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シンボルの散歩道<13>

2010-02-02 17:05:05 | シンボルの散歩道
■香りのアイデンティティ

 友人から白檀、伽羅、沈香の三種類入った
お香セットをもらいました。時折その中から
適当に選んで焚きながら音楽を聞いていると
心が静まります。そんな夜に石川さゆりベス
トアルバムを聞いていました。
 この中にある代表曲「天城越え」は、冒頭
「♪隠しきれない移り香が~」と始まる結構
怖い歌です。この「移り香」ってどんな香り
だったのだろうかと、ふと気になりました。

 この歌を聞くと古今集にある詠み人知らず
の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の
香ぞする」の歌が思い起こされます。
 橘のほのかな香りの面影に比べれば、歌謡
曲の方はちょっと生々しい香りが漂ってきそ
うです。源氏物語の中では藤壷だったか、衣
装に焚きしめた香の匂いで彼の気配を知る場
面がありました。そう言えば登場人物の名前
にしても薫や匂宮など香りに関係してました。

 正倉院御物でその名に「東大寺」の文字が
隠されている「蘭奢待」。写真で見る限りど
うってことない黒い木片ですが、その昔中国
から伝わった貴重な香木です。この木片は各
時代を通じて最高の香りのブランドで、歴代
の足利将軍や信長をはじめ、時の権力者達が
こぞって削り取ったことで有名です。
 彼等は、香りをかぐことが目的で切り取っ
たのではなく、宝物に切り跡を残すことが権
力者の自己証明だったのではないでしょうか。

 国立近代美術館所蔵の伊東深水の代表作に
「聞香」があります。ここには様々な香の匂
いをかいでその名を当てる香道の様子が描か
れています。室町時代に体系化されたという
香遊び・匂い当てゲームです。そうそう香道
では香りを「嗅ぐ」ではなく「聞く」という
んですね。でも聞き分けるのは難しいです。
 
 漱石の「三四郎」の中に登場したヘリオト
ロープ、これが最初に覚えた香水の名前でし
た。ヒロイン美禰子のイメージと共に印象的
に記憶しています。後日そのヘリオトロープ
を調べたら、フランスのロジェ・ギャレ社製
の日本最初の輸入香水で、当時花柳界に大人
気だったということを知りました。漱石も当
時最先端のブランドには敏感で早々に小説に
取り入れたようです。この紫の花を咲かせる
植物名の香水に較べ、現在のブランド、ディ
オールのプワゾンは何とも凄まじい名称です。
よくぞ名付けたものだと感心します。この毒
にあたったら周辺男性は全て悶死しそうです。

 焼き立てのパンやコーヒーの香り。鰻の蒲
焼き、焼き鳥、焼肉。これらは調理の匂いで
人を呼び込みます。匂いが看板の役割を果し
ています。花がその香りで蝶や蜜蜂たちを誘
うのと同じです。香りがおいでおいでと誘い
ます。「匂いがシンボル」でもあるわけです。
でも、甘く危険な香りには要注意要注意です。
 
 香りがその人を特定します。また、ある特
定の匂いがある状況を想起させます。香りと
結びついた企業・商品戦略もこれからもっと
研究されていくでしょう。(2010.2.2/中)


シンボルの散歩道<12>

2010-01-26 14:31:47 | シンボルの散歩道
■「i=愛」がシンボル今昔

 毎日JRと地下鉄有楽町線の有楽町駅を利用
している。帰りはビックカメラ店内エスカレ
ーターを利用してJRへ。雨の日は傘要らずだ。
ここがかつては百貨店の「そごう」だったこ
とを思い出す人は少なくなったかもしれない。
閉店したそごうに代わり、2001年カメラ量販
店が誕生した。その後2007年秋、有楽町駅前
再開発で丸井が出現し周辺が一変。その総合
商業施設名称を「有楽町ITOCiA」と言う。こ
の名称をはじめて見た時、思わず連想したの
がかつてのそごう百貨店のことだった。

 「有楽町で逢いましょう」という歌謡曲が
流行ったのが、昭和32(1957)年、「そごう
百貨店」がオープンした年だ。佐伯孝夫作詞、
吉田正作曲のこの歌はフランク永井が歌って
大ヒットした。
 この歌がそごう百貨店オープンのためのタ
イアップキャンペーンの中心になるコマーシ
ャルソングであったことは今では語り種にな
っている。
 この歌詞に「♪~雨も愛しや歌ってる甘い
ブルース・・・」とある。ここに登場する
「愛しや」が「ITOCiA」のネーミングに受け
継がれたのか、なるほどね。と勝手に想像し、
それにしても「いとしや」が「いとしあ」に
なっているのはどうして? それに「Ci」の
「i」が小文字なのがずっと気になっていた。

 「有楽町イトシア」で検索すると、その施
設概要の中に説明文がありました。
 『有楽町イトシア名称の由来 新しい有楽
町の顔に相応しい名称として開発された「IT
OCiA(イトシア)」は、「愛しい+ia(場所
を表す名詞語尾)」からつくられた愛称。 新
しく誕生するこの街が、来街する人たちや利
用する人たちにとって愛しい街になることを
願って名付けました。』また、シンボルロゴ
のデザイン説明には、『歴史と由緒ある有楽
町を、クラシカルな明朝体と和のイメージの
角印で表現。また、小文字にしたITOCiAの
「i」は、愛称の由来である愛しさを「小さな
愛」で象徴しています。』と。

 ネーミング成立過程で、あの歌詞が事例と
して取り上げられたことは間違いないようで
す。ただ昔風の言い回しで「愛しや」を欧文
にすると「ITOSHIYA」となり、八百屋など
の屋号風になるのを避けたため、語尾を変え
たのではないでしょうか。ちょっといいなぁ
と思ったのは、「小さな愛」を小文字の「i」
で象徴させたというところです。

 そう言えばアップルが作ったPCは「iMac」
だったし、売上の主力が「iPod」「iPhone」
や「itunes」で小文字の「i」。方や大企業中
心に業績を伸ばしたのが大文字の「IBM」。
こちらは「ビッグブルー」という愛称でも呼
ばれています。
 個人(私=i)相手の「スモールアイ」で売
上を伸ばしたアップルと一方がビッグアイ。
百貨店の盛衰を考えているうちに思いはそこ
まで飛躍してしまいました。(2010.1.26中)

シンボルの散歩道<11>

2010-01-06 14:34:47 | シンボルの散歩道
■「お里が知れる」

 司馬遼太郎があるエッセイの中で、アイデ
ンティティのことを「お里」と意訳している
ことに驚いたことがあります。うまいなぁと
思いました。もう随分と時間が経つのに「ア
イデンティティ」と聞くとこの「お里」がす
ぐ思い浮かんできます。

 「お里」を改めて辞書で引いてみると、
1.他人の実家・生家を敬って言う語。
2.生まれや育ち。または今までの経歴。

「お里が知れる」は「その人の言葉つきや態
度で、生まれや育ちのよしあしがわかる」と
あります。

 おや、ちょっと変です。「よしあしがわか
る」ではなく、「育ちの悪さが知れること」
の方が正しいのではないかと思ったからです。
だって、その人の良いところを発見して「お
里が知れた」とは言いませんしね。おおよそ
は、マイナス要素、品行の悪さが露見した時
に使われる言葉ではなかったでしょうか。

 この「お里」、使う時にはいい意味では使
っていませんでしたが、最近はほとんど耳に
しません。今まで見えていなかったその人の
マイナスと思われる事実がある時垣間見え、
その人の地・本質が露になる。そこで今まで
抱いていたイメージを修正しなければならな
くなる。私たちが、ある人の「お里」をつい
知ってしまった時、そんな無意識な対応をし
ているようです。

 見かけが悪い物の中によい本質が隠されて
いて、そのことが露になるのは「お里が知れ
る」とは言わない。とすれば言い習わされて
きたこの「お里」とはマイナスの価値だった
のか? そうなると辞書を修正しなくてはい
けません。何だか大袈裟になってきました。

 家柄よりも育ちかたやその環境が人格を作
り上げるという「氏より育ち」は、昔から言
われてきたことでうなずけますが、この氏も
育ちもいいと思われているここ数代の総理大
臣たちを見るにつけ、「お里」が立派なのに
も関わらず「お里が知れる」こととなります。

 時の宰相のお里が知れる時、ふと我が日本
のアイデンティティが揺らいでいるのではな
いのか?と感じてしまいます。「志とそれに
伴う行動」、これは政治家に限らず、人間一
人ひとりも。取りも直さず企業活動にも言え
ることでした。コーポレート・アイデンティ
ティに即して言えば、「企業の理念は大丈夫
ですか?」「忘れられていませんか?」です。

 普段テレビではニュースかスポーツしか見
ないのに、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」
にはつい見入ってしまい、未来の日本をふと
考えてしまいました。ひょっとしたらこれは、
今年の大河ドラマ「竜馬伝」と合わせた日本
人の「お里」に潜む「志と行動」を起動させ
るためのNHKの深謀遠慮かもしれないと、穿
った見方もしてしまいました。(10.1.6/中)

シンボルの散歩道<10>

2009-11-19 17:33:05 | シンボルの散歩道
■襟メディア

 地下鉄の電車内で吊り革に掴まり、ふと目
の前に座っている人の襟章が目に入った。誰
でも知っている一部上場の著名な企業のシン
ボルマークである。何気なく周囲のスーツ姿
の男性たちを観察したが、襟章を付けている
人は他に一人も見かけなかった。改札を出る
間観察を続けたが同様だった。記録を取って
いたわけでは無いので一概に言い切ることは
できないが、20年ほど前には襟章サラリーマ
ンはもっと大勢見かけたような気がする。大
手町界隈に行けばきっと「襟章率」は高いん
だろうなぁ、とか、新しい企業は襟章は作ら
なくなったんじゃないのか、とか、入社して
もらったのはいいがつけるのが面倒だとか、
何だか付けるのが恥ずかしいなぁとか、見か
けない理由を勝手な推理で楽しんでしまった。

 スーツの左襟の「ボタンホール」は、あた
かも襟章を飾るためににあつらえてあるよう
に思えるが、実は名称通りボタンをかける穴
なのだ。テーラーメイドのスーツなら襟を立
てれば、襟穴に対応する右襟部分にボタンが
ついているそうだ。そんな高級なものには縁
が無いのでモノの本で知ったことだが、かつ
て襟を立て、詰め襟の学生服のように着るこ
とも可能であったとか。その名残りが今に残
っているわけである。ジェームズ・ボンド氏
ならいざ知らず、ここに気障っぽくカーネー
ションやバラを一輪差してパーティに出るに
はちょっとネェ……でも一度やってみたい。

 以前、とある企業の創立50周年に併せて企
業シンボルを新たにする仕事をしたことがあ
る。その記念式典で全社員の前で新しい企業
シンボルが披露され、襟章も全社員に手渡さ
れた。その式典は誇るべき企業とそこに働く
人たちの、未来へ向けて一体化する高揚した
貴重な一時であった。彼等はその折に受け取
った襟章を現在も付けているのだろうか? 

 テレビ時代劇の水戸黄門ではクライマック
スで葵の紋が描かれた印篭が登場し、「この
紋所が目にはいらぬか」の決め台詞で物語は
一件落着する。あのシンボルの権威・効能は
時代と共に去りぬ、である。著名企業といえ、
老舗企業といえ不祥事や合併でイメージがダ
ウンしたり、あっという間に消えてしまった
りする時代、これみよがしに「紋所」を顕示
するのも恥ずかしくなっていると言えようか。
企業に対するロイヤルティの欠如、いや消失
とも言える。このことは昔からの日本型雇用
の変質や米国型成果主義導入と軌を一にして
いる気がしてならない。逆に、堂々とあまり
見かけない襟章をしている人はその企業に誇
りを持っているとも言えるかもしれない。

 せっかくのスーツのボタンホールをそのま
まにしておくのももったいない。社会的メッ
セージを込めた社章に代わる企業の新しい
「襟章」が考えられてもいいかもしれない。
「襟を正し」社会にメッセージを発信する
「メディアとして襟」の活用は一考の価値あ
りだ。(091118 /中)


海に落ちたらさようなら?

2009-01-03 19:11:55 | Turinowa 活動レポート
釣友会 Turinowa千葉支部 海釣り班 石井は、
12月30日深夜に川津港へいってきました。

自宅を21:30出発 23:00頃勝浦に到着しますと、強風が吹きすさんでおり、竿を出せる状況ではありませんでした。
風は西の方から吹いていたため、岬の反対側2kmほど先にある川津港へ行ってみました。
思ったとおり、風の影響はなく竿を出すことができたのですが、いかんせん初めての港。勝手がわかりません。
竿を出せる場所には常夜灯がなく、しかも、あろうことかヘッドライトが切れかかっているではありませんか。
電池を買い置きしてあったのですが、おろかにも電池のサイズを間違えておりました。
(ヘッドライトは単3。買い置きは単4)
しかたなく月明かりをたよりに釣りをはじめたところ、即、アタリがあり、ウミタナゴでした。
その後もウミタナゴにまじりチビメバルがつれました。
先客は、一匹だけ30cmオーバーのアジをつり上げており、刺身にする うんぬんと言っていてうらやましい限りでした。
12:00をまわったころから、突如北風が強く吹き始め、まわりにいた先客らは、手早く撤収していきました。
私はまだいけるだろうとタカをくくって釣りを続けていましたが、いつのまにか、置き竿が飛ばされ、タックルボックスがひっくり返り、燦々たる状況になってきました。
帰り道、月明かりが雲にさえぎられて、いっそう足下が見えず、
堤防の切れ目に何度か落ちそうになりつつ戻ってまいりました。
まだ海に落ちたことはありませんが、おそらくただでは済まないでしょう。
夜釣りに明かりの準備を怠るのは非常に危険ですね。
次回は大アジを釣ることを決意し、本年の納竿となりました。




千葉勝浦夜釣り080906

2008-09-08 00:38:36 | Turinowa 活動レポート
Turinowa海釣り班として、
千葉は外房勝浦港へ久々に夜釣りに行ってきました。
勝浦港は陸っぱりの釣りでは房総屈指の魚影を誇る港です。

陸っぱりは基本的にほとんどお金がかからないというのが良い点です。
特に僕の場合は仕掛けは百均、生き餌・コマセはもったいないので、
たいてい使わないため大変リーズナブルです。

今回勝浦は1年ぶりでした。(前回釣行時は台風で大荒れを承知の上で行き、ボウズでした。)

自宅から勝浦までは車で1時間30分ほど。
22:00頃現地へ到着すると、
すでに港全体で100人近くの先客がいました。
おどろいたことに、幼稚園~小学校低学年くらいの子供がたくさんおり、
なぜかキックボードで走り回っていました。(朝まで)
勝浦港は常夜灯が大変多く、真っ昼間のように明るいのですが、
さすがに違和感がありました。

釣果は、アジ6匹で、AM3:00前後につれました。(ケミホタル、チョイ投げウキ釣り)
数は少ないですが、20cm前後の、港内としてはまずまずの型で引きも強かったです。
今回はコマセは一切使わなかったのですが、周囲の人と比べて釣果に差はなかったように思えます。

朝まづめまで続けたかったのですが、漁師の方の作業が始まってしまい、4:00にて納竿。
(アジは回遊爆釣モードに突入すると、数十~百匹くらい釣る方もいますので、残念です。)
アジは刺身で食しました。
内房は先月末より青潮が発生している場所があり、釣果はかんばしくないようですが、
外房はそれほど悪くないようでした。
勝浦港はカンパチの回遊もみられるということなので、いつかはそちらもルアーで釣ってみたいものです。



シンボルの散歩道<9>

2008-07-30 12:07:10 | シンボルの散歩道
■花がシンボル

 ロンドンの花屋で「薔薇二輪6Pence、百合
三輪9Penceを買う。素敵に高いことなり。」
と、漱石が日記に書いたのが1901年5月4日の
 英国留学中のことです。
 明治男の漱石先生が、友人が来訪するとい
うので、部屋を飾ろうと花を買い、活けたと
思ったら何だかシャレているなぁ、格好いい
なぁと思ったことがあります。その友人とは
「味の素」の発見者池田菊苗氏のことです。
 
 その話を華道家や現代美術作家の集まりの
席で話題にしたら、明治の男性は花を活ける
のは当たり前だったし、嗜みだったと聞いて
ちょっと驚きました。
 婆娑羅大名と言われた佐々木道誉の観桜の
パフォーマンスは有名ですし、戦国の武将達
と花との結びつきなど、聞きかじった話も結
構あり、現代の日本の伝統文化の有り様まで
会話が広がりました。

 そんな会話の中「オフィスに花瓶ある?」
と質問され、「ないな~」と答えながら、な
ぜかちょっと気恥ずかしい気分になりました。
「オフィスに花があると、きっと雰囲気が変
わるよ」「一輪挿しを全員のデスクにおいた
らいいと思うよ」とか、そんな話が妙に刺激
的でした。

 その話を聞いた翌週からです。毎週月曜の
朝、花を買うのが習慣になり、もう一年半近
くになります。花屋が朝10時に開くのを待っ
て、いつも最初の客になります。出社して各
自の一輪挿しに活ける15分くらいの時間がま
た格別なのです。

 日本の伝統と言われる生け花を、未だ活け
たこともなかった自分がちょっと悔しく、か
といって一人習いに行くのも億劫でした。思
い立って友人の現代美術作家で華道家に講師
をお願いし、オフィスの仲間を募り、会議室
で「生け花初体験」を開催しました。
 そのことが、知人が主宰している企業研究
会にまで波及し、おじさんたちも熱心に「活
け花体験」。
 実践して初めて気がつくことって確かにあ
ります。何事もやってみるべし初体験です。

 昨今何かと語られる「もてなし」。この言
葉に含まれるシンボリックな行為のひとつが
「花」を活けることだったような気がします。
花に託したメッセージは時と場を得てその人
の心を確かに伝えることと思います。
 友人が来訪する時、どんな花を選ぼうか?
と悩んでみるのも一興かと思いますが、如何。
                 0728中

シンボルの散歩道<8>

2008-04-25 16:58:02 | シンボルの散歩道
■「色」好み

 「色好み」と言うと光源氏や西鶴の物語に
なってしまいます。そうではなく「色」の好
きずきについてです。
 子供の頃赤が好きでセーターなどよく着ま
したが、なぜか、赤は「女の子の色」と決め
つけられ、からかわれるのが不可解でした。
 最近では「赤」が好きだと言っても、レッ
ドソックスや浦和レッズのファンもそうです
し、男性が赤を着ても誰も何とも言いません。

 男女トイレのシンボルマークも青系と赤系
に色分けされています。これも慣習的な色彩
上の性差表現です。誰も何も言わないようで
すが、この「男女色」の違いはそうとう深層
に入り込んでいるようです。世界各地の色使
いを調べてみたくなりました。
 小学校の入学時に揃えるランドセルの色も
最近は一律に黒、というところもあるようで
すが、男の子が赤が欲しいと主張したら、親
はどう対応するのでしょう。

 この色の嗜好は民族性や時代性、文化の影
響を抜きには語れないようです。
 私たちは虹を七色と思いこんでいますが、
これは教育のせいです。小さい頃そう教わり
刷り込まれているので、今さら変更するわけ
にもいきません。でも、世界中がそうかとい
うと、そうでもなく、国や地域では5色や6色
だったりするようで驚いたことがあります。

 20代半ば、草木で糸を染め、その糸を復元
した万葉機で織るという、貴重な体験をした
ことがあります。その時、植物で染めた何と
も言えない色に出会い、日本古来からの色の
呼び名を教わりました。黄檗、蘇芳、茜、浅
葱等々。黄檗の樹皮からはレモンイエローぽ
い黄色を、蘇芳の木から赤、茜の根でアズキ
色っぽい赤などを染め出しました。

 白秋の歌詞で有名な「城ヶ島の雨」には、
「♪利休鼠の雨が降る~」とありますが、こ
の「鼠」はネズミの種類ではなく、薄緑がか
った灰色のことです。また、郷愁を誘うよう
な色褪せた「セピア色」とはイカの墨なんで
すね。これにはちょっと驚きました。「セピ
ア色の想い出」って、「イカ墨色の想い出」
ってことになるわけで、ちょっと大笑いです。 
 こんな洋の東西の色の呼び名のいわれや歴
史を見ていくのも面白いものです。

 コーポレートカラーと言うのがあります。
企業コミュニケーションに必要とされる重要
なデザイン要素で、シンボルマークの中心と
なる色です。その色を想起すれば企業が思い
浮かぶわけです。コカコーラと言えば赤です
し、ビッグ・ブルーといえばIBMの相性です。
 数少ない色で企業や商品が想起出来るなん
て凄いことです。

 大学や会社組織の学風や社風を言うのに○
○カラー」などと言います。ある集団や地域
などに特有の気風や傾向や特色を言う言葉で
す。人間一人ひとりの個性が異なるように、
組織や企業も千差万別で、それぞれ独自のカ
ラーを持っています。そこには無限の色が存
在します。独自のカラーを持つことは難しい
ことですが、アイデンティティの確立のため
にはとても重要なことでもあります。
 赤青黒などハッキリするのも方法ですが、
茜色、鳶色、茄子紺、露草色とか、何だかそ
んなカラーを持つ組織や会社が増えるといい
なあ、なんて勝手に思ったりしています。
 世の中、一色で染まるよりさまざまなカラ
ーがある方が楽しいですよね。それも自然の。
               080425/中

シンボルの散歩道<7>

2008-04-16 13:35:40 | シンボルの散歩道
■「道」がつくる物語

 昔、「ルート66」というアメリカのテレビ
ドラマがありました。二人の若者がハイウェ
イを疾走し、様々な町で遭遇する出来事が、
しゃれた音楽に乗せて展開する結構シリアス
なドラマでした。今でも時折流れてくるこの
主題歌を聴くと当時へタイムスリップします。
日本では名神高速道路が開通した頃の話です。

 旅の途中で起こるさまざまな出来事が映画
の筋立てとなっている映画をロードムービー
と言いますが、この「R 66」はまさにそのは
しりだったでしょうか。その後観た「逃亡者」
や「イージーライダー」もそうでした。
 日本で言えば「寅さんシリーズ」がすぐ思
い浮かびます。旅先での事件のあれこれ。こ
れはその土地土地を結ぶ、いわば「道の物語」
とも言えるでしょう。江戸から京都への旅の
出来事を描いた弥次喜多の「東海道中膝栗毛」
は、日本版「R 66」といえるかもしれません。

 そんな「道中」が持つ物語性に注目すると、
世界の古典の中には意外とたくさんあること
に気がつきます。ホメロスの「オデュッセイ
ア」がそうでしょう。日本で言えば「伊勢物
語」や「土佐日記」もそうです。忘れてなら
ないのに「奥の細道」がありました。
 昨今のゲームソフトや冒険物語のテーマも、
主人公が至難の「道」を通過しつつ成長し、
目的地へ辿り着くというのが主な筋立てにな
っているようです。

 道というのはA地点とB地点を結ぶ線=通路
です。この成立過程は西部劇でお馴染みです。
 ひと固まりの小さな集落に、一本道を挟ん
でホテルや酒場、教会、銀行、雑貨屋、鍛冶
屋、保安官事務所など、暮らしに必要な機能
が徐々に加えられ、「点」であった場が「線」
として延びていき、面として広がり町となっ
ていく。またそこに脇道が生まれ、路地が増
殖していく。まるで樹木が成長するにつれ枝
を広げ葉を繁らせていく姿とよく似ています。

 目的地へ素早く移動するため、最先端の土
木技術を駆使して設計された機能一点張りの
道路は便利ではあるが味気ない。その恩恵を
こうむっていながら嫌いも何もないものです
が、これがどうも好きにはなれません。

 地図上に線を引き造成された高速道路は、
古来人々が暮らしの中で歩き続ける中から成
長した道とは大いに異なります。妙な例えを
するなら、プラスチックと木で出来た家具や
道具の違いを連想してしまいます。プラスチ
ックでは人間の歴史や物語を仮託しようもな
く、時が経てば単に古びていくだけです。

 国道沿いには、似たようなデザインの郊外
店舗が並び、個性があるようでいて、全国ど
こを通ってもそっくりで個性がありません。
 道の活性化や再生には何も最先端の施設を
作る必要はありません。同じである必要もあ
りません。そこに昔からある史跡・文化遺産
・自然を見直し、整備すれば済むことです。
と、言うほど実現は簡単ではありませんが。
 
 以前、知人主宰の「街道文化研究会」に参
加し、東海道五十三次の旧街道のあちこちを
歩いたことがあります。日本橋、品川を経て、
神奈川川崎保土ヶ谷戸塚藤沢平塚大磯小田原
箱根まで。もちろん一気にではありません。

 古い宿場町を訪れ、旧街道や古道などを我
が足でもって歩くことで、人間の息吹と、長
い時間を経て成熟した文化の香りを嗅ぐこと
ができました。そこここに土地土地が持つ、
個性豊かな文化的インフラが眠っているのに
どうしてこれを目覚めさせないんだろうかと。
もったいないなぁと、まだ思い続けています。

 道路特定財源の使い道だとか、道路族の跳
梁跋扈だとかが騒がれる中、一層そんな気持
ちがつのります。

 ある道や通りや路地が、特別な意味を付加
され新しい名前で呼ばれ始め、いつの間にか
その名前が定着し賑わい始めます。そのため
にはそこには他の場所とハッキリ差別化可能
な個性豊かな何かが必要です。渋谷や原宿の
界隈に見る道や通りがブランドと化したのも
その一例です。

 さて、その道や通りのシンボルは何でしょ
う?それを発見・創造し、メッセージを伝え
る時新しい物語の扉が開きます。080416/中


 

シンボルの散歩道<6>

2008-04-10 15:51:01 | シンボルの散歩道
■絵はがきの中の風景

 旅に出ると絵葉書を出したくなります。海
外に出ると尚更です。空港や駅、ホテルの売
店などに置いてあるのを良く見かけます。絵
葉書を置く基準は、そこが「観光地」である
かどうかによるようです。探しても見つから
なかったら、そこは観光地ではないのです。
あるいは観光地と思ってはいないのです。
 過日、博多駅の構内で散々探し回り、よう
やく見つけましたが今ひとつ気に入らず、買
いませんでした。

 「絵」葉書といっても最近はほとんどが写
真です。10枚前後をセットにした葉書が、そ
の土地を代表しています。地元の観光協会、
または商工会、写真館、印刷会社などが被写
体をピックアップし、まとめているわけです。
 その選択基準は何でしょうか。誰でも知っ
ている有名な、いわば典型的観光スポットを
取り上げる場合がほとんどのようです。

 山、海、川、湖などの風景。天然記念物、
行事、名所旧跡、寺社仏閣、夕景夜景、四季
折々の行事・祭事・伝統技術、動植物等々。
土地の名物数ある中からたった数枚を選択す
るわけです。いわばご当地ベスト10です。そ
の土地を代表するわけですから、全国どこで
も見られるようなありふれた内容であっては
絵葉書にする価値はありません。

 ある場所が名所となるためには幾つかの条
件があります。そこは他の場所とは何かが違
っていなければなりません。自然であれ人工
であれ、奇観、壮観、異観でなくてはいけま
せん。そんじょそこらで見かけるものではい
けません。その場にしか存在しないものです。
そこに深い歴史があり、「神話伝説逸話物語」
があれば一層価値が上昇します。

 今、日本が世界に発信する「日本を象徴す
る一枚」を選ぶとしたらどうでしょう。昔な
がらに富士山、法隆寺、それとも六本木?
 笑ってはいけません、受信した情報がシン
ボルを作り上げるのです。それは発信する側
の問題であるわけです。ぼくたちも結構いい
加減にイメージを作り上げています。

 オランダならチューリップや風車? フラ
ンスなら凱旋門やエッフェル塔?、アメリカ
は自由の女神やグランドキャニオン。エジプ
トならピラミッドやスフィンクス。イタリア
はローマのスペイン広場やコロセウム。イギ
リスはビッグベンやピカデリー。中国は万里
の長城や天安門。韓国は?等々。本当はもっ
重要な知らなければならない側面があるのか
もしれませんが、結構いい加減な認識です。

 発信される情報の量と、その接触頻度と好
意の有無でそのイメージは決定します。あま
り情報を発信しない、知らない国のイメージ
は捉えられず焦点を結ばずぼやけたままです。
 特定のイメージはまず、知ることによって
作られ始め、徐々に集積し修正変更を加えら
れ、まるで粘土で彫塑を作るようにして、造
形化され固定します。一度固定したらなかな
か変更がききません。これもまたシンボル化
のプロセスのひとつです。

おっ、これは自分自身のことでもありました。