りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

変わる感覚

2018-04-02 21:56:40 |  日 記 

いつもは奥手の相模原の桜だけど、すでにひらひらと花を散らしている。

近所の公園もだいぶにぎやかだ。

花壇ではチューリップも花弁をひろげているし、

あたたかいせいか、たくさんの人が朝早くからお散歩していたりする。

いつも朝に尺八の名手が練習をされているのだが、

音色さえ春爛漫を歌うように聞こえてくるのだから、

まぎれもなく春の真っただ中にいるのである。

そのことを疑う余地はまったくないのだが、

どこか今年の春には違和感がつきまとっているのを

振り払えないでいる。これって個人的な感覚の問題なのだろうか?と。

 

年によって春の訪れには微妙な違いがあり、その違いが

口々に語られるというのも春の風情のひとつだと思うのだが、

今年の春がだいぶ違って感じられるのは、

あまりにも桜の開花が早かったせいで、

僕の頭の中で鳴るはずだった音楽が

鳴らないまま季節が過ぎようとしているからかもしれない。

そのことに今日気付いて、なんだかあわててラヴェルの音楽を夜に鳴らしている。

ラベルの弦楽四重奏を聴き、ピアノ三重奏を聴き。。。

そうえば、今年はまだプーランクのオーボエ、バスーンとピアノのための三重奏を

聴いていなかった、とあわててCDを掘り出し。。。

それでようやく何かが落ち着いた気分になってきた。

聴きながら、だいぶ早まってしまった桜の季節が、

雨も降らずに過ぎていく違和感を思いつつも、

ひょっとしたら、この違和感は季節のせいなどではなくて、

僕の中でなにかが少し変わってしまったせいなのだろうか?

と思うにいたった。

 

そう思うに足るだけの理由なら、身に覚えがある。

山ほどたくさんありすぎて振り返るのも面倒なのだが、

変わらないのは果たすべきことがいまだ果たされていないことに

対する焦燥である。

 

早く過ぎていく季節にせつかれているような気分。

自分が変わっていくことも、ひとつの冒険なのだなぁと思いつつも、

ただ流れにせつかれるままというのはいただけない。

 

いろいろ考えるにつけ、音楽にじっくり耳を傾ける時間はどうしても必要なのである。

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハチミツ | トップ | 茶房古九谷のアイスコーヒー »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。