明日に架ける虹

家族の大腸がん、自身の卵巣腫瘍などの体験記と日々の日記

はじめに

父と母
生前の父と母の最後の2ショット
◎将来的には3人に1人の確率で癌になると言われていますが我が実家は4分の3の確率でした。
母はすでに旅立ち、父は現在も闘病中、私はサバイバーです。
家族と自分のがん体験記そして 持病の子宮内膜症治療とチョコ膿腫摘出などの記録 その他日々の所感について綴っています。

◎たいした内容はもりこんでありませんが、闘病記など特定のジャンルのみ閲覧希望のかたは、 カテゴリ表示で絞ってご覧下さい。

3度目の手術

2009年02月19日 | 大腸がん 父の闘病
昨年の肝臓の手術後、FOLFOX→FOLFILIの補助抗がん剤治療をしていた
治療も8ヶ月以上たち、転移も見られなかったので、
最初の希望通り『完治』が実現したと喜び、
主治医の先生と抗がん剤の中止について検討する為年末に1度お会いしようと言う事になった
先生も、単に私達への説明の材料にと撮影しただけのCT検査に・・・
再々発が見つかってしまった
前回90%残した肝臓左葉の下部に1cm弱の腫瘍らしき影が3個。
「どうしますか?もう一度完治を目指して手術するなら、
また大学病院の方へ手続きします」と言われた。
マイクロウエーブやラジオ波でも希望するなら実施を検討するが、
腫瘍の性質によっては、拡散の可能性もないわけではありませんとの事
何と言ってあげたらいいのか分からなかった
一度見つかった癌はどうしてこんなにもしぶといのか。。。どこまでついてくるのか。。。
最後は父が決断した。
手術をして取ってしまいたい
そして、2月19日3度目の手術。
前回術後せん妄で大騒ぎしたので、術後は先生の判断で個室にしてくれました
驚いた事に、主治医の先生の指示で患者希望でなければ、
個室の差額ベット代金はかからないとの事だ

それでも、心配だったので術後は仕事が終わり次第病院へ直行した
翌日私が行った時、廊下の公衆電話を通り過ぎようとすると、
何だかとっても似ている後ろ姿が・・・でも昨日夕方手術終わったばかりでまさかねぇ
と通り過ぎようとすると、やはり父でした
痛みも分からずこんなに行動するとは・・・やばい
話しかけたら、看護士さんにオムツを用意してと言われたからちょうど私にする所だったらしい
ナイスなタイミングでよかった
部屋に連れて帰り、のボリュームを大きくして(耳遠いから)わざとイヤホンなし
今日のニュースを観ながら、今日がいつで、
おじいさんはこの病院で昨日手術したばかりという現実を世間話で植えつけた
2時間位話したら、随分落ち着いて日常と変わらなくなった
そんなんで、5日間夕方ずっと通い詰めのかいあってか、今回はなんとか『ぼけ』ずに乗り切れた

ただ1つ何よりショックだったのは、術直後の先生の説明で
術前検査で1つ気になる所・・・腸間膜にうっすら影があったのでよく見てみると
小さな播種が2個見つかりました。
これは、原発の下行結腸が露出していた辺りです。と言う事だった・・・
母の時に随分色々な事を精神的にも学んだので動揺は少なかったけれど、
1度目の手術の際、あんなに時間かけたのになぜ腸間膜を隔大手術してくれなかったのか
医師でない私にはどうすることも出来ないが、闘病中は疑問がいつもつきまとう
あんなに母の分も『完治』を目指していた父の事を思うとなんとも言えない気持
結局、播種の方はまだ当分悪さをしないものなので、
肝臓の再発防止を最優先に考えて、術後体力の回復を見て「肝動注」をしましょう
ということに。

『播種』・・・この言葉は、癌の闘病を知った者なら、完治は望めない事を意味することは周知。
いつか父にも生のある限り癌との闘病は避けられない事を話さなければならない。