今回は買い物に行く途中で看板を見つけた高井城跡に寄ってみた。
高井城跡
高井城は、小貝川を北に臨む半島状台地に築かれた、取手市内でもっとも大きい戦国時代後期の城跡である。
城跡全体は約200m四方の規模で、その内部は、主郭とそれに付属する二つの曲輪からなる中心部と、その外側に広がる外郭から成り立っている。標高は21m、小貝川に沿った低地からの比高は約10mである。
現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分しか残っていないが、城の中心部である主郭とそれの伴う曲輪は良好な状態で保存されている。
高井城がいつ頃築かれたかはあきらかでないが、高井の地名は建武三年(1336)11月22日付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)とともにみえ、この時点で相馬氏の知行地であった。
天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条氏とともに下総相馬氏が滅亡したため、高井城は廃城となりその役割を終えた。
(現地解説板より抜粋)
主郭 主郭の虎口
【城郭データ】
名称:「高井城」(高井城址公園として整備済)
所在地:茨城県取手市下高井
城郭構造:平山城
主要城主:相馬氏
廃城年:1590年(天正18年)
遺構:曲輪、空堀、土塁
駐車場:専用無料駐車場有
高井城跡
高井城は、小貝川を北に臨む半島状台地に築かれた、取手市内でもっとも大きい戦国時代後期の城跡である。
城跡全体は約200m四方の規模で、その内部は、主郭とそれに付属する二つの曲輪からなる中心部と、その外側に広がる外郭から成り立っている。標高は21m、小貝川に沿った低地からの比高は約10mである。
現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分しか残っていないが、城の中心部である主郭とそれの伴う曲輪は良好な状態で保存されている。
高井城がいつ頃築かれたかはあきらかでないが、高井の地名は建武三年(1336)11月22日付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)とともにみえ、この時点で相馬氏の知行地であった。
天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条氏とともに下総相馬氏が滅亡したため、高井城は廃城となりその役割を終えた。
(現地解説板より抜粋)
主郭 主郭の虎口
【城郭データ】
名称:「高井城」(高井城址公園として整備済)
所在地:茨城県取手市下高井
城郭構造:平山城
主要城主:相馬氏
廃城年:1590年(天正18年)
遺構:曲輪、空堀、土塁
駐車場:専用無料駐車場有