今朝、俳優の地井武男さんが
心不全のためにお亡くなりになりました。
テレ朝の『ちい散歩』が途中から
地井さんの病気療養のため
再放送みたいになっていたので
心配はしていたのですが、
一時、退院して、
自宅付近を散歩していらっしゃると言う事も
噂ではお聞きしていたのですが、
私は、1992年、
『幸せになりたい~平成嵐山一家』
と言うかとうれいこ主演の連続テレビドラマで
地井さんと初めて仕事をさせて頂きました。
地井さんはかとうれいこの父親役で、
母親役が浅茅陽子さん、
おじいちゃん役に故・高品格さん、
幼馴染に清水宏次朗さん、岡安由美子さん
という配役でした。
当時、私は助監督として、
まだセカンドにあがったばかり、
助監督は基本3人
チーフ、セカンド、サード、
連続ドラマなら、
その下にフォースが付く事もあるのですが、
撮影は蓮ドラでありながらロケも多く、
スケジュールは本当に苛酷でした、
その上、スケジュールを作るチーフが、
よく、時間を読み間違えて、
俳優さんを早く呼び過ぎたり、
ひどい時には撮影の無い俳優さんを呼んだり、
その内、やはり不満が爆発し、
結局、現場で、しばしば
セカンドに上がりたての私が
矢面に立たされる羽目に・・・・、
そんな時に、地井さんが、
他の俳優さんたちを納めて下さいました、
そして、その日の撮影が終わった後、
いまのTMC(東京メディアシティ)、
当時まだ国際放映と言っていましたが
その前の焼き肉屋に誘って下さって、
地井さんが、
『何かあったらおれに言って来い
俺がちゃんと納めてやるから』
と言って下さったのを覚えています。
人格者と言うか親分肌と言うか、
その後、地井さんと
お仕事でご一緒する機会はありませんでしたが、
会うと、先に気が付けば
地井さんの方から声をかけて下さいました。
そんな地井さんを
私は業界での親父の一人の様に思っていました。
そんな地井さんが亡くなってしまいました。
又、現場でご一緒したかったのに、
ちゃんとお礼も言えてません。
が、ご冥福をお祈り申し上げます。
心不全のためにお亡くなりになりました。
テレ朝の『ちい散歩』が途中から
地井さんの病気療養のため
再放送みたいになっていたので
心配はしていたのですが、
一時、退院して、
自宅付近を散歩していらっしゃると言う事も
噂ではお聞きしていたのですが、
私は、1992年、
『幸せになりたい~平成嵐山一家』
と言うかとうれいこ主演の連続テレビドラマで
地井さんと初めて仕事をさせて頂きました。
地井さんはかとうれいこの父親役で、
母親役が浅茅陽子さん、
おじいちゃん役に故・高品格さん、
幼馴染に清水宏次朗さん、岡安由美子さん
という配役でした。
当時、私は助監督として、
まだセカンドにあがったばかり、
助監督は基本3人
チーフ、セカンド、サード、
連続ドラマなら、
その下にフォースが付く事もあるのですが、
撮影は蓮ドラでありながらロケも多く、
スケジュールは本当に苛酷でした、
その上、スケジュールを作るチーフが、
よく、時間を読み間違えて、
俳優さんを早く呼び過ぎたり、
ひどい時には撮影の無い俳優さんを呼んだり、
その内、やはり不満が爆発し、
結局、現場で、しばしば
セカンドに上がりたての私が
矢面に立たされる羽目に・・・・、
そんな時に、地井さんが、
他の俳優さんたちを納めて下さいました、
そして、その日の撮影が終わった後、
いまのTMC(東京メディアシティ)、
当時まだ国際放映と言っていましたが
その前の焼き肉屋に誘って下さって、
地井さんが、
『何かあったらおれに言って来い
俺がちゃんと納めてやるから』
と言って下さったのを覚えています。
人格者と言うか親分肌と言うか、
その後、地井さんと
お仕事でご一緒する機会はありませんでしたが、
会うと、先に気が付けば
地井さんの方から声をかけて下さいました。
そんな地井さんを
私は業界での親父の一人の様に思っていました。
そんな地井さんが亡くなってしまいました。
又、現場でご一緒したかったのに、
ちゃんとお礼も言えてません。
が、ご冥福をお祈り申し上げます。
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