COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

rfi(ラジオフランスインターナショナル)によると le7 nov. 04

2004年11月12日 | 騒動と戦争
map by ONUCI : http://www.un.org/french/peace/peace/cu_mission/onuci/
(ここの右上地球儀をクリックするとこの地図のpdfがダウンロード可)

ブアケとコロゴの中間くらい、カチョラの北に新反乱勢力があるとのことで、コートジボワール(以下CIで表示)政府は何とかこれを叩きたいと狙っていた。

11月4日からCI軍はこの反乱軍アジトに空爆をはじめた。

フランス(以下Fで表示)軍は停戦協定に従うべく、この地域で任務にあたっていた。

11月6日、午後まもなく、こういった和平的支援を行っているF軍を突然CI軍が空から攻撃。F軍兵士8人が死亡し、23人の負傷者が出た。(このときの飛行機はSukhoi 25)

この数時間後、CI当局は反乱軍と誤った誤爆であったとして遺憾の意を表した。

F大統領の命により停戦協定が破られたとしてヤムスクロに停泊してあったSukhoi2機と戦闘ヘリコプター5機がF空軍機により破壊された。

このことにより共同戦線を張っていたCI政府軍とF軍が突然敵になったような状況になり、特にアビジャン国際空港では両軍が共同で使用していたこともあり、混乱した。

もちろん空港は閉鎖され、その後フランス軍によるコントロール下におかれた。

一方CIの最大都市アビジャンでは緊張が一挙に爆発し、愛国青年団(バボ大統領の支持グループ)が中心となり、フランス人の車を破壊したり、高級住宅地ココディにあるフランス・リセ、メルモーズに火を放った。バボ大統領は7日の夜にフランス人市民への攻撃を停止するよう命令を出し、騒ぎは少し静かになったものの、反仏、反植民地感情が強まっている。


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