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シンボルの散歩道<12>

2010-01-26 14:31:47 | シンボルの散歩道
■「i=愛」がシンボル今昔

 毎日JRと地下鉄有楽町線の有楽町駅を利用
している。帰りはビックカメラ店内エスカレ
ーターを利用してJRへ。雨の日は傘要らずだ。
ここがかつては百貨店の「そごう」だったこ
とを思い出す人は少なくなったかもしれない。
閉店したそごうに代わり、2001年カメラ量販
店が誕生した。その後2007年秋、有楽町駅前
再開発で丸井が出現し周辺が一変。その総合
商業施設名称を「有楽町ITOCiA」と言う。こ
の名称をはじめて見た時、思わず連想したの
がかつてのそごう百貨店のことだった。

 「有楽町で逢いましょう」という歌謡曲が
流行ったのが、昭和32(1957)年、「そごう
百貨店」がオープンした年だ。佐伯孝夫作詞、
吉田正作曲のこの歌はフランク永井が歌って
大ヒットした。
 この歌がそごう百貨店オープンのためのタ
イアップキャンペーンの中心になるコマーシ
ャルソングであったことは今では語り種にな
っている。
 この歌詞に「♪~雨も愛しや歌ってる甘い
ブルース・・・」とある。ここに登場する
「愛しや」が「ITOCiA」のネーミングに受け
継がれたのか、なるほどね。と勝手に想像し、
それにしても「いとしや」が「いとしあ」に
なっているのはどうして? それに「Ci」の
「i」が小文字なのがずっと気になっていた。

 「有楽町イトシア」で検索すると、その施
設概要の中に説明文がありました。
 『有楽町イトシア名称の由来 新しい有楽
町の顔に相応しい名称として開発された「IT
OCiA(イトシア)」は、「愛しい+ia(場所
を表す名詞語尾)」からつくられた愛称。 新
しく誕生するこの街が、来街する人たちや利
用する人たちにとって愛しい街になることを
願って名付けました。』また、シンボルロゴ
のデザイン説明には、『歴史と由緒ある有楽
町を、クラシカルな明朝体と和のイメージの
角印で表現。また、小文字にしたITOCiAの
「i」は、愛称の由来である愛しさを「小さな
愛」で象徴しています。』と。

 ネーミング成立過程で、あの歌詞が事例と
して取り上げられたことは間違いないようで
す。ただ昔風の言い回しで「愛しや」を欧文
にすると「ITOSHIYA」となり、八百屋など
の屋号風になるのを避けたため、語尾を変え
たのではないでしょうか。ちょっといいなぁ
と思ったのは、「小さな愛」を小文字の「i」
で象徴させたというところです。

 そう言えばアップルが作ったPCは「iMac」
だったし、売上の主力が「iPod」「iPhone」
や「itunes」で小文字の「i」。方や大企業中
心に業績を伸ばしたのが大文字の「IBM」。
こちらは「ビッグブルー」という愛称でも呼
ばれています。
 個人(私=i)相手の「スモールアイ」で売
上を伸ばしたアップルと一方がビッグアイ。
百貨店の盛衰を考えているうちに思いはそこ
まで飛躍してしまいました。(2010.1.26中)

シンボルの散歩道<11>

2010-01-06 14:34:47 | シンボルの散歩道
■「お里が知れる」

 司馬遼太郎があるエッセイの中で、アイデ
ンティティのことを「お里」と意訳している
ことに驚いたことがあります。うまいなぁと
思いました。もう随分と時間が経つのに「ア
イデンティティ」と聞くとこの「お里」がす
ぐ思い浮かんできます。

 「お里」を改めて辞書で引いてみると、
1.他人の実家・生家を敬って言う語。
2.生まれや育ち。または今までの経歴。

「お里が知れる」は「その人の言葉つきや態
度で、生まれや育ちのよしあしがわかる」と
あります。

 おや、ちょっと変です。「よしあしがわか
る」ではなく、「育ちの悪さが知れること」
の方が正しいのではないかと思ったからです。
だって、その人の良いところを発見して「お
里が知れた」とは言いませんしね。おおよそ
は、マイナス要素、品行の悪さが露見した時
に使われる言葉ではなかったでしょうか。

 この「お里」、使う時にはいい意味では使
っていませんでしたが、最近はほとんど耳に
しません。今まで見えていなかったその人の
マイナスと思われる事実がある時垣間見え、
その人の地・本質が露になる。そこで今まで
抱いていたイメージを修正しなければならな
くなる。私たちが、ある人の「お里」をつい
知ってしまった時、そんな無意識な対応をし
ているようです。

 見かけが悪い物の中によい本質が隠されて
いて、そのことが露になるのは「お里が知れ
る」とは言わない。とすれば言い習わされて
きたこの「お里」とはマイナスの価値だった
のか? そうなると辞書を修正しなくてはい
けません。何だか大袈裟になってきました。

 家柄よりも育ちかたやその環境が人格を作
り上げるという「氏より育ち」は、昔から言
われてきたことでうなずけますが、この氏も
育ちもいいと思われているここ数代の総理大
臣たちを見るにつけ、「お里」が立派なのに
も関わらず「お里が知れる」こととなります。

 時の宰相のお里が知れる時、ふと我が日本
のアイデンティティが揺らいでいるのではな
いのか?と感じてしまいます。「志とそれに
伴う行動」、これは政治家に限らず、人間一
人ひとりも。取りも直さず企業活動にも言え
ることでした。コーポレート・アイデンティ
ティに即して言えば、「企業の理念は大丈夫
ですか?」「忘れられていませんか?」です。

 普段テレビではニュースかスポーツしか見
ないのに、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」
にはつい見入ってしまい、未来の日本をふと
考えてしまいました。ひょっとしたらこれは、
今年の大河ドラマ「竜馬伝」と合わせた日本
人の「お里」に潜む「志と行動」を起動させ
るためのNHKの深謀遠慮かもしれないと、穿
った見方もしてしまいました。(10.1.6/中)