蕎麦職人になる。

57才おやじの蕎麦屋開業までの軌跡。

織部、志野のふるさと美濃。

2019-04-29 19:48:19 | 日記
岐阜県土岐市にやってきました。
こちらは瀬戸から山一つ越えて車で30分程です。
美濃の陶工加藤景延も土岐市出身と言われています。
登り窯や技術を唐津から持ち帰り織部焼 を進化させたとも言われています。

土岐市には私の先生の古くからの友人塚本治彦先生が窯があり、主に織部を焼かれていています。

先生にお願いして見学させたいただきました。
自然が豊かな素晴らしい環境でした。

色々釉薬のことから窯の事まで丁寧にお教えくださいました。

お忙しい中お時間割いていただきましてありがとうございました。


上は釉薬の見本、配合を変え試作を重ね最良の色味を追及しているそうです。

麦藁手のそば猪口

2019-04-29 19:04:46 | 日記
今からおよそ20年ぐらい前の話になりますが、私が焼きものや骨董好きになるきっかけになったエピソードをご紹介します。

今はないと思いますが麻布十番に当時50前後ぐらいのご夫婦が骨董店を営んでおられました。
とてもお洒落なご夫婦で奥様はいつも和服を着ていらっしゃいました。

ふと立ち寄ると5客の洒落た縞模様の深向付が飾られてました。
すごく気にいってしまい値段を尋ねると25000円とのこと、なにやらいわくありげな感じなので
尋ねるとじつは奥さまの持ち物でお気に入りだそう、しぶしぶ売りに出されるそうです。

江戸時代の赤津焼で瀬戸の焼き物だそうです。
元々は量産品で宿場とかでよく使われた雑器なのですが壊れやすいのと100年位まえに柳宗悦が用の美というものを打ち出し、民芸復興運動といっていましたが名もなき職人の熟練の技が美しい的な取り上げ方をしたので人気があったそうです。

奥様曰く縞の似合う女は江戸の粋だそうで、もっとも着物の話ですが、だからこの縞が大好きなのとおっしゃっていました。
とても素敵で粋な方でした。



それ以来麦藁手が好きで探しているのですが、この焼き物は磁器ではなく陶器なので割れやすく、なかなか良いものがありません!
戸部焼きや京焼きではあるのですがみんな磁器で、あの暖かみがあり、さりげないのにどこか洒落ている、あの感じが出ません。

ところが5年ほど前あるサイトで見つけ買ってみるとなんとも江戸時代のものと間違う程の出来ばえ!

そのご飯茶碗を大切に使っていましたが、今回お蕎麦屋さんをやるということで作ってもらえないだろうかとお願いしたところ快諾していただきました。

そして今回ご挨拶と注文をかねて窯に行ってきました。

瀬戸市にある子春花窯さんです。
本家の春花窯は江戸時代からあるそうで私の向付も先祖が作ったものかもしれないとおっしゃっていました。

なんという巡り合わせでしょうか、運命を感じますね。

そこであ私の好みに合うように多少デザインも変更してオリジナルの蕎麦猪口やどんぶり、小皿などもお願いすることになりました。
2、3ヶ月かかるそうです。
今から出来上がりが待ち遠しい!

きっとお蕎麦も素敵な衣装をまとい良い絵になると思います。








お蕎麦の食べ歩きの旅に出ました。

2019-04-24 01:54:34 | 日記
ジャックニコルソンとモーガンフリーマンの最高の人生の見つけ方という映画を観た方も多いかと思いますが、ジャックニコルソン演じる大富豪がモーガンフリーマン演じる一介の自動車整備工と病院で隣り合わせになり意気投合し二人で人生でやり残した事をメモに書き出し、有り余る財力で次々に叶えていくという物語でした。
最後は亡くなってしまうのですが、エベレストで違ったかたちでの再開を果たすというちょっと考えさせられる映画でした。
果たして人は最後もうやり残した事は無いなどという生き方が出来るのだろうか?
などと考えてしまいます。

私もまだ会社を立ち上げてたばかりの若かりし頃、将来仕事が落ち着いたらやってみたかった事がいくつかありました。

まだバブルがはじけて間もない頃私は運良くデフレの波に乗り低価格の衣料品で順調に売上げを伸ばしていました。

その頃料理の鉄人なるテレビ番組に夢中になり自分でも自己流ですがよく料理を作っていました。
やがて自分でも飲食店をやってみたいという夢を持つようになり、やるからにはこだわって魯山人のように料理から器に至るまで全て自分でプロデュースしたいと考えるようになりました。
しかし仕事が忙しく封印するしかありません。
心の奥底でいつかきっと夢を叶えてやると誓いました。

そして前回お話しした通りその機会が巡って来ました。
そして手打ち蕎麦の学校に入学する話につながっていきます。

卒業後、私はすぐに世田谷区経堂にあるまだん陶房という陶芸教室の門を叩きます。
こちらの主宰されている先生はわたしの好きな志野や織部などの桃山陶を得意としていたからです。

そこで技術を習得し自分の手で作った器でお客さんに食べていただこうと考えたからです。
先生は私の話を熱心に聞いていただいて応援してくださいます。

蕎麦屋の看板を自分で彫ることを提案いただき字も書いて下さいました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

それとは別に自分の好きな器を窯場を訪ねて買い求めたり、日本全国の美味しいお蕎麦屋さんを食べ歩いたりしたいという気持ちが押さえられずに旅に出る事を決意しました。

最初の目的地は静岡県島田にある藪蕎麦宮本です。

池之端藪蕎麦で修行され独立、全国にその名を轟かす名店です。

その後瀬戸市の窯場を周り、先生の親しい陶芸家、岐阜県は土岐市在住織部の達人、塚本治彦先生の窯場を見学させてもらう予定になっています。
愛車のプリウスαにテントと寝袋も積んでゴールデンウィークに有田で開催される陶器市目指し各地を転々としながらて行ってきます。




藪蕎麦宮本と東海道25番目の宿場町日坂。

2019-04-24 01:48:03 | 日記
日曜日に出発して高速は使わずにR246をひたすら南下し途中国道1号線で静岡は島田市に向かいます。
途中掛川の道の駅で仮眠をとり開店一時間前に藪蕎麦宮本に着きました。
最近ミシュランに掲載されているほとんどのお店が玄蕎麦から自家製粉しています。
中には手引きの石臼を使っているところもありますが、こちら藪蕎麦で修行された店主はそのパイオニア的存在です。
多くの蕎麦職人に影響を与えています。
東京でも人気のじゅうさんや竹やぶは同じ藪蕎麦系で切れやすく扱いにくい粗挽きでさえ細く長く見事に打たれています。
藪蕎麦らしく江戸つゆも用意されていて、正に江戸蕎麦!
キリッとしたから汁でのどこしのよいお蕎麦が味わえます。
香りは特別強いわけではありませんが唸ってしまうほど熟練した美味しいお蕎麦です。
天たねは藪蕎麦特有のえびのかき揚げに天かすが散らした玉笑や坐忘でも見るタイプです。
蕎麦好きなら一度は味わいたいお蕎麦です。
その後は東海道25番目の宿場町日坂に行きました。
こちらは島田市から近く地元の方が力を合わせ古い町並みや旅籠の保存に尽力されていて山岡鉄舟のふすまに書かれた書等も無料で見学出来てお薦めです。
宮本で昼食をいただき、古い宿場町を散策するのはいかがでしょうか。
宮本は撮影禁止でお蕎麦の写真は撮れませんでした。
次回は渥美半島を周り瀬戸市の窯を訪ねます。











お蕎麦屋さん開業までの軌跡。

2019-04-21 07:54:26 | 日記
平成29年4月、両親の介護を機に20年続けてきたアパレル業を廃業することになりました。
母が平成26年、肝臓に癌が見つかり父親が面倒を見ていたのですが、今度は父親にも肺に癌が見つかり千葉に暮らす両親の介護をするために苦渋の決断をしました。

その後懸命の介護も虚しく平成29年に父親を翌年に母親を立て続けに亡くしました。
その後私はあまりの短い期間に二人を見送る事になった訳ですが思った以上にロスに悩まされ中々立ち上がれませんでした。

その後49日の納骨が過ぎた辺りから少しづつですが何かしなければという気持ちになり前を向くことが出来るようになりました。

私はかねてより食べる事と手料理を人に振る舞う事が好きでした。
中でもお蕎麦が大好きで職人さんへの憧れみたいなものがありました。

そこでいろいろネット等で調べ体験教室にも出向き横浜にある一茶庵手打ち蕎麦教室プロコースに入学しました。
プログラムは約一月プロとして開業に必要な技術はもちろんの事、資金調達や経営に関する事、はたまたマーケティングのような事まで教えてくれます。

先生は昭和の蕎麦聖と呼ばれた片倉康雄氏の孫で英統氏、熱心にご指導いただきました。
30年の12月に無事卒業、好意で道具も破格でわけていただきました。
先生が同級生という偶然も重なり気心もしれ充実した一月を過ごす事が出来ました。
感謝、感謝です。

話はここからやっとスタートですが、記念すべき令和元年にお蕎麦屋さんを開業すべく頑張りたいと思います。
そのわたしの開業までの道のりを綴っていきたいと思います。