鳥取に倉吉と砂丘を駆ける(鳥取砂丘らっきょう花マラソン大会≪その2≫)

2015年10月26日 | マラソン大会
 【鳥取県(因幡国)因幡の白兎(10月24日①)】今回の「鳥取砂丘らっきょう花マラソン」は、羽田からの飛行機にしたおかげで、朝8時に埼玉自宅を出立する余裕の旅立ちとなった。今日の内に伯耆国の打吹城と倉吉市の白壁土蔵群を散策、明日は鳥取砂丘マラソンのあと、因幡国の鳥取砂丘と鳥取城と因幡万葉歴史館を見学、明後日は京都府久美浜に尺八師匠の墓参りのあと、山陰ジオパークの浦富海岸をサイクリングする . . . 本文を読む

鳥取に戦国と万葉の世を訪ねて(鳥取砂丘らっきょう花マラソン大会≪その1≫)

2015年10月26日 | 観光&歴史
【鳥取県のアラカルト】本州の全県マラソン大会走破を目指して残るは、中国地方の鳥取・広島・山口3県となった。今月は鳥取市の「鳥取砂丘らっきよう花マラソン大会」である。鳥取といえば「鳥取砂丘」、この広大な鳥取砂丘に作付けされた「らっきよう」の赤紫の花が、10月下旬には絨毯のように咲き乱れるという。花の時季に合わせて開催される本大会に参加して、広大な砂丘と赤紫の絨毯そして日本海の大海原を望みながらマラソ . . . 本文を読む

東北の殉教地(水沢・大籠)をゆく(一関国際ハーフマラソン大会《その3》)

2015年09月30日 | 観光&歴史
 【水沢の殉教地を訪ねて(9月27日②)】一関国際ハーフマラソンを辛うじて制限時間内に完走、一関総合体育館で着替えて参加賞の芋っこ汁とお握りで昼食を済ませ、いよいよ水沢の殉教地探訪である。大会シャトルバスで一ノ関駅に戻り、取りあえず今晩泊まる駅前のホテルにチェックインしてリュックを預け、軽装で再び東北本線で昨夜泊まった水沢に戻った。水沢駅内の観光案内所が無人IT化されて、2010年に肥沢 . . . 本文を読む

東北の殉教地(米沢・仙台)を駆け巡る(一関国際ハーフマラソン大会《その2》)

2015年09月30日 | マラソン大会
 【米沢の殉教地を訪ねて(9月26日①)】早朝7時に埼玉の自宅を出立。雨上がりの道端に彼岸花もまだ色鮮やかである。いよいよ東北の殉教地を巡る旅、初日に山形・米沢と宮城・仙台、二日目に一関マラソンの後に岩手・水沢、そして三日目に岩手と宮城の県境にある大籠地区、を予定している。福島の会津は、2010年にキリシタン大名蒲生氏郷と殉教地キリシタン塚を訪ねており、日程上今回は割愛した。大宮7時半発の東北新幹 . . . 本文を読む

東北の切支丹殉教の地を訪ねて(一関国際ハーフマラソン大会≪その1≫)

2015年09月29日 | 観光&歴史
【東北のキリシタン殉教地】5月の仙台国際ハーフマラソンに出走して戦国武将伊達政宗のルーツと生き様を訪ね、7月の被災地1000キロ縦断リレーに参加して政宗の海外に馳せた夢と遣欧使節支倉常長の現を訪ねながら、やがて仙台藩にも吹き荒ぶであろうキリシタン弾圧の嵐を予見していた。政宗が支倉常長の慶長遣欧使節を送り出した1613年は、家康のキリシタン禁制令もまだ東北には及ばず、仙台藩内での布教も自由に行われて . . . 本文を読む

被災地石巻・松島を走り政宗の遣欧使節船を訪ねて(第3回・1000キロ縦断リレー≪その2≫)

2015年07月30日 | マラソン大会
【未来への道1000km縦断リレー2015】未曽有の東日本大震災から4年4か月、原発被災の福島県は未だ先が見えないが、我が郷里の宮城県は、この5月30日にようやくJR仙石線が全線復旧、県都仙台と県内第二の石巻が結ばれ、震災復興もようやく軌道に乗ってきたようだ。被災地出身者として被災地復興支援のマラソンイベントに関わりたいと、被災翌年の2012年に宮城県亘理町開催の「第1回わたり復興マラソン大会」、 . . . 本文を読む

伊達政宗の遣欧使節に賭けた夢を訪ねて((第3回:1000キロ縦断リレー≪その1≫)

2015年07月28日 | 観光&歴史
【支倉常長との出会い】今年5月の仙台国際ハーフマラソンを走り郷土の戦国武将伊達政宗のルーツと天下への野望を訪ねてきたが、政宗は更に海外に雄飛する壮大な夢も抱いていた。その実現に向け太平洋を横断できる大型洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ号(掲示の写真)」を建造、家臣「支倉常長」を大使にスペイン国王とローマ教皇に海外貿易と宣教師派遣を交渉する使節団を派遣した、世に言う「慶長遣欧使節」である。支倉常 . . . 本文を読む

伊達政宗のルーツを訪ね杜の都を駆け巡る(仙台国際ハーフマラソン大会≪その2≫)

2015年05月12日 | マラソン大会
 【伊達家のルーツを訪ねて(5月9日)①】今回の仙台マラソン観光は、前日に福島で途中下車し、源頼朝の奥州合戦で伊達家の祖・常陸入道念西(朝宗)に討ち取られた平泉方武将佐藤庄司(基治)の菩提寺と居城跡、佐藤庄司を討ち取った武功で伊達の地を得た朝宗が最初に居を構えた高子岡館跡、伊達家三代義広から十五代晴宗が米沢に移るまで約300年も伊達家本拠地になった梁川城、そして頼朝の奥州征伐の決戦場とな . . . 本文を読む

奥州に伊達政宗の野望を訪ねて(仙台国際ハーフマラソン大会≪その1≫)

2015年05月11日 | 観光&歴史
【仙台のマラソン大会】全国のマラソン大会に参加して、その土地の歴史を探訪しながら、戦国武将の生き様をブログに綴ってきた。これまで岐阜の織田信長、大阪の豊臣秀吉、浜松の徳川家康、岡山の宇喜多秀家と小早川秀秋、出雲の尼子経久、会津の蒲生氏郷、郷里宮城白石の片倉小十郎と訪ねてきたが、いつかは必ず採り上げなければと思っていた戦国武将がいる。もちろん郷里宮城の英雄:独眼竜政宗こと伊達政宗である。その機会が訪 . . . 本文を読む

埼玉の熊谷桜堤を走り踊る埴輪を訪ねて(熊谷さくらマラソン大会)

2015年03月27日 | マラソン大会
【熊谷市の今昔物語】ようやく桜の便りが届くようになった。全国のマラソン大会走破を目標にしながら、この時季にはさくらを愛でながら走りたいと、2008年に行田市さきたま古墳公園、2009年に幸手市権現堂さくら堤、2010年に小山市思川さくら堤、2012年に郷里宮城の一目千本桜を、そして今年は熊谷市の桜堤を走る「熊谷さくらマラソン大会」にエントリーした。熊谷市は同じ埼玉に住みながら高校サッカー応援で一度 . . . 本文を読む

出雲路の歴史ロマンを訪ねて(出雲くにびきマラソン大会≪その3≫)

2015年02月23日 | 観光&歴史
【尼子氏盛衰記(2月12日)①】出雲路探訪の3日目は、安来駅から路線バスで月山富田城散策と足立美術館見学のあと宍道駅からタクシーで加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡を回る行程である。中世の山城と近代の美術そして古代の遺跡を巡り出雲路を大いに満喫してきたい。昨夜遅くから窓ガラスに叩き付ける雨となり、足元が悪ければ月山富田城は山城なので諦めるつもりだったが、天は味方してくれた。爽快な出雲路は始まった。今日最初の . . . 本文を読む

神々の国 出雲路を駆け巡る(出雲くにびきマラソン大会≪その2≫)

2015年02月17日 | マラソン大会
 【出雲への旅立ち(2月10日)①】朝6時すぎに埼玉の自宅を出立、雲ひとつない青白い空に半月が輝き、東の空に美しい朝焼けが広がり、立春が過ぎてなお指先かじかむ冬冷えのなか、可愛い小鳥のさえずりが飛び交っていた。早朝の通勤電車に差し込む陽射しの暖かさを感じながら、これからの出雲路に思いを馳せていると、突然耳元にバッハの「トッカータとフーガ」が鳴り響いた。出雲と聞くと最初に思い浮かぶのが19 . . . 本文を読む

島根に古事記の出雲神話を訪ねて(出雲くにびきマラソン大会≪その1≫)

2015年02月13日 | 観光&歴史
【出雲の国への憧憬】 先月でマラソン8年目、走り続けて7538キロ、参加したマラソン大会69、我ながらこれほどにのめり込むとは思わなかった。走り始めて2か月後の深谷マラソン5キロから、自信を得て距離も10キロからハーフに伸ばし、やがてメジャーな東京、大阪、京都のフルマラソンへとマラソンの夢は広がり、さらに全県大会走破を目標に、観光と歴史探訪を兼ねながら、東北・関東・中部・関西から、本州も中国地方 . . . 本文を読む

長州に明治維新のふるさとを訪ねて(維新の里萩城下町マラソンを棄権)

2014年12月07日 | 観光&歴史
【維新の里萩城下町マラソンの棄権】全国のマラソン大会走破を目指して東北から近畿までを走り終え、中国地方の岡山県に続く第2戦に、山口県の「維新の里萩城下町マラソン」を予定していたが、出発前日にテニスで右足首を捻挫して無念の棄権となってしまった。毎月1回の大会出走を目標に、10月の和歌山県の「和歌浦ベイマラソンinジャズ」に続いて11月に埼玉川越市の「小江戸川越マラソン」にエントリーしていたが、日程が . . . 本文を読む

万葉の紀伊路を駆け巡る(和歌浦ベイマラソンwithジャズ≪その2≫)

2014年10月29日 | マラソン大会
【紀伊の路に向けて(10月25日①)】早朝6時すぎに埼玉の自宅を出立、宇都宮沿線の田園に朝霧が広がり幻想的である。東京都に入る荒川の川面に朝日が燦々と降り注いでいた。これまで月に一度は各県のマラソン大会を走ってきたが、9月はコーラスと尺八の演奏会など「芸術の秋」の行事に追われ、10月に入りようやく「スポーツの秋」が到来、これで近畿地方に唯一残る和歌山県が走れそうである。今回は1月の栃木県下野天平マ . . . 本文を読む