2017年4月1日、このブログではお馴染みのShunnくんをはじめ、川口のおばさん+おじさんコーラス隊、ミュージシャン、俳優など、木下恵と仲の良かった友人たちが川口リリア集まってくれました。
彼女を偲んで木下の好きだった歌を彼女に捧げるためです。
クレヨン社の「夕映えのグラウンド」を木下恵に捧げようと思いついたのは、前の記事で柳沼が書いてくれた通りです。
http://blog.ap.teacup.com/crayon/225.html
柳沼の言うとおり、まさに私の新たな一歩を踏み出す日となりました。
私は去年の彼女の再発から闘病記録を撮影しました。
しかし、その映像素材を未だに見ることができませんでした。
でも、今回の4/1の撮影を機に、闘病中の映像を見直し「受容」という過程を歩んでいくつもりです。
そしていつの日か、このたび公開した「夕映えのグラウンド~めぐみファイト!~」をエンディング映像としたドキュメンタリーを完成させる予定でいます。
私は映像作品をつくるとき、制作意図を理解してもらうために、キャストスタッフに向けてメールマガジンを発行してます。
この「夕映えのグラウンド~めぐみファイト!~」を作る際に参加していただくみなさんに発行したメルマガ増刊号・その6を以下に添付させていただきます。
なぜ「めぐみファイト!」なのかを書いた号です。
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増刊号その6「夕映えのグラウンド~めぐみファイト!~」
●「頑張る」ということ
「頑張れ」という言葉が、病んでる人にとって心に突き刺さるらしいことは僕も承知してます。
がん治療をネット検索すれば「患者よ、がんと闘うな」「がん専門医は抗がん剤をやらない」など、頑張らない宣伝文句を謳った書籍の広告が必ず目に入ります。
がん治療に研究熱心だっためぐみも必ず目にしてるはずです。
では、こんな宣伝文句が、めぐみのようにがんばりたい患者の心に突き刺さることは考えてないのか?
闘病中、こんな宣伝文句を見つけるたび、僕は頑張ってるめぐみを横目に、激しい憤りを感じてました。

「頑ばりたくても 頑ばれなくなった時を恐れて、頑ばんないなんて…ばかでしょ。」
上記がフォトフレームに入るメッセージで、添付されている画像がめぐみ直筆のメモです。
手帳と一緒にいろいろな紙に書かれためぐみのメモの束を見つけました。
日常思いついたことや、レシピや詩などが整理されないまま大量に残されていました。
「頑張りたい」シリーズは他にもたくさんあったけど、いちばんめぐみの気持ちをクールに書いてる添付のメッセージを選びました。
めぐみは頑張りたかったのです。
メッセージに書かれてるように、めぐみが恐れていた頑張りたくても頑張れなくなったときが訪れたのは、亡くなる2日前の2016年9月22日でした。
頑張れなかった時間はわずか2日間です。
それまでは、メッセージに書いてある通り、最後の最後まで生きることをあきらめることは一瞬たりともありませんでした。
もちろんめぐみは死も覚悟していました。
実に潔い遺書も書きました。
めぐみの人生においての最大のプライドが、いついかなるときも最後の最後まで「頑張る」だったのです。
「頑張らなくていい」で救われる人もいます。
「頑張れ」で生きる勇気が湧いてくる人もいます。
めぐみは僕が「頑張れ」というと、いつも「オー!」と言って喜びました。
闘病中、もっと「頑張れ」と言ってあげればよかったと思ってます。
でも可哀そうすぎてなかなか言ってあげられませんでした。
ほんとうに可哀そうなときは言えないし撮れない。
だからみなさんに「声の限り」に「友」にエールを送っていただきたいのです。
きっとめぐみは「オー!」と言ってくれます。