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蕎麦職人になる。

57才おやじの蕎麦屋開業までの軌跡。

藪蕎麦宮本と東海道25番目の宿場町日坂。

2019-04-24 01:48:03 | 日記
日曜日に出発して高速は使わずにR246をひたすら南下し途中国道1号線で静岡は島田市に向かいます。
途中掛川の道の駅で仮眠をとり開店一時間前に藪蕎麦宮本に着きました。
最近ミシュランに掲載されているほとんどのお店が玄蕎麦から自家製粉しています。
中には手引きの石臼を使っているところもありますが、こちら藪蕎麦で修行された店主はそのパイオニア的存在です。
多くの蕎麦職人に影響を与えています。
東京でも人気のじゅうさんや竹やぶは同じ藪蕎麦系で切れやすく扱いにくい粗挽きでさえ細く長く見事に打たれています。
藪蕎麦らしく江戸つゆも用意されていて、正に江戸蕎麦!
キリッとしたから汁でのどこしのよいお蕎麦が味わえます。
香りは特別強いわけではありませんが唸ってしまうほど熟練した美味しいお蕎麦です。
天たねは藪蕎麦特有のえびのかき揚げに天かすが散らした玉笑や坐忘でも見るタイプです。
蕎麦好きなら一度は味わいたいお蕎麦です。
その後は東海道25番目の宿場町日坂に行きました。
こちらは島田市から近く地元の方が力を合わせ古い町並みや旅籠の保存に尽力されていて山岡鉄舟のふすまに書かれた書等も無料で見学出来てお薦めです。
宮本で昼食をいただき、古い宿場町を散策するのはいかがでしょうか。
宮本は撮影禁止でお蕎麦の写真は撮れませんでした。
次回は渥美半島を周り瀬戸市の窯を訪ねます。











お蕎麦屋さん開業までの軌跡。

2019-04-21 07:54:26 | 日記
平成29年4月、両親の介護を機に20年続けてきたアパレル業を廃業することになりました。
母が平成26年、肝臓に癌が見つかり父親が面倒を見ていたのですが、今度は父親にも肺に癌が見つかり千葉に暮らす両親の介護をするために苦渋の決断をしました。

その後懸命の介護も虚しく平成29年に父親を翌年に母親を立て続けに亡くしました。
その後私はあまりの短い期間に二人を見送る事になった訳ですが思った以上にロスに悩まされ中々立ち上がれませんでした。

その後49日の納骨が過ぎた辺りから少しづつですが何かしなければという気持ちになり前を向くことが出来るようになりました。

私はかねてより食べる事と手料理を人に振る舞う事が好きでした。
中でもお蕎麦が大好きで職人さんへの憧れみたいなものがありました。

そこでいろいろネット等で調べ体験教室にも出向き横浜にある一茶庵手打ち蕎麦教室プロコースに入学しました。
プログラムは約一月プロとして開業に必要な技術はもちろんの事、資金調達や経営に関する事、はたまたマーケティングのような事まで教えてくれます。

先生は昭和の蕎麦聖と呼ばれた片倉康雄氏の孫で英統氏、熱心にご指導いただきました。
30年の12月に無事卒業、好意で道具も破格でわけていただきました。
先生が同級生という偶然も重なり気心もしれ充実した一月を過ごす事が出来ました。
感謝、感謝です。

話はここからやっとスタートですが、記念すべき令和元年にお蕎麦屋さんを開業すべく頑張りたいと思います。
そのわたしの開業までの道のりを綴っていきたいと思います。