復刻!仙台スランバー

まどろむ夢の中のひとこま・夢のような覚めてるような

お風呂入ってよ!

2011-12-29 | 日記
「”庄内のおばあちゃん家”には何時いくの?」

真新しい携帯をいじりながら”りく”が聞いてくる

「30日の朝かな?なんで?」

「買い物したいし」



請け負った分の年賀状もなんとか書き終えたし
後は山形に行ってからの追い込みが残っているだけ

のんびりとリクライニングソファーに横たわって
今年のニュースを眺めていると
睡魔が襲ってくる

「寝るんだったらお風呂入ってよ!」

「あ?うん・・・」
そう云いながら瞼が重い

「あ!寝てる寝てる!歯を磨いてよ!」

もう耐えきれない睡魔
半分目を瞑りながら歯を磨いて寝てしまう







休日のジョギング

(明日は走ろうかなぁ?)
休日の前の晩
時々そう思いながら横たわっていると決まって眠くなる

(お風呂はいいや!どうせジョギングしたらシャワーするし!)

でも”母親”はそんな方程式を知らないし言ってないから
「お風呂入ってよ!」
と寝るまで督促してくる





今年は何度走れたろうか?
河原を片道走ったくらいで果たしてどんな効果があったと云うんだろうか?
(走らないよりいいか?)

折り返した復路
お寺の隣に白く姿を変えた泉ケ岳が見える

(ここから見えていたんだ?)



(あの頃も見えていたんだろうな?)




走るたびに見えてはいたんだろうけど
気がつかなかった風景
こんなに長く住んでいるのに




思えばそんな一年だった

いつも使っている電気の事なんか真剣に考えた事もなかったし
少しの量でも食べられる事の幸せも実感できた

暖房がなくても何とか凌げる事も出来たし
ろうそくの灯が思ったよりも暖かいのも知った

何時間も長い列に並びながら
意外に辛抱強い”自分”も知ったし

なによりも生きる事の大切さや
生かされているありがたさもあらためて知る事が出来た


知ってたはずの事をあらためて感じたそんな一年



帰ってくると畳み掛けてくる”母親”

「シャワー浴びてね!昨日入ってないんだから!」


そう云えばお風呂のありがたさも感じたっけ!
”庄内のおばあちゃん家”で入れたお風呂に入った瞬間

「生きてて良かった!」
そう感じた

確かに!
そんな一年だった















はやいよなぁ!

2011-12-28 | 日記
「ねっねっ!なん時に帰って来れる?」

出掛けに”りく”が絡んでくる

「早く帰ると何かいいことあるの?」

「ヨドバシに連れてって!」

「足かよ!」






仕事納めの一日

毎年同じような時間が流れる

どうしても年内に終わらせる仕事をこなして
お昼前から事務所の大掃除に取り掛かる

そのままお昼を抜いて3時を過ぎた辺りで適当に切り上げて近くで納会

ほろ酔い気分でのんびり歩いて帰るのが決まり事

それも決まって
近くのお店が空いてない

毎年のように”3人”してウロウロしながら納会
”3人”だから許せる行き当たりばったりの風物詩






そろそろ掃除しようか?
そんな頃あいを見計らって年末の挨拶に取引先の人がやって来て話が展開する

震災後も何度も顔を合わせてはいるし
何度も震災の話はしているけれども
少しずつ話しは展開している

「それにしても早いよなぁ!」

そしてもう”一人”

話しはやっぱり震災の話し

尽きる事のない今年の話し


呑気に延々とお昼まで話しは続く

家の話し
保険の話し
あの日の話し
これからの話し

悲しい話し
ほろりとする話し

馬鹿な話し

あれこれあれこれ




お陰でいつものスケジュールもすっかり狂って

「今年は食べてから掃除にしよっか?」
そんな納会


大掃除が終わった頃には外は暗くなっている
”3人”で掃除するには確かに広すぎる事務所

窓以外の三面を一人ずつ分担しても広い事務所
(でも大変だけれど狭くはしたくはない!)





5時も過ぎた頃
無くした”りく”の携帯に電話を入れてみる

「ハイ!」
低くて暗い声がする

「電話番号変わんなかったの?」

「継続出来た!」

「メルアドは?」

「同じ!」

「良かったじゃん!」

「良かった!」


一体いくらの携帯にしたんだか知らないけれど
”母親”同行で手続きに行った買い物
そんな高い買い物には思えないけれども
決めるまで苦労したろうなぁ?

『その色はやめたら!』

『”中学生”が何言ってんの?』

『”自分”で払ってみな!』


その攻撃に耐えて買った携帯の重みをかみしめて今度は大切にしてくれたら・・・





それにしても今年は早かった
まだ4日あるけど




ないっ!

2011-12-27 | 日記
「ないっ!」

”コーチ”からのクリスマスプレゼントの
モコモコのベンチコートに身を沈めて眠っていた”りく”が後ろの座席で慌ただしい

(もったいない位のプレゼント)



河川敷の人工芝のグラウンドでは横なぐりの雪の中
クラブの今年最後の交流試合を戦っている





「えっ?見に行くの?練習試合なんでしょ?」

「今年最後だし」

「年賀状どうすんの?」

「構想は出来てるし!後は作るだけだから」
(そこからが長い作業)

「早く帰ってきな!”りんちゃん”とプレゼント買いに行くから」

”母親”からチェックを入れられながら観戦に走る東北道

南下するんだから雪も止むだろう!
なんて思っていたら大勘違い

ここは蔵王の直下
当たり前に雪はますます激しく降ってくる







夏の初め頃から頻繁に通い始める
クラブサッカーの試合観戦
(観戦料も毎月支払ってるし?)

震災の年のサッカーはそれなりに制約を受けながら
少しずつ元の形に戻って行く


新しいチームになって一つポジションを上げた”りく”は
この日はまた一つ下がったポジション

強力なセンターバックの”けい君”とのコンビは安定している

ただ応援する”自分”としては
あまり好きじゃないポジション

最後の一枚を突破されてのゴールは消えることはなく
取り返せないポジション


それにしてもグラウンドでプレーする半分以上が”1年生”のチームは
試合を重ねる度に進化している

小柄なだけで倒れない”選手たち”のテクニックは目を見張る

「コーチは”1年生”が滅茶苦茶好きだもん!」

”りく”が言うとおりグラウンドに”2年生”が全員揃ったところはお目にかかれない
楽しみなチームになって来た
あと1年楽しめる!




「ないっ!まじかよ!」

”りく”は必至の形相でモコモコのベンチコートのポケットやら
バッグやら探している

「やっちまったな!」
半分放心状態

「どうしたらいいんだろ?」

独り言をつぶやきながら
つぶやく度に落ち込んで行く

なんともかわいそう

”りく”が携帯を無くしてしまった







”二人”して雪の中の河川敷を探す
雪は河川敷に10センチほども積もっていて

”二人”して懐中電灯で照らしながら靴底で河川敷を探る

一時間経過

ほんの数時間前まで賑やかだった場所も
雪のせいで音も何も消されている

「もういいよ!帰ろ!」





帰りの車の中で反省ばかりを繰り返す”りく”を見ていて気の毒に思える

「そのうち出てくるよ!」
根拠のない声掛けをしても立ち直れない”りく”



家に帰ったら駄目だし喰らうんだろうな?きっと
”りんちゃん”の買い物も吹き飛んだクリスマスの夜


ベンチコートのプレゼントと引き換えに
”りく”の携帯が無くなった夜







それぞれのクリスマス

2011-12-24 | 日記
「行ってきまぁす」

”りんちゃん”に休日はない
朝の7時にいつものように出掛けてゆく

前の日は何処かの病院でのクリスマスコンサートだったらしく
クリスマスに似合った歌を歌えたって喜んでいる
忙しいこのクリスマスの3連休


”りく”は午後からクラブの練習
前の日は”昔の仲間”の学校との交流試合も雪で流れてしまって


「今度も雪じゃないといいね!」

そう言って別れた”K君の父”との会話は現実になっている
やっぱり仙台とは気候が違う土地

でもあのグラウンドが恋しい






「ほらっ!ケンタッキーに引き取りに行くから!」

”母親”が予約を入れているお店の引き取り時間が迫っている

「もう時間になるけど!間に合わないよ!」

街中の混みようは久しく見た事もないような混み具合で
南町通りから青葉通りまで信号が3回
青葉通りから広瀬通りまでは4?5回

そしてどこもかしこも満車の赤いパレード


この国の人達はいつの間にかクリスチャンになっている






”自分”の小さかった頃にもささやかながらもクリスマスがあって
あの頃は”おばあちゃん達”が冷たいアイスケーキを食べさせてくれた憶えがある

小さい頃は朝起きると
お菓子の入った長靴のような靴下が枕元に置いてあって
それはそれで嬉しかった

懐かしい思い出


4月8日のお釈迦様の誕生日も菩提寺に行ってお祝いしていたけれど
キリスト様の誕生日もそれなりにお祝い?して
懐の広い”おばあちゃん”





”親”になれて
”子ども達”に出来る事は
周りと同じような事を当たり前にしてあげる事

いい加減にしておけばいいものを
凝り症が過ぎて
この季節が来ると少し苦痛に思っていた

それも朝になって
知らん顔しながら”こども達”の歓声を聞くと嬉しくって

「いつ置いて行ったんだろうね?」
なんて会話もこそばゆい思い出





飾り付けもかなりシンプルになって来て
プレゼントもかなり前から現実的な要求もあって

”4人”一緒に過ごすことさえままならないこの1~2年のクリスマス


今夜もバラバラ

いつかバラバラにはなるのだけれども

それはそれでそれぞれのクリスマス




なんて書こうか?

2011-12-23 | 日記
「年賀状買っておいたからね!」

テーブルに置かれた年賀状の束




毎年同じようにギリギリにならないと始めない作業

(まだ大丈夫!まだ時間はある・・・)


その昔は版画を刷ってみたり
カッティングシートに凝ってみたり
結構手間隙掛けて作っていた年賀状


それがパソコンの登場と同時に
どんどんと手を抜き始める


それでも”りんちゃん”や”りく”が小さかった頃は
”彼ら”の写真を使えたから
出す相手によって写真を代えたり
アレンジしたりと工夫が出来たけれども

今ではそんな手も使えないし
(ろくな写真もないし・・・)




”りんちゃん”も”りく”も年賀状は出さない世代

携帯さえあればほとんどが片付く世代





年賀状を出す枚数は毎年少しずつ減っている

”伊集院さん”じゃないけど

少し縁が遠のいて来たかな?と感じ始めると

出すのを遠慮してみる

年をとる毎に
貰うのも出すのも少しずつ億劫になってくる

特に昔の仕事の付き合いで
殆んど年賀状だけの付き合いになっているのなんかは....



”自分”の担当は3か所

一つは”自分”のもの

二つ目は”実家”からのもの

三つ目は”おばあちゃん”から頼まれているもの



一応それぞれに違った工夫を凝らしながら出してはいるけれど
なかなか思うようには思い浮かばない新年のあいさつ

今年は特に・・・



「お父さん!”俺”5枚出すから作っといて!住所は”自分”で書くから!」

(?”りく”も出すの?誰に?デザインしてもいいの?4つ目か?)





夕方に散歩がてらに買い物に行った帰り道
ふと思い浮かぶ



の字でも書いてみるか?




帰って来て”りく”の絵具を借りて書いてみる
”りくの母親”が話し掛けてくる

「これ使えない?」

持ってきたのは12年前”りんちゃん”が書いた龍の絵

「まだ5歳だったんだよ!あの頃絵の天才だと思ってたんだけど?
でも凄いでしょ!」

正月に”おばあちゃん家”で書いたというの絵

12年の歳月が色褪せた紙が物語る



これいける!