La Rose Bleue

『ベルばら』でフランス語、ハリポタで英語をお勉強

二人の関係 ④ オスカルとアンドレ bis

2006-06-21 22:28:57 | tu と vous

 この項目は、あまり書きたくなかったのでさらりと行こうと思いましたが、長年思っていることを書いて吐き出してしまうことにしました。

 本来のフランス語研究からは遠く離れてしまいそうなのですが、申し訳ていどに、20数年間に渡る「二人の関係」を表現した語をまずはピックアップしたいと思います。

 

遊びあいて:le camarade de jeux  (ル・カマラード・ド・ジュー)(Tome 1)

  camarade : 仲間、同僚

    jeu(m)遊び、遊戯、ゲーム(jeux:複数形)

 

剣のあいて:un adversaire à l'épée (アン・アドヴェルセール・ア・レぺ)(Tome 1)

    adversaire :n:相手、敵対者(→partisan(e):支持者、信奉者)

    épée(f):n:剣、剣客

 

幼なじみ:ces deux amis d' enfance (セ・ドゥー・ザミ・ダンファンス)(Tome 2)

    ami(e):n:友人、友達、仲間、味方(複数形)

    enfance(f):n:幼年時代、少年(少女)時代、少年少女、児童、揺籃期

             >enfant(n)、 enfintin(e) (adj) 

 

カストルとポルックス:Castor et Pollux (Tome 2)

    et :jonc:と、そして、

 双子座の星。兄のカストルより、弟のポルックスの方が明るい星。

 都内の某ホテルに、「カストル」「ポルックス」という会議室があったりします。 

 

双子の星:étoiles des gémeaux  (エトワール・デ・ジェモー)(Tome 2)

    étoile(f):n:星(étoiles:複数形)

    gémeau(elle) :n:adj:双子の、対の、そっくりの(gémeaux:複数形)        

                 jumeau(elle)の古形

 

夫婦:mari et femme (マリ・エ・ファム)(Tome 2)

    mari (m):n:夫

    femme(f):n:妻、女

 「夫婦」という単語は、ménage (m)、 couple (m)などとも言いますが、Kana 版では、このように表現されています。 

 

 

 

 

 

ご注意:

ここから下は、OA至上主義の方、年少の方、へ理屈が嫌いな方はお読みにならないで下さい。

たいした内容ではございません。ただ、不快に思われる方もおられると思います。書いた筆者自身が不快でたまりません。

 

(しばらくしたら、削除するかもしれません。)

 さて、では、積年の胸のつかえを吐き出させていただきます。

 何故、筆者がオスカルとアンドレの関係に違和感を持っているのか…それには、1つのきっかけがありました。小学生の頃、初めて読んだ時は、筆者もオスカルとアンドレの身分を超えた愛に胸をうたれ、強い絆に憧れ、二人の悲劇にどれほど涙したことかわかりません。

 しかし、高校生になった頃からでしょうか、いろんな疑問がわき始めました。

「どうしてアンドレは、大事に思っているはずのオスカルを傷つけるようなことができたのだろう?」…有名な事件から…

「どうしてオスカルは、喀血して自らが病であることを自覚しているのに、アンドレと結婚などと言いだしたのだろう?」…伝染る病じゃないですか…?

「どうしてアンドレは、『おれには何もない』ことを自覚していて、その上光を失うことを予感していながら、自信たっぷりにジャルジェ将軍にオスカルを守ることを約束したり、オスカルを求めたりできたのだろう?」…冷静に考えたらもの凄い矛盾…

「二人がもし、生きながらえたとしたら、その後の生活は、果たして幸せだったのだろうか…?」…収入もない、健康状態も…電気もガスも水道もない上、動乱の時代ですよね…

「二人とも大人なのだから、本当に愛しているなら、情熱に身を任せるだけでなく、お互いの本当の幸せについて冷静に考えることは出来なかったのだろうか…?」…現実的でないから、「純粋な愛」なの…?

 

 そんな疑問を持ち始めた筆者にとどめを刺したのは、スウェーデンの劇作家、ストリンドベリの戯曲をもとにした映画、『 令嬢ジュリー 』 でした。

 1回しか見ていない(ショックが大きくて、二度と見る気がしませんでした。今はもう、絶版かも?)ので、記憶違いもあるかもしれませんが、おおざっぱに言うと、こんな内容です。

 気位の高い伯爵令嬢・ジュリーと下僕のジャン。ジャンは身分違いと知りながら、ジュリーに恋いこがれていることをジュリーに切々と告白する。始めは拒んでいたジュリーだが、ジャンの熱意に動かされ、ついにジャンに身を任せる。しかし、ジュリーを手に入れた途端、ジャンの態度は急変。実は、長年ジュリーを愛し続けていたというジャンの言葉は偽りだった。貴族に対して歪んだ感情を持つジャンは実はジュリーを憎んでおり、ジュリーに愛を告白したのは、彼女を貶めるためだった。時はちょうど夏至、北欧では白夜。そんな白日の下で下僕に身を任せてしまったジュリーの浅はかさや淫らさをジャンは嘲笑い、去っていく。夏至祭がにぎやかに行われる声を耳にしながら、ジュリーは命を絶つ(多分。最後はよく覚えていません)。

 

 …という、胸の悪くなるような最悪な話なのですが、その上衝撃的だったのは、ジュリーを演じているアニタ・ビョルクという女優さんはきれいな金髪で青い瞳、ジャン役の俳優さんは黒髪で…筆者は、しばらく立ち直れませんでした…。

 その後、修論を書く時に「物語の構造分析」というのを行ってみて、筆者がいだいた「最悪な気分」は、あながち的はずれではなかったことを再認しました。

 オスカルとアンドレの関係と、『令嬢ジュリー』の関係を抜き出してみると、このような類似点があります。

◆貴族の金髪の女と、下僕の黒髪の男

◆身分の低い男は身分違いと知りながら、女に情熱的に愛を告白

◆最初は拒んでいた女も、徐々に心を動かされる

◆女は男に身を任せる

◆体の関係が出来てしまった後で、女は男が自分を欺いていたことを知る

◆男は女を残して去る

◆女は死ぬ 

◇女が死んだ日は…『令嬢ジュリー』は「夏至祭」、フランス革命記念日は、筆者がこの映画を見た頃の通称は「パリ祭」

 

 これを読んで、お怒りになる方もさぞかし多いことでしょう…

 …書いている筆者とて、吐きそうです…

 この構造に気づいてから、筆者は『ベルばら』が読めなくなり、「フランス語版」というクッションを置いた形で読めるようになるまで約20年(!!)かかりました…。日本語版でオリジナル・テキストを読めるようになるまでには、それからさらに2ヶ月必要でした。

 オスカル・フランソワは、筆者にとって神聖な存在でした。

 彼女を、どれだけ深く敬愛してやまなかったことか…

 なのに、その最期が、人間の醜さや愚かさをこれでもかと見せつける作品と共通する構造を持っているとは…

 

 『ベルばら』の二人の愛が光だとしたら、『令嬢ジュリー』の二人の関係は、地獄のような闇です。でも、光が存在しているところには、必ず闇が存在します。「美しき愛の誓い」を客観視した時、その美しさのもう一面にあるものは、深い闇かもしれないのです。

……………………………………………………………………………………………

 …でも、「人が生きる」ということは、このように光だけでなく闇を見て行かざるをえないということなのかもしれません。

 「男でもなく、女でもない」オスカル・フランソワ…「男でもなく、女でもない」存在と言えば、『天使』です。

 美しく、賢く、強く、心優しいオスカル・フランソワは、何一つ欠けたところのない、天上に属するような人物でした。

 しかし、オスカル・フランソワは、『天使』のままでいることをよしとせず、生身の「女」としての生き方を選びました。そして、その死の間際に、「人間として生きた」ことをよろこびとして語っています。

 清らかで完全無欠の『天使』としての生でなく、愚かで悲しい「闇」の部分を持っているからこそ、「光」の輝かしさがわかる、そんな「人間」としての生を全うしていくのです。

……………………………………………………………………………………………

 ここ数十年、日本では、既成の価値観を破壊し、偶像を引きずり降ろし、むき出しの欲望に従うことを是とし、愚かさや醜さに惹かれる精神構造が蔓延してきたような気がします。 

小説『羊たちの沈黙』にだったか、『診断名サイコパス』(R・ヘア)にだったか定かではありませんが、こんな言葉がありました。(『FBI心理分析官』(R・K・レスラー)だったかも…)

「闇を見つめる者は、同時にその闇に見つめられていることを自覚しなければならない」

 現代人は、悪徳や不道徳の垣根をたやすく越えられるようになっているように思います。ここ十数年の日本人の精神構造の変化を、戦後の混乱期の価値観の崩壊や日本人の精神構造の変化以上に大きい、と危惧する方もおられます。

 この現代において、再び過去の名作が甦ることは、意味深いと思います。

 こんな時代だからこそ、筆者もようやく、「光」だけでない「闇」の部分も含めて、この物語を受け入れられるように思います。

 

今日は、奇しくも夏至でございました。

なんと、映画『令嬢ジュリー』の監督さん;A・シェーベルクAlf Sjöberg ; (1903年~1980年4月17日)も、夏至のお生まれだそうです。

『令嬢ジュリー』のラストシーンの夏至祭の歌声…きっと、同様な歌声が、スウェーデンで今年も響いたことでしょう… 

 


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5 Comments

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深いですねえ‥ (うさぎ)
2006-06-22 11:03:51
club_3さん、こんにちは。



「不快に思われるかも」と書いておられましたが、「不快」ではなく「深い」です(オヤジ‥(汗))。



わたしは、相手の幸せを考えて身を引くというのがどうも好きではないようで、たとえ客観的には破滅が待っていようとも、「二人一緒なら幸せになれるはず!」と思い込む恋の勢いがけっこう好きだったりします。



令嬢ジュリーに関しては、ジャンが最初から計画的だったことで、まだ救われる気がします。最初は本当に恋焦がれていたのに、征服してしまったら急に醒めてしまった、とかだったら、もっと空しい気が‥。



ところで、tuとvousについて、昨日Blanche-neigeを読んでいて、面白いことに気づきました。魔法の鏡がお妃に、最初は"Tu es la plus belle"とtuで話しかけているのに、彼女が一番でなくなったとたん、"Vous etes tres belle, mais Blanche-neige est encore plus belle"と、いきなりvousを使い始めるんです。なにやら鏡とお妃の距離感を微妙に示しているようですね。



このブログを拝見していなければ、そんなことには気づかなかったでしょう。club_3さんに感謝です~。
こんばんは~ (あいり)
2006-06-22 20:28:22
いつも、丁寧なお返事をいただき、ありがとうございます。

club_3さま、たいへんお疲れのわけは、このブログのためでは、ございませんよね?



昨日、club_3さまが何を書かれたのかは推測するしかないのですが、club_3さまの穏やかでとても自然な流れでありながら、キッチリご自分の言いたいところへ持っていくあの文章、大好きです。



私が勝手な思い込みをしてるだけなら、スルーしてくださいね。



雨が続き、私の体調もいまひとつすぐれません。う~ん、更年期?!

club_3さまもどうぞ、ご自愛くださいませ。



恋の勢い☆ (club_3)
2006-06-22 22:03:02
うさぎさま、こんにちは。



『令嬢ジュリー』のことは、ず~~~っと心の中にわだかまっていて、耐え難いけど忘れることが出来ない物語でした。

ここで書いてしまえて、自分としては区切りがつけられたと思っていますが、でも、私がもし全然違う立場で、自分の好きな人物のことについて、あのような書かれ方をしたら、ものすごく不快で許せないと思うかもしれません…

うさぎさまのように冷静に読んで下さる方がいてよかったと、心が少し軽くなりました。ありがとうございました。



「恋の勢い」って、いい言葉ですね~

幸せになるにはパワーが必要!(*^_^*)!って今さらながら思いました☆



Blanche-neigeの鏡の台詞、面白いですね!

なんだか、鏡の口調や、こう言われたお妃の表情まで想像できそう。

こういう発見があると、またフランス語学習の楽しみが増えますね~!
お大事になさって下さいね(^^) (club_3)
2006-06-22 22:20:33
あいりさま、こんにちは。



ご心配いただき、ありがとうございます。

疲れたのは、現実の生活で、いろいろと「はぁー………」と、ぐったりするようなことが続いているからです。



このブログも、けっこうエネルギーは消費いたしますけれど…でも、自分でやりたくて始めたことですので、ペースはまちまちですけれど、出来るところまで続けようと思っております。



駄文をお褒めいただき、光栄です。(*^_^*)

どうしても長くなってしまうので、もっと端的に言いたいことが表現できれば…と思ってはいるのですが、まだまだ修行が足りません…



はっきりしない天気が続きますね。

今日のご体調はいかがでしょうか?ご無理をされないように、お体、大事にして下さいませ。



…わたくしは、時折、「心身の治療用」にモーツァルトを聴いたりしております。



あいりさまが、ゆったりと安らげる時間をお持ちになれることを、お祈りしております。(^^)
コッホの発見は・・・ (通りすがり)
2011-09-08 17:10:13
「どうしてオスカルは、喀血して自らが病であることを自覚しているのに、アンドレと結婚などと言いだしたのだろう?」…伝染る病じゃないですか…?


肺病の原因が分かったの19世紀以降なんです。18世紀だし、分からなかったのでは・・・。

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