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今日も雨が降っている・・・・・・。

つれづれなるままに、時事ネタを浅く探っていきます。

雑感 あれこれ 其の五

2005年08月30日 | 社会
其の一:これもある意味テロです。

首相官邸侵入:女性、自殺図る 「小泉政権阻止」のビラ (毎日新聞より)
首相官邸に車で突っ込んだ女性(50代)が、自殺を図ったようです。
この車に爆弾を積み込んで突っ込めば、自爆テロの出来上がり・・・・・・。
自らの主義主張を力によって相手に伝えるのは、民主主義の無い国のやることです。日本には不平不満はあるにしろ、国民の選挙によって選ばれた議員が、選挙民を代表して、国会の場において多数決という民主主義の鉄則に則って内閣総理大臣を指名し、天皇の承認を得て日本国総理大臣を拝命します。この手順を踏んで選ばれた総理大臣の命を脅かすものは、国家の転覆を狙い・日本国国民の民意を踏みにじるものです。この明らかなテロに対処できなかった警備の不備と法の成立を真剣に考えなければならないと思いました。
この事件の模倣犯が現れないことを切に願います。


其の二:最高裁判事国民審査もあります。

今日衆議院選挙が告示されました。恨み辛みを述べて小泉さんを呪う人・お涙頂戴の浪花節を唱える人・小泉劇場を批判してちゃっかりそれに便乗する人・愚直に政策を訴える人・とりあえず名前連呼だけの人・ダメダメ評論家よろしく全てに反対する人・反対するのはいいけど具体的な案を持たない人・のらりくらりと批判をかわす人・・・・・・ほんとうにおもしろい「選挙」になりました(笑)
と、この選挙と同時に最高裁判事の国民審査も行われます。
こちらのHP(忘れられた一票)が秀逸なので是非参考にしてみてください。
また、琢磨事件(当ブログの記事)を読んだ後に、こちらのHP(トップページをご覧になってください)を見ていただけると面白さ倍増です。不審の目で見ることが出来るいい例かと思います。


其の三:保守王国宮崎

なかなか全国で放送されることはありませんが、保守王国宮崎から郵政民営化法案の反対者が2人でました。一人はかの有名な「江藤」の息子と、もう一人は前回衆議院選挙で無所属で立候補し、対する自民党推薦の候補者を大差の票で破り衆議院議員になったかと思えば、いつの間にか自民党所属になっていたという不思議な人です。主義主張がないのかなと疑いの目で見てしまいます(笑)
保守王国宮崎にもたらされた自民分裂の選挙は今までに無い面白さを見せてくれると思います。9月11日、選挙民がどのような審判を下すのかワクワクしながら見守りたいと思います(笑)

つらつらと考えてみる

2005年08月16日 | 社会
8月15日 敗戦記念日を迎えて、各所で様々な動きがありました。

8月15日 小泉首相が靖国参拝を決行するかでTVは賑わっていましたが、結局、小泉首相がこの日現れることはありませんでした。公約すら守れぬ首相とか、総裁選挙に勝つために遺族会を利用したとか、選挙を控え及び腰になったとか、言われ放題です。まったく的外れではないですが、どこか違和感も感じる報道もありました。

ちょっとお忘れではないですか?と報道に関わる人に問いたいです。
未だに6ヶ国協議は合意に至っていませんよ、現在休会(延期)中です。北朝鮮の回答を待っている状況で、北朝鮮にこの合意を反古にするチャンスを与えてどうするつもりですかと問いたいところです。現在、北朝鮮にとって不利な状況であることは確かです。議長国である中国は、北朝鮮の唯一の理解者(ライフラインを握っている)ではありますが、今回の合意は中国の面子も懸かっており、どうしても合意させたいところです。ロシアは一応、北朝鮮に同調はしますが、別段損も得も無く、多数を占めるほうに靡くのは目に見えています。唯一の同民族韓国も、電力の供給を申し出はしましたが、北朝鮮が首を縦になかなか振らないし、もっと物をよこせと言われる状況に少々呆れ気味、挙句にアメリカからは、絶縁も視野に入れた在韓国米軍全面撤退の話しさえ出る始末、首が回らなくなっているのは韓国も同じ状況です。アメリカは依然として、緩急を使い分けながら、あの手この手で早期合意を促してはいますが、一歩間違って逆鱗に触れると、戦争突入も有り得る状況です。これらを見ても現在5対1の状況です。6ヶ国開催前は、4対2だった状況を考えれば次のシナリオが浮かんできます。

北朝鮮がどこを突き崩しやすい(譲歩を得やすい)かは、一目瞭然です。8月15日を控え、小泉首相が靖国参拝をし、韓国・中国が反日キャンペーンを張ると同時に、これに呼応する形で、合意の反古の理由を日本に押し付け、日本を孤立させる。中国・韓国はせっかく合意の寸前だったのにと、執拗に日本を責める。これには流石のアメリカも弁護できず、ロシアは日和見を決め込み、結果的に日本を除いた形で、中国・韓国・ロシア・北朝鮮対アメリカの歪な形になり、北の主張に押し切られる形で、彼らに有利な合意を締結させるかもしれません。最悪、核の保有を認め・日本が多額の経済援助をすることになるかもしれません。
※アメリカが戦争に踏み込む形も考えられますが、世界から同意を得られる形は得にくいでしょう。最も最悪な結果は、中国・韓国・北朝鮮との三国との戦争に入ってしまう可能性もありますし、この状況での戦争は考えにくいところです。

全く有り得ないとは言い難いシナリオだけに、少しでも北朝鮮に隙(反撃)を与えるのは得策ではないかと思います。

そういえば、ブッシュ大統領が靖国に参拝したがっていたと聞きました。もしも、アメリカ合衆国の元首である大統領・第二次世界大戦の戦勝国のアメリカの大統領・国連の常任理事国であるアメリカの大統領・超軍事大国のアメリカの大統領が靖国に参拝していたら、違った道があったかもしれません。アメリカに大きな貸しを作るのも後が怖い気もするので、選択肢としてなかったのかな・・・・・・。

と、眠れぬ夜につらつらと考えてみました。

青山学院高等部 入試問題

2005年06月13日 | 社会
青山学院高等部の問題となった入試問題を和訳してみました。
~原文~
Almost 60 years have already passed since World War Ⅱ ended in August,1945. Well, of course you can say that this war is not over yet for some people in some ways, so it could be "only" 60 years. Anyway, we have to have to think about this age. We should not forget this important experience. Japan is the only country that has experienced the atomic bomb. We, all Japanese, even people born after the war, are responsible for telling the world not to make the same mistake again. But remember, it's been 60 years. Year by year, we are losing people who have experienced the war. And in the very near future, probably within less than 20 years, we will become unable to hear any firsthand message about the war. From then on, in what way can we pass our experiences, messages and wishes to the next generations?

Last summer, I saw an unforgettable TV program. Actually, it was shocking. It was a special program to remember the end of World War Ⅱ. It came from one writer's war experience and had many old soldiers' comments. Most of those soldiers were in their late eighties, unable to hold their shaking bodies without the help of their walking sticks. The program didn't hide any of the dead bodies of the soldiers. I wasn't ready for such a scene and I couldn't keep watching it, so I turned the channel to another program. I understand that such pictures can be useful. On the other hand, I thought many people would feel the same way I did. But to my surprise, a few days later, I found a letter from an old lady in the newspaper. In the letter, she said that she was impressed with the program. "Thank you for showing the pictures. We will soon become unable to describe the war with words but we can tell something even without using words. We shouldn't be afraid of showing the truth." After reading this letter, I started to remember one of my high school experiences.

It happened during my school trip to Okinawa. During my stay, my class had a chance to visit an old air raid shelter which was left as it was from the war. Everyone had their own lights, and followed the old guide into the cave. Inside the cave, it was dark and wet. It was almost untouched from the time of the war. It was a perfect playground for city kids. We laughed at each other when someone slipped and fell. We enjoyed the each of our voices. "Won't it be interesting if we camp here?" someone said. Yes, that sounded really nice! Then the old guide said, "OK, let's turn off our lights." After the final light went out, darkness appeared. It was a total darkness. NO one said anything. I mean "couldn't say" anything. "This is the war. The only thing we wished un this cave was to survive the war. I dont't want to experience it again." On our way back, no one spoke and of course no one laughed. I still remember how I felt when I saw the outside light and how I thanked God when I finally got out of the cave. I wasn't surprised when I saw some of the girls were crying. There weren't many words but we understood what that experience meant. Only at that moment, I understood why the old guide didn't talk much and answered our questions with only a few words during the tour.

Then we moved to the Himeyuri Memorial Park. Although we started to forget the cave, we still didn't talk much because we were a little afraid and nervous that we might have to listen to some stories, maybe even more shocking. Yes, the story that the old lady who survived the Himeyuri spuad told us was shocking and gave us a great image of the war. But, to tell you the truth, it was boring for me and I got tired of her story. As she spoke more, I lost my strong impressions from the cave. I could see that she told the story so many times, on so many occasions, and she became so good at telling it. Her story sounded so easy, like a bedside story told by a mother to a baby. Of course, some of my friends were moved by it, so I shouldn't say that her story didn't mean anything.

Passing truths and experiences to the next generation is important work. But how? What is the best way to do it? Of course the clearest way is with WORDS. The power of words is great. But the problem is how we understand them. If the listener doesn't understand the ideas of the speaker, even a good story becomes just a list of words. Another problem is that if the speaker's opinion is too strong, it may give a different message. Remember the Asian Soccer Cup held in China last summer? Many Chinese booed Team Japan. Probably most of them heard war stories from their parents and created their own ideas about Japanese. Of course we shouldn't say that the information they got from their parents was wrong, but what exactly did their parents say to them? And how?

As I wrote, we will not be able to listen to firsthand messages about the war someday, but there are some other ways instead. Sometimes you can send the best message without words. When you become a student of Aoyama Gakuin High School, you will visit Nagasaki on your school trip. You will have a chance to listen to the stories of people who experienced the atomic bomb. What message do you think you will get at that time?

~和訳(excite翻訳)~
 

世界大戦?が1945年8月に終わって以来、およそ60年が既に経過しています。 さて、もちろん、あなたがこの戦争がある点では人々にもかかわらず、何人かの人々のためのものでないと言うことができるので、それは「単に」60年であるかもしれません。 とにかく、私たちはこの時代について考えなければなりません。 私たちはこの重要な経験を忘れるべきではありません。 日本は原子爆弾を経験した唯一の国です。 私たち、すべての日本人(戦後に生まれる人々さえ)が再び同じ誤りをしないように公言するのに責任があります。 しかし、それが60年であることを覚えていてください。 年、年で、私たちは戦争を経験した人々を失っています。 そして、近いうちに、たぶん20年未満以内に、私たちは戦争に関するどんな直のメッセージも聞くことができないようになるでしょう。 それ以来、私たちはどんな風に私たちの経験、メッセージ、および願望を次世代に通過することができますか?

去年の夏に、私は忘れられないテレビ番組を見ました。 実際に、それはショッキングでした。 それは世界大戦?それの終わりが1人の作家の戦争経験から来て、多くの古い軍人のコメントを持っていたと思い出す特別なプログラムでした。 それらの軍人の大部分が彼らの遅い80にありました、それらのステッキの助けなしで彼らの震動しているボディーを保持することができません。 プログラムは軍人の死体のいずれも隠しませんでした。 私はそのような場面の準備ができないで、それを見続けることができなかったので、チャンネルを別のプログラムに変えました。 私は、そのような絵が役に立つ場合があるのを理解しています。 他方では、私は、多くの人々が、私がすると同じように感じると思いました。 しかし、驚いたことにと、数日後に、私はお婆さんから新聞で手紙を見つけました。 手紙では、彼女は、プログラムに感動したと言いました。 「絵を見せてくださってありがとうございます。」 すぐ、単語との戦争について説明することができないようになるでしょうが、単語を使用しさえしないで、私たちは何かを言うことができます。 「私たちは真実を示すのを恐れているべきではありません。」 この手紙を読んだ後に、私は私の高校経験の1つを覚えてい始めました。

それは私の学校沖縄旅行の間、起こりました。 私の滞在の間、私のクラスには、戦争から来ていたとき残された古い空襲避難所を訪問する機会がありました。 皆は、洞窟の中までそれら自身のライトを持って、年取ったガイドについて来ました。 洞窟の中では、暗くて、ぬれていました。 それは戦争の時間からほとんど触れませんでした。 それは都市の子供にとって、完全な遊び場でした。 だれかが滑って転んだとき、私たちは互いを笑いとばしました。 私たちが楽しんだ、それぞれの私たちの声。 「私たちがここにキャンプするなら、おもしろくならないでしょうか?」と、だれかが言いました。 はい、それは本当に聞こえが良かったです! そして、「OK、私たちの電気を消しましょう。」と、年取ったガイドは言いました。 最終的な明かりが消えた後に、暗闇は現れました。 それは真っ暗闇でした。 どんなあるものも何も言いませんでした。 「言うことができませんでした」私が、意図する。何でも。 「これは戦争です。」 私たちが願っていた唯一のもの、不-、これ、洞窟は戦争を乗り切ることになっていました。 「I dontは再びそれを経験したがっていません。」 逆への途中では、だれも話しませんでした、そして、もちろん、笑いませんでした。 私は私が、いつ外の光を見たかをどのように感じたか、そして、最終的に洞窟を出たときどのように神に感謝したかをまだ覚えています。 何人かの少女が泣いていたのを見たとき、私は驚いていませんでした。 多くの単語がありませんでしたが、私たちは、その経験が何を意味したかを理解していました。 単にその瞬間に、私は、年取ったガイドがなぜあまり話さなかったかを理解して、ツアーの間、ほんのいくつかの単語で私たちの質問に答えました。

そして、私たちはHimeyuri Memorial Parkに移りました。 洞窟を忘れ始めましたが、私たちは、非常に、少し恐れていて神経質であったので、まだ話していませんでした。多分さらにショックを与える場合、いくつかの話を聞かなければならないかもしれません。 はい、Himeyuri spuadを乗り切ったお婆さんがショッキングであり、戦争の重要なイメージを私たちに与えたと私たちに行われる話。 しかし、私には、正直なところ、それは退屈でした、そして、私は彼女の話に疲れました。 彼女がさらに話していた間、私は洞窟からの強い印象を失いました。 私は彼女がとても多くの時にあまりに何回も話をして、それを言うのがあまりに上手になったのを見ることができました。 まくらもと小説が母で赤ん坊に言ったように彼女の話はとても簡単に聞こえました。 もちろん、私の何人かの友人がそれによって動かされたので、私は、彼女の話が何も意味しなかったと言うべきではありません。

真と経験を次世代に通過するのは、重要な仕事です。 しかし、どのようにですか? それをする最も良い方法は何ですか? もちろん最も明確な道がWORDSと共にあります。 単語のパワーは大きいです。 しかし、問題は私たちがどうそれらを理解しているかということです。 リスナーがスピーカーの考えを理解していないなら、いい話さえまさしく単語のリストになります。 別の問題はスピーカーの意見が強過ぎるなら、異なったメッセージを与えるかもしれないということです。 アジアのSoccer Cupが去年の夏に中国で成立したのを覚えていますか? 多くの中国人がTeam日本に野次を飛ばしました。 たぶん、彼らの大部分は、彼らの両親から戦争中の話を聞いて、日本語に関してそれら自身の考えを作成しました。 もちろん、私たちは、彼らが自分達の両親から得た情報が間違っていたと言うべきではありませんが、彼らの両親はいったい何を彼らに言いましたか? そして、どのようにですか?

前に書いた通り、私たちはいつか戦争に関する直のメッセージを聞くことができないでしょうが、ある他の道が代わりにあります。 時々、あなたは単語なしで最も良いメッセージを送ることができます。 青山学院高校の学生になると、あなたは修学旅行で長崎を訪問するでしょう。 あなたには、原子爆弾を経験した人々の話を聞く機会があるでしょう。 あなたは、その時どんなメッセージを得ると思いますか?

※Himeyui squard:ひめゆり部隊(第二次世界大戦中、沖縄で女子学生によって結成された従軍部隊)

 この問題文の製作者は、戦後60年を迎えて、次第に生の戦争体験者の声が聞けなくなることへ危惧を抱いている。次の世代へどのように、語り継ぐべきか苦悩が見える。
 語り部の問題として、いかに正確にその時代背景を踏まえて、聞き手に偏見を持たせないで語ることが大事であると提起しているのではなかろうか。
 聞き手の問題として、もっと自分らの身近な問題として考えなければならぬと、問うている気がする。

ニュースなどで話題となっている部分の翻訳を、前後の文章から読み取ってみるに、
 ①語りが、どこか仕事口調、もしくは、他人事に聞こえたこと。
 ②語りの内容に、体験以外の語り部の、意思・主張が多々見受けられることへの危惧。
 ③聞き手も、時代背景を十分に理解・勉強してこなけらば、語りの内容をよく理解することができないという教訓。

製作者の意図する解釈はどれなんでしょう? 全体を通して戦争を風化させないために、考えていることは十二分に理解できますが、読み手に誤解を生む書き方も、What message do you think you will get at that time?っと、問いたい気がします。

ニュースにおいても、この前後の文章を読み取らず、単語だけに固執した報道はいかがなものかと?
また、私自身も、このニュースに惑わされて、よく読み取らず、浅はかにも感情に任せて、製作者を非難したことを、反省し、謝罪したいと思います。

元ひめゆり学徒隊の証言を「退屈」と斬り捨てる

2005年06月10日 | 社会
 青山学院高等部(東京)が2月に実施した一般入試の英語の長文問題として、太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された元ひめゆり学徒による戦争体験の証言が「退屈で飽きてしまった」とする文章を出題していたことが9日、分かった。~Sankei Web より引用~

 この入試問題は、同校の英語教師が作成し、この教師の体験に基づいて書かれているとのこと。
この教師は何を考えているのだろうか? 自身が退屈なものは、他の人も退屈と考えたのだろうか。
証言自体を胡散臭い、若しくは、事実無根のでっち上げと感じながら聞いていたのだろうか。
まさか、"戦後60年のこの期を狙っての問題提起か?"と、邪推までしてしまう。この教師の授業は、はたしてどのようなものなのだろうか? "退屈で飽きてしまう"程度の授業なのかもと邪推してしまいます(笑)そうでない事を切に願うばかりです。
 それと学校関係者の「元ひめゆり学徒の方々に配慮に欠けた表現をし、深く反省している」との弁明に、「配慮に欠かない表現」てどんな表現?と揚げ足を取りたくもなるし、反省するくらいなら最初から入試問題に使うなと言いたくもなる。この教師の独断でこの文章を入試問題に決めたのだろうか? 入試問題作成時にチェックはされていたのだろうか? 若しくは、この学校自体の≪戦争に対するスタンス≫が過去のものという考えなのだろうか・・・・・・。 死んでいった人達・・・・・・生き残った人達・・・・・・あまりにも酷すぎる・・・・・・あの戦争が残したすべてのものが、薄れつつある現状を嘆いておられるのではなかろうか。


青山学院教育方針
青山学院の教育は
キリスト教信仰にもとづく教育をめざし、
神の前に真実に生き
真理を謙虚に追求し
愛と奉仕の精神をもって
すべての人と社会とに対する責任を
進んで果たす人間の形成を目的とする。

青山学院高等部HP 教育方針より引用

 こちら元ひめゆり学徒隊員「宮城さん」の証言(熊本国府高等学校HP より引用)
の生徒さんは、退屈とは感じず、何か得るものがあったようです。





歴史科学の不幸

2005年06月08日 | 社会
 「日本研究」データベース1998年 第17巻 『太陽』における≪朝鮮観≫-ある<奇妙な情熱>について より 執筆者・三谷 憲正氏が司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」より引用されてる一節を長くなりますがここにも引用させていただきます

 「日清戦争とは、何か。『日清戦争は、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である』という定義が、第二次世界大戦のあと、この国のいわゆる進歩的学者たちのあいだで相当の市民権を持って通用した。あるいは、『朝鮮と中国に対し長期に準備された天皇制国家の侵略政策の結末である』ともいわれる。というような定義があるかとおもえば、積極的に日本の立場を認めようとする意見もある。
『清国は朝鮮を多年、属国視していた。さらに北方のロシアは、朝鮮に対し、野心を示しつつあった。日本はこれに対し、自国の安全という立場から朝鮮の立場を保ち、中立を保つために朝鮮における日清の勢力均衡をはかろうとした。が、清国は暴慢であくまでも朝鮮に対するおのれの宗主権を固執しようとしたため、日本は武力に訴えてそれをみごとに排除した。』」
 
「前者にあっては日本はあくまで奸悪な、悪にのみ専念する犯罪者の姿であり、後者にあってはこれとうってかわり、英姿さっそうと白馬にまたがる正義の騎士のようである。国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、歴史科学は近代精神をよりすくなくしかもっていないか、もとうにも持ちえない重要な欠点が、宿命としてあるようにおもえる。」
 
「他の科学に、悪玉か善玉かというようなわけかたわない。たとえば水素は悪玉で酸素は善玉であるということはないであろう。そういうことは絶対にないという場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉とわける地点から成立してゆくというところにある。」

 司馬遼太郎氏の示された、歴史科学の不幸は、現在において払拭されているでしょうか? 
すべてのものが善玉・悪玉論から出発しているように見受けられます。また、この傾向がとくにメディアにおいて見受けられることが不幸を増長させている気がします。私自身、悪玉・善玉論という視点からここ最近の事柄を見ていなかったかと自問自答して反省しています。

 当時の日本人の生々しい声が書かれている『太陽』における≪朝鮮観≫-ある<奇妙な情熱>について を一読されることをお薦めします。当時の日本国内における、朝鮮をめぐる思惑が交錯している感がよく読み取れます。当時の日本人の思い上がり、熱烈なまでの感情、それによって起こる愛憎まみれる想いが、複雑に絡み合っていたことが窺えます。
 

アナゴ漁船502シンプン号事件(その二)

2005年06月04日 | 社会
成魚は、甲殻類や小魚、イカ・タコなどを食べる。~おさかな普及センター資料館より引用~

アナゴって良い物食べてますね~ 海老・蟹・烏賊・蛸・小魚、美味しい筈だよ(笑)

マアナゴは白い側線が目立つのが特徴です。~九州釣り情報:ケミホタルクラブーアナゴ特集より引用~

なかなかアナゴって見る機会ないし、ウナギ・ハモとえらく違いますね。

マアナゴの資源管理~水産雑学コラムより引用~

 そういえば韓国漁船シンプン号にもあの筒状の物(たしか黒っぽいもの)が見受けられましたね。使ってはいなかったようですが、積んだ状態でEEZ内をうろつくなんて(たとえ潮に流されたと言いがかりをつけてきたとしても、三隻そろって潮に流されることってありえないでしょ※対馬海上保安部の巡視艇「たつぐも」(約150トン)が韓国籍のアナゴかご漁船3隻を見つけた。~朝日新聞より引用~)怪しいし、もし自分に非がないのなら逃げなきゃいいのに(笑)
 

アナゴ漁船502シンプン号事件(その一)

2005年06月03日 | 社会
 事件は5月31日深夜に発生した。対馬海上保安部の巡視艇が日本のEEZ内を移動中の韓国のアナゴ漁船を発見。EEZ内で操業している可能性があるとみて、立ち入り検査をしようとしたが、漁船は海上保安官2人を乗せたまま約2時間半逃走した。~Sankei Web より~

 事件は一応決着したみたいです。この事件でよく目にすることとなったEEZとか追跡権? さっぱりわからなかったので調べてみました。

 EEZ(exclusive economic zone):排他的経済水域
海洋法に関する国際連合条約 ※今回の事件に関連するであろう事柄について抜粋
 
 第五五条 排他的経済水域の特別の法制度:排他的経済水域とは、領海に接続する水域であって、この部に定める特別の法制度によるものをいう。この法制度の下において、沿岸国の権利および管轄権ならびにその他の国の権利および自由は、この条約の関連する規定によって規律される。

 第五六条 排他的経済水域における沿岸国の権利、管轄権および義務:
1 沿岸国は、排他的経済水域において、次のものを有する。
 (a) 海底の上部水域並びに海底及びその下の天然資源(生物資源であるか非生物資源であるかを問わない。)の探査、開発、保存及び管理のための主権的権利並びに排他的経済水域における経済的な目的で行われる探査及び開発のためのその他の活動(海水、海流及び風からのエネルギーの生産等)に関する主権的権利
 (b) この条約の関連する規定に基づく次の事項に関する管轄権
  () 人工島、施設および構築物の設置及び利用
  () 海洋の科学的調査
  () 海洋環境の保護及び保全
 (c) この条約に定めるその他の権利及び義務
2 沿岸国は、排他的経済水域においてこの条約により自国の権利を行使し及び自国の義務を履行するに当たり、他の国の権利及び義務に妥当な考慮を払うものとし、また、この条約と両立するように行動する。
3 この上に定める海底及びその下の権利は、第六部の規定により行使する。
 
 第五七条 排他的経済水域の幅:排他的経済水域は、領海の幅を測定するための基線から二百海里を超えて拡張してはならない。
 
 第五八条 排他的経済水域における他の国の権利及び義務:
1 すべての国は、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、排他的経済水域において、この条約の関連する規定に定めるところにより、第八十七条に定める航行及び上空飛行の自由並びに海底伝染及び海底パイプラインの施設の自由並びにこれらの自由に関連し及びこの条約のその他の規定と両立するその他の国際的に適法な海洋の利用(船舶及び航空機の運搬並びに海底電線及び海底パイプラインの運用にかかわる海洋利用等)の自由を享有する。
2 第八十八条から第百十五条までの規定及び国際法の他の関連する規則は、この部の規定に反しない限り、排他的経済水域について運用する。
3 いずれの国も、排他的経済水域においてこの条約により自国の権利を行使し及び自国の義務を履行するに当たり、沿岸国の権利及び義務に妥当な考慮を払うものとし、また、この部の規定に反しない限り、この条約及び国際法の他の規則に従って沿岸国が制定する法令を遵守する。

 第七三条 沿岸国の法令の執行:
1 沿岸国は、排他的経済水域において生物資源を探査し、開発し、保存し及び管理するための主権的権利を行使するに当たり、この条約に従って制定する法令の遵守を確保するために必要な措置(乗船、検査、拿捕及び司法上の手続きを含む。)をとることができる。
2 拿捕された船舶及びその乗組員は、合理的な保証金の支払い又は合理的な他の保障の提供の後に速やかに釈放される。
3 排他的経済水域における漁業に関する法令に対する違反について沿岸国が科する罰には、関係国の別段の合意がない限り拘禁を含めてならず、また、その他のいかなる形態の身体刑も含めてはならない。
4 沿岸国は、外国船舶を拿捕しまた抑留した場合には、とられた措置及びその後科した罰について、適当な経路を通じて旗国に速やかに通報する。

 第一一一条 追跡権:
1 沿岸国の権限の或る当局は、外国船舶が自国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるときは、当該外国船舶の追跡を行うことができる。この追跡権は、外国船舶又はそのボートが追跡国の内水、群島水域、領海又は接続水域にある時に、開始しなければならず、また、中断されない限り、領海又は接続水域の外において引き続き行うことができる。領海又は接続水域にある外国船舶が停戦命令を受けるときに、その命令を発する船舶も同様に領海又は接続水域にあることは必要ではない。外国船舶が第三十三条に定める接続水域にあるときは、追跡は、当該接続水域の設定によって保護しようとする権利の侵害があった場合に限り、行うことができる。
2 追跡権については、排他的経済水域又は大陸棚(大陸棚上の施設の周囲の安全水域を含む。)において、この条約に従いその排他的経済水域又は大陸棚(当該安全水域を含む。)に適用される沿岸国の法令の違反がある場合に準用する。
3 追跡権は、被追跡船舶がその旗国又は第三国の領海に入ると同時に消滅する。
4 追跡は、被追跡船舶又はそのボート若しくは被追跡船舶を母船としてこれと一団となって作業する舟艇が領海又は、場合により、接続水域、排他的経済水域若しくは大陸棚の上部にあることを追跡船舶がその場における実行可能な手段により確認しない限り、開始されたものとされない。追跡は、視覚的又は聴覚的停船信号を外国船舶が視認し又は聞くことができる距離から発した後にのみ、開始することができる。
5 追跡権は、軍艦、軍用航空機その他政府の公務に使用されていることが明らかに表示されておりかつ識別されることのできる船舶又は航空機でそのための権限を与えられたものによってのみ行使することができる。
6 ※航空機による追跡権について書かれているため、ここでは除外
7 いずれかの国の管轄権の及ぶ範囲内で拿捕され、かつ、権限のある当局の審理を受けるためその国の港に護送される船舶は、事情により護送の途中において排他的経済水域又は公海の一部を航行することが必要である場合に、その航行のみを理由として釈放を要求することはできない。
8 追跡権の行使が正当とされない状況の下に領海の外において船舶が停止又は拿捕されたときは、その船舶は、これに被った損失又は損害に対する補償を受ける。


 小六法を引っ張り出して、とりあえず今回の事件に関係がありそうなものを引っ張り出してみました。
国際海洋法の解説:すごくわかり易く書かれています。こちらを参考にされるといいかと・・・・・・。

韓国海警は「50万円の違反担保金は不法操業とは関係なく、立ち入り検査のための停船命令に応じず、逃走したことに対して科された」とし、「その部分に対しては日本の管轄権を認めた」とした。~朝鮮日報より引用~ EEZ内での、検査拒否と停船命令無視、逃走・拉致を認めてますね。
 不法操業に関しては↓
第7管区海上保安本部(北九州市)によると、日本のEEZ内では韓国漁船によるアナゴ漁は認められていない。~読売新聞より引用~
だそうです。
 

近くて遠い国を思ふ

2005年06月02日 | 社会
産経新聞~対日の韓国 「恥辱の歴史清算」  反民族の行為究明委が発足


まずこの記事を見て私が感じたことは、一体この国はどこに行こうとしているのかという不安感でした。
親日という言葉が国賊や売国奴と同意義で語られるこの国において、この法律のもたらす影響が過去に限った事柄だけではなく、現在・未来における親日狩りを誘発するのではないかと危惧しています。
 過去を顧みることは必要なことです。日本においても戦争を知らない世代が冷静かつ客観的に、戦前ー戦中ー戦後における総括を行ういい時期に来ているのではないでしょうか。
韓国・中国だけが当事者ではありません。台湾や東南アジア諸国における歴史認識にも目を向け耳を傾けるべきでしょう。戦後、同じ時間が流れているにもかかわらず、あくまでも徹底した反日を掲げた国とそうでなかった国の歴史認識の違いがここまで違うのかと愕然とします。

アジアの真実:アジアが見た太平洋戦争

 過去は現在に,現在は未来にすべて連続して繋がっています。過去と現在を切り離して考えることは無意味です。これは、日本にも韓国にも中国にも言えることではないでしょうか。なんでもかんでも反日を叫べば日本がおとなしくなる頭をさげると思っているのでしょうか。いわれのない中傷に黙っている日本ではもうありません。また終わったこととして無関心になりつつある日本人にもこの問題を長引かせる一因があるのではないのでしょうか。"知らなかった"では済まされないこともあります。
 
 私自身もこの問題に関心を持ったのはここ最近の出来事です。両方の意見に耳を傾け目を向けることを肝に銘じこの行方を自分なりに追っていきたいと思っています。

親日反民族行為特別法