コザメの・・・

★コザメの日記★
うさぎのロメテップのコト、
思ったコト、日々の出来事など。

10年前日記 

2005年01月17日 | 感情的…
1月17日…
スゴイ音がしてる。外なのか中なのかは分からない。
二段ベッドから振り落とされそうになりながら、必死につかまってた。
いつ目覚めたのかは分からない。
「何?」「こわい」あと悲鳴。

これが地震だとは分からなかった。
4人部屋の私達は、真っ暗の中、誰もベッドから出ようとはしなかった。
別の部屋の子が呼びにきた。「上着を来て外に集合」らしい。
クローゼットはあかなくて服をだせない子もいたが、わたしのクローゼットは
あいてて服が外に散乱してた。(暗くて見えないがたぶんそんな感じ)

1階に行くと水が吹き出してて、靴箱は倒れてくつがわからない。
3階立ての寮には百人近く住んでいて、そのくつがバラバラにあった。
「誰の靴をはいてもいいから急ぎなさい」という声を聞いて、私は人の靴をはいた。

寒すぎるから一旦部屋に戻って毛布をとってくることになった。
少し明るくなってきたので、近くのグランドに行くことになった。
周りが見えてきてびっくり。こんなになってたの?
「道がない!」
車が通れないくらい細い道は、家の塀や家でなくなってた。
隣の家もない。がれきの上を歩きながらグランドについた。

空は赤い灰色だった。
大きな灰が降ってきてた。
それが火事だとそのうち分かった。
友だちの『マル』が泣き出した。私は泣かなかった。

ラジオをつけて状況を聞くと、大きな地震があって死者は37人とか言ってた。
しだいに死者の数が増えて100人くらいになっていった。

学校に避難することになった。
学校も電気も水もダメだった。夜になるとみんなの恐怖が大きくなった。
「もっと大きな地震がくる」と言われていた。何度も揺れるたびに抱き合ってた。
寒いのと、コワイのとで誰も寝なかった。
家族への電話もせず、いろんなことにみんなが走りまわってた。
そうして、いつの間にか今日が終わっていた。

それから10年、1月17日…
私の住んでた所は、テレビなどでよくとりあげられた場所ではなかった。
死んだ人の数も少ないんだろう。でも、悲しさは同じハズ。
東灘区に住んでた、小学校以来の仲良かった友だちは、
背骨が折れて下半身は何も感じない状態になった。
足が紫色だった。その足を触りながら私は泣いた。
小学生の時、親に内緒でその子と電車にのって水族館に行ったことを思い出した。
自分達だけで何かをしたかった気持ちを思い出した。

あの時ラジオで聞いた死者の数をはるかに上回る数の人が亡くなった。
いろんな思いがいろんな人の中であるんだろう。

忘れてはいないけど、忘れたかのように日々を楽しんだりしてるヨナ。
人の悲しさを忘れたかのように、人は人を傷つけてるヨナ。
人間って、弱い生き物だっていうことあるけど、強いんヤヨネ。タブン。