鼓曲萬来

CYBER 神楽 2018

俺達は、....ドラマー達は元気にしているよ

2016-10-07 | 鼓曲萬来(COLUMN)

 

亡くなった山口富士夫の長年マネージャーをしていた方から

村八分の初期の話を聞きたいという事で

高円寺の喫茶店でインタビューを受けた

 

当然、僕が富士夫やチャー坊、青木君と演奏したのは約1年半

それも46年も前の話....それでもよかったら、という注文もつけた

 

何故なら、巷での村八分や富士夫、チャー坊の認識と

僕が知っている彼等とはもしかして大きな隔たりがあるかも知れないと思ったからで

村八分後のティアドロップス、或いは先日封切られた映画での富士夫のイメージとは

必ずしも一致してはいなかったし、その後の事は富士夫の周りの方の方が

私などよりもより詳しい筈であるから、富士夫やチャー坊そして青木君、哲がいない今

僕が村八分を語る等は...という思いもあったのだ。

 

で、一通り村八分にいた時の話が終わった後

心にずっと引っ掛かっていた事をその方に尋ねてみたのだ

 

それはどういう事かというと

 

それは46年前、僕が村八分を辞める正にその時に一度だけ顔を会わせた

一人の少年、当時僕が19、そして彼は17だったろうか

つまり僕の後に村八分のドラマーとなる上原ユカリと一度話をしてみたいという事.....

 

そいつはなんというか.....

 

信じられない話だが僕等は一度も話を交わした事がなかったのだ

それも46年もの間....

 

そして僕が辞めた後、ユカリも1年程で村八分を去った

従って、村八分の1stアルバムは我々二人がいた村八分ではない

 

勿論その後、彼はシュガーベイブや

沢田研二のエキゾチックスで演奏していたのは知っていたし

僕は僕でハルヲフォンで演奏していたので

どこかであの時代、すれ違っていたのかもしれないけれど

お互いにお互いをどう思っていたのかを知りたい気持ちもあったのだ

 

一つの事が終わって次に進もうとする時

やはり自分の心に区切りを付けなくてはとても新しい事には踏み込めない

その当時の自分は無理やり一段落付けたつもりではあったが

 

そうは言い聞かせていても、彼に対してミュージシャンとしてのライヴァル心も引きずったし

村八分にいたというそのキャリアは何事にも代え難いものも沢山貰ったけれど

その後に活動する自分にとって

決してプラスに作用する部分だけではなかったというのが本音でもある

彼は彼でどうそこを過ごして来たのかも直接聞いてみたいという気もあったのだ

 

で、数日後、上原ユカリはその場所に現れた

「お久しぶりです」...彼はそう言って手を伸ばして来て

 俺達は握手して抱き合った

 

日に焼けた顔や眼鏡を掛けたその容貌は

あの時の色白で長い髪の大きな目をした17歳の彼ではなかったけれど

 

しかし不思議にも、村八分に対してどうだったかとか、どうして辞めたのかとか

もう、......そういう事ではなく......

確かに一瞬にして46年はスッと心の中で消化したような気持ちになったのだ

 

「野音で富士夫達と演奏した時やキャッツアイでも恒田さんの演奏を見ましたよ

勿論ハルヲフォンも」...彼はそう言ってくれた

僕も野音でユカリが演奏した時の村八分を見た話や

富士夫、チャー坊、青木君と過ごした日常のなにげない話も

 

フリーゲートやそこにいた人々の話だったり

自分の今やっている和太鼓の話、彼が歌を唄い作品がリリースされる話

瀬川さんとやっているバンドの話、

亡くなったダイナマイツの大木君や

石丸忍や東京へのヒッチハイクの状況

湘南に住んでサーフィンに凝ってる事

当時の日本のRockシーン、触れ合った色々なバンドやミュージシャンの話etc,etc

 

そしてなによりも、心に引っ掛かっていた事も

 

ゆかりは満面の笑みでこう言った

「色々あったけど、僕も恒田さんも村八分にいた事は事実ですからね」........

そうだよね、色々な事があって、色々な処を通って

 

それでもう充分だった.......。

 

勿論彼の目から見た景色ではあろうけれど

それはあたかも自分の目で見た景色のようでもあったし

46年は今のこの一時、アッという間に時間は過ぎていったのだ

 

別れ際に連絡先を確認して

「これからですよね」...と

 

そうだよね、俺達はまだ現役なんだよね

本当にこれからなんだと思う

17歳と19歳だったんだ、初めて顔を会わせた時は。

 

この機会を与えてくれたマネージャーのKさん

リハ後に疲れているにもかかわらず足を運んでくれたユカリ、どうもありがとう

そして富士夫やチャー坊、青木君、

今度、僕の知っている村八分の話をしてくるよ.......。

 

 11月3日( 文化の日 )原宿/クロコダイル
※よもヤバトークShow/村八分トーク【出演;恒田義見 & 加藤義明】
■LIVE/●THE BEGGARS & 恒田義見 & 加藤義明(ex村八分 )
●The Ding A Lings ●VESSE
18;00/OPEN 19;00/START
Charge;3,000/3,500


part2


何もなければ、普通に、ごく当たり前の通常の11月3日だった筈なのだ

それが.......

1ヶ月前に富士夫の事を思い出してインタヴューを受けた時から

時空軸は微妙にねじれ始めていたのかも知れない

 

原宿クロコダイルの「よもやばTalk」....

お客様が入って、よっちゃんと話して、何曲か演奏する

それは至極普通の時間の流れの中に進んでいく筈だったのだけれど

 

時空は突如としてうねり始めた

 

「恒田さん、えみりさんが来てくれました」...と

えみりさんは富士夫と最後まで一緒にいらっしゃった方

勿論、御会いするのは初めてで

あの富士夫と....

 

ところが御会いしたとたん、自分は何も言えなくなってしまったのだ

なにかどっと汗をかいたような

その時、えみりさんは、自分が勝手にイメージした感じとは程遠く

本当に優しく手をとって、にこやかに微笑んで下さった

 

もう「不義理して」とか  しどろもどろになって

「長い間、富士夫の事有難うございました」、そんな事を言ったか言わなかったか

殆ど覚えていないけれど

富士夫が横で「おう、つねだ!えみり...な」...

と、あの横柄で偉そうな感じの声が確かに聞こえてしまったのだ

う~む......。

 

更に

「恒田さん、青ちゃんの奥さんが...」

うっ.....

更に時空は微妙なきしみを発動しはじめた

青木君の奥様も勿論初対面

はっきり言って、自分にはもう許容量一杯の状態

そんな状況を感じて青ちゃんの奥さんもこんな話をして下さった

「昔ね青ちゃんの机の上にメモがあって

それにユカリ、(電話番号)って書いてあって、その事で青ちゃんと

この人誰?って喧嘩になったのよ....」ww

 

もう、なんて言ったら良いのか

青ちゃんは無口だったから声は聞こえなかったけれど

確かに「おまえ~!元気にしてんのか~」、そんなにらみつけるような

そんな顔が浮かんでしまった

 

僕が本来知る事がなかったであろう、富士夫や青ちゃんのその後の時間

その何年もの時空を越えて目の前に二人にゆかりのある方が突如現れる

 

更に更に

「恒田さん、村瀬シゲトさんが来て下さいました」

もう、勘弁して欲しい

僕とゆかりが村八分を止めた後にドラマーになった方

つまりあの只一枚の村八分の音源で演奏していた方なのだ

 

勿論初対面

 

 

 左からサミー前田さん、ヨッチャン、シゲトさん、私

 

僕はこういった時空が揺れた時に不意に現れる

こういった「初めて事」に案外弱いなあ......

 

クロコダイルの一夜はしどろもどろと汗の中で過ぎていった

何か大事な物と暖かいものをチャー坊や富士夫や青ちゃんが用意してくれたような

同時に「お前なあ、しっかりしろよ!」とあの頃のように言ってくれているような気持ちと

微妙な空間の中で

 

肝心のトークと演奏はどうだったかって?

 

悪い....そんな事があって殆ど真っ白になっちゃってw

覚えておりませんのですわ

どうだったんだろう?

 

「村八分よもやばTalk Show」

帰りにかつ丼が急に食べたくなりまして

暖かい店に入って頂いて、まっすぐ家に帰った次第です。

 

※写真どうもありがとう。

最後に「夢うつつ」歌いました、一回だけ......。

 

そして微妙な時空のゆがみの中、最後のアンコールセッションにて「悪魔を憐れむ歌」 

 

 

あっ、そうそうMCのサミーさん、時空のゆがむ中有難うございました、手前勝手ですが

心強かったですww。味方

それからテックのキンちゃん、何分不慣れだったものでお手数をかけました、せきゅ

バンドの皆様にも、えっと合図見逃してすいませんでした、以上。

 

 


ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
« 昭和のプロレスに育まれたの... | TOP | 奉納演奏とは »