「おもしろい」って、どういうことよ?

売れていないラノベ作家が「おもしろい」とはどういうことか、
日々悶々としています。

「好き」と「作品性が高い」は別物

2012年12月23日 | 日記
友人から、本やゲームやアニメといった、コンテンツを借りることがあります。その場合、もちろんそれらは友人のオススメ作品である訳で、当然の様に友人にはこう尋ねられるのです。
「どう、面白かった?」
こんな時、本当に困ってしまいます。
「つまらなかった」とは言えないじゃないですか。

「面白かった?」
「すごいのんびりペースだね~、単行本で読んだ私はともかく、雑誌連載を追っかけてた読者さんはやきもきしただろうね^^」

「どのキャラが好きだった?」
「●●さんの出番多いよね~(笑)人気キャラなのはわかるけどさ!^^」

ええ、そうです。私は微塵も友人の質問に答えていません
直接的な「NO」を告げる代わりに別の話題にすり替えて、「私はこの作品に興味を持ちませんでした」をさりげなくアピールします。嘘をついて褒めたところで、感想を語り合うのが辛くなりますからね。
こうすると大抵の人は空気を読んで話題を切り上げてくれるのですが、そうは許してくれない人達も中にはいます。

「なんでこの面白さがわからないの?」
そう言われても、好みじゃありませんので……。

「この作品の良さが分からないとか(プッ)」
理解が必要な作品なら、読者に伝えられなかった時点で負けなのではないでしょうか。

「すごくヒットしていてたくさんのファンがいるんだよ!」
それはアレだ、あの、「世界で最も売れた食品が世界一美味しい食べ物だというなら、それはハンバーガーだということになってしまう」ってあの理論だ。

好きな人もいる、嫌いな人もいる。それが何故、嫌いだった、好みに合わなかった、それだけで「作品を理解する感性が無い」とされてしまうのでしょう。ただ単に「好みが合わなかったねー」だけで済ませばいい話を、「この面白さがわからないなんて(プゲラ」されたらこちらだって「この程度で感動できるとか(プゲラ」となってしまいます。そんなの、余りに不毛ではないですか。

そもそも、薦め方が間違っているパターンも少なくないと思うのです。
「この作品、ストーリーがいいんだよ!」と言われたからそのつもりで見たのに、実はファンの人にとっては「キャラが好き→このキャラが頑張ってると感動する→だからストーリーも好き」だったりして、キャラに愛着も何もない人間が突然見たって全くピンと来ない、とか。
わかります、好きになると何もかもが愛おしくなる気持ちは誰にだってあります。けれど人に勧めるならば、「自分が作品を愛する気持ち」と「客観的に見た作品性の高さ」は切り分けて欲しいな、と思います。あばたもえくぼで薦められても、評価できるわけありません。「私は好きだけど貴方はどうかな?」くらいの姿勢でいてもらえると助かります。

完璧な作品などありません。ストーリーはいいけど見せ方がイマイチね、とか、キャラはいいけど音楽が平坦ね、とかあるのではないでしょうか。あるいは「濃くて好き」と好評の作品を「クドくて嫌い」と言う人もいるでしょう。長所と短所はそもそも表裏一体なのですから。

好きな人もいる、好きじゃない人もいる。
けれど、それを認めない人には辟易です。
自分の好きなものを認めてもらえないと発狂して何とかねじ伏せようとするのは勘弁していただきたい。
自分がその作品を「好き」なのか「高評価」なのかの見分けがついていない人にとって、「好き」が否定されることは自分の感性や審美眼を否定される……自分を否定されると同義になるので、躍起になって反対意見を否定したがるのかもしれません。


愚痴になってしまってすみません。
私も、自分の好みに合わなかった作品にも「評価される点」があることを素直に受け入れ、客観的にどこが「世間の評価が高い」のかを理解できるよう努めたいと思います。

種明かし

2012年12月12日 | 日記
エゴサーチしていたら読者さん達のコミュニティにて、
「木挽って最近刊行ペース早いね」
「筆が遅いイメージだったのにね」
「売れるようになってきて依頼が増えたのかな」
等と囁かれていましたが、単に会社(本業)が倒産したためです。