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京都でのBCL、小物釣り、野菜作り等趣味の活動状況 ©COL
Photo: Sézanne, France

【フランスのお菓子】 ブション・ド・ショコラ Bouchons de Chocolat

2014-12-26 20:44:30 | フランス

 シャンパーニュ用の栓(bouchon)の形をしたチョコレートで、中にリキュールが入っています。

 エペルネÉpernayにある菓子店«Vincent DALLET»で作られたもので、シャンパーニュ生産の中心地らしいお菓子です。

 


2014年 フランスの思い出(その7)

2014-12-03 20:55:00 | フランス

 パリでの第七日、8月27日(水)。最後の朝は冷え込んで窓ガラスが結露していた。13℃くらいだろうか。窓を開けて換気するとすぐに消えた。外を眺めると、西方に修復中のパンテオンPanthéonの白い覆いが見える。たった6泊した部屋だが、名残惜しい。ここに私の前はアイルランドの友人、私の後はオランダ人の友人が泊まるということだ。同じ部屋、同じ眺めだが、各人にどんな印象を与えるのだろうか。

 午前9時、荷物をまとめてアンドレの部屋に移動。アンドレはまだ眠っている。ジョエルと二人で朝食を摂っているとき、彼女が泣いているのが分かった。別れの時が近づき、気持ちが高ぶっているのだろう。私も同じだった。ジョエルがいうには、あと4年経てば生活が楽になり、日本を再訪できるかもと。ぜひそれが実現することを期待したい。

 午前10時、クリスチアヌとジャンが車で迎えにやってきた。アンドレはベッドの上でまだ眠たそうだったので、ベッドのそばに行って別れの挨拶をしてから出発した。

 セーヌ河を渡るころ、覚えのある音楽が聞こえてきた。クリスチアヌに贈ったオランダの作曲家Rogier van OtterlooのCDを掛けてくれたのだった。「さようなら、パリ!」と心の中で叫んだ。感傷的になり半分泣きそうになったのをぐっと堪えた。幸い道路の渋滞はなく、約40分でシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2Eに到着。

 エール・フランスのカウンターで荷物を預けようとスーツケースを計量台に乗せたところ、何と23kgの制限重量を5.8kgも超過!ジョエルが「私が重たい本をたくさん贈ったからだわ。」と責任を感じて係員と交渉してくれたが、これは決まりなのでと申し訳なさそうに言われた。23kg以下のスーツケース2個まで無料の航空券であったが、1個しかないのでどうにもならず、仕方なく100€の超過料金を別の窓口で支払った。

 少し時間があったので、カフェで4人最後の時間を過ごした。午前11時40分、お別れ。特にクリスチアヌには想いを述べた。何とか泣かずに済んだ。ジョエルが見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。

 出国手続は混むことなく完了。ゲートはK51。往路時のような遠い離れ小島でなくよかった。予め場所を調べておいたスワロフスキーの免税店で女性方へのペンダントをお土産に購入。午後0時40分、ちょっと時間があったのでクリスチアヌに10分ほど電話し、本当のお別れをした。55分からB777-228ER型機に搭乗し、午後1時35分、AF292便は出発した。座席は往路と同じ通路側の24H。機内は結構空いており、乗務員から席を移動してもよい旨案内があり、移動する人もかなりいた。

 午後2時、西に向って離陸。午後2時半、オランダ上空で食前酒のサーヴィス。迷わずシャンパーニュを選択。午後3時、デンマーク上空で食事のサーヴィス。飲み物は再びシャンパーニュ。食べ終えたころ、インターネット予約していた機内免税品の準備ができた旨、乗務員から連絡があり引き取る。午後4時半、エストニア上空。やがてロシア上空に入ると夜が急に迫ってきて、機内も照明が暗くなった。全然眠くならないので、独り手元灯を付けて旅の記録を書いていた。午後8時、西シベリア上空でアイスクリーム・バーのサーヴィス。機内の後方にはラ・メール・プラールのビスケットやサンドイッチも置いてある。エール・フランスのサーヴィスはごく普通。他社ではエコノミークラスでシャンパーニュの無料サーヴィスはない?

  翌8月28日(木)午前0時、中国上空から北朝鮮上空に入る。高度41,000フィート。軽食のサーヴィス。さすがにシャンパーニュを飲むのは止めてカフェにする。

 午前1時15分(日本時間午前8時15分)、関西国際空港に着陸。午前9時前に南海電車に乗り、天下茶屋駅、淡路駅乗換えで、午前11時に帰宅。今年は猛暑でなく助かった。

 今回の旅行は非常に強い印象を残した。三月経ってもまだ鮮明に記憶がよみがえる。帰国後受け取ったメールによると、クリスチアヌらにとっても忘れられない思い出となったようだ。写真は全部で1,397枚となった。ジャンとは同じiPhoneなので、彼が写したものを含め、iCloud上で容易に共有することができ、思い出を補強するものとなった。

 

○旅の準備に役立ったもの

【テレビ番組】

・「テレビでフランス語」(NHK)

 週に1回の25分番組であるが、スキットを全て聞き取れるまで繰り返し視聴し、フランス語会話の勘を取り戻すのに役立った。現地ではなかなかそうはいかなかったが。モンジュ広場などスキット制作のロケ先を訪れるのにも役立った。

・「パリで逢いましょう Rendez-vous à Paris」(BS日テレ)

 パリを区ごとに紹介する番組はこれまでになかった。そこに住み、働く人々の生活を描写することに主眼が置かれており、現地の雰囲気がよく出ている。「#9 19区ビュット・ショーモン界隈」を参考にショーモンの丘公園を訪れた。各回54分間。

【フランス語基礎】

・「NHK CDブック ラジオまいにちフランス語 ハートにビビッとフランス語 清岡&レナ式初級講座」(NHK出版) ※CD付

 一気に通しで読んで忘れ掛けた文法を初心に帰って復習した。

【フランス語会話】

・「フラ語デート会話、恋ってどんなものかしら?」(白水社) ※CD付

 現地で思い掛けないロマンティックな場面があるかも?!と勢いで買ってみた本で、残念ながら何も起こらなかったが、心の準備はできる。

【ホームステイ】

・「フランス語ホームステイ ライブ 中級からのコミュニケーション」(三修社) ※CD付

 このようなテーマの本は殆どない。フランスに到着し、受入れ先家族と初対面するところから順を追って、どのような場面が想定され、会話を含めどのように振る舞うのが望ましいか、丁寧に記述されており、今回のホームステイの旅では参考になった。

Eメール】

・「Eメールのフランス語」(白水社)

・「史上最強のフランス語のEメール&チャット表現事典」(ナツメ社) ※CD付

 一般的なメールは前者でカバーできるが、くだけた内容を書くには後者が役に立つ。

【辞典】

・「新スタンダード仏和辞典」(大修館書店)

・「プチ・ロワイヤル和仏辞典(第3版)」(旺文社)

 手持ちの仏和辞典、和仏辞典が古くなったので購入した。きちんと調べるときはこれ。

・「プチ・ロワイヤル 仏和辞典(第4版)・和仏辞典(第3版)」(物書堂)

 現地で調べるのに便利なよう購入したiPhone用アプリで、帰国後も急ぎ調べるのに重宝している。

・« WordReference »(各言語間無料オンライン辞書)

 フランス語の単語のニュアンスを掴むのに重宝する。主にフランス語・英語間で利用している。また、単語ごとにユーザー間のフォーラムがあり、スレッド形式で質疑内容を閲覧できる。他国のフランス語学習者がどんなことで悩んでいるのかよく分かる。

・« Linguee »(各言語間無料オンライン辞書)

 フランス語の用例を検索するのに重宝する。主にフランス語・英語間で利用している。

・« Forvo »(各言語無料オンライン発音辞書)

 地名など単語の発音を音声で調べるのに利用している。 【完】


2014年 フランスの思い出(その6)

2014-12-02 23:24:00 | フランス

 パリでの第六日、8月26日(火)、買い物のための自由行動日。朝食のときにアンドレから「きみはもうパリゴだね。」と言われ、「パリゴって?」「『パリっ子』« Parigot »という意味だよ。」「でも、もう明日帰らないといけないんです。」「やっと慣れたのにねぇ。」パリの中心部は案外、田舎的で、皆知り合いなんだとか。もっと居たかった、1年くらいは。

 午前9時、歩いてセーヌ河の方に向かう。iPhoneのGoogleMapで自分の位置を確かめながら歩く。アラブ世界研究所前の広場でオリエント急行の車両の展示が行われているのを見つけた。蒸気機関車1両と1等車、寝台車、食堂車、サロンバー車の客車4両。開場を待つ行列ができていた。内部も見たかったが、先を急ぐ。サン・ルイ島を経由して右岸へ。

 午前9時半、市役所前のデパート「ベ・アッシュ・ヴェ」« BHV »に到着。市役所前のバザールBazar de l’Hotel de Villeという意味。地下1階の日曜大工用品Bricolage売場が目当て。くまなく回ってフランス風の琺瑯製の番地表示のプレートなどを購入。4階のキッチン用品Culinaire売場では、ガレットを焼くための道具Rozell, Spatureなどを購入。

 正午前に店を出たらあいにくの雨。長傘を持っている人は見掛けず、折り畳み傘を持っているか傘を持っていない人しか見掛けなかった。そんなに雨に降らない土地だからか。

 次はショッピングセンター「フォロム・デ・アール」« Forum des Halles »へ。800mほど歩いたのに工事中。しかし、幸い目当ての大型書店「フナック」« Fnac »は地下で営業していた。日本の漫画コーナーも充実している。フランス各地方のミシュラン・ガイド、« Kyôto itinéraires »というカラーのフランス語で書かれた京都のガイドブックなどを購入。

 パリの中心にParis Centreという大気汚染測定局があるということが分かったので、仕事上の興味から行ってみることにした。ポンピドー・センターの南隣のイゴール・ストラビンスキー広場の隅に確かにあった。濃緑色の局舎で何の看板もない。天面にPM2.5とPM10の採気口が2つ並んでいるので分かる。暖冬の2014年3月にはスモッグが発生し、警報発令、自動車のナンバーによる走行規制などが行われた。

 午後2時になったのでそばのカフェで昼食。チーズオムレツと辛口の白ワイン(シャブリ地区産)だけにしたが、サラダ、オリーブの実とパンも付いてきた。オムレツの味が濃厚でなかなかおいしかった。雨が上がって青空が広がってきた。

 もう1箇所回る時間がありそうだったので、東駅Gare de l’Estの近くのサン・カンタン市場Marché couvert Saint-Quentinに行ってみることにした。Couvertとは屋根付きの意。ポルトガル料理の惣菜屋traiteurがあるので期待して行ったが、残念ながら改装中であった。他の店もヴァカンス中が多くて活気がなく、収穫がなかった。

 重い荷物を抱えて午後4時半に戻った。ジョエルにその旨電話したところ、皆アンドレの部屋にいるとのことですぐに行ったら、ちょうどアンドレの弟ピエール夫妻が来ていた。

 クリスチアヌに「幼少期の写真を見せて!」と予め頼んでおいたら、ジョエルと2人で写っているのを何枚か見せてくれたが、とにかく可愛い。彼女たちの母オディルは若くして亡くなったので私もお目に掛かることができなかったのだが、写真を見るとクリスチアヌにその面影が感じられる。本人も「そう言われるの。」アンドレの80歳記念にイタリアのヴニーズVenise(「ヴェネチア」のフランス名)に行ったときの写真を見てフレーミングが優れているので褒めたところ、クリスチアヌが撮ったそうで、写真の腕もなかなかである。

 クリスチアヌに今日買った京都のガイドブックを差し上げたら喜んでくれた。「ジャンはアフリカに行きたがっているけれど、私は日本に行きたいの!」二人の折り合いは付くのだろうか。「梅と桜の花を見るには何月がいい?」「3月の後半、運が良ければ両方見られるよ。」

 午後7時半、最後の夕食は近くのヴェトナム料理店「ムフタール・サイゴンズ」« Mouffetard Saigon’s »にて。ジョエルから「ピリ辛いpiquantのはどぉ?」と聞かれたので「ちょっと苦手なんだ。」と答えると、店の人に頼んで香辛料を控えめにしてくれた。前菜はHu Tiêu(豚、エビ、ビーフンのサイゴン風スープ)、主菜はFruits de Mer sauté(海の幸(魚、エビ、ホタテ、イカ)のソテー)、デザートはChè khoai môn(ココナツミルク入りのタロイモと餅)にした。飲み物はジャスミン茶。ヴェトナム料理を初めて食べた印象は甘くて辛くて酸っぱいというものであったが、味のバランスがよく、割とおいしく感じた。私以外は皆食べ慣れているようで、箸も上手に使っていた。

 午後10時、アンドレの部屋に戻り、皆で甘口の酒精強化ワインVin de Liqueurを小さなグラスでいただいた。

 解散後、スーツケースの梱包作業。本類が多く、来たときよりも重くなっているのが気になる。【続く】


2014年 フランスの思い出(その5)

2014-12-01 20:45:00 | フランス

 パリでの第五日、8月25日(月)、前日にミシェルからジャンを経由してお礼のメールが届いたので、朝のうちに返礼のメールを急いで打った。午前10時からアンドレ宅にて遅めの朝食。今日はジョエルと市内北東部のショーモンの丘公園Parc des Buttes-Chaumontを訪れる。「パリで逢いましょう」というパリを区ごとに紹介するテレビ番組で19区の回を見て行ってみたいと思っていた。

 午前11時半に出て、メトロ7号線モンジュ広場Place Monge駅から7bis号線ショーモンの丘Buttes-Chaumont駅に正午に到着。石灰石採掘場の跡地に造られた25haの広大な公園。都会の喧騒は聞こえてこない。ランニングをする人々が結構いる。高い木の下に栗のような実がたくさん落ちている。よく見るとこれはマロニエ(セイヨウトチノキ)であった。ときどき前方が開けた場所で木々の向こうに街並みが少し見えるのがよい。周囲より30mほど高い見晴らし台belvédèreには神殿風のあずま屋があり、そこからはモンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院がちょうど見える。見晴らし台を囲む池を渡る吊り橋や落差が数10mの滝もある。敷地の高低差がこの公園に変化を生み出し、平面的な他の公園と異なる味わいがある。雨がぽつぽつ降ってきたが、乾燥気味のパリではむしろ潤いを感じる。1時間半も歩いたが実に気持ちがよかった。園内のレストランが皆休みで、昼は食べ損ねたけれど。

 メトロ 7bis号線ボザリBotzaris駅から9号線サン・フィリップ・デュ・ルールSaint-Philippe Du Roule駅へ。

 雨は本降り。300mほど北へ歩いてジャックマール=アンドレ美術館Museé Jacquemart-Andréへ。ここはジョエルのお勧め。午後3時にクリスチアヌ、ジャンと待ち合わせ。夫婦2人の美術収集家の邸宅が美術館となったで、フラゴナールやレンブラントなど絵画の膨大なコレクション。気に入ったのは螺旋階段で、しばし2階から眺めていた。日本語の音声ガイド付きであったが、昼の散歩が効いたのか館内で歩くのがちょっと辛くなってきた。 

 ようやく見学を終えたのは午後5時半。食いしん坊のジャンのお楽しみは、館内のカフェで食べるケーキ。ショーケースの中にはケーキが10種類。どれも日本で見るケーキの1.5倍以上の大きさ。ジャンはリンゴのシブースト、クリスチアヌとジョエルはフランボワーズのタルト、私は一番軽そうなレモン・メレンゲ・タルトを選んだ。

 しかし、メレンゲがふわふわとの想定は外れ、しっかりとしていた。クリスチアヌがちょっと分けてくれたフランボワーズのタルトの方がむしろ軽かった。 昼食を抜いていたお陰でダージリン・ティーとともに無事に完食。邸宅の食堂をそのままカフェにした豪華な雰囲気を皆楽しんでいたが、午後6時、営業終了。「普段ならもう少し居ていただけるのですが、今日は午後7時から宴会の予約が入っていまして」と店員が申し訳なさそうに言った。

 ジャンの車に乗り込んでアンドレを迎えに行き、午後7時から皆で夕食に出掛ける。行先はモンパルナス駅の一筋東モンパルナス通りrue du Montparnasseのクレープ店「プルガステル」« Plougastel »。今日は魚介類が載っているものをと思ったが、意外とメニューには肉、チーズ類が圧倒的に多い。スモーク・サーモン、チャイブ入りサワー・クリームの載った« Guilvinec »というブルターニュの地名を冠したガレットを注文。この店ではそば粉の生地は五角形に折られている。もちろんシードルも頂く。続いてデザートのクレープ。蜂蜜とレモンの掛かった« Trégana »を注文。お腹の調子がやっと戻ったようで両方ともおいしく食べられた。今日は、実はジャンの誕生日とのことなので、彼とクリスチアヌに二人くっつくよう合図して写真を撮ってあげた。

 クリスチアヌが自分の指輪bagueの話をしてくれた。「これはアイルランドの指輪なの。これは私の解釈なのだけど、真ん中にあるのが心臓で、その両側から手で支えている。心臓の上にあるのが脳。独身のときは心臓を外側に向けて嵌め(写真の状態)、心は誰に対しても開かれていることを示し、結婚したら心臓を内側に向けて嵌めるのよ。」私にとっては、アイルランドは未知の世界で、彼女の話は新鮮に思えた。この指輪、英語では« claddagh ring »と呼ばれているらしい。

 アンドレ宅に戻って、クリスチアヌとジョエルがごそごそし始めたと思ったら、それぞれ私の家族ひとりひとりに贈り物を用意してくれたのであった。ジョエルからはずしりと重い本。本の国フランスらしいと思った。 【続く】


2014年 フランスの思い出(その4)

2014-11-30 14:08:00 | フランス

 パリでの第四日、8月24日(日)、「明日は午後1時半にアンドレのところに来てね。」と前の晩にジョエルから言い渡されたので、午前中、予定外に自由時間になった。

 午前8時になったので、最寄りのコントルスカルプ広場Place de la Contrescarpeのカフェへ。昼食、夕食どきは客で一杯になるが、日曜の朝とあって閑散としており、まるで広場の眺めを独占しているようだ。テラス席でカフェ・ノワゼットCafé Noisette(エスプレッソと少量の牛乳)とクロワッサン2個の朝食を摂りながら、この半日何をしようか考えていた。

 近くを散歩して帰ることにする。モンジュ広場Place Mongeで毎週水、金、日曜日に開かれる朝市を覗く。野菜、鮮魚、チーズなど数十の店舗が並ぶ。野菜の並べ方が日本と違い、ニンジンやハツカダイコンは葉付きのまま首元で括って根を外側にして並べられている。

 さらにぶらぶら歩くと、カナダのケベック風のカフェがあった。メニューにはケベックのビールやメープルシロップで煮込んだ料理などが並び興味を引いたが、残念ながら夜しか開いていない。また、ビルの1階に「カルフール・シティ」 « Carrefour City »という小型のマーケットを発見。カルフールは日本では大型店という印象があるが、フランスでは都市部で小型店も展開している。日曜日も午前9時から午後1時まで営業しているので入ってみた。生鮮食料品、日用品は一通り揃っており、大型店のないパリ中心部の住民にとっては便利と思われる。お土産にする菓子、缶詰とミネラルウォータを買い込んだ。

 

 まだ午前10時で時間があるので、フランス国鉄SNCFのモンパルナス駅Gare Montparnasseに大西洋線のTGVを見に行くことにした。メトロで30分ほど掛かった。車内は混んでいて暑かった。29年前、この駅からブルターニュ地方のカンペールQuimperに向かう夜行列車に乗り遅れそうになり、動き出した車両に飛び乗ったのを思い出した。その後TGVが導入され、夜行列車は廃止された。駅はその機会に新しくなった。1番線から9番線までがTGVの発着番線。1番線からはスペインとの国境の町アンダイエHendaye行きとアルカションArcachon行きの併結20両編成、6番線からはトゥールTours行き8両編成。

 11時48分、コンコースの中ほどの上方にある出発列車の案内表示板の下に多数の旅客が集まり見つめていたかと思うと、一斉に8番線ホームに向って歩き出した。各列車とも出発の20分前にならないと番線が表示されないからであった。その列車は12時8分発カンペール行き20両編成。出発の2分前にはホームへのゲートが閉まり、駆け込み乗車を防止する。

 コンコースにあるパン店「ポール」« Paul »(京都や大阪にも店舗がある。)でディエップ風サンドイッチSandwich Dieppoisを購入。ツナ、レタス、トマト、ピーマンが入っている。しかし、ベンチで食べ始めてから後悔した。パンがおいしいのだが、硬いのだ。歯が丈夫でない私は仕方なく食べかけのまま宿に戻ってきた。午後1時過ぎに残りを食べているとジョエルが早めに迎えに来た。少し待ってもらい、全部食べてからアンドレの部屋に行った。ジョエルは今から昼食だそうで、「レバノン料理を買ってきたので、一緒にどぉ?」少し試してみることに。薄い円形のパン、粒状のパスタと野菜のサラダ、チーズはなかなかいける。

 今日は午後3時にクリスチアヌ、ジャンと現地待ち合わせでアルベール・カーン美術館 Musée Albert Kahnを見学するので、22日(金)と同じメトロのブーローニュ・ポン・ド・サン・クルーBoulogne - Pont de Saint-Cloud駅へ。30分くらい乗っているのでジョエルと話をしていたのだが、フランス人は親しくなると相手の家族の動静を聞きたがり、自分の家族のこともこちらの面識のない人を含めいろいろ話してくれる。

 美術館は駅の出口のすぐ近くにあり、数十人が行列を作っていた。庭園に入るといきなり日本庭園。回遊式の本格的なもので、京都にいるような錯覚にとらわれる。日本家屋ではお茶会が定期的に開かれている。フランス人はこの日本庭園を目当てに来るそうだ。今回はジョエルの希望で訪問することになった。クリスチアヌの話では親戚に日本女性と結婚している人がいるそうだ。庭園には、その他にイギリス庭園、フランス庭園、ヴォージュ地方の森などが作られており、2時間弱で全部回った。

 今夕はセーヌ河クルーズ&ディナーを楽しむことになっている。これはジョエルの発案で、船からパリを眺めるのは初めてなので楽しみだ。ジャンの運転する車でアンドレを拾って乗船場である左岸のオルセー美術館前に向かう。マリオンもここで合流。« Marina de Paris »というツアーで午後6時15分から乗船。手配よく眺めの良い船首中央の円卓が予約されていた。ジョエルから「今日はサプライズを用意しているのよ」と言われたが、何のことか見当もつかない。

  シャンパーニュで乾杯。前菜のサーヴィス。午後6時45分、上流に向かって出船。シテ島、サン=ルイ島を過ぎたところで180度方向転換し、下流に向かう。再びオルセー美術館前を通過。最も豪華とされるアレクサンドル三世橋を過ぎたところでクリスチアヌが「ほら、右手にグラン・パレが見えるでしょ。以前に一緒に展覧会に行ったわね。」丸みを帯びたガラス張りの屋根が特徴。26年前のことだけれど、本当によく覚えてくれている。あのときは初めてパリジェンヌに案内してもらうということで緊張していた。

 左カーブを過ぎると左手にエッフェル塔が見えてきた。やはりこれがパリの象徴。グルネル橋のたもとの自由の女神像のところで再び方向転換。午後8時、出発地に戻りクルーズは終わった。下から眺める様々な橋が面白かった。

 オルセー美術館の近くのカフェで一服。フランス人はあまり飲まないアイス・コーヒーCafé Glacéを頂く。よく考えると冷たいエスプレッソ・コーヒーは初めてで、何か変な気分。日本への旅行から帰ってきたマリオンの友人が帰ってきてから何かと「日本、日本」と言っているそうで、フランス人にとってそんなに憧れの国なのかな?

 暗くなってきた午後9時前にカフェを出て、帰路に着くかと思いきや、乗ってきた車と違う、やけに大きい車が用意されていた。聞くとこれはロールスロイスだという。値段が500.000€(約7,000万円)と聞いてさらに驚いた。これで夜のドライブを楽しもうという趣向だ。サプライズとはこのことであった。

 既にエッフェル塔のイルミネーションは点灯され、夕暮れの中で輝いている。セーヌ河左岸沿いに下り、エッフェル塔の前で右岸に渡ったところで、屋根が電動で開き、オープンカーになった。北に向かい、やがて凱旋門が見えてきた。さぁ、ここからは延長約2㎞のシャンゼリゼ通りAvenue des Champs-Élysées。何というパリの贅沢。ピラミッドのイルミネーションが眩しいルーブル美術館まで来たところで、屋根が閉められた。

 午後10時前にアンドレ宅に戻り、解散。【続く】


2014年 フランスの思い出(その3)

2014-11-29 15:21:00 | フランス

 パリでの第二日、8月22日(金)の夜は少し眠れた。早朝のごみ収集の音で起こされたが。

 翌23日(土)、今日はパリの北東約100㎞のシャンパーニュ地方に連れて行ってもらう。渡航前にクリスチアヌから行楽先として「パリ郊外のヴォー・ル・ヴィコント城はどぉ?」と勧められたのに、厚かましくも3倍遠い「シャンパーニュ地方のブドウ畑は日帰りで見られるかな?」と申し出たところ、「高速道路で直ぐだから。」と快諾してくれた。「訪問先のシャトーが午前中しか開いていないので、出発は早めの午前8時半よ。」

 午前7時半からジョエルの買ってきてくれたアーモンド・クロワッサンCroissant aux amandesで朝食。そのうちクリスチアヌとジャンが車で迎えに来てくれた。今日はジョエルの代子filleuleのマリオンも同行。黒縁の眼鏡を外すと美人のお嬢さんだ。「代子」というのは血の繋がりはないが、マリオンがカトリックの洗礼を受ける際にジョエルが代母を務めたという関係のようで、以後は家族として付き合うらしい。このような人との初対面の場合、フランス語で« tutoyer »するか« vouvoyer »するか、つまり「きみ」と親しく呼び掛けるか「あなた」と丁寧に呼び掛けるか悩ましいところであったが、思い切って最初からtutoyerして両頬にキスもした。

 ジャンの運転する車はセーヌ河沿いの道路を東へ走る。途中、道路の下をくぐるところで彼が「ここでダイアナ妃が交通事故で亡くなったんだよ」と教えてくれた。30分くらい高速道路A4号を走ると、もう沿道には畑が広がる。

 1時間でシャンパーニュ生産の中心地エペルネÉpernay方面への出口に達し、午前10時半にブルソーBoursault村のシャトー・ド・ブルソーChâteau de Boursaultに着いた。ところが門が閉まっている。「アンテルネット(「インターネット」のフランス語読み)で調べてから来たのに、どうも急にヴァカンスに入ったみたい。フランスではよくあるのよ」とクリスチアヌが申し訳なさそうに説明してくれた。

 少し坂を下ったところのブドウ畑で車から降りて見学する。緩やかな斜面に広がるブドウ畑とその向こうに見える小ぢんまりとした集落、そんな丘が続く。これこそ見たかった風景。ここだけでも十分に満足した。

  気を取り直して10㎞ほど東のマルイユ・シュル・アイMareuil-sur-Ay村のシャトーに向かう。途中、エペルネでクリスチアヌが車を降りてどこかに行って帰ってきたが、私のために薬局に立ち寄り、時差ぼけ用の薬を買ってきてくれたのだった。薬剤師である彼女はいろいろ気を遣ってくれる。渡航前に左耳に耳鳴りが発生して気になっていることを彼女に送ったメールで触れたところ、薬を用意しておいてくれた。もっとも、耳鳴りはパリ行きの飛行機に乗ったら治ってしまったが。30分ほどで小さなシャンパーニュ工場の「ギー・シャルボー」« Guy Charbaut »に到着。

 我々5人のために工場を案内してもらうことになった。「説明は英語、フランス語のどちらにしますか?」と聞かれ、専門用語が出てきそうなので英語にしてもらったのだが、これが失敗であった。凄くフランス語訛りのある英語でよく聞き取れないのだ。皆に悪かったなと思った。それでも日本が第6位の輸出先と言っていたのは分った。外の気温は22℃くらいあるが、地下の貯蔵庫は12℃しかない。毎日、瓶を手で8分の1回転させて澱を瓶の口に集めるそうだ。 

 見学の後はお楽しみの試飲。廉価なものから順に4種類。喉が渇いていたからか、最初に飲んだのが最もおいしく感じた。« Sélection Brut »1本15,20€(約2,100円)。3本まで免税なので、これとロゼとちょっと高級なのにしようと言ったら、クリスチアヌが「一番高いのは私が買ってあげるわ。」

 午後1時半ころにエペルネの中心部に戻り、クレープ店「デ・スクレ」« des Secrets »にて昼食。« Perros-Guirec »というクリスチアヌの好きなブルターニュの地名を冠した鶏肉、卵、エメンタルチーズ、トマト、きのこのガレット(生地はそば粉)を選び、シードルを飲みながら頂いた。 

 直ぐ近くのシャンパーニュ工場をもう一軒、今度は大規模なところで「メルシエ」« Mercier »を見学。こちらは見学が有料であるが、日本語による音声解説付きで展示施設も充実している。地下30mの広大な貯蔵庫を列車に乗って移動する。試飲もしたが、味が今一つと皆買わなかった。

 ブドウ畑ももう一箇所、エペルネの北隣のオーヴィエHautvillers村を訪れた。集落に向かう稜線から眺めるブドウ畑のパノラマがすばらしい。村の目抜き通りのドメヌ・ペリニョン通りRue Domaine Pérignonはシャンパーニュ製造産業の発達に貢献したこの地の修道士ドン・ペリニョンにちなむもので、同名の高級シャンパーニュが日本でも有名だ。村の中心の広場にはカフェがあり、屋外のテーブル席に人々が集っている。こういう雰囲気は日本の田舎には余り見られないものだ。クリスチアヌはこの地方の民宿Chambre d’hôteに泊まろうと検討してくれていたが、目当ての宿が取れなかったとのことで残念であった。

 

 日の陰り具合から午後4時過ぎくらいかと思ったが、もう午後6時を過ぎていた。今度はシャンパーニュ地方の中心都市ランスReimsに向かうことになった。今回、iPhone 5Sで写真を何枚も撮影していたので、夕方になって電池の残量が2割を切ってきた。そこで持参した2日分の容量の予備電池で車中にてフル充電し、役に立った。同じiPhoneを持つマリオンがこれを見て翌日に買ったほどだ。

 30分ほど北へ走って大聖堂に到着。正面が修理中なのが残念であるが、ランスまで来ると思っていなかったのでうれしい。内部に入ると荘厳さに圧倒される。ランスはパリからTGVで45分程度の近さなのに、クリスチアヌもジョエルも初めて来たと言っていたのが不思議。

 午後7時半、高速道路A4号で帰路に着く。午後9時帰着。さすがに空は暗くなっていた。

 お腹が減っていないので、今日も夕食抜きにした。  【続く】


2014年 フランスの思い出(その2)

2014-11-28 22:55:01 | フランス

 パリでの第一日、8月21日(木)の夜は殆ど眠れなかった。近くのカフェのざわめきは営業終了の翌日22日(金)午前2時まで続き、また、午前5時頃にはごみの収集があり目が覚めた。夏なのでそろそろ空が明るくなるかと思い外を眺めたが、真っ暗であった。その理由は夏時間で1時間進んでいるからであった。午前7時前にようやく空が明るくなってきた。幸い晴れているようだ。時差ぼけもあってか眠れず、起きることにした。部屋でシャワーを浴びる。普段しないことが習慣となるのは自分が変わっていくような気がする。

 今日はパリの北西約60㎞のジヴェルニーGivernyにある印象派の画家モネの家に連れて行ってもらう。これまで冬季閉館中であったり、時間が取れなかったりして訪問が延び延びになっていたので楽しみだ。午前8時半、ジョエルが迎えに来てくれた。おはようのキスをしてからアンドレの部屋にて3人で朝食を摂った。午前9時半、ジョエルと出発。メトロ10号線カルディナル・ルモワヌCardinal Lemoine駅から西の終点ブーローニュ・ポン・ド・サン・クルーBoulogne - Pont de Saint-Cloud駅へ。ここに午前10時半集合でジャンとクリスチアヌが車で迎えに来てくれることになっている。また、クリスチアヌの親友ミシェルとその夫パトリックも同行するので、総勢6人である。フランス人は自分の友人を次々と紹介してくるので、社交的とは言えない私はいつも緊張する。

 片側3車線、最高速度130km/hの高速道路A13号を走行。本線上に1箇所料金所があり、2,70€(約380円)をカードで支払う。約1時間で到着した。入場券売場に数十人の行列ができていたが、ジャンが事前にオンラインで購入してくれていたのでスムーズに入場。モネの住居は観光客で混んでいるので庭園を先に見学する。とても手入れが行き届いており、期待していた以上に多くの種類の花が咲き、心が和む。ジャンもパトリックも私も花の写真を撮るのに熱中していた。

  道路を地下通路でくぐると睡蓮の池がある。入口に竹林がしつらえてあり、日本を意識させる。先ほどの華やかな庭園とは対照的に、池はしだれ柳などの高木に囲まれ、睡蓮が静かに浮かんでいる。夏の日差しとはいえ、京都に比べてはるかに柔らかい。

  最後にモネの住居を見学。彼の浮世絵のコレクションのことは聞いていたが、その数の多さに驚く。クリスチアヌに贈った北斎の「神奈川沖浪裏」もあった。

  午後2時半を回ってから併設のレストラン「ナンフェア(睡蓮)」« Nymphéas »にて遅い昼食。余りお腹が空いていないのでシェーブル・チーズと生ハムのサラダ1品のみ取ったのであるが、おいしいのにまた分量が多く食べきれなかった。

  ミシェルは25年間パリで日本関係の仕事をしていて、11年前にボスからその功をねぎらい2週間の日本への旅行を贈られた。パトリックとともに東京、箱根、京都を訪問。京都には5日間滞在し、マンガ・ミュージアムにも行ったそうだ。彼女は生粋のフランス人で日本語は話せないが、クリスチアヌから聞いていたとおり顔つきは本当に日本人に見える。

 食事を終えるころから雲行きがおかしくなり、にわか雨が降ってきた。もう一度、違う時期に訪れてみたいと思う。再び来た道を走り、パリに戻る。午後5時過ぎにオペラ座の前で車を降り、ミシェル、パトリックともお別れした。

 ジョエルと少し辺りを散歩してから帰ることにした。セーヌ河に向って300mほど歩くとヴァンドーム広場Place Vendômeに出た。ブルガリ、モーブッサンなど超高級宝飾店が並ぶ、私とは縁遠い界隈であるが、彼女の父アンドレにとっては仕事場所だったそうだ。

 さらに300mほど歩くとチュイルリー庭園Jardin des Tuileriesに出た。臨時の遊園地が開設され、子供連れで賑わっている。大きな観覧車もある。

 左に90度向きを変え、ルーブル美術館に向って歩く。そのシンボルの入口のピラミッドは前回訪れた29年前にはなかった。午後7時、メトロに乗って部屋に戻った。お腹は空いていないので、夕食は抜いて体調の回復を待つことにした。ベッドで楽しかった一日を振り返っていると涙が出てきた。【続く】


2014年 フランスの思い出(その1)

2014-11-27 16:54:00 | フランス

 2014年8月21日(木)午後6時、私はフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港に独り降り立った。見覚えのある小柄なフランス女性が2人、こちらに向って手を振っているのが直ぐに分かった。「クリスチアヌ!」、「ジョエル!」と叫んで、それぞれ20年振りの挨拶のキスを交わした。右頬に1回、次に左頬に1回、チュッと大きな音を立てるのがフランス流。「変わってないわね」。そして、クリスチアヌの夫ジャンと初対面の握手。

 2013年の末、パリの近郊に住むクリスチアヌから年賀状が届いた。ここ1、2年、フランスへの関心が低下し、連絡を取っていなかったのを見透かされたようだった。彼女の妹ジョエルに至っては所在も分からなくなっていた。もともと30年前の8月、日本を旅行中のジョエルが突然自宅を訪ねてきたのが付き合いの始まりであった。20年前に新婚旅行でパリを訪れたとき以来、二人に会っていないことに気付いた。双方ともそれなりの年齢となり、このまま、もう会うこともないのだろうかと思うと辛かった。10,000kmの彼方、気軽に行くにはまだ遠い国であるが、子供の受験がうまくいくことを条件として行く決心をした。

 2014年1月、まずはクリスチアヌとジョエルに日本の物を何か贈りたいと思い、一保堂のいり番茶とほうじ茶、亀屋良永の御池煎餅、虎屋の羊羹、沖縄の壷屋焼の湯飲みを小包で送ることにした。クリスチアヌに尋ねたところ、ジョエルはフランス南部、地中海に面したモンペリエに住んでいることが分かった。幸い二人とも特にいり番茶を気に入ってくれたようで、クリスチアヌからは「クリスマスの贈り物をもらった子供のようにわくわくしながら地球の反対側の国から届いた包みを開けたわ!」との嬉しい返事が届いた。

 連絡は手紙からメールに切り替え、主にクリスチアヌと毎週のようにフランス語でやりとりすることになったが、名詞の性別や動詞の活用をかなり忘れており、メール1通を書くのにニュアンスの違いなど推敲していると数日は掛かった。クリスチアヌは26年前にパリで初めて会ったときのことをよく覚えてくれていて、メールの往復を繰り返すうちお互いの気持ちが再び通じるようになったのが嬉しかった。また、耳慣らしのため毎週水曜日にNHKテレビでフランス語講座を受講し、スキットは何とか全て聴き取れるようになった。

 3月末、子供の受験が無事終わり、職場の異動もないことが分かったため、航空券の購入に踏み切った。航空券は関西国際空港から直行便を唯一運航しているエール・フランスのウェブサイトにて8月21日(木)出発、28日(木)帰着、往復運賃・燃油サーチャージ等計171,290円で購入した。この航空券は搭乗日の変更、キャンセルができない。座席はまだ100席程度空きがあり、機内のできるだけ前方の通路側の24Hを選んだ。

 旅程が8日間と短いので、クリスチアヌに今回訪れたい場所の希望を予め伝えたところ、それに沿って行程を考えてくれた。パリ中心部にある彼女たちの実家に泊めてもらい、郊外にも連れて行ってくれることになった。クリスチアヌはケルト文化への関心からフランス西部のブルターニュ地方を訪れることを好み、その中で城塞都市サン・マロを何とかして私に見せようと検討してくれたが、高速列車TGVでパリから3時間掛かることから今回は断念した。また、ジョエルにも会うためモンペリエまで赴くことを申し出たが、TGVで3時間半掛かるので、彼女の方がパリに帰省してくれることになった。レストランを経営しているという彼女の夫ジャン=リュックはちょうどヴァカンス明けで店を開けるため残念ながら同行できないとのことで、初対面はお預けとなった。

 今回は初めての全面的なホームステイの旅であり、また20年振りに会うので、持参するお土産の調達に相当な労力を掛けた。葛飾北斎の大ファンというクリスチアヌには4月に神戸で開催されたボストン美術館の北斎展のカタログと、竹笹堂により復刻された北斎の木版画「神奈川沖浪裏」など。ジョエルには山形県の樽平酒造の純米原酒「樽平」、「住吉」など。また、二人に京七宝のブローチ。もちろん、いり番茶も。二人の父アンドレには宮脇賣扇庵の飾り扇子、文明堂のカステラなど。

 出発の日が近づくと何となく不安になってきた。そのことをクリスチアヌに打ち明けると、「私も旅行に出かけるときはそうなのよ」。フランス人家族の中にどっぷり浸かるので、言葉はもちろん、習慣の違いに直面することになる。また、水道水の硬度が高く、沸かすと真っ白になるので驚くと言うと、笑って「洗濯するときは石灰分を除去する錠剤を入れるのよ」。スーツケースの寸法、重量、液体の機内持込みの制限が近年厳しくなり、これに適合するよう荷物を詰めるのも面倒に感じる。あれほど望んだ旅行なのに奇妙だ。

 とうとう8月21日(木)、出発の日が来た。午前6時に起床。午前7時過ぎの阪急電車に乗り、天下茶屋で南海電車に乗り換え、午前9時過ぎに関西国際空港に到着した。

 午前11時35分、エール・フランスAF291便のB777-228ER型機(定員309人)は定刻に出発した。機内のエコノミークラスほぼ満席であったが、自席の隣6席は空いていた。

 出発後約1時間で食前酒のシャンパーニュ、その約30分後に食事のサーヴィス。座席背面の個人用ディスプレイに飛行位置や高度がフランス語、英語、日本語の順にリアルタイムで表示されるのが結構退屈しのぎになる。北朝鮮東部、中国東北部の上空を経て、出発後約3時間半でロシアのバイカル湖上空に達した。前回搭乗時はこの付近から脚がむくみ、たまらず機内をうろうろするなど辛かった記憶があるが、今回は幸い何ともない。

 午後5時過ぎ、アイスクリーム・バーのサーヴィス。シベリア低地の上空で変化がなく、ちょっと退屈になってきた。そしてフィンランド、スウェーデンの上空を経て、デンマークの上空に差し掛かった午後10時過ぎ、軽食のサーヴィス。

 午後11時41分、すなわちパリ時間午後4時41分、シャルル・ド・ゴール空港に着陸。午後4時56分、ターミナル2Eに到着。約12時間のフライト自体は心配したほど疲れなかったが、ターミナルの端のゲートLに着いたのと、到着客数の割に入国審査官の人数が少なく、入国したのは午後6時になった。

 ジャンの運転する車でパリ市内に向かう。パリは4回目なのだが、どこか懐かしさ感じる。約40分で到着。パリ市の5区で約600m歩けばセーヌ川に出られる便利なところである。入口の扉の色に見覚えがあった。26年前にジョエルに連れられて来たと思う。通りから見ると5階建ての集合住宅で、パリでは一般的な外観。扉は暗証番号がないと開かないので、冷たい印象を受けるが、扉の内側に入ると庭の両側にさらに家屋が並んでおり、静かで落ち着いた印象で居心地が良い。今回の旅を象徴するような印象の違いである。

 中庭に面する部屋に住むアンドレを訪ねた。26年前にはこの近辺を案内してもらった。宝飾品を製作する職人をしていたとのことで、某国王妃の戴冠式のための豪華な冠や某有名女優の身に着ける宝飾品を彼が製作した。アンドレはなにぶん現在はご高齢のため週に2回、身の回りの世話をする人に来てもらっているそうで、ちょうどその担当の女性がやってきた。クリスチアヌも週に2回来ているという。

 同じ建物の通りに面した3階の部屋を使わせてもらうことになった。洗面台とシャワーは室内にあるが、シャワーは電気で沸かした湯をタンクに貯めて使う形式。トイレは共用の階段を昇った4階にあり、使用の都度鍵を持っていく必要がある。中庭から階段室に入るのに別の暗証番号が必要で、階段やトイレの電灯はタイマー式で自動的に切れるなど、普段の生活との違いに戸惑った。部屋の中の飾り棚には手先の器用なアンドレが学生時代に製作した工具など様々な物が並んでいた。

 気温は22℃。一つだけある窓を開けて外を眺めると、近くの広場のカフェからざわめきが聞こえてくる。結構賑やかな界隈のようだ。「あぁ、パリに来たなぁ。」としみじみ思った。

 夕食は遅めの20時にしてもらって、歩いて5分くらいのところのムフタール通りのレストラン « La Fontaine de la Mouffe »に入った。チーズ・フォンデュが得意の店のようだが、前菜は鴨のパテのサラダ、主菜はブルゴーニュ風牛肉の煮込みを頼んだ。とにかく料理の分量が多く、日本の感覚の1.5~2倍はある。時差のせいもあり、全部は食べきれなかった。

 部屋に戻り、みんなにお土産を渡し、おやすみのキスをして別れた。 【続く】


フランスのお菓子 カリソン« Calissons »

2014-05-18 21:39:45 | フランス

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 フランス南部モンペリエの知人から先月届いた包みにプロヴァンス地方のお菓子「カリソン」も入れてくれていました。
 カリソンは2012年に別の知人から頂いたのが最初で記事にもしていますが、2年振りです。
 口の中で柔らかく溶けてアーモンド、メロン、オレンジの穏やかな香りが広がりました。
 




フランスのお菓子 ガレット・ブルトンヌ« Galette Bretonne »

2014-04-29 15:59:02 | フランス

20140208_galette_bretonne

 知り合いのパリジェンヌに「フランス西部ブルターニュ地方のお菓子ガレット・ブルトンヌGalette Bretonneを食べてみたい」とメール(いやフランス語では« mail »と書いて「メル」と読む)を送ったところ、早速現物を送ってくれました。
 薄い円盤状でサクっと食べやすく、バター18%使用の割にはしつこくなく好印象を持ちました。

20140429_galette_bretonne_bigot

 2枚目の写真は昨日、神戸のビゴの店で購入したガレット・ブルトンヌで厚さが1cmくらいあります。これに比べると送ってもらったのは薄く、半分くらいの厚さに作ってあるようです。
 




フランスのお菓子« Navette, Mantecaos, Fourré, Palet »

2014-04-27 18:52:31 | フランス

20140424_biscuits_navette_mantecaos

 フランス南部のモンペリエMontpellierから大きな包みが届きました。フランス人の知人が4月20日の復活祭Pâquesのお菓子を送ってくれたのでした。バケツ型の化粧缶にいろいろな形のビスキュイBiscuits(つまり、ビスケット)がばらで入っていました。日本でイメージするビスケットと異なり初めて見るものでしたが、リストを入れてくれていたので、これを手掛かりにウィキペディアのフランス語版で調べてみることにしました。

20140424_liste_de_biscuits

 1枚目の写真の前列左がナヴェットNavette、前列右がマンテカオスMantecaos、後列左がフレFourré、後列右がパレPaletという種類のようです。それぞれ、さらにアーモンド、レモン、チョコレートなど味付けのヴァリエーションがあります。
 Navetteは小舟という意味で、特徴ある形をしています。かつて聖人たちがエルサレムから小舟でフランス南部のプロヴァンス地方に到着したという伝説にちなむものです。
 Mantecaosはスペインのアンダルシア地方の発祥で豚脂を使用していたので、スペイン語のmanteca(脂肪)に由来するとされています。写真のものはアーモンドが1個載せられています。
 Fourréは詰め物をしたという意味で、写真のものはピンク色で中にフランボワーズのあんが詰まっています。
 Paletはフランス西部のブルターニュ地方で盛んなゲームに使用される円盤状のパックにちなむものです。
 一つ一つ調べてみると異なる歴史があるものですね。
 いずれもやや硬めなので手で割ってから食べるのがよさそうです。甘さは控えめでコーヒーとともに頂くと結構いけます。


フランスのお菓子《Calisson(カリソン)》

2012-06-02 23:06:00 | フランス
Calissons



 先日、フランス人の知人からCalisson(カリソン)というお菓子を頂きました。
 フランス南東部プロヴァンス地方の伝統的なお菓子とのことですが、全く知りませんでした。
 アーモンドとオレンジ、レモンのペーストを菱形に固めて上面に砂糖をコーティングしたようなお菓子で、上品な甘さ。紅茶によく合います。