干に囲まれていて、各種の光を発し、蓮華の中から出る各種の清い香りを放出します。
池の中には宝塔があり、形は高い山の様で、多角形で、千万種もの光を放出していました。

池の中には美しい橋があり、池の面積は全体が見えない程あり、池の中は蓮華が咲き誇っているばかりでなく、万象の風景が配置されており、天空中にある宝蓋珠花がさんさんと光を発し、蓮華も数え切れない程の層となり、層の中には皆宝塔、亭台、楼閣などがあり、美しく人の心に感動を呼び起こします。
蓮華上に住んでいる人は、全身が透明がかった黄金色で、衣服は非常に華麗で各種の色の光を発しています。

突然、観世音菩薩は私にこの様に問われました。「 ここの中には、印光法師( 近代中国三大高僧の中の一人)という名のお方が居られます。 あなたはご存知ですか? 」
私はすぐに答えました。 「 どこに居られるのですか? 彼の名は以前から伺っておりました。ですが、御本人には会った事はありません。」
話している間に蓮華の中の一人の三十いくつ位の男性が突然変化し印光法師の本来の様相になって現れました。

我々はお互いに出会う事ができて、大変喜びお辞儀をした後、ベラベラおしゃべりを始めました。
我々は長く会話しましたが、あるものは忘れてしまいました。
が、彼が散々私に口うるさく言っていた話は未だに憶えています。
法師はこうおっしゃられました。

「 私はあなたが、人間界に戻った後、諸々の修行仲間に伝えて知らせて下さい。戒律を師とし、精一杯守りなさい。一心に念仏を唱え、願行を信じなさい。 そうすれば必ず極楽世界に生まれる事ができます。疑いはありません。
修行者達に言っておいて下さい。 絶対に自分で自分を賢いなどと己惚れてはなりません。 仏陀が定めた戒律、及び祖制、壇自を改めてはなりません。 維新を大々的に唱え、威儀戒律に違反したりする事は本当に心を痛ませます・・・」

我々は一緒に蓮台を降り、私を大楼閣に連れて行って下さいました。途中の道では、各種奇妙な鳥が、金枝玉葉の上で歌を歌い、天楽に合わせて鳴き、各種の優美で感動的な念仏の音が悠々揚々と聞こえてきました。

到る所に艶やかで美しい鮮花が咲き誇り、清い香りが鼻をつき、各種の球状の花がほのかな光を発し、各種の珍珠燈、瑪瑙燈、ガラス燈などが一列一列と並び、各種の光がきらめき、目を奪い目を離す暇も与えず、見切れない位でした。
楼閣に入り、真境は更に殊勝で、私を引き付けました。楼閣は金の光を発し、床も又各種の光を発し、目の前にある全てのものが、光を発しているのです。


印光法師は我々を上楼へと連れて行きました。楼上には各種の水晶鏡があり、中間には最も大きい照身鏡があり、観世音菩薩は私に紹介しました。
「 この鏡は各人の原形を写し出す事ができます。 本性が清浄かどうか、妄想があるかないか、見るだけで写し出す事が出来ます。」

楼上の両脇にはそろった椅子が並んでいて、全て七宝で結成されていて光を発する事ができます。
テーブルの上には奇妙なモノが置いてあります。私には何であるのか分かりませんでした。
観世音菩薩は私がお腹を空かせている事に気が付き、「 お腹は空いていませんか? 」と尋ねられました。
私は実際にお腹が少し空いていたので「 ここに何か食べられるモノは有るのですか? 」

観世音菩薩はおっしゃられました。 「 ここの飲食は下品下生の情景と同じで、あなたが食べたいモノがあれば、来ますよ。」
私は言いました。 「 それはいいですね。 私は白いご飯と、白菜スープを食べたいのです。他のモノは要りません。」

私がそういうと、白いごはんと白菜スープが私の目の前にあるテーブルの上に置かれました。

私は皆に「 あなた方は食べないのですか? 」と聞いてみると彼等は「 私達は普段は食事をしません。 どうぞ食べて下さい! 」
私が知った所によると、上品上生の衆生は殆ど菩薩の果位を成就したので、彼等は飲食の欲望と妄想は非常に少ないのです。
あるいは完全に無くなったとも言える程です。


彼等と比べて、私は自分をとても恥ずかしく思いました。 食べている内に、お腹一杯になり、箸とお碗をテーブルの上に置きました。
しばらくすると箸とお碗が無くなってしまいました。 私は観世音菩薩に尋ねました。
「 どうしてこうなるのですか? 」 観世音菩薩はおっしゃられました。
「 それはあなたがお腹が減ったと妄想したから、ご飯を食べたくなったのです。 それは人間界における夢と同じで、夢を見ている時は何でもありますが、目が醒めると何も見えなくなってしまうのです。

あなたは食べたいと妄想すると食物が来て、お腹が一杯になると、食べたいという妄想も消失するのです。食べ物も又同時に消失してしまうのです!」

私は肯きました。 観世音菩薩は補足しておっしゃいました。 「 自性が清浄であると、食べたいとも思わず、何も欲しいとは思わないでしょう。虚空と同じで何も無いのです。妄想がすこしでも起こると、虚空の中に雲や霧がかかった様になるのです。
この道理はあなたも徐々にわかっていき、その中の本当の意味を理解するでしょう。 」

上品蓮華に生まれた者は、妄念が最も少なく皆真如実性で、菩薩の位に落ちない事がされています。
あっという間に阿弥陀佛の願力を借りて、無数の美しい鮮花、果実、供物などを現出させ、十方諸佛を供養します。
説法の時間になると、千万億の菩薩が皆、蓮華の上にきちんと座り、あるいは、楼閣の上、宝塔の上、七行大樹の上などに座って直接阿弥陀佛が説法なさる声を聞きます。
私は阿弥陀佛に尋ねました。 「 地球上からはきっと沢山の人が極楽世界へと生まれたでありましょうが、何故彼等の親戚は見る事ができないのですか? 」

観世音菩薩はおっしゃられました。「 地球上では、妄業によって多くは覆われていて、沢山のモノは見る事ができません。もし、一心に念仏を唱え、妄想が無くなり、心が虚空の如くなれば地球の人でも極楽世界を見る事ができます。」



私は機を伺って、観世音菩薩に教えを乞い、御開示をお願いしました。
「 では、どの様に念仏を唱えるのが最もいいですか? どの様に唱えれば最も速く修行を修める事ができるのですか?」
観世音菩薩はおっしゃられました。「 禅浄双修をする事が必要です。 一心に念仏を唱え、念仏参禅をする。これを浄土禅といいます。」
私はすぐに観世音菩薩に御開示を乞いました。「 浄土禅とは、どの様にして修めるべきものなのか指示して頂けませんか?」

観世音菩薩はうなずき、この様に御開示なされました。「 まず、二つの班に分かれて念仏を唱えます。( これは西方浄土の衆生の修行方法です。)甲班が阿弥陀佛を両句唱えている時には、乙班は黙って聞いている。続いて、乙班が阿弥陀佛を両句唱えている時には、甲班は黙って聞いている。
この様に修行をすれば苦しくもなく念仏も途切れないでしょう。

耳は最も霊妙になり、耳の中では自ずと念仏が途切れないでしょう。 同時に心でも唱える様になり、心と口が一つになります。
佛性は自ずと顕われてきます。 静まれば定まり、定まれば智慧を生み出すでしょう。」

( 浄土禅の具体的な修行方法と、阿弥陀佛聖号を唱える時の抑揚とリズムは人間界における唱法(発音)とは違います。興味があるのなら、シンガポールの南海普陀山にお問い合わせ下さい。 寛浄大法師が直々に師範なされたカセットテープがあります。)

続いて、観世音菩薩はおっしゃられました。 「 時間が余りありません。 あなたを阿弥陀佛大塔『蓮華塔』へと連れて行きましょう。」
再び、いくつかの楼閣を過ぎると、尖塔が身体のそばを通り過ぎて行き、しばらくして目の前に極めて壮観な大塔が現れてきました。
あたかも中国の崑崙山と同じぐらいの高さで、一体いくつの層があるのかわかりませんでした。

( 見た所、少なくとも数万層はありました。) 「 蓮華塔 」は何角形あるのか分かりません。塔の全体は透明状で、一万もの金の光を放ち、中では南無阿弥陀佛を唱える声がかすかに伝わってきました。
前の二句ははっきりと、最初の一句は悲哀で助けを求める様な、第二句は親切な感じで聞こえてきました。
この「 蓮華塔 」は上品中生に生まれた何千何万の人々がそこで遊ぶ為にわざわざ造られたものです。



この塔はとても大きくて、形容のしようがありません。人間の想像できるものではありません。
およそ、何千何万個の地球程の大きさです。ですからその高さも又、人間の想像できるものではありません。
塔の中には、各種の宮殿があり、各種の色があり、どれも透明がかっていて光を発します。上品中生の衆生がここに来ると、塀を自由に通り抜けて出入りする事ができ、妨げがありません。
上に行くにも、下に行くにも心の意志を動かすだけで、あっという間に行きたい所に行けます。

塔の中は必要なものは何でも揃っていると言えるでしょう。 この中では全ての華蔵世界の全ての衆生と全ての情景と数百億の諸仏の浄土を見る事ができます。
その中の殊勝な情景は筆や墨では一万分の一をも形容する事はできません。
上品中生の衆生はこれらの仏土へ行きたいのなら、これも又、あっという間です。
我々は「 華蔵展覧館 」に入り、身体はエレベーターに乗った様で、一層一層と、層を越えて上がって行きました。
全て透明で、各層の中の沢山の人が念仏を唱えているのが、見えました。

全て三十歳前後の男性で、層ごとに違った服装と化粧をしていて、およそ二十数種類の色で、女性は一人も見かけませんでした。
全体の男性は蓮華台の上に座って念仏を唱えていました。
観世音菩薩はおっしゃられました。「 ここにおいては修行は6時間で、修行は2時間ごとに分けられています。念仏2時間、静止2時間、休憩2時間、今は念仏の時間です。」

我々は中央の一層に行き、中に入ってみました。彼らは一列ごとに並び、両側に分かれて座り、左班と右班で、面と向って鐘と木魚を打つ音が聞こえますが、鐘と木魚は見えません。
彼らが座っている座布団は非常に美しかったです。
中央には大菩薩が居られて指導されておりました。 ある者はよく念仏を唱え、頭上では光を発していました。
光の中には無数の佛が居られ、阿弥陀佛と同じ様でした。
光の中には数億の佛が居られました。 中央の大菩薩の頭上でも光の中に佛が居られました。

多種の鳥が飛び交い、尖塔の上、あるいは大亭の上を飛んでいて、一緒に念仏を唱え、少しも混乱が見られませんでした。
塔の中には各種の珠燈、ガラス燈などが皆、光を発していました。 ある円球燈は自動的に様々な色を発する事もできました。
結局この境界は語り尽くせず、形容の仕様が無い程のものなのです。
十方佛を供養するにも、皆ここに集まり、華蔵世界の全てを見る事ができ、一切の衆生も一切の佛聖も、何百億とある仏土を一つ一つ目の前に写し出すのです。


九、 阿弥陀佛のご開示

九品蓮華を参観し終えた後、我々は再び阿弥陀佛の前に行き、阿弥陀佛の目の前に跪き、三拝し、真心をこめて丁寧にご開示を示して下さる様お願いしました。
しばらくすると、阿弥陀佛の金の口の中から一句一句、慎ましく私にご開示を下さりました。

「 衆生の佛性は、皆平等である。 意識がさかさまになり、幻を真実とみなすと、因果の報いにより、六道において生死を繰り返し、輪廻が絶える事なく、苦しみは万千にもなります。
四十八願を立て、衆生を老若男女を救う事を誓い、信願をもって行い、一心不乱になる事、これが浄土禅と呼ばれるものなのです。
十念を下し、極楽世界に生まれ変わる事を決意しなさい。 」

私は再び跪拝を行い、阿弥陀佛に続けて御開示を下さる事を願いました。

阿弥陀佛は御開示を下さりました。

「 � あなたは娑婆世界と縁があります。 何世代にも亘る父母、兄弟、姉妹、親友を救う必要があります。 戒律を師とし、浄土禅と禅浄双修を教える必要があるのです。 」
「 � 各宗教界、儒教、道教、仏教(十宗釈迦佛法をも含む) 、キリスト教、イスラム教などは団結する必要があります。
各宗教はお互いに助け合い、励まし合い、お互いに非難しあってはなりません。 私が正しくてあなたは邪であるだとか、私が道理であってあなたは悪魔であるだとか、私は高くあなたは低いであるとか、私が尊くあなたは卑しい、など片面の欠点をあげつらい、非難が止まず、お互いの道門を滅ぼす、全く断じてあってはならない事です!
佛門は広く大きく、八万四千法門それぞれが真理なのです。 修行を修めば、邪も正に帰す事ができ、魔も正道に変る事ができ、小さきものも大きなものに向っていく事ができるのです。

必ずお互いに助けあい、愛し合わなければならず、邪を糾し、正を助ける。 それでこそ仏陀の慧命正宗( 智慧と命を正しく受け継ぐ)というものなのです。」

しばらく停止して阿弥陀佛は一言発されました。 「 よろしい。あなたは帰りなさい。 」
私は拝み感謝し、拝み感謝し、再び拝み感謝しました!


道の途中では、あるきながら足元の2台の蓮華が以前の如く飛び、「 南天門 」を見ずして、すぐに「 中天羅漢楼閣 」に戻り着き、私が呪文を唱えるのを止めると足元の蓮華は消え、再び子供が清水を一杯持ってきてくれて、私はそれを飲み干しました。
知客僧は私を部屋の中で休ませ、私は自分がすぐにこんこんと深く眠りに落ちていくのを感じました。( 憶えているのみです。)

十、 人間界に帰る ー 九仙山弥勒洞 -

私が目覚めていく時、すでに寺や廟や菩薩や天人、雄大で偉大な金の光輝く大殿などは無くなっていました。
思い起こしてみると、極楽世界にはおよそ一昼一夜( およそ二十時間程度 ) 旅をしていた様に感じられました。
極楽世界の観光旅行は全て目に焼き付き、目の前にある如しでした。

この時、私の周りは漆黒の様で、手を伸ばしてみても指が見えないほどでした。
私は自分が一人洞窟の中の一つの石の上に瞑想して座っている事に気付きました。
しばらくして、天には朝焼けが出てきて私の精神は徐々に普通の状態に回復していきました。
私は洞窟の中で2~3日礼拝をしました。 叫んでも飛び跳ねても、泣いても一つの消息もありませんでした。
私は一歩一歩下山し、二十里余り歩き、赤水街に辿り着きました。

そこでは、人々がにぎやかに行き交い、道行く人に尋ねてみました。
私は思わずびっくり仰天してしまいました。 時間は既に1974年4月8日で、指折り数えてみると人間界を去ってから何と丸6年と5ヶ月余りが経っていたのです!


覚者は菩薩で、迷っているのは衆生であります。 佛法には因があり、私は今先師虚雲老和尚の志を受け継ぎ、法を広め縁のあった衆生を救おうと努力しております。

この功徳をもって一切に普及させ、私たちと衆生が皆、悉く成仏成道されん事を願っています。

《 完 》





  不気味な国ミャンマー

2011-12-24 08:57:25 |  過去執筆物・翻訳物  



ミャンマーは夢の様な国 人がいい 人の心が純粋すぎる・・・

などと聞いて行ったミャンマー それが3泊で逃げ帰ることに・・・

実際に行ってみると、おかしな事が立て続けに起きる・・・

アジアで初めて、訪れてすぐに嫌いになった。

私の知る限り、世界で最も腐敗した仏教 仏陀の博愛精神とはまるで違う仏教寺院

日本人が沢山訪れても、みんないい印象をもってかえる。

だが、そういう人は南国の景色や表面しか見えていない人だ。

カルカッタでホーりー、ミャンマーとタイで水掛け祭りで水をひっかけられながらカオサンからレポート





そういえば、ミャンマー行きの旅は最初から最後までおかしな事ばかりだった。

カルカッタのマリアのドミでは、ブッダガヤのミャンマー寺院はただで泊れると聞いたのに、実際は50ルピーする。

ブッダガヤで出会った日本人たちはミャンマーの仏教寺院はただで泊れる。 ミャンマーはやさしい人ばっかりと言っていた。

デリーでヴィザを取るとき、職業にライターと書いたら、「 何のライターだ?」とかしつこく聞かれた。 私は「 何でもない。 ただ仏教に興味がある個人ライターですよ。」と言った。

すると、他の所に送って審査が必要だと言われ、「 それなら学生にしておいて下さい。」と言った。

私はふと、何故ライターがそんなにまずいのだろうか? ミャンマーの軍事政権が実態を漏らされるのを恐れているのだろうか? と思った。

私はミャンマーの仏教寺院に行って何年も瞑想の修行をしたいと思っていた。

まず、メインバザールで飛行機のチケットを取るとき、最初 デリー ヤンゴン バンコク がとても安いと言われたのに、実際はデリーからミャンマーは片道16500ルピーもした。

まず、飛行機はデリーからカルカッタへと向かった。 カルカッタ空港の脇でゲストハウスに泊ると、ゴキブリが二匹。

それと、デリーでエアポートに行く途中も、途中で私が踏んでいた所から煙が出てきてしまったり、エアポートで違うターミナルに降ろされたりしたけど、これはインドで起こった事だし、よくある事なのでまあイイ。

私はゴキブリたちと夜を共にするのは勘弁なので、部屋を変えてもらった。

カルカッタ空港ではバックパックが壊れてしまった。 元々デリーで275ルピーで買った安物なので仕方が無い。

こういった事はまあ仕方が無い。


ヤンゴンの空港では、荷物が出てくるまで何と一時間半近くもかかった。 こんなにかかったのは初めてだ!

そして、日本円を両替しようとするとドルかユーロしか扱っていないという。 仕方なく、闇で何とかチャットを手に入れる。

ATM は どこにも無いという。 私はこういった事は後進国で仏教国なので仕方がないと思っていた。

だが、こういった事は後進国だとか仏教だとかいう事とは何の関係もないという事は後で明らかにしていこう。

お金を両替すると、一万円が8万から7万チャット。 お金が山のようになってしまう。

マハシという瞑想寺院に着く。 そこで一ヶ月分の滞在費として、新しい施設への寄付として55000チャットを払う。

そして外国人宿舎に案内される。 そこでタイ人二人とマレーシアの華僑と知り合って、色々しゃべった。 この人たちはとてもいい人で真面目に修行していて、最後まで友好的に接した。

そこで坊主頭にしてもらう。 私はシャツと短パンと帽子という格好だったが、お寺の人たちは僧服を渡してくれない。

私は、瞑想寺院を色々見学した。 私はこういう僧院は初めてだったが、以前からこういう所だと、矛盾や自己欺瞞や腐敗が起こるのではないだろうかという不安があったけど、そうした不安が2泊もしない内に全くの真実であるという事が判明する。

ある日、私が朝早く、朝飯を食べに行くと、僧の人が私の服装を見て、何かをいい列からはずしてしまったのだ。



その時の態度は、まるで仏教徒とは思えないような態度だった。 確かに私の服装は僧服ではないし、粗末な格好だったが、僧服を与えてくれないのは寺院の方であったのだ。 仮に私に非があったとしても、あの態度は仏陀の博愛精神とは正反対のものであった!

最初の頃は、いい国だとか異国情緒があるという風に感じていた。 タイやフィリピンの雰囲気があるし、中華風の所もある。 料理もそれまで食べたことのないような不思議な香りがする。

女性は中国系もいてのっぺりしていて美しい人もいるような気がした。 タナカを塗りとても異国風情があるなと。

だが、私は色々嫌な事があっても、それはどこで生活していても起こってくるし、宗教団体はどこも矛盾だらけでやっているから仕方がない。 自分が我慢するしかないと思っていた。

そして、終に私をぶちきれさせる事件が起こる。 寺の人と、そこに8年滞在している日本人僧侶が私の部屋に来た。

「 あのー 、瞑想をするのなら外国人宿舎の二階だけにして、他の所へは行かないようにして下さいね。 そして外に出るときは腰巻きをして出ていって下さい。 それから服はボタンをきちんと締めて下さいね。

それから、あまり外にでてフラフラしないで、なるたけ外に出ないようにして下さいね。」


その寺の人と日本人僧侶の目つきはとても仏教徒とは思えないほど冷血な目つきをしていた。

明らかに他人の事を見下したような目つきをしていた。 他人をお金で管理している人の目つきで、仏陀の精神などかけらも感じられなかった。

その事が起こってから、私はしばらくして、寺を逃げ出すことにした。 オフィスに行って、滞在費を二日分だけ払って返してもらおうと思ったけれど、これは御布施だから返せないと言われた。

私はすぐに逃げ出したくなり、御布施はそのままにしてタクシーで逃げた。

私に僧服が与えられなかったのは、ある意味良かった事なのだ。 何故かというと、この事件自体が、ミャンマー仏教の正体を見事な位に暴いているからである!

日本人僧侶のフラフラという言葉自体が、他人を酷く馬鹿にした見方を露出している。

そして、ダウンタウンのゲストハウスに着き、すぐにバンコク行きのチケットを買いに行く。

そこで、終にミャンマーの実態を暴く決定的な人物と出会えたのだ!

私はバンコク・エアウェイズのオフィスから下に歩いていくと、あるガイドみたいな人に声をかけられる。


その人に、今まで起こった事を少し話した。

ある、公園の外の柵に座っていると、警官が「 そこに座るな! 」と言ってくる。

私は彼に「 ミャンマーに来てから、悪い事ばっかりだよ。 いい事なんて一つもないよ。」 という。

彼は実はインド人で日本語もミャンマー語もぺらぺらで、私との会話は全て日本語である。

彼は私にこんな事を言った。 「 イイ勉強になったでしょ。 もう二度と来ない方がいいよ。 」

彼は、自分の事をひとしきり話した。 おじいさんの代からミャンマーに居て、彼は8年間暮らしている。

子どもの頃から、おじいさんからミャンマーの事を話して聞かされたので、ミャンマー人の考える事は何でもすぐに分かるという。

彼は3ヶ月前にミャンマー寺院に入って、日本人僧侶について修行しているという。

私が寺院の事を話して「 ミャンマーの瞑想寺院は仏陀の博愛精神とは全然違うよ! 」と言うと、「 ミャンマー人は心と実際にやっている事全然違うよ! 」という。


私が、ミャンマーの人が、他人の事をとても見下した目つきをしていた事を言うと「 ミャンマーの人は他人の事を、お金持っている持っていないとか乞食じゃないかとか、そういう見方をするんだ。」

「 あなたは可哀相だよ。 今度あなたをミャンマーで見かけたら、私怒るよ。 」

彼が私を可哀相に見ているのは、彼はミャンマー人の考える事や実態を知っていて、私を可哀相に見ているのである。 実際はもっと酷いという。

悪い目で見られているだろうし、誰にも歓迎されていない。

おじいさんからはミャンマー人と友人になってはいけない。ミャンマー人は金が無くなるとすぐに逃げていってしまう。 などと話してくれた。

彼は私みたいな人に会ったのは初めてだという。 その意味は、 日本人はミャンマーにいい印象を持って、私の様な事を言う人はいないからだ。

私は「 じゃあタイ人はどうですか? 」と聞いてみる。

「 タイ人はいいよ! タイ人はミャンマーと全然違う。 」

「 じゃあインド人とタイ人は?」

「 インド人はやさしいよ。 タイ人は悪い事をする。 インド人が何か悪い事をした事を聞いた事がありますか? 」

私は 「 確かに、インド人は信じられない位親切でフレンドリーです。 ヴァラナスィーでは、外国人殺人とかミッシングについて聞いた事がありますけどね。 」

彼は「 世界のどこに行っても、金を持っている風に振る舞っちゃいけないよ。 服も行く所も。 」 と言う。

「 ミャンマー人はお金が大好きよ。 お金さえあれば何でもできるよ。 」



そして、私が仏教寺院を出る際には、半ズボンをはいた人を見かけたし、尼僧がケータイで話している。 こういう矛盾は放っておかれるのだ!

私は、チケットを買う。 その後彼らと話を続ける。

私はためしに「 日本人や中国人はどうですか? 」とたずねてみる。

「 日本人は好きよ。 中国人はミャンマー人と一寸似ている所がある。」

後に判明するのだが、中国人とミャンマー人が似ているのは、他人に対して、無意味ないやがらせをするという所なのである。

彼はミャンマーの仏教について、驚くべき事実を話す。

それは何と、 ミャンマーの仏教僧は、ワインを飲んだり、女を買いに行くのだという!

ミャンマーでは、寺の中には神様が居るから戒律を守るけど、寺を一歩出たら、戒律など守らないというのだ!

その理由は寺の外は神様と関係がないのだという!



ヘェー ! そんな仏教僧など聞いた事がない! ミャンマーでは、仏教僧は寺の中では仏教僧の関係だが、寺を一歩外に出たら仏教とは何の関係もない人間関係になるのだという!

更には、寺にお客さんが来ても、お金を沢山払う人には、どうぞ! どうぞ! とお茶を持っていったり丁寧に接するが、お金をあまり払わないと、ちゃんと礼拝しているか! みたいな態度になるという。

彼はミャンマーの寺院で修行をしているので、そういう事については詳しいという。

彼は、ミャンマーの僧が女を買っている所を何度も見たし、日本人ビジネスマンはミャンマーから帰る前に、女と遊んでいくという。

おまけに、ミャンマーの寺院に居る日本人仏教僧も、ミャンマーの女を買っているという!


彼は私にミャンマーの仏教寺院の音楽が入ったテープは要りませんか? と聞いてくる。

私は「 要りませんよ。 そんなもの聞いたら罪が移っちゃう。」

私は彼に話した。「 普通の俗人が、外で女を買うと地獄へ落ちる。 だが、仏教僧みたいな人が外で女を買うともっと酷い地獄へ落ちる。 何故かというと、神の名を汚したからです。 普通の人が女を買っても、他の人は何も思わない。 でも、仏教僧みたいな人が女を買うと、社会の人は 仏教寺院を馬鹿にして信仰を失ってしまうでしょう。 社会的に悪影響が強くなります。 」

私は彼に「 じゃあ、そんな所で瞑想を何年も修行したって、何になるの? 」

彼 「 何にもならないね・・・ 」

私は、日本でミャンマーのヴィパッサナの瞑想を修行している人が多く、日本人がミャンマーで沢山、何年も修行していると聞いたので、わざわざミャンマーに来たのがこのありさまである!



 
 彼は「 この事を日本人に伝えておいてね! 」と言う。




私はその後、彼と別れゲストハウスに戻る。 ダウンタウンの町並みは、ミャンマーで最も繁栄している筈なのに、町並みは今一つ活気に欠ける。

メンを頼むと、メンに香辛料などを振り掛けて、おばさんが手で混ぜるのだが、その手つきは何とも汚らしい。

町並みを見れば見るほど薄気味悪い感じがする。

繁栄しているストリートへ行っても、中華のような活気も無いし、タイのような華やかさもない。

若者達の表情は今一つ精彩に欠け、夢や希望が欠けているように見える。

最初はノッペリしている風に見える人たちもヨクヨク見てみると、人相が良くない。

それでも、まだ仏教寺院に比べたらましである。 町中では庶民は親切に接してくれる。 瞑想寺院の中のあの、冷淡な異物排除の目つきはない。

ミャンマーでは最近ヒップホップが大流行なんだけど、89年19才位からヒップホップを知っている私にとっては、何を今更という感じだ・・・

又、私の泊まっている部屋はドア以外に窓がなく、部屋の中は暑苦しい。 ドアを開けて空気を入れるのだが、それでも蒸し暑い。

私は「 この国は呪われている!」 と思った。

何もかもが不合理なのである。

すぐにでもこの国から逃げ出したい気分がしてくる。



日本円をドルに両替したら4万円が結局は250ドルにしかならなかった。 一万五千円以上損した計算となる。 だが、ミャンマーは丁度水掛祭りの際なので、オフィスは閉まっているから仕方がない。

バンコク行きのチケットも80ドル位と言われていたのに、水掛祭りなのでオフィスが閉まっていて、結局152ドルもした。

何もかもがこの調子だった。 インド人は7時に又会おうと約束していたのに、結局は来なかった。

騙され続けである・・・ ゲストハウスからエアポート
に行く途中は、水掛祭りが始まった時で、道の脇にステージみたいなのを造って若者達が音楽をかけてダンスをしながら、車に水をかけている。

トラックの後ろに若い人達が集まっていて他のトラックに乗っている若い人たちと水を掛け合っている。

景色はまさに南国の楽園といった風情なのだが、実際の庶民の暮らしは全然違うのだ。

南国の美しい景色を眺めていると、私は更に不気味な感じがしてくるのであった・・・



結局、私が半ズボンをはいていた事を起こられたのも、公園の脇に座っていた事を起こられたのも、無意味な嫌がらせでしかなかったのである !

公園の脇に座っていたって、何も不便な事はないのである。 他の国では当たり前のように座っているし、 そうして起こる不都合はない。

寺院の中での服装にはうるさいが、寺院を出た後女を買ったりワインを飲んだりする事は許される。 寺院の中でケータイで話す事は許される。

空港で日本円が両替できないのも、荷物を受け取るのに一時間半かかったり、その他いろいろな不都合も、本当は後進国だからではない。

根本的に他人への親切心が欠如しているのである。

つまり軍事政権は自分たちがいいくらしをしているだけで十分であり、 一般庶民に対しては棒で殴ったりしていれば、自分たちのいい暮らしは確保できるのであって、他人への思いやりや親切心などどうでもいい事なのである。

帰りの空港で見た、ミャンマーの娯楽はわざとらしくて気持ちの悪くなるようなものであった。

まるで他の国の猿まねであるという事がすぐに見てとれるような代物なのである。

女性や子どもが頬に木の汁を塗り付けるのも、単にしきたりだからやっているだけなのである。

そうして起こる不合理などどうでもいいのである。

それはミャンマー仏教の形式主義を見ていれば明らかな事なのである。




外的な形式には拘るが、内面の実態は仏陀の精神から遥かにかけ離れてしまっている。

それにしても、私はブッダガヤの寺院や、ヒンドゥー教の寺院、あるいは世界中の仏教寺院へ行ったけど、あれほど腐敗していたり、あれほど異物排除の目つきをされた事は初めてである。

そしてそんな国を、日本人達が皆、いい印象を持って帰っているというのは、日本人達は目に節穴が開いているという事なのである。

結局、ミャンマーにたった3晩滞在するのに、10万円位かかってしまった。 大損である。

だが、この滞在で得た教訓は自分に取って計り知れない。

つまり、外面を坊主頭にしたり、僧服を着たり、僧院に何年もいたとしても、そんな形式的な事など何もならないという事なのである ! そんな事なら誰でもできるだろうし、何も凄くはないし。 何も尊敬するに値しない。

私は瞑想を修行している日本人には何人にもあった。

いろいろな人が居た。 さすがにやさしく思いやりのある人も居た。



しかし、ミャンマーで出会った日本人仏教僧の中には、閉鎖的で他人に対して無関心、又不自然な位冷淡な人が多いのである。

日本人瞑想修行者にはこういったタイプが多い。

これでは、一体何の為の瞑想修行なのだろう!

普通の社会人や庶民の方がよほど人格的に陶冶されている。

普通の社会人は、社会の中で礼儀などを身につける。 それができなければ、とても社会の中で暮らせない。

若い人達は、とても他人に対して親切である。

こんな馬鹿な事が現実として起こってくるのである!

又、寺院の中で瞑想修行ばかりしていると、認知科学が発展しない。

つまり、普通の生活をしているとテレビや新聞やらで、いろいろ見聞が増えるのに、仏教僧は寺院の中で瞑想ばかりしている。

そこで自分は普通の人より偉いんだとか、外部世界を見下したりする。

そうして結局は仏陀の博愛精神とは正反対になってしまうのである!



ミャンマーの首都ヤンゴンのダウンタウンのスーラ・パゴタの周りが、繁華街だっていうんだけど、タイの農村の繁華街と同じ位なんだ。

 とても一国の首都とは思えない。 ほとんど仕事とかやることがない。

 飯屋に入って、ご飯を頼むと、小さなお皿にご飯を申し訳程度にもる。

 そして自分でおかずを盛ろうとすると、盛らせてくれない。    ほんの少しご飯の上におかずをのせてくれる。

 後でおかずが足りなくなり、自分で盛ろうとするとやはり盛らせてくれない。   おかずをひとかけらだけ盛ってくれる。

 中国では、あまる位たっぷり盛ってくれる。
 タイでもできるだけ、お客さんをもてなそうという心が感じられる。

 タイの仏教寺院ではミャンマーのような異物排除の目つきはまったくない。

 半パン、外国人、庶民・・・ いろいろな人が礼拝をしに来ている。僧侶達はさまざまな人に対して寛容である。



 また、ミャンマーのヴィパッサナの教義は、殆どがタワゴトだと思っていい。

 ミャンマーの人はヴィパッサナが、最も優れた瞑想法だと言っているけど。

 日本人とかタイ人は、ミャンマー語を習ったり、ミャンマー上座仏教の教義をありがたがって勉強している。

 だが、ミャンマーの仏教の教義はインドの仏教の教義とはかけ離れているし、私の経験ではミャンマーに関する話は、殆どが嘘か騙しかタワゴトだった。



 俺も、最初はミャンマーの瞑想寺院に何年も滞在して、ミャンマー語やミャンマー上座仏教を研究しようかと思っていたけど、実態が分かりアホらしくなってやめた。


[20] RIN 2005/04/18 13:11

>>19
そうだよ、仏教のような薄汚いものを研究する必要はない。
肉食・妻帯している時点でもう終わってる!
信仰するならヒンズー教にしなさい。これ以外の宗教は邪道である。気をつけたまえ!


[21] RIN 2005/04/18 13:30

瞑想からでは悟りを開くことが困難だ、時間(寿命)の制約もあるし尚且つ理不尽な修行方法といえる・・
一番よい方法は、バクティヨーガ(献身奉仕)の道より至上主惑星に向かうことが大事である。
他のヨーガ方法では、明日何かの事故で死に至った場合にまた輪廻してその遣り残した修行に専念することになるからだ。
しかし、バクティヨーガで常日頃から献身奉仕している人は、いつ死んだとしても至上主のもとにいけるのである。
もうこの儚い現象世界へ二度と生まれてくることはないのだ=解脱である。


 俺、ミャンマーの瞑想ってのは、単に経済構築に失敗したビルマ式社会主義の軍事政権が、仕事のない人達を寺院に閉じ込めて瞑想させているだけという感じがするんだ。

 本当の信仰心を持っている人なんて殆ど居ないような感じがする。

 そんで上座仏教国だからといって日本人が沢山騙されているだけだ。

 ミャンマー側にとってみれば、ありがたい外貨収入となる。

 ヴィパッサナー瞑想法なんて、自分の国も満足に治められない、自分の寺院や心も支配できない人が日本に来て教えているだけ。

 又、何も知らない日本人が、上座仏教国だといってありがたがっている。

 そんな気がして仕方がない・・・



ミャンマーのアヘンを中国やアメリカに売って政治資金を稼いでいるんだ。

ミャンマーじゃ情報統制が中国より酷く、情報が遮断されていて、ミャンマー人は自分の見た事、考えを言ったら投獄される。

軍事政権をギャグにしたコメディアンは7年間投獄されたという。

今でも、奴隷労働者が沢山いる。




又、宗教を集団組織化するとどのような弊害が起こるかも分かった。

結局はファシズム・異物排除の世界なのである。

もちろんそれに利点もあるかもしれない。 沢山の若者を短期間で修行するには。

だが、そこで陥るのは集団形式主義であって、内面の精神の追究より、形式をとりつくろう事にエネルギーが費やされるようになるのである!

本来は、そういった形式主義が嫌で出家生活をする筈である。 ところが瞑想寺院に入ると、俗世間より遥かに、不合理な形式主義を強いられるという事になりかねない。

そして若い男のエネルギーは、寺院の中に収まりきれず、ワインを飲んだり、女を買ったりする事で爆発してしまうのである!

又、宗教をやっている人と話をしても、あまり面白いと思う事はほとんどない。 かれらは結局は宗教的な話しかしない。 こちらが科学や歴史や哲学や音楽の話をしたとしてもそれほど興味を示さない。

これらの短期間の滞在は私の認知科学・意識科学の発展にとてつもなく貢献した。

以前の私は、仏教寺院や仏教僧を見ると、とても尊敬の念にかられた。

だが、私は今は内部を覗いてしまった。 仏教僧を見ても何の尊敬も感じなくなっていた。

幻滅を感じて薄気味悪くなったものである。



もちろん仏教寺院や仏教僧は大事であるし、社会的に見ても無いよりはあった方が絶対にいい。

であるが、日本では仏教に得度された高僧が居るという話は聞いた事がない。 韓国では仏教のお坊さんが悪い事をするのだと言われているという。

私はもう、二度と仏教寺院で瞑想修行をしようとは思わないだろう・・・

私は結局はジョン・ブロフェルドのような放浪者なのである。

バリバリの出家行者や僧にもなり切れず、完全な世捨て人にもなり切れず、また普通の生活もできない。

普通の生活をしたら精神の空白状態に陥って、何の為に生きているのかわからなくなってしまう。

こういうすべて中途半端な寅さん状態に陥ってしまったのである。

でも今はそういった態度がむしろ一番いいのではないかと思うようになった。

21歳のころから私の人生は宗教と世俗の間をフラフラ行ったり来りさまよいながら、螺旋状に発展して行っている。






ここで、映画

ミャンマーの仏教瞑想寺院に、突然変な男がギターを持って現れる。

寺院では皆瞑想を真面目に修行しているが、陰ではワインを飲んだり、女を買いに行ったりしている。

そこに突然髪をツンツンにして破けたT-SHIRTを着た奴が現れる。

そこでギターをうるさい音で鳴らしはじめる。 飛び上がってポーズを決めたり、ギターをかかえて踊ったりする。

ミャンマー仏教の高僧は、怒って、追い出そうとする。

だが、パンクスはバンド編成でもっとうるさい音でがなり立てる。

最初は変な目で見ていたミャンマーの仏教僧達もその内にのりはじめ、 最後には寺中がレイヴのようになってしまう。

寺の中でミャンマーの仏教僧達が、狂ったように踊りまくる・・・







タイの水掛祭りは初めてだけど、こんなに凄いのは見た事がないね。

まるで町中レイヴパーティーだよ。 知らない人に水をぶっかけ、顔に粘土みたいなのを塗ったり、音楽をかけて踊ったり・・・

最初は、あきれていたけど、そのうちに俺もノリはじめていた。

こういった祭りがタイ人達に一体感を与えているんだろうね。

日本にもこんな祭りがあったらいいな。



 最近、インド旅行ってのは全く普通になってしまったね。

 ふた昔前だと、インドを旅している日本人っていうと一癖もふた癖もあるむさいパッカーとか髪の毛後ろで止めてるヒッピーみたいな感じだったけど。

 ヒップ・ホップやパンクスみたいな奴とか、渋谷のキャバクラからそのままインド来たような若い女性だとか、会社9日間休んでインド来たとか、全く普通の日本人なんだ・・・

 カオサンに日本人ギャルが一人でキョロキョロしているのを見て、あんなの速攻で狙われるな!  と思った。

 日本の常識がそのまま通用すると勘違いしている。

 カメラをそこら辺に置いとくと速攻で持ち去られる。

 そういった基本中の基本から教えないと・・・


 以前は全く見かけなかった 中国・香港・台湾 などの中華系も多くなって来た。

 今書いてる事は全て5年位前の話。 現在ではもっと変わっていると思う・・・