今回は1泊2日で長崎県を軽く旅行してみた。
雲仙市で「雲仙地獄」を散策した後は、南島原市にある国指定史跡「原城跡」に行ってみた。

原城跡は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つにも登録されている。
「原城」は、圧政と飢饉を契機に、1637年から1638年にかけて天草四郎が率いるキリシタンや農民が蜂起した
「島原・天草一揆(島原の乱)」の舞台になった城である。
キリシタンや農民約2万数千人が江戸幕府を相手に原城に籠城し、幕府軍の総攻撃で全滅させられた。

本丸大手門前には、原城一帯に散乱していた敵も味方もない骨を集め供養した「ホネカミ地蔵」がある。
(観光パンフレット)
世界文化遺産 原城跡
原城は肥前有馬氏の本城であった日野江城の支城として、1598年から1604年にかけ有馬晴信が築いた城郭です。
島原半島南東部の海に面した丘陵に立地しており、本丸のほか二ノ丸、三ノ丸、鳩山出丸、天草丸などの曲輪で構成されます。
全体的には土造りの曲輪が並立する中世的な構造をベースとしながら、本丸のみは総石垣造りで近世初頭頃の城郭の様相となっています。
本丸には櫓台や、複数の門を伴う巨大な虎口(出入口)が設けられ、礎石建ちの瓦葺き建物がありました。
1612年の晴信の失脚、1614年の有馬直純の日向転封を経て一時天領となった後、 松倉氏の支配となりますが、
1618年の島原城築城開始に伴って廃城となりました。
その後、1637年から1638年にかけて起こった島原・天草一揆では、廃城となっていた原城が一揆勢の籠城の拠点となりました。

本丸跡。 本丸から雲仙岳方面の眺望。
原城は、島原天草一揆の後に、徹底して破却が行われており、平成に入ってからの発掘調査によって発見されるまで、
石垣を備えた本丸の姿は土砂によって完全に埋め尽くされていた。
また、発掘調査の結果、大量の陶磁器や人骨、また一揆軍が身につけていたであろうクロス、メダイ、ロザリオなどの
キリシタンの遺物も多く出土した。

本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望作の天草四郎像や、西有家町の民家の石垣の中にあった天草四郎の墓石と伝えられる石が建っている。
原城跡を見学したあとは、長崎市街地に行く途中で、小浜温泉に寄って、
長崎ちゃんぽん、天草ちゃんぽんと並んで「日本三大ちゃんぽん」の一つに数えられることもある小浜ちゃんぽんを食べてみた。
小浜ちゃんぽんは、豚骨や鶏ガラをベースに、特産のカタクチイワシなどの魚介出汁を合わせたあっさりしたまろやかなスープに、
麺はもっちりとした長い太麺、具材には地元の豊富な魚介類と野菜が使われているそうだ。

小浜ちゃんぽん。美味かった。 チャンポンを食べた後は小浜マリンパークを散歩してみた。
その後は長崎市内へ向かった。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「原城跡」
所在地:長崎県南島原市南有馬町
城郭構造:梯郭式平山城
築造主: 有馬晴信
築造年:1598年から1604年
主要城主:肥前有馬氏
廃城年:1616年(元和2年)
遺構:石垣、空堀、虎口
観覧料:無料
公開時間:常時開放
駐車場:有(無料)
雲仙市で「雲仙地獄」を散策した後は、南島原市にある国指定史跡「原城跡」に行ってみた。


原城跡は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つにも登録されている。
「原城」は、圧政と飢饉を契機に、1637年から1638年にかけて天草四郎が率いるキリシタンや農民が蜂起した
「島原・天草一揆(島原の乱)」の舞台になった城である。
キリシタンや農民約2万数千人が江戸幕府を相手に原城に籠城し、幕府軍の総攻撃で全滅させられた。


本丸大手門前には、原城一帯に散乱していた敵も味方もない骨を集め供養した「ホネカミ地蔵」がある。
(観光パンフレット)
世界文化遺産 原城跡
原城は肥前有馬氏の本城であった日野江城の支城として、1598年から1604年にかけ有馬晴信が築いた城郭です。
島原半島南東部の海に面した丘陵に立地しており、本丸のほか二ノ丸、三ノ丸、鳩山出丸、天草丸などの曲輪で構成されます。
全体的には土造りの曲輪が並立する中世的な構造をベースとしながら、本丸のみは総石垣造りで近世初頭頃の城郭の様相となっています。
本丸には櫓台や、複数の門を伴う巨大な虎口(出入口)が設けられ、礎石建ちの瓦葺き建物がありました。
1612年の晴信の失脚、1614年の有馬直純の日向転封を経て一時天領となった後、 松倉氏の支配となりますが、
1618年の島原城築城開始に伴って廃城となりました。
その後、1637年から1638年にかけて起こった島原・天草一揆では、廃城となっていた原城が一揆勢の籠城の拠点となりました。


本丸跡。 本丸から雲仙岳方面の眺望。
原城は、島原天草一揆の後に、徹底して破却が行われており、平成に入ってからの発掘調査によって発見されるまで、
石垣を備えた本丸の姿は土砂によって完全に埋め尽くされていた。
また、発掘調査の結果、大量の陶磁器や人骨、また一揆軍が身につけていたであろうクロス、メダイ、ロザリオなどの
キリシタンの遺物も多く出土した。


本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望作の天草四郎像や、西有家町の民家の石垣の中にあった天草四郎の墓石と伝えられる石が建っている。
原城跡を見学したあとは、長崎市街地に行く途中で、小浜温泉に寄って、
長崎ちゃんぽん、天草ちゃんぽんと並んで「日本三大ちゃんぽん」の一つに数えられることもある小浜ちゃんぽんを食べてみた。
小浜ちゃんぽんは、豚骨や鶏ガラをベースに、特産のカタクチイワシなどの魚介出汁を合わせたあっさりしたまろやかなスープに、
麺はもっちりとした長い太麺、具材には地元の豊富な魚介類と野菜が使われているそうだ。


小浜ちゃんぽん。美味かった。 チャンポンを食べた後は小浜マリンパークを散歩してみた。
その後は長崎市内へ向かった。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「原城跡」
所在地:長崎県南島原市南有馬町
城郭構造:梯郭式平山城
築造主: 有馬晴信
築造年:1598年から1604年
主要城主:肥前有馬氏
廃城年:1616年(元和2年)
遺構:石垣、空堀、虎口
観覧料:無料
公開時間:常時開放
駐車場:有(無料)