「道の駅 コスモール大樹」だより

北海道南十勝の「道の駅 コスモール大樹」の職員が独断と偏見で勝手に発信をする道の駅情報です

アナンが帰ってきた④

2007-02-08 09:09:59 | hirokoのガーナ通信
昨日までの3日間、
ガーナのHirokoさんからの通信を掲載しました

締め括りとして今日は関連項目について少し紹介いたします

ガーナの歴史

ガーナ共和国は4世紀から13世紀にかけて現在のガーナの800キロ北方、
セネガル川とニジェール川の間の地域を支配していた「ガーナ帝国」にちなんで、
1957年、独立国家となった際に名づけらた

1481年に上陸したポルトガル人は、
金が豊富なことからこの地をゴールドコーストと名づけ、
1482年にはエルミナ城を建設し、金と象牙の貿易を開始しました

その後上陸した他のヨーロッパの商人によって、
海岸線に沿って建設された数々の城や要塞は、
貿易品の保管、宿泊や防御のために用いられました

しかしその後、奴隷貿易が盛んになり、
これらの城や要塞のいくつかは、
奴隷船の到着を待つ間の奴隷収容所として使われました

19世紀の終わりには、貿易のためにこの地に残ったヨーロッパ人は、
オランダとイギリスのみになり、オランダ人が1874年に撤退したあとは、
イギリスの植民地となりました

第2次世界大戦後、植民地の抑圧から、政治的自由を目指す活動が高まりました

現地労働者は低所得に苦しみ、地方には十分な医療も教育もありませんでした

1957年3月6日、
ガーは、クワメ・エンクルマの指導の下
サブサハラ地域の国家の中で始めてイギリスからの独立を成し遂げました

そして、1960年7月1日共和国となり、
クワメ・エンクルマが、初代の大統領となりました

2001年1月に現在のクフォー大統領が就任し2005年1月に再任されています


日本との関係では、野口英世がガーナで黄熱病の研究中になくなっています

参考サイトは

 国際連合広報センター
 
 日本は1956年12月18日、国連に加盟しました(加盟順、80番目)
 
 ガーナ共和国 日本大使館 

 
 そしてガーナの首都アクアよりこのガーナ通信を送ってくださっている
 米山博子さんとはこんな人


それでは本日これまで、また明日


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