
おはよう プリン‼︎
お散歩道が
薄ピンクと黄色の花でとてもきれい。

薄ピンクは今満開の八重桜、
では
黄色は何でしょう?と見上げてみたら、
棕櫚の木でした。
大きな黄色の花房が見えます。
地上に落ちると
愛らしい黄色の小花です。

思えば
私は棕櫚の木とご縁が深い。
実家の庭先にも
大きな棕櫚の木がありましたし、
祖祖母の祖祖母ひな(またの名をキク)
六代上のご先祖様は
お武家の生まれでしたが
実母に死なれ
継母との折り合いが良くなかったのか
時は明治維新という事もあり
妹と連れ立って
七尾から江戸へ出て
我が六代の祖父と出逢います。
そして
喧嘩をする度に
どこの走馬っポネ(骨)だと罵られるもので
実家を見せに
七尾へ旅をします。
明治初期、
若い男女二人が徒歩で、しかも身一つで。
旅先で
棕櫚縄をなっては旅費をまかない
なんとか
七尾をのぞむ峠の茶屋にたどり着き
実家へ使いをやると
「ひなが婿様を連れてやって来た」と
実家は大騒ぎに
紋付袴と着物を携えて
お迎え者が茶屋までやって来て
綺麗に身支度をして峠をくだると
ひなの実家は
大きな武家屋敷で
六代の祖父は度肝を抜かれたそうです。
父親(七代の祖父)は
大切な娘が帰ってきたと大喜びで
なんともこの地に置いておきたいと
金子を積んで娘を置いて帰るように頼んだそう
「こんなに遥々旅をして
カカァを売りに来ましねえ」と啖呵を着ると
困り果て、占いが立てられ
『この地にいては子ができぬが
赤不動様のご加護のもとである
彼の地で暮らせば子ができる』
というお告げがでて
娘の多幸を思い、
父親は泣く泣く送り出したという事です。
そして二人は
また棕櫚縄をないながら関東に戻り
当時の身分差を
富豪の家(逸見家)の養女となる事で解消し
無事思いを寄せた人に嫁ぎ
私につながる子を産み育てました。
だから棕櫚は、私には特別な意味があります。
その花が溢れると
こんなに可憐で慎ましやかとは
また驚かされました。
あゝありがたい
Merci 🌸
Le Chardon Tokyo シャンパン