「最近の若い人は主人公が苦労するシーンを見たくないらしい」
こんな言説を、コンテンツ業界にいる人ならここ数年何度か耳にしていることと思います。
最初にこの話を聞いた時には、「苦労するから勝利や達成感のカタルシスがあるのになぁ、打たれ弱いなぁ」等と思っていましたが、今は違います。
情報の洪水の中で生きる今の人達は、知らなくてもいい苦しみや見ず知らずの人の怒りなど、本来受けなくていいストレスにさらされることが増えています。昔、大流行したドラマ「おしん」や、苦労の多いアニメ「フランダースの犬」などが、現在再放送したところで流行るとは思いません。私自身、子供の頃に大好きだったはずの世界名作劇場「ロミオの青い空」を大人になってから再び観ようとしたところ、主人公に降りかかる艱難辛苦がキツすぎて、序盤でリタイヤしてしまったことがありました。
でも、主人公の成長や喜びを描くには、その前に苦労や努力が無くてはなりません。
それをどうするか。
私が思うに、「直接書かない」というのが無難なのではないかと。
たとえば。
学生である主人公が先生にくどくど頭ごなしに叱られているシーン。そんなの、読みたくありません。ではどうするか?
「田中、さっきは災難だったな」
「仕方ないよ、実際、やらかしたのは俺だし」
「けど、先生の叱り方も酷すぎるだろ。なにもあそこまで言わなくたって……」
みたいに、過ぎたこととして描いて、それを語らせるとか。
たとえば主人公が戦士であった場合、モンスターにガチバコに殴り倒される描写をするのではなく、舞台を宿舎の中にして、腕や足を負傷した主人公の元へ、ヒロインが温かいスープを運んでくる、とか。
過去にしちゃえばいいんです。
主人公はその出来事を経験した後にすればいいんです。
もちろん、クライマックスシーンは直接描いた方がいいですが、序盤や中盤の1エピソードであれば、こういった迂回した表現でも充分だと考えます。
逆にクライマックスでは、直接、読者に見せましょう。
とことん地獄を見せましょう。
主人公の目の前で、これまでのすべては嘘だったのだとゲラゲラ笑いながらヒロインであったはずの女性が主人公の妹を6本の腕で引き裂いたりしましょう。
ご利用は計画的に。
絶望は徹底的に。
こんな言説を、コンテンツ業界にいる人ならここ数年何度か耳にしていることと思います。
最初にこの話を聞いた時には、「苦労するから勝利や達成感のカタルシスがあるのになぁ、打たれ弱いなぁ」等と思っていましたが、今は違います。
情報の洪水の中で生きる今の人達は、知らなくてもいい苦しみや見ず知らずの人の怒りなど、本来受けなくていいストレスにさらされることが増えています。昔、大流行したドラマ「おしん」や、苦労の多いアニメ「フランダースの犬」などが、現在再放送したところで流行るとは思いません。私自身、子供の頃に大好きだったはずの世界名作劇場「ロミオの青い空」を大人になってから再び観ようとしたところ、主人公に降りかかる艱難辛苦がキツすぎて、序盤でリタイヤしてしまったことがありました。
でも、主人公の成長や喜びを描くには、その前に苦労や努力が無くてはなりません。
それをどうするか。
私が思うに、「直接書かない」というのが無難なのではないかと。
たとえば。
学生である主人公が先生にくどくど頭ごなしに叱られているシーン。そんなの、読みたくありません。ではどうするか?
「田中、さっきは災難だったな」
「仕方ないよ、実際、やらかしたのは俺だし」
「けど、先生の叱り方も酷すぎるだろ。なにもあそこまで言わなくたって……」
みたいに、過ぎたこととして描いて、それを語らせるとか。
たとえば主人公が戦士であった場合、モンスターにガチバコに殴り倒される描写をするのではなく、舞台を宿舎の中にして、腕や足を負傷した主人公の元へ、ヒロインが温かいスープを運んでくる、とか。
過去にしちゃえばいいんです。
主人公はその出来事を経験した後にすればいいんです。
もちろん、クライマックスシーンは直接描いた方がいいですが、序盤や中盤の1エピソードであれば、こういった迂回した表現でも充分だと考えます。
逆にクライマックスでは、直接、読者に見せましょう。
とことん地獄を見せましょう。
主人公の目の前で、これまでのすべては嘘だったのだとゲラゲラ笑いながらヒロインであったはずの女性が主人公の妹を6本の腕で引き裂いたりしましょう。
ご利用は計画的に。
絶望は徹底的に。