d a e 's Voice

d a e みんなのブログ

シンボルの散歩道<11>

2010-01-06 14:34:47 | シンボルの散歩道
■「お里が知れる」

 司馬遼太郎があるエッセイの中で、アイデ
ンティティのことを「お里」と意訳している
ことに驚いたことがあります。うまいなぁと
思いました。もう随分と時間が経つのに「ア
イデンティティ」と聞くとこの「お里」がす
ぐ思い浮かんできます。

 「お里」を改めて辞書で引いてみると、
1.他人の実家・生家を敬って言う語。
2.生まれや育ち。または今までの経歴。

「お里が知れる」は「その人の言葉つきや態
度で、生まれや育ちのよしあしがわかる」と
あります。

 おや、ちょっと変です。「よしあしがわか
る」ではなく、「育ちの悪さが知れること」
の方が正しいのではないかと思ったからです。
だって、その人の良いところを発見して「お
里が知れた」とは言いませんしね。おおよそ
は、マイナス要素、品行の悪さが露見した時
に使われる言葉ではなかったでしょうか。

 この「お里」、使う時にはいい意味では使
っていませんでしたが、最近はほとんど耳に
しません。今まで見えていなかったその人の
マイナスと思われる事実がある時垣間見え、
その人の地・本質が露になる。そこで今まで
抱いていたイメージを修正しなければならな
くなる。私たちが、ある人の「お里」をつい
知ってしまった時、そんな無意識な対応をし
ているようです。

 見かけが悪い物の中によい本質が隠されて
いて、そのことが露になるのは「お里が知れ
る」とは言わない。とすれば言い習わされて
きたこの「お里」とはマイナスの価値だった
のか? そうなると辞書を修正しなくてはい
けません。何だか大袈裟になってきました。

 家柄よりも育ちかたやその環境が人格を作
り上げるという「氏より育ち」は、昔から言
われてきたことでうなずけますが、この氏も
育ちもいいと思われているここ数代の総理大
臣たちを見るにつけ、「お里」が立派なのに
も関わらず「お里が知れる」こととなります。

 時の宰相のお里が知れる時、ふと我が日本
のアイデンティティが揺らいでいるのではな
いのか?と感じてしまいます。「志とそれに
伴う行動」、これは政治家に限らず、人間一
人ひとりも。取りも直さず企業活動にも言え
ることでした。コーポレート・アイデンティ
ティに即して言えば、「企業の理念は大丈夫
ですか?」「忘れられていませんか?」です。

 普段テレビではニュースかスポーツしか見
ないのに、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」
にはつい見入ってしまい、未来の日本をふと
考えてしまいました。ひょっとしたらこれは、
今年の大河ドラマ「竜馬伝」と合わせた日本
人の「お里」に潜む「志と行動」を起動させ
るためのNHKの深謀遠慮かもしれないと、穿
った見方もしてしまいました。(10.1.6/中)

最新の画像もっと見る