「おもしろい」って、どういうことよ?

売れていないラノベ作家が「おもしろい」とはどういうことか、
日々悶々としています。

マイルドな艱難辛苦の表現方法

2019年10月25日 | 日記
「最近の若い人は主人公が苦労するシーンを見たくないらしい」

こんな言説を、コンテンツ業界にいる人ならここ数年何度か耳にしていることと思います。
最初にこの話を聞いた時には、「苦労するから勝利や達成感のカタルシスがあるのになぁ、打たれ弱いなぁ」等と思っていましたが、今は違います。
情報の洪水の中で生きる今の人達は、知らなくてもいい苦しみや見ず知らずの人の怒りなど、本来受けなくていいストレスにさらされることが増えています。昔、大流行したドラマ「おしん」や、苦労の多いアニメ「フランダースの犬」などが、現在再放送したところで流行るとは思いません。私自身、子供の頃に大好きだったはずの世界名作劇場「ロミオの青い空」を大人になってから再び観ようとしたところ、主人公に降りかかる艱難辛苦がキツすぎて、序盤でリタイヤしてしまったことがありました。

でも、主人公の成長や喜びを描くには、その前に苦労や努力が無くてはなりません。

それをどうするか。

私が思うに、「直接書かない」というのが無難なのではないかと。

たとえば。
学生である主人公が先生にくどくど頭ごなしに叱られているシーン。そんなの、読みたくありません。ではどうするか?

「田中、さっきは災難だったな」
「仕方ないよ、実際、やらかしたのは俺だし」
「けど、先生の叱り方も酷すぎるだろ。なにもあそこまで言わなくたって……」

みたいに、過ぎたこととして描いて、それを語らせるとか。

たとえば主人公が戦士であった場合、モンスターにガチバコに殴り倒される描写をするのではなく、舞台を宿舎の中にして、腕や足を負傷した主人公の元へ、ヒロインが温かいスープを運んでくる、とか。

過去にしちゃえばいいんです。
主人公はその出来事を経験した後にすればいいんです。


もちろん、クライマックスシーンは直接描いた方がいいですが、序盤や中盤の1エピソードであれば、こういった迂回した表現でも充分だと考えます。

逆にクライマックスでは、直接、読者に見せましょう。
とことん地獄を見せましょう
主人公の目の前で、これまでのすべては嘘だったのだとゲラゲラ笑いながらヒロインであったはずの女性が主人公の妹を6本の腕で引き裂いたりしましょう。

ご利用は計画的に。
絶望は徹底的に。

「ショートスリーパー」って実際どうなの?

2019年10月04日 | 日記
ここ数日、一部のネットでHOTな話題の「作家の睡眠時間問題」。
私も若い人には「睡眠時間はしっかりとるように」と言いたいし、体は大事にして欲しい。

……とは、言いますけどね。
言いますけどね、表では。

実際はそうも言ってられないし、自分自身無茶苦茶なスケジュールで過ごしてたからでかい口叩けない。

寝てない自慢とかさ―――まぁやりがちなんですけど特にオタクは、今ちょうど御手洗直子さんのオタク漫画読んでるんで余計に思うんだけど「こんなバカやっちゃいました」ネタってオタク達語りたがるしウケいいし、でもわかっちゃうんだよね~結局、夢中になってる瞬間が楽しくて仕方ないんだもん。
寝てない!とか原稿ギリギリ!とか赤貧!とかさぁ、夢中に生きててそれがたまらなく楽しくて、だから若い頃には寝てない作家のことや原稿落としかけてる漫画家に憧れたし、ダメ人間なのに憧れたし、そういう「夢中になって生きてる人達」が羨ましかったし、自分がそうなった時に楽しいし嬉しいってのあるんだよな~~~。

わかる。
わかるんですよ語りたい気持ち。
と、いう訳で本日のブログは「ショートスリーパーの自分語り」です。

◆◆◆

結構憧れられることの多い「ショートスリーパー」。
実際自分も自慢してたし、この体質に生まれて得だったなと思っているのですが、自分で努力したわけでも無く生まれついただけの体質について自慢するのは感じ悪いなと思って流石に自慢はやめました。
ので、あまり人に言うことはなくなったのですが、ショートスリーパーって実際どんな感じなのか、自分の場合を書きますね。
ショートスリーパーにもいろんなタイプがあると思いますので、あくまで「私の場合」、です。


私のベスト睡眠時間は「一日4時間」です。
早めに布団に入っても四時間後に目覚ましも無しにパカッと目が開きます。

疲れている時はもちろん目覚まし鳴っても目が覚めませんし、余裕で遅刻もします。

4時間睡眠生活を続け、許されることなら1週間~10日に一度、ぐーぐーと8時間くらい眠れる日が挟まると、一か月単位で見た時に体調がベストです。
寝るのは好きです。ストレス解消方法はくうねるあそぶです。
才能もないくせに努力も嫌いな私みたいなクズなグズには、他の人より一日の自由時間が2時間は多く取れるこの体質は、唯一のアドバンテージでした。

中年になって体力が落ちたのか5時間~5時間半寝ないときつくなったなぁと感じていましたが、仕事が落ち着いて元気が出てきたらまた4時間睡眠に戻りました。

【一番無茶した時】

弱小ベンチャーに居た頃、どうしても納期が間に合わずに36時間ぶっとおしで作業していた時は流石に死を覚悟しました。秋葉原駅に降り立った瞬間、心臓がばくばくして汗がだらだら流れてチカチカと眩暈がして、ああ、こうやって人は死ぬんだなと思いました。寝たときのことは覚えていません、気付いたら椅子の下で気絶していました。

【一番無茶した頃】
やはり極小プロジェクトに携わっていた頃、一日平均3時間くらいの時期がありました。記憶があまり残っていないのであやふやではありますが、恐らく二か月前後そんな生活を続けていました。
パソコンに向かってひたすら書いて、1~1.5時間床で仮眠して(布団に入ると寝すぎてしまう為、床)、また作業して1~1.5時間仮眠して……で24時間のサイクルでした。
この時のことは本当に覚えてなくて、出来上がった作品を見て初めて「ああ、私はこんな話を描いていたのか」と思いましたし、初見のように「この話おもしろいな」と素直に楽しんで読み進められました。

【規則正しい高校時代】
だいたい5時半くらいに起きて弁当作って(親はまだ寝てた)、6:10になったらウゴウゴルーガ(時代……)を見ながら朝ごはん食べて、7時に家を出てました。寝るのは大抵26時です。

【中学時代】
夜更かししだしたのはこの頃からですね、試験勉強などを経て、起きてても親がうるさく言わなくなったので。この頃も26時くらいまで起きていたのですが、「やっぱり猫が好き」(時代……)が24時30分から放映だったので、その辺りから夜起きているのが習慣化した気がします。「征服王」とか「良い国」とか、あの当時は面白い深夜番組が沢山ありましたね。

【小学生以下】
では、夜更かしを覚える前はしっかり寝ていたかというと、まったくそんなことはありません。
子供の頃、私は「寝るのが嫌い」な子供でした。理由は「退屈だから」。
うちは結構早寝早起きにうるさい家で、小学生の頃は21時には必ず布団を敷いて有無を言わさず就寝時間でした。なので、クラスメートがタケちゃんマン(時代)で盛り上がっていても、私一人が話題について行けない。そんな家でした。
けれど、それなら21時には眠っていたかというとそんな訳はない。眠れないんです、布団に入っていても。
起きようにも家族全員もう寝ているし、テレビをつけることも出来ない。消灯しているから本も読めない。布団の中でただゴロゴロと眠くなるのを待つしかない。
今にして思えば私は「寝るのが嫌い」だったのではなく、「眠れるまで待たなければならない退屈な時間」が嫌いだったのでしょう。
仕方がないので布団の中で右手と左手を擬人化してひとりでお話を考えて過ごすのが常だったのですが、この空想頼みのごっこ遊びが、将来私を作家にしたのかもしれません。


結局のところ、言えることはただひとつ。

ショートスリーパーは体質です。

自分の体質に合わせて生活し、健康を保つしかやりようがない。

ショートスリーパーには訓練してなれるものではないし、
ショートスリーパーの人が眠れもしないのに布団に入り続けたってロングスリーパーの人達のような長寿を手に入れられるわけでも無い。
自分の体と付き合っていくしかないのです。

若い作家さん、作家志望さん。
売れていない中年作家からの切なる願いです。
「あなたの作品をこの世にひとつでも多く生み出して欲しいから、自分にとってのベストな方法で、元気に過ごしてください」。あなたの未来は、これから広がっていくのだから。

ダンジョン飯 8 感想

2019年09月15日 | 日記
マロール!
お前、マロールMALORじゃないか!!

と、いう訳でダンジョン飯最新刊感想です。
いやもうこれは感想を記しておかないといけないと感じましたもので。
とりとめのないものになるかと思いますが、思い出すごとに追記していきます。

実は正直なところ、「ドラゴン戦以降は蛇足だったな」と思っていたのです。
作品のトーンが変わってしまったこと。
ちょっとイマイチなエピソードがあるなと感じたこと。
料理のネタがあまりピンとこなくなったこと。
「人気あるから編集部に引き伸ばされたんだろうな」と思いましたし、正直、今でもそう思っています。
バロメッツの味が植物ではなく肉の味だった時にも「ネタ尽きたかな……」と思いましたし、西方のエルフ達が登場した時は「せめてデザインで遊べる新キャラでモチベ保ってんのかな」と思いましたし、「グルメ漫画(否)でウミガメのスープって……よりにもよってウミガメのスープって!!」と、使い古されたネタを安易に引用しているように感じていました。
それがまた、九井諒子という天才作家によって描かれているものだから、「それぞれに"ちゃんとしている"」のも歯がゆかった。見事なんです。そこが辛い。
5~7巻は、そんな印象でした。正直なところ。

しかし、8巻で感想はがらりと変わった。

既に読まれた諸兄はご存知の通り、全部が見事に繋がりましたね!
本当に「お見事」としか言いようがない。
これまで九井諒子といえば「短編が得意な作家」として有名だったので(私もそう思っていましたが)、コミックス4冊にわたる大きな風呂敷を綺麗に、美しく、こぼすことなく、何より楽しく包んできたことにただもう溜め息です。いや、本当にお見事。なんて作家が現れたんだと震えると同時に、九井諒子作品をリアルタイムで追える幸運に心から感謝するばかりです。

ファリンを救う方法(仮)もえげつなくて良かった。
食べるとは「命をいただくこと」とそれに伴う責任、そして「捕食者のエゴ」がつきまとう行為。
「それでも食べていかざるを得ない」。
このパーティにヴィ―ガンが居たら発狂するでしょうね、いいぞもっとやれ。

ファリンを想って涙するマルシルにはこちらももらい泣きしました。
イヅツミがパーティに懐いてきているのもとても良い。
中でもライオスに一番懐いていないのがよい。

チェンジリングでダンプリングという洒落も良かった。
思わずセブンで冷食の小籠包を買ってきてしまった。

チェンジリングと言えばもう出だしからずるいのですが、51話の表紙(チェンジリング一覧)も良かった。
この表紙だけで一生楽しめる気さえした。
しかしマルシル……エルフでアレなら、エルフの中では相当地味な顔なのでは……。

扉絵では、続く52話も良かった。
それぞれの食事風景。よく見るとここにチルチャックの娘たちも既に描かれているんですね。
マルシル達のは、ハリーポッターの大食堂を思い起こさせます。

トロッコの中の説明書き。
かつて日本の地下鉄(昭和二年創業の銀座線)の車内に
「顔や手を窓から出さない」「たんやつばを吐かない」とあった、あの注意書きみたいなものでしょうか。

チルチャックの明かされた素性や、カナリア隊の隊長も良かった。
久しぶりのウィザードリィ要素も良かった、* かべのなかにいる *
七つの大罪の展開のさせ方、シスルに対するファリンの表情。

良かった点を言い出すと枚挙にいとまがないので、また思い出したら追記します。
「ダンジョン飯」というタイトルロールに還る、旅の最終目的が提示された最新刊。

ああ本当に、九井諒子と同じ時代に生まれて幸運だ。

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追記:
エルフにも荒くれ者たちの集団があるというのも面白かったし、「カナリア隊」が出てきたことでマルシルの受け入れ先があるかもしれないという希望が持てて良かった。

シュローには頑張ってほしいけど、もし大団円でもファリンと結婚してる未来は見えないやゴメン。

「ダルチアンの一族」、マルシルが蜃に上映されてたアレかと思ったらあちらは「ペルキアンの血族」なのか。こちらでいう、ハーレクインロマンスのようなものなのでしょうか。


非現実の国民

2019年05月26日 | 日記
恥ずかしいから、表では言わないけど。
また、創ることを楽しいと思えるようになりたい。

「ヘンリー・ダーガーにとって創作は救いだったのか?」

そこが気になってドキュメンタリーDVDを手に入れたのですが、あれです、救いというより、そうすることでしか生きられないというか。書くことでしか、呼吸が出来なかったんだろうな、というのが感想です。

創作が好きなのではなく、現実逃避だったのかもしれないけど。
彼の居場所は、非現実の王国にしかなかった。

私も中学生の頃、友達が居なくて、多分ある程度のいじめもあったんじゃないかな? 記憶のない時期が一年半くらいあるんですよ。ただ、制服の袖が真っ黒になっていたから、おそらく毎日のように涙を袖で拭いてたっぽいな、と推測出来るくらい。
その頃、私は家に帰ると隠していたキャンパスノートを開いて、こっそり漫画を描くのが趣味でした。漫画というより、設定画だけのものもありました。
誰にも見せないし、家族にも内緒。
でも、あのノートを描いている時間は、安らぎと充実感と、ワクワクとウキウキに満たされていた。
ある程度の冊数が溜まるたびにコソコソ捨てていたのですが、あれ、取っておけば良かったな。内容はかなり忘れましたが、ファンタジー世界で冒険しつつ恋愛するお話が多かった気がします。魔法陣グルグルみたいな。
二十代半ば、描くのが楽しくて楽しくてたまらない時代もあったけど、中学生の頃、あのノートに向かい合っていたあの時間はそれとは異なっていたように思う。

安らぎ。

呼吸。

没入。

帰依。

あの感覚を得るには、ひょっとしたら描くこと以外の一切を――ヘンリー・ダーガーのように――失わなければいけないのかもしれないけど、それは今更到底恐ろしくて出来ないけど、それでも時々、憧れてしまう。
ヘンリー・ダーガーを好きな人の中に一定数、同じこと考えてる人がいるのでは?

生きてます

2019年05月26日 | 日記
ものすごく放置していましたが、生きています。
いつから放置していたかな?と振り返ったら、以前にも二年ほど放置していました。
最初にブログをはじめたのは2012年8月。

うわぁ。

びっくりしたので、ちょっと機会があったらまたこちらに書き込んでみたいと思います。
カテゴリ登録とかしてたっけ? ブログの書き方忘れたなー。