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鼓曲萬来

続 悪魔よジョージアへ (改)

時代はどんどん進んで、回りの景色も構造も以前とは比べられない程
その様相を変化させていくもんなんですわ
 
で、ふと立ち止まって周りを見回すと
以前はあんなに大切に思っていた事も
現時点ではなんの価値も見出せない
まあ...なんていうんですかね
常に状況に応じて自らを変化させて行く
そんな柔軟な姿勢も大切ですな
 
例えて言うならば
川を渡るときには筏(いかだ)が必要でありましたが
川を渡って草原を走るときは走りやすい靴が必要ですし
崖を登る時にはロープが必要となります
しかし崖を登るときに「これは川を渡るときに使った大切な筏だから」と
いつまでも担いでいたら、もう崖なんぞは登れません
そんなときは持ってる筏を放っぽり投げる勇気も必要って事ですわ
 
断捨離(だんしゃり)なんて言葉がありますが
解ってはいるんですけどね...なかなかね...
特に世話になったものや、たくさんの思い出が詰まったものなんかはね
ことある毎に「いつか又必要になる時が来るかも」なんて想いが頭をよぎってしまいまして
捨てきる事はかなりの覚悟が必要になります。


え~、前の悪魔の話は「カタ屋」と呼ばれる子供の小さな執着心と向上心を
極度に煽っておきながら、ある日突然非情にも消え去るおっさんの話でしたが

今回は60年代後半から70年代初期に東京のバンドシーンに暗躍した
バンドマンの怠惰な日々と依頼心だけを増長させる
悪魔とはいえ、いたってプロフェッショナルな能力を秘めた
通称「ハコ屋」と呼ばれるおっさんの話ですわ。
 
まだLiveHouseなんてのが出現する前の時代
どうなんでしょうかね~、
今時の方達ならどうやってバンド活動を始めるんでしょうかね
まあ、今ならユニットとかで、別にバンドなんて形態とは違うものなんでしょうけど
 
まあ、当時の我々はこれで喰って行こうと
色々な店やジャズ喫茶、キャバレーやディスコって処に
飛び込みで営業に回るわけですが
勿論素人マネージャーもいたけれど
正直、当時は一見さんでは仕事にもなんにもなんない訳ですな
GSの先輩方のように事務所に入るって事も
当時の我々はあういう風に
薄給の上に制約受けるのもなんだかな~って感じで......
 
さあ、そこで登場してくるのが
悪魔本人のテリトリーの中で沢山の演奏場とのコンタクト、
そして東京チトリンサーキットでの折衝権を保有している
通称「ハコ屋」と呼ばれるおっさん達ですわ
 
まず、このおっさん達は音楽的な事とかは一切話しませんし(笑)
おそらく興味もないでしょう
で、初期の頃はまず我々の演奏能力と時間厳守、
契約履行の誠実さを見て来る訳ですわ
 
オーディッションと称して一箇所に幾つかのバンドをボーリング場等に集めまして
そこで合格したバンドには一週間程の仕事をくれる訳です
で、仕事中に何度か顔を出して、客のうけとか店での勤務態度とかを評価しつつ
こいつらとはまあ付き合えそうだなと値踏みすると
更に今度は月単位の仕事場を提供してくる訳です
 
で、ギャラの受け渡し、勤務条件とかをいかにもプロフェッショナルに店と交渉
自分はその何パーかを受け取って
又、月の中盤あたりに
「どう~?ところでさ~来月はどうする~、ここにまだいる?それとも他行く~?」
等とバンドの意思と状況を聞きに来る訳ですわ
 
この悪魔との信頼関係はかなり無感情な中で行われて
こっちも余計な事は奴におまかせ
向こうも使いやすいうけの良いバンドと良質なハコを幾つ持ってるかが全てで
面倒な事や厄介な事は全て悪魔が裏で処理しておりました
会話なんぞ悪魔語で幾つか話せれば事足りましたわ
 
曰く....バンス(前借)バーター(交換)トラ(代役)くらいでしたかね
 
しかし...
いけませんでしょ....これ
 
なにせ,新曲のコピーとレパートリーを演奏する事以外何も考えられなくなります
話す事は殆どカケシ関係だけとなり
食事の時間が本当に至福の一時となり
ついには寝る時間を削っての遊興の日々となります
毎晩演奏して楽しいですし、なによりも楽ですから......
 
しかし、他のバンドからはこの悪魔達の
色々とよからぬ話も聞いた事がありましたけれど
我々に対してはあまりひどい事はしませんでした

まあ、入ったハコがいわゆる色物との共演で
ユートピアにゴムパッチン口に咥えさせられた事とか
ボンサイトにトロンボーンの旗上げさせられる事とか
楽屋と称して単なる水の抜いてあるバスタブが一つ置いてあるだけで
その中に全員で座って出番を待った事位だけでしたかね(笑)
 
という事で時代を経て、我々も事務所を開いたり、レコードデヴューする頃には
悪魔はいつのまにか、ピンはね業務を他の職種に求めつつ
ジョージア方面へ消え去って行きました。
 
もう現在ではこんな悪魔が存在していた事さえ
知っている方はすくないでしょうけれど
只一つの功績は、この悪魔に当時遭遇したバンドマンの方々
そりゃ、皆様演奏や歌は半端じゃなかった事だけは確かです
なにせ、毎晩何ステージをもこなす訳で
必然的にアンサンブルやテクニックは
今のバンドの比じゃなかったですわ、いやホンと。
 
いつかね~、評価は今まで殆ど無かったけれど
当時活躍した所謂「ハコバン」の特集でも組んでくれれば
ハコ屋の存在と共に今の日本の音楽シーンの一端が垣間見れるとは思いますわ
ハコバンとはいえ、そりゃ錚々たる連中が割拠していた訳ですし
ハコ屋から堂々音楽業界大手なんて話も多々聞いておりました。
 
ハコ屋のおっさん達がくれた筏はもう殆ど使う事はないでしょうけど
時々フッと思い出す事もあるんですわ
意外とあれはあれで、よく出来たシステムではあったな~と
なんてね
悪魔はその状況によって時々天使に見えるから厄介なんですわ。

 


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