雑感 ~ 生きることの意味 ~

  ~今ある人生をどう生き、そしてどう終えるのか~

身体的苦痛の軽減

2019-08-27 23:00:27 | 自問自答

 

長い間苦しんできた「坐骨神経痛」が最近軽減されたことが自覚できるようになった。この三年間は痛みと向き合った闘いの日々であったといえる。

「坐骨神経痛」に限らず痛みの軽減は多くの人の願いであり、人々が求めるところである。

苦痛を避け快楽(快適)を体得することは、万人が目標とする姿である。しかし、年齢を重ねるごとに原因不明の痛みが生じることが多い。それは姿勢が歪み、動きがだんだん鈍くなるということであり、「老い」(エイジング)を自覚するということだと思う。

身体が偏り錆び付いてくると、自分の行動範囲も狭まり、だんだん自分自身に自信が持てなくなる。存在していることが不安になることも頭をよぎる。人生を厭世的に考えるようになる。心が病んで、時には死んだがましだと思うこともある。まさに「死に至る病」である。

山本太郎は大衆に向かって「生きててくれよ。死にたくなるような世の中止めたいんですよ」と叫んだ。それは、15歳から39歳の死因の第一位が自殺であるという現実を受けての発言であった。

政治家の仕事は皆が生きやすい社会を作ることには違いない。それは福祉国家の充実ということと連なるだろう。そして生きやすい社会とは、個人があくせくしないで生きれる社会であり、できるだけ個人が苦しまないで生活できる社会の在り方であると思う。

坐骨神経痛を発病した時、椅子に座るや否やお尻の後(坐骨周辺)がピリピリとした激痛に襲われることがしばしばあった。じっと耐えるしかない状況だった。いつも痛いわけではないが、痛みが襲ってくるという感じで太腿の裏にかけて激痛が走ることがしばしばあった。

直接の原因はハーフマラソンを無理して完走したことではないかと思っている。身体が悲鳴を挙げていても精神はそれを押し切ることがある。その後遺症は大きなダメージをともなってやってくる。

最後まで走る切るのが美徳と教え込まれた心は、それを止めることは敗北だと刷り込まれていた。止める勇気がないのである。自己満足の世界である。

整形外科には一度だけ行った。レントゲンも取った。腰椎の4番と5番の間が狭くなっていて神経が圧迫されているという診断だった。ブロック注射は遠慮して漢方薬を頂いて帰った。根本的な治療は姿勢と生活習慣を直していくしかないと思っていたので、それ以降病院には行ってない。当時は丁度学んでいたベトナム医道のディエンチャンの施術に大変お世話になった。顕現した痛みを軽減するのに効果はあったと思う。

この間、ヨガやピラティスは毎日やっているので、これらのレッスンが身体に良い影響を与えていたことは間違いない。しかし、それでも痛みは不定期にやってくる。ヨガもピラティスも考えて考えてやっていたせいか、痛みの位置がだんだん変わってくるのを感じるようになった。お尻周辺の痛みから二年目・三年目には太腿の前面の方に重たい痛みや痺れが現れるようになった。

最初は座ってから痛みが来ていたのが、後半には歩いているときや立っているとき痛みが来るようになっていった。いつもではなく、仕事の帰りにコンビニとかによって買い物していると右足の太腿が痺れてきて痛くなるというパターンに代わってきた。しかも、必ずいやになるほど痛みが来る。(あとで気づいたことは歩き方が間違っている。悪い歩きをしているので改善できてないのではないかと思うようになった?)

こんなにヨガやピィラティスをやり、時には一本歯下駄でのウォークもやっているのに、何故痛みが来るのか。叫びたくなるような自問自答の日々が繰り返された。

特に一本歯下駄は姿勢を正すのに有効との自覚があったので週一回は歩くようにしていた。時には軽いジョギングも入れたりした。走り始めは痺れがあるけど走っているうちに痛みが消えることを度々経験した。

それでも日常に帰ると、立ったり歩く過程で痛みが出ることが続いた。

ある日バレイ整体というWebサイトに出会った。ここの中で紹介されていた、股関節を開くエクササイズをやっているうちに自分のからだの弱点が何となく見えてきた。それは、自分が脚の内側、内転筋をほとんど意識してないし意識して使っていないのではないかということだった。

Webサイトに紹介されていたエクササイズをやっているうちに内転筋、骨盤底筋群の深層外旋六筋の重要性に気づいた。ここが弱い。調べていくうちに深層外旋六筋のなかの梨状筋の下を坐骨神経が通っているとわかった。このあたりが関係していると直感した。

それから毎日深層外旋六筋を刺激するエクササイズを行っていった。同時にピィラティスもデッドバグスのバリエーション3やレッグサークルを中心に行った。一月も経たないうちに痛みが現れないようになった。発病当時を10とするなら現在は1である。ほとんど完治しているといって良いと思う。

三年間はあまりにも長い日々であった。しかしそこから得たものも大きかった。これも日頃のヨガとピィラティスの実践が基本にあったからであると思っている。

どんなに落ち込んでも、自分を支えるものが複数あることは強みでもある。身体を整えることによって精神も整ってくる。歩くという最も基本的な身体の動きをもっと重視して、歩くことを通して身体の改善へと繋げて行けたら良いと思う。そして今、その歩きはいかに「楽に歩くこと」ができるかということの探求であるという思いを強くしている。

「われはわれ 人は人なり わが行く道をわれは行くなり」 西田幾多郎

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ヨガとピラティスを結ぶもの

2018-12-03 17:29:59 | 日記

ヨガとピラティスについて最近比較して述べられることがある。実際ヨガをやっている方がピィラティスの指導者である場合も多々見られる。私が所属しているFRPでは今年から「FRPヨガ」というタイトルで養成講座を開講されている。

私なりに感じたことは、ヨガとピラティスはその目標とするところは同じように感じるけれども、その方法や教えは基本的に異なるものではないかと思っている。異なるものだからこそ、その共通点を探すのが面白いということである。

私の経験から思いつくままに述べるなら、ヨガとピラティスの違いは①その歴史が違うということである。ヨガの起こりは『ヴェーダ』に記録があり、古代インドで『ヴェーダ』が成立したのが紀元前1200年くらいである。一方ピラティスが生まれたのが1880年代であり、「ピラティス」というメソッドが確立されてまだ100年くらいしか経っていない。日本にピラティスが入ってきてから、まだ30年も経っていないということである。②にヨガは「解脱」を目標としたスピリチュアルな要素を含んでいるが、ピラティスは自己の身体をコントロールして健康を維持するためのエクササイズである。ヨガのアーサナとピラティスのエクササイズは位置づけが異なる。

ヨガはそれ故に歴史もあり、その変遷の歴史も多く存在しているらしい。それ故に、ヨガが本来持っていた姿・形をできるだけ崩さずに、忠実に伝えていこうとするカイヴァルヤダーマをはじめとする団体や人々が存在する。それらの古典ヨガは今日「伝統ヨガ」(トラディショナルヨガ)という言い方で呼ばれている。一方、ピラティスは彼自身が述べているように「コントロロジー」即ち「自分の身体を自分の意志で制御すること」というメソッドを基本としている。今日のリハビリテーションの原型と考えて良いと思う。

それ故に、それぞれの教えがどちらが良いとかという議論はあまり意味を持たない。それぞれの経験(体験)なくして、それらについて是非を論じ評価している人たちが世の中にはたくさんいるように思える。大事なことは「自分にとってその教えが適合するかということである」。もっと述べるなら「今の自分にとってその教えが有効か真実か」ということである。

指導者の中には生徒さんが色々体験することを嫌う人たちがいる。私から言えば狭い領域で生きている人たちに思える。幅広く色々な経験・体験を重ねて行きつくところが自分の場所である。ある人は死ぬまでそこに行きつかないかもしれない。しかし、それはそれで良いと思う。それがその人の人生であるということだと思う。皆生きているときは「途上」なのである。「揺れ動く葦である」。しかし最後に行きつく場がある。それが「死」という場所である。最終的な場所が皆同じであるところが世の中の面白いところでありまた真実である。それをヨガ的に言えば「地・火・空・水・風」の5大要素からなる「自然」・「宇宙」に帰るということだと思う。

色々学んで思ったことは、『ヴェーダ』にすべての答えが述べられているということだ。日本では『ヴェーダ』の教えは深く入っていない、学校でも仏教は割と深く教えているが仏教の教えはほとんど『ヴェーダ』の中で語られているということが最近分かるようになってきた。

「万物は流転する」と古代の哲学者が言ったが、それぞれの時代に必要があって生まれた教えは、時代が変わっても継続して伝えられていくだろう。そして、それら教えは時代と共に変遷していくだろう。それが真実である。

いつもの通りだが、表題から離れた内容になってしまった。また次回にしたいと思う。

 

 


「故郷は遠きにありて思うもの」 パレルガ的思索2

2018-07-18 07:58:33 | 日記

「故郷」(Heimat)の喪失(1)

 
  故郷は遠きにありて思うもの 
  そして悲しくうたうもの 
  よしや
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  
   室生犀星 『抒情小曲集』 大正6年(1917年)
 
   この歌はなぜか覚えている。学生の頃上京して、故郷を思うたびに
  このセリフが出てきて、故郷の風景や両親のことが思い出されること
  が度々あった。故郷は自分を支えている心の拠り所であり、支えとい
  という意味をもっていた。今この詩を調べていくうちに、新しい発見
  に出会った。それは、この歌が歌われたのは、あの石川啄木の歌と
  同じ心境で歌われたものであることを知った。
  
    石を持て 追わるるごとく
   ふるさとを 出でしかなしみ   
   消ゆる時なし

 

   石川啄木 『一握の砂』明治41年(1910年)刊
 
  犀星の詩は東京で歌われたものではなく、郷里金沢で歌われたものである
 ということです。東京で故郷を思って歌ったのではなく、郷里に受け入れら
 れず、郷里を離れる心境を歌ったということです。
  伊藤新吉氏は「それは郷里を離れようとする時の別れの心と、もはや再び
 帰らぬという決意を歌ったものである」と述べておられる。ずっと故郷への
 望郷を歌っていると思っていたことが、思い込みや誤解だったということを
 今になって知るということは何か恥ずべきことのように思えるが、一方では
 そういう事実を学んでいなかったということでもある。
  
  今日は「故郷の喪失」についてハイデッガーの思索を見るつもりでしたが
 思わぬ展開になってしまいました。ハイデッガーの思索については、次回に
 回したいと思います。テーマは「故郷への回帰」で、次の歌がヒントです
 
    ふるさとの山に向ひて
    言うことなし
    ふるさとの山はありがたきかな
  
    啄木  『一握の砂』

 

  

  

  

  

  

   

 

  

  

  

  

  

  

  

  

    

  


      

 

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

 

    

    

    

  

            

   

   

 

 

    

  


「 Leben ist Leiden 」 ~パレルガ的思索~

2018-07-16 23:32:57 | 日記
「人生は悩みである」 < 意訳 悩みのない人生はない >
 
 「 Leben ist Leiden 」とはドイツの哲学者ショウペンハウエルが残した言葉です。ニーチェ哲学に大きな影響を与えたショウペンハウエルの哲学は厭世主義(ペシミズム)の思想家として、日本にも明治の頃から紹介されています。『平家物語』や『方丈記』に見られる日本人の持つ限りない無常観が、彼の持つ厭世観に重なって広く普及したものと思われます。
 しかし、この言葉はショウペンハウエルの思想の表面をいった言葉であるにすぎないと思えます。彼の思想の真髄は「人間は本能的に生きようとする意志を持つ」という所にあります。日常的にも、人間が「本能的に生きようとする意志を持つ」ということは想像できます。私たちが危険を避けて生きていることを考えれば普通に理解できます。今回の「西日本豪雨」おいても多くの人々が犠牲になられ、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。助かった人たちも「死ぬと思った」、「もう終わりと思った」という証言がいくつも聞かれました。危機一髪で命拾いした人も多く居られました。人間は誰しも危機状態にあって「生きようとする意志」を持ち行動しているのです。ニーチェがショウペンハウエルから受け継いだ真髄はここにあります。ニーチェは「本能的に生きようとする意志」を「力への意志」という形でさらに高め、発展させて行くのです。
 「力への意志」とは、人々が困難に出会ったとき、その現実から逃げず、それを受け止め、勇気を持って前に進むことです。たとえ、人生の意味や目的を失いかけたとしても、絶望の果てに投げ出されたとしても、その現実を誠実に受け止め、希望へと転換して生きて行こうとすることです。ニーチェはこれを「運命愛」とも呼んでいます。それは、現実逃避や現実遊離の立場ではなく、あくまでもこの現実(大地)にしっかり根を下ろして、前進することを意味します。人間一人ひとりが持つ「生命力」はどんなときも「力への意志」を失うことなく持ち続けています。ニーチェのいう「超人思想」とは、「力への意志」によって、力強く生きる人間の姿であると理解しています。
 パスカルは「人間は考える葦である」と述べました。人間は本来、「葦」のように弱くはかない存在です。しかし、パスカルは人間は「考える」ということにおいて、偉大な存在であると述べました。人間が持つ弱さ、はかなさを認め、そこに挫折、苦悩、絶望して潰されてしまいそうになったとしても、それを受け入れて行くことの勇気がニーチェのいう「運命愛」の意味だと思います。ニーチェの思想は、打ち寄せる波(困難)を何度でも受け入れて行こうとする人生肯定の思想であると思います。彼は、虚無状態(ニヒリズム)においても、人生を否定せず、肯定して、強く逞しく生きて行こうとする「生命の躍動」に、人間であることの意味(価値)を見出していると思います。それは、人間の生命の弱さ・衰退・頽廃した状態に留まるのではなく、そこからの「生命の飛躍」を意味しています。生命にはもともとその力があるという強い確信を感じます。
 前回、尾崎について書きました。もうずっと投稿していないのに何故か訪問者が増え続けている。「Why?」という疑問符が頭に浮かんできます。私見によれば、ニーチェの人生肯定の哲学と尾崎豊の生きざまには多くの共通点があることに気づきます。尾崎の曲に「存在」というシングルの作品があります。そのタイトルからして哲学的な雰囲気が漂っているのですが、そこで、尾崎は何度も大声で叫び続けます、「 受け止めよう~ 愛と誠で 目に映るものすべてを! 」と。
 26歳で夭折した尾崎豊の人生は、全身全霊、全力疾走の人生であった。尾崎の詩には、激しいアクションとは裏腹に優しいことばがいくつも散りばめられている。人々はそこに「心の安らぎ」を見出すのである。彼の詩には、人生を愛し、人間を愛し、人生の意味を問いかけ、人生を逞しく力強く生きて行くための生命力肯定のメッセージが多く宿されていると感じます。尾崎の澄み通った歌声は、これからも、時代や年代を超えて人間の内面的で普遍的な魂のもとに届き続けられるだろうと思います。
 私たちは「人生は悩み」であるという共通の土台からスタートすることによって、お互いに他者を真に理解し合える存在になれると思います。人間が本来「弱い存在」であることを共有することから、日常を健康に生きることの大切さや自分の身体を整えることの大切さを知ることができます。これらの身心の安定さを求める力こそが、ニーチェのいう「力への意志」であり、生命の躍動だと思います。「強く逞しい」とは、現実に柔軟に適応するバランス能力の作用であると感じています。どのような困難な状況に遭遇しても、身心ともに社会や自然に対して調和的で柔軟な行動がとれることが大切なのではないかと感じています。
 ニーチェの教えは、「人生の悩み」を「生きる力」に「転換する力」が誰にでも自己のうちに宿っていることを教えています。こうして人間は一歩一歩人間として大きく成長して行くのかも知れません。最後に私の好きなニーチェの言葉を紹介します。

 「 脱皮しない蛇は死んでしまう 」 ニーチェ『曙光』より

何故。Aは命がけで逃亡するのか?

2018-05-03 02:29:37 | 日記

以下の文は断片的情報を基にした創作です。

4月25日は尾崎の命日(27回忌)だった。その未明に逃亡生活を続けていたAは

まだ冷たい瀬戸内の海を下着だけになり静かに海に入った。途中潮の流れが強いところがあり、それに流されないように、必死になって対岸に向け泳いだ。

漸く向こう岸に着くと濡れた服を脱ぎ捨て、ビニールに入れて持参した服に着替え、近くにあったバイクを盗んで広島方面へまっしぐらに走り出した。

・・・・・それから数日が経過した。30日の午前、Aがもうダッシュで小学校の高い塀を乗り越えようとして、引きずりおろされる瞬間の映像がテレビに流れた。

A逮捕のニュースを見ながら、尾崎の歌詞がリアリティを持って頭に浮かんで来た。

...

「盗んだバイクで 走り出す行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ 誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜」(『15の夜』)

 Aは何故必死になって逃げるのか、いずれ捕まると分かっているのに逃げる意味があるのか。Aは昔から窃盗の常習犯だったようだ。そのたびに逃げる。

 そして簡単に捕まらなかったらしい。学生の頃の友達は、運動神経が高いという証言をしていた。しかし、Aは「逃げるのがしんどかった」とも供述している。

 逃亡生活を続けるにはそれなりの覚悟がないと出来ない。Aは何故反社会的な窃盗を続けなければならなかったのか。そして、何故命がけで逃げなければならなかったのか?

 収容所での刑務官との軋轢がその要因といわれているが、Aの野性的な逃亡生活を支えていたものは何だったのか、その真実を知りたいと思っている。そして、今回犯した犯罪

 を反省して、正常な社会建設の一員として更生して欲しいと願っている。

 

以下の文は昨日(2日)フェイスブックに投稿した内容そのままです。

フェイスブックから転写

4月25日は尾崎の命日(27回忌)だった。事件ニュースを見ながら、尾崎の歌詞がリアリテ

ィを持って頭に浮かんだ。..「盗んだバイクで 走り出す行き先も解らぬまま 

暗い夜の帳りの中へ 誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15

の夜」『15の夜』

組織化された管理社会の中で、人間の野性的・潜在的能力は日々失われていく。

本来自然の中を歩く動物である人間が、一日中部屋の中で閉じこもり、机の上で仕事(勉

強)を行っているのが現実の実相である。仕事はその人にとって「喜び」と感じる時間なの

か、それとも「苦役」(苦痛)と感じる時間なのか。その違いが身心に与える影響は大きい。

特に後者は、それが荷重に蓄積されると身心の異常(不具合)をもたらす場合がある。

不調和に陥った身体を正常に回復するために、ピラティス(FRP)のメソッドやヨガアーサナ等

は有効性を持っている。中でもヨガの呼吸法や瞑想法は、自己-肯定感(Self-esteem)

を得る上で有益であると思う。

今年の連休は雑音を避け、これまで学んで来たヨガ・ピラティス・フェルデンクライス・ディエン

チャン等の教えを、基本に帰って静かに学び直すことにした。

一方で、動的には、最初に記した人間の野性的・潜在能力(本能的に生きようとする力)を目覚め

させるための一手段として、近くの運動公園や低い山(丘)に入って「一本歯下駄」で歩いてみた

いと思っている。

将来的には熊本市の西にある金峰山(きんぼうざん)(665m)に登ることが一つの目標であ

る。この山は吉野の金峯山の系列にあり、修験道や山岳信仰の場としても知られている。

また、この山の一角には宮本武蔵が『五輪書』を書いた霊厳洞があることでも有名です。

人間の持つ野生的な潜在能力が、その生命の躍動感を失うことなく、如何にして社会と調和を保っ

て行くことができるのか、この問題意識をこれから常に共有して行きたいと思っています。